佐賀では、もう一件、思い返すだけで冷や汗が出るような未遂事件がありました。11才か12才の頃だったと思います。 
       
      近所で家の建て直しをやっていたのです。 
      その家の庭先に小型の手動コンクリートミキサーがおいてありました。 
      お釜の胴体に歯車が刻まれていてこのギヤをハンドルで回してお釜を回転させ、お釜の中のセメントと砂利を混ぜ合わせるという代物です。 
       
      僕は当時、近所の年下の少年たちのオピニオンリーダーでしたから、その日も少年たちを集めて何か面白い遊びはないかとうろつきまわっていました。 
       
      ある家の庭のコンクリートミキサーが目に止まりました。大砲のようです。 
      攻城砲という敵方の陣地を攻める大砲がありますが、 
      大口径で射程が短いというのがその大砲の特徴で、このコンクリートミキサーがそっくりなのです。 
      みんなを集めて早速、日露戦争で203高地を攻めた攻城砲についての薀蓄の一くさりです。僕の雑学はこのころ培われたものです。 
       
      僕が説明している間一人の少年が射手としてハンドルに取り付きました。 
      コンクリートミキサーのギアの帯に手をかけたまま一心に説明を続けていたとき、射手の少年はハンドルを回しました。 
      ゆっくり回っていた黄色いコンクリートミキサーが回転をやめたときには僕の右手の親指は、 
      ギアの歯車にはさまれてにっちもさっちもいかない状態になっていました。 
      頭の中は真っ白。 
      当時見たばかりのチャップリンの『モダーンタイムス』で、歯車に巻き込まれるチャップリンの顔が大写しで脳裏を走りました。 
       
      指は歯車のちょうど真ん中に挟まれて前進も後退もままならない状態のようでした。脂汗を額に流しながら、 
      射手の少年に「おい、もうちょっとハンドルをそのまままわしてくれ」と声をかけました。 
      われながら落ち着いた声が出ました。 
       
      指はすでに骨折しているかもしれません。後退したのでは新しい骨折が加わって複雑骨折になるかもしれない。 
      「同じことなら前進、前進。常に新しい試みと経験を!」そんなスローガンがもうこのころすでに自分の中に出来上がっていました。 
       
      ギアの中にはかなりな遊びがあるものです。 
      やがて歯車の中から摘出された僕の右手の親指は 
      つめ先が黒くなってはいるものの、たいした痛みもなくぶらぶらしていました。3ヶ月ほどでつめがすっかり抜け替わって 
      まるで何事もなかったようでした。
  
       
                                                   2002年6月1日(土)14:09  大二郎 
       
       
       
       
                                          もどる 
       
       
       
       |