大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)     

      
第23回 根津〜谷中(2004/2/12)

近頃は谷中・根津・千駄木の頭文字をあわせて谷根千(ヤネセン)と呼んでいる。この辺りは、植木の里、寺社詣り、花見の名所として比較的新しく開けた場所。しかし震災や戦災での町並みの焼失が少なく、いまでは昔ながらの情緒の残る界隈として知られている。谷中は寺が七十幾つもある寺町で、その門前を縫うように町屋が建っている。根津は上野台地と本郷台の間の谷底のいまでは暗渠になっている藍染川沿いに商業が栄え、宝永3年の根津神社の造営から門前に岡場所ができ、明治に入って20年ほど根津遊郭として栄えた。千駄木は明治以前は上野の寛永寺が所有する雑木林だったが、明治以降、東京大学に隣接する地域として多くの学者や文化人が住むようになった。

弥生門 弥生・竹下夢二美術館 弥生式土器記念の碑 サトウハチロウ旧居跡
本郷三丁目駅から、東大の中を突っ切って裏門の弥生門へ。透かし模様のなかなか凝ったデザインです。門をでるとそこは弥生町です。 弥生美術館は高畠華宵のコレクションと、明治末から戦後にかけて活躍した主要な挿絵画家の作品がみられる。隣接する夢二館では、大正ロマンをたっぷりと味わえます。

1884年3月、東京大学の学生3人が向ヶ丘の貝塚を調査しているとき、見つけた土器が地名を取って「弥生式土器」と呼ばれるようになった記念の場所。

サトウハチロウは西条八十の門をたたき、作詞家、詩人として活躍した。碑には「此の世の中で唯ひとつのものそは母の子守唄」とある。
異人坂 お化け階段 根津神社・社殿 根津神社・透塀
この坂の上の地に、 明治時代東京大学のお雇い外国人教師の官舎があり、 ここに住む外国人は、 この坂を通り不忍池や上野公園を散策した。 根津神社へ抜ける道筋にある怖い階段。階段の数を数えると死ぬとか、階段の石は墓石でできているとか、夕暮れ時には何か出るといった話もある。 五代将軍徳川綱吉の命でこの地に勧請された神社は当時のまま残っている貴重な建築物である。権現造りの壮麗な社殿・国の重要文化財に指定されている。 他に唐門・楼門・透塀等も重要文化財である。朱と緑の鮮やかな透塀は、調和が取れて美しい。ここはまた江戸の頃からつつじの名所でもある。、
へび道 菊見せんべい いせ辰 喫茶店・乱歩
地形的にこの場所は谷底で、昔は藍染川(谷田川)であった。やがて暗渠になったため、川の流れそのままの道で、くねくねとまるで蛇のようなのでこの名がついた。 明治8年創業。 独特の風味を誇る江戸っ子好みの堅焼きせんべい屋。一枚から帰るのが嬉しい。せんぺいをかじりながらの谷中散歩もいいかもしれない。 江戸千代紙や紙工芸品の店として有名である。江戸の昔、出府の旅人のおみやげとして愛好された木版刷りの千代紙を四代にわたり継承している。和の雑貨も人気がある。 さんさき坂を登っていくと、≪D坂(団子坂)より308歩≫という謎めいた看板が面白い。マスターはむろん江戸川乱歩の大ファン。レトロ調で楽しい喫茶店。猫好きな方必見。
岡倉天心記念公園 夕焼けだんだん 羽二重団子 笹の雪
日本美術院や日本近代美術の先覚者岡倉天心の旧居があったところ。園内の六角堂には、平櫛田中作の天心坐像が安置されている。

「夕焼けだんだん」と呼ばれる石段が、谷中銀座の入り口。石段があるということは、車は入れないので歩行者の天国であり、安心して買い物が出来る。

日暮里の陸橋を越えて鶯谷方面に向う道は、かつての王子街道である。その道筋に、文政二年の昔から江戸の庶民に親しまれた「羽二重団子」がある。 創業は元禄年間というから相当の老舗である。当時の製法を守り、国産の大豆と天然のにがりで作る自家製の絹ごし豆腐は評判が高い。
珍しく暖かな日差しの中、レトロな街を散策。弥生時代から江戸時代、そして明治・大正・昭和・平成とタイムスリップして来たような楽しさが味わえるコースだったと思う。震災や空襲の被害を免れた街は、歩いていても人のぬくもりが感じられて、ほっとできる。この辺りが人気の理由もわかる。来月は代々木界隈の予定。