大江戸線界隈探検隊

読売文化センター講座(新宿・金町教室

小石川〜春日(2002-9-19)
今期最後の授業は黄門様ゆかりの地の散策です。お天気もよく、いくらか涼しさも出て快適でした。小石川はこの地区に千川と呼ばれる川が流れていて、この川はことのほか小石が多かったことから、「小石川」とも「礫川」とも呼ばれていました。「小石川後楽園」は私の好きな庭園の一つです。四季折々、何度見ても飽きの来ない名園です。国の特別史跡・特別名勝の二重の指定を受けているのは、全国でも3ヶ所しかありません。他の二つは「浜離宮」と「金閣寺」です。文京区は坂の多い町なので生徒さんたちは大変だったかもしれません。ではご一緒に散策を楽しんでください。
「小石川後楽園」入口 大泉水 「丸八屋」 「円月橋
この日は、60歳以上の方並びに同行者一人につき入場料が無料という特典があり、結局全員只で入場することが出来ました。ラッキー! 寛政6年(1629)に水戸徳川家の祖・頼房が中屋敷として造ったもので、二代藩主光圀の代に完成されました。「回遊式泉水公園」の中心、大泉水です。 「丸八屋」という江戸時代の酒亭。昭和34年に復元された。亭名の丸八は、江戸時代に「酒を飲むなら、昼は九分目、夜は八分目が適量」と言われていたことに由来します。 「円月橋」は、明の儒者・朱舜水の設計によるものとされる。水面に映る様子が満月の様に見えるのでこの名が付きました。
「八つ橋」 「稲田」 「松原」 「小廬山」と蓮池
梅園のそばの池に配置されています。なかなか風情があっていいでしょう。ここが都会のまんなかであることを忘れてしまいます。 「稲田」は農民の苦労を、水戸光圀が彼の子・綱条の夫人に教えようと作った田圃で、現在は毎年、文京区内の小学生が、5月に田植えをし、9月に稲刈りをしています。 泉水に面して松の林があり、海辺に見たてたのだと思います。 「小廬山」の手前が蓮池。花が終っていたのが残念。小廬山の名はその姿が、中国の名勝地・廬山に似ているところから付けられました。曲線の美しい築山です。
錦鯉 「牛天神」 本殿 牛型の石
泉水には鯉が悠々と泳いでいました。けっこうのんびりと見て回ったので、この後の時間配分が気になります。 牛坂を登っていくと、民家の間に参道が。うっかりすると見逃してしまいそうなところです。その昔この石段下まで、入り江だったそうな。 狭い石段を上がりきると「牛天神」の社殿があります。正式には「北野神社」。源頼朝がこの場所で、夢の中で菅原道真公から二つの吉事の予言を受け、それが叶ったお礼に建てたといわれています。 夢から覚めると、牛の形をした石が傍らにあったといわれています。注連縄に囲まれた石がそれです。なでると願いが叶うと言われ、何百年もの間人々に触られため、今は牛の形を留めておりません。
「萩の舎」跡 「黄金の腕」 「福聚院」 「とうがらし地蔵」
「安藤坂」の途中に、「萩の舎」跡のプレートが見えます。かつて樋口一葉が通った中島歌子の歌塾があったところです。今から116年前、一葉はこの坂を、希望に燃えて通ったのでしょうね。 安藤坂を「伝通院」に向かう途中にある、「指圧の心母心、押せば命の泉わく」で有名な、浪越徳次郎氏の学校がありました。小さくて見えないでしょうが、中央に「黄金の腕」右側に「銅像」があります。 伝通院手前左側にある
現在は幼稚園の敷地内にあるので入ることは出来ませんでしたが、江戸時代は商売繁盛の神様として賑わったそうです。鎌倉時代の大黒天坐像が安置されています。
その福聚院の入口に「とうがらし地蔵」があります。首から掛けているのは赤いよだれ掛けではなく、なんと赤唐辛子なんです。明治の中頃、唐辛子好きなおばあさんが亡くなり、その供養のために近所の人が唐辛子を供えたのが始まり。
「伝通院」 於大の方の墓 淑徳学園 善光寺坂の椋の木
徳川家康の生母於大の方の菩提寺。将軍家の帰依厚く、関東十八壇林の一つです。 さすがに立派ですね。お墓には詳しくないのですが、宝篋印塔型に近いような気がします。他に「千姫」家光の正室「孝子」の墓もあります。 「伝通院」の並びにあるのが淑徳学園です。明治25年(1892年)輪島聞聲により「淑徳女学校」として発足し、今日まで109年の歴史を有する伝統のある学校です。 善光寺坂の途中、突然道の真中に現れる椋の木。この木は幸田露伴宅の前にあって、文さんやその娘さんの青木玉さんの随筆の中に登場する木なのです。
蝸牛庵 沢蔵司稲荷 お稲荷さん 境内の赤い鳥居
幸田文さんが住んでいた家。露伴が住んでいた家は昭和20年の空襲で焼失してしまいました。現在は、幸田・青木と二つの表札が並んでいます。 幸田邸から間もなくの所にある「慈眼院(沢蔵司稲荷)です。伝通院の学僧沢蔵司ゆかりの寺。実はこの学僧狐の化身だったとか。 境内のそこかしかに、お狐さんがまつられています。大小取り混ぜて100体くらいはあるのではないでしょうか。 赤い鳥居の奥は、摩訶不思議な世界が広がっております。まるで江戸時代に迷い込んだような感じ。江戸の頃はこの辺り狐が住むようなさびしい所だったに違いありません。
「善光寺」 善光寺坂 こんにゃく閻魔 お供えのこんにゃく
坂を下りたところにある「善光寺」
この寺名をとって善光寺坂と命名されました。信濃の善光寺の別院です。
坂の下から見た善光寺。 千川通りからちょっと入った所にある「源覚寺」。別名こんにゃく閻魔。目を患った老婆のために自分の右目を与えたと伝えられる閻魔様が安置されています。気のせいか右目が白く濁っています。 目を治してもらったお礼に、老婆は自分の大好きなこんにゃくを絶って閻魔様に供え続けたといわれています。今日もこんにゃくが山のように供えられていました。
「塩地蔵」 「春日の局の銅像」 「東京都戦没者霊苑」 戦地の地図
境内の奥にある「塩地蔵」頭から塩で覆われ、地蔵の姿がはっきりわかりません。歯痛に悩む人たちが供えた塩に埋まっています。 春日駅に向かう途中左側にある「礫川公園」。道路添いに「春日の局」の銅像が立っています。その昔、春日の局の屋敷があったところから、春日の地名が付いたといわれています。 「礫川公園」の一角にある「東京都戦没者霊苑」。まことにシンプルなデザインで、知らない人が見たら、シュールな公園に見えるでしょうね。 銅版はソ連から南洋までの地図を表しており、各戦地での戦死者の数が記されている。隊員は各々知り合いや肉親が亡くなった場所を地図上で探し、感慨深げでした。
「鎮魂」の碑 霊苑から白山方向を眺む 文京シビックセンター 講道館
外壁両サイドの花崗岩パネルのグレーと、ガラスのカーテンウォールが対照的。まんなかにあるには「鎮魂」の碑。水のカーテンは一服の清涼剤でした。 この何も無い空間に心が癒される。 霊苑から見えるのが、文京シビックセンターです。私たちはこのあとセンターの展望室に登り、東京のパノラマを満喫しました。 おまけ。
センターの後ろにある、柔道の殿堂講道館。加納治五郎の銅像です。時間の都合で今回は回れませんでした。

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