大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室)

第5回 8/8(木) (木場車両検修場
コース   木場車両検修場→木場公園→木場親水公園
木場車両検修場(江東区木場5-6-7)
木場車両検修場は、敷地面積約4600u、延べ床面積約76,500u、大江戸線車両の検査及び運用管理を行う車両基地として、平成11年4月に完成した。また、都営地下鉄としてははじめて2車庫体制を取っています。もう一つは高松車庫ですが、これは光が丘の先に位置しています。両車庫とも、土地の有効利用を図るために、地下2層構造となっています。地下1階には主に列検線(列車の種類及び運行状況に応じて、車両の主要部分について検査を行うための線路)、月検線(3ヶ月を越えない期間ごとに、その状態及び昨日について定期検査を行うために線路)など、地下2階には、留置線、洗浄線、転削線を設けています。車両留置能力は312両です。
12−000形車両
12−000形車両は、ワンマンカーと伺いちょっとびっくり。乗務員一人で運転から、ドアの開閉までしているため、それをサポートする様々な装置を搭載しています。ATC装置:線路の条件や先行列車との間隔に対応した信号を、地上から受信して表示、その信号によって列車の速度を自動的に制御。ATO装置:ATC制御速度の範囲内で列車の出発から停止までの一連の運転制御を乗務員に代わって行う装置。ATI装置:乗務員の操作やATO指令を各機器に伝える制御機能、機器動作状態や異常発生時の表示・記録を行うモニタリング機能、案内表示や自動放送を制御するサービス機能、主要機器の自動検査を射場で実行する検修機能を備えている情報システム。車体は全耐食アルミニューム合金製。軌簡は1435mm。最高運転速度は70km/hです。
運転席
生まれて初めてヘルメットをかぶり、生まれて初めて運転席に座らせてもらいました。ちょっとご機嫌な私です。
リニアモータ駆動台車
大江戸線はリニアモータで動いているの知っていましたか? なぜリニアモータを採用したかというと、台車の高さを低く押さえるためなんですって。それは経費削減のためなんです。つまり、トンネルの直径が従来の地下鉄より小さくて済むからです。リニアモータは回転式モータを切り開いて直線状に広げた構造になっています。浮上はしませんが、レールの間に敷いたリアクションプレートとの間の磁力を利用して推進力を得ているんですって。
点検作業の説明
車体の下を点検するために地上から1.8mくらい持ち上げて置かれています。(左写真)またパンタグラフなど屋根の上のものを点検するためには、車体上部の左右に渡り廊下のようなものが設置されています。(右写真)オレンジ色の作業着を着た職員の説明を熱心に聞いている受講生です。
これで夜も眠れます
春日三球・照代のコンビの地下鉄漫才を思い出してください。どこから電車を運び込むのか考えると「夜も寝られない」というあの名セリフ。ここから搬入するんですって。夜のうちにトレーラーで運ばれてきた車両は、右写真の建物に移され、台車と車体にわけてクレーンで左写真の溝の様に見えるところから下に下ろされます。もちろん下には線路があるわけで、寸分狂い無く合体させるのは至難の技です。難しい作業だけに一日に搬入できるのは、2台だそうです。
記念撮影
最後に車両の前で記念撮影をしました。隊員から「地下鉄の運転手になるには、どんな学校を出ればよいのか」という質問が飛び出しました。特別な学校を出る必要は無く、東京都の職員募集や交通局の特別な採用試験に合格すればよいとのこと。また、地上を走る電車と違って、外の景色が見えないのは乗務員にとってストレスになるのでは?という質問も出ました。もともと電車の運転が好きな人がなるのでそんなにストレスはないと思うが、精神面を考えた乗務員の交代を行っているとか。そこで気がついたのですが、大江戸線の各駅のホームに様々なアート壁がありますが、乗務員にとっては、アレは結構気分転換になっているのかなーなんて。とにかく大勢の人の命を預かっている乗務員さん、くれぐれも安全運転でお願いします。
木場の歴史
木場の歴史は移転の歴史と言ってもいいくらいです。慶長8年(1603)家康が江戸に入り、翌年に江戸城の建設が始まりました。その資材を供給する材木商たちを駿河、遠江、三河、尾張などから江戸に呼び寄せたのです。材木商は当時茫漠たるよしの原だった日本橋や神田に住み、木材の供給基地にしました。3年後江戸城は完成しましたが、木材商の中には帰国せず江戸に残ったものも多かったようです。17世紀中頃にお上の命により隅田川東岸の永代島に、そして18世紀初頭にはさらに東の猿江町へ追い立てられ、さらに木場付近(当時は海辺)に移されました。最終的に現在の新木場に移ったのは昭和49年のこと。現在木場の貯木場跡は、木場公園に変わってしまいました。当時の面影を残すものは人工の親水公園などに再現されているだけです。木場は材木置場が語源。やがてそれが地名となりました。
木場公園
木場公園は平成4年に完成した、江東区で一番の面積を誇る新しい公園です。右の写真の長方形の建物は何だと思いますか。実は先ほど見学した、木場車両検修場はこの公園の地下に当たります。そして、これはその非常出入り口なのです。万が一地下で事故が起きた場合の脱出口なのです。
木場公園大橋
公園の中央を南北に分ける「木場公園大橋」その下に葛西通りと仙台掘川が流れています。
公園の西側にイベント池があります。毎年10月ここで伝統の角乗りが行われるそうです。この角乗りは、水に浮かべた材木を鳶口で乗りこなし、筏に組む仕事をする川並と呼ばれる人々の余技から生まれた伝統芸能です。もうひとつの伝統、木場の木遣りは、もともとは労働歌だったと言われています。材木業者たちが、材木を操る時に呼吸を合わせるために、即興の詞をつけて歌われました。
木場親水公園
木場駅から北へ伸びるこの公園は、木場の面影を再現した、江戸情緒たっぷりの散歩道となっています。伝馬船や荷足船の船着場などもあって、なかなか良い雰囲気です。浴衣かなんかで歩いてみたいですね。護岸壁はギャラリーとなって、個性的な子供たちの絵が描かれています。
押尾川部屋
木場親水公園から三ツ目通りに出て、木場駅方面に少し歩くと角に相撲部屋「押尾川部屋」があります。稽古は11時で終ってしまうので残念ながら見ることは出来ませんでした。勝手口が開いていたので覗くと新弟子らしい若いお相撲さんが台所で仕事をしていました。食事の準備をしている様でした。この暑いのにお相撲さんも大変ですね。木場車両検修場の見学が予定時間を1時間近くオーバーしてしまった関係で、州崎神社へは行くことが出来ませんでした。州崎パラダイスの名残も見る予定だったのですが残念です。それにしてもこの暑い中、みんな具合も悪くならずにほっとしました。来月は飯田橋から小石川の辺りを歩く予定です。

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