大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)     

      
第22回 早稲田界隈(2004/1/8)
高田馬場の由来は高田君と馬場から来ている。馬場は、江戸初期に松平忠輝の母である高田君の庭園があった場所で西早稲田3丁目付近に有った。旗本の馬術練習や流鏑馬に使われた。現在でも、流鏑馬が行われ、堀部安兵衛の助太刀の碑が残っている。戸山公園は尾張藩二代徳川光友が寛文9年(1669)より造営され、箱根山は江戸最高所の地であった。神田川は二大将軍秀忠の頃に整備された江戸最初の上水である。
統計資料館 国政調査のポスター 戸山公園 箱根山
総務省統計局・統計センターの中にある統計資料館は創設120年を記念して、平成3年に開館した。統計調査の歴史やしくみなどをわかりやすく展示してある。 わが国初の国勢調査が、大正9年に行われたが、これはそのときのポスターです。館内にはこのほか珍しい統計用の機械などが展示されている。 「戸山公園」は、もとは尾張徳川家の下屋敷跡、明治維新を迎えて陸軍戸山学校となり、第二次世界大戦終結まで存続した。戦後は公園と戸山ハイツに生まれ変わった。 尾張家の回遊式庭園の名残をとどめるのが箱根山である。海抜45Mと山というにはお粗末だが、新宿区ではもっとも高いところである。この石段を上がるとあずまやがある。
放生寺 穴八幡宮 坪内逍遥記念演劇博物館 水稲荷神社
放生寺は寛永18年頃に、現在も隣に位置する「穴八幡宮」の別当寺として開創された。当時境内には湧き水をためた放生池があり、毎年の「放生会」の日は多くの参詣客でにぎわったという。 冬至の日にお札を受ける人で賑わうことで有名な穴八幡宮は、寛永13年に松平左衛門尉直次という武士が射術の練習のためここに的山を築き、弓矢の守護神である八幡神の小さなほこらを営んだことにはじまる。金融の神様として有名。 日本の演劇界の先駆者であった坪内逍遥博士の古稀と『シェイクスピア全集』の翻訳完成を記念して、昭和3年に建てられた。建築様式は、エリザベス朝様式で、玄関正面が劇場の舞台に、両翼の部分に観客が座る桟敷にあたる野外劇場の形をとっている。 甘泉園に隣接する大きな稲荷社。1501年、上杉朝興の手で建てられたとされ、「戸塚稲荷神社」「榎稲荷」「水稲荷」などの名を持つ。都電・荒川線
甘泉園公園 面影橋 都電・荒川線
甘泉園公園は、江戸時代には徳川御三卿の清水家の下屋敷であったといわれ、明治になって相馬侯爵邸となり、昭和13年に早稲田大学が譲り受けて付属施設とした。現在は区のものとなっている。 橋名の由来は、昔、この近くに住む和田某の娘お戸姫が、その美貌ゆえに次々と災難に会うのを苦に髪を切り、深夜この橋の上で変わり果てた自分の面影を川面に映したという悲話に基づいている。 都内で唯一残っている都電荒川線。早稲田行きの電車の中から三ノ輪行きの電車を撮影。
戸山公園の広さにはびっくりしてしまった。公園の中に団地がゆったりと配置されているので、子供たちにとってこの新宿のど真ん中で野山の気分を味わえる得がたい場所となっている。現に私たちが歩いた日も、高校生らしき運動部員が箱根山を駆け上がっていった。トレーニングにも格好の場所である。この辺りは早稲田大学のお膝元なので、あちこちに大学の施設が点在し、周りの商店は大学生で持っているのかもしれない。来月は、本郷の美術館周りの予定。