4才の時の思い出です。 
       
      お袋が風邪かなんかで、(今で言うインフルエンザなんでしょう、それは大変な症状だったみたい)臥せっていたんだそうです。 
      隣近所の人がお見舞いに枇杷をひとかご持ってきてくれたらしい。 
      子供心にも果物には目がない僕のことです。 
      早速布団の中のお袋の袖を引いて「食べたい、食べたい。枇杷食べたい」。 
      おふくろウンウンうなりながら、「それじゃぁ、大ちゃん、おかぁちゃんは起きれんから、あんた自分でたべんさい・・・。 
      よう種をとらんにゃぁいけんよ。枇杷の種は食べれんのじゃから、ちゃんとだ
      して食べるんよ」 
       
      やがてお袋の耳に聞こえてくる、ばたんと人の倒れる音。かすかなうーんといううなり声。 
      あわてて隣の部屋を覗き込んだおふくろの目に、悶絶している僕の姿が飛び込んできます。 
       
      「いっぺんで風邪は治ったいネ」 
       
      お袋はあわてて僕を掻き抱き、島の診療所に走ったそうです。のどに枇杷の種を引っ掛けて、まったく呼吸のできなくなった僕。 
      スー、ハー、ヒー・・・。 
       
      お医者さんに逆さづりされて、お尻をぱんぱん殴られて、のどにかかっていた枇杷の種はなんとか出てきたのでした。 
      本人はそれで枇杷に懲りた風もなく、いまでも枇杷は大好物。 
       
      そのとき息を止めていたことが練習にでもなったというのでしょうか。 02年3月の紀伊国屋ホール 
      『ジュリアス・シーザー』でも、死体になって放置されている長い無言のシーンを見事な無呼吸ぶりでやってのけたのでした。
 
  
                                                   2002年6月1日(土)14:09  大二郎 
       
       
       
       
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