家族の肖像

奥さんと、男の子一人。典型的な核家族だね
妻:規梭子(きさこ)  明治大学文学部昭和38入学昭和42卒、ESS(英語部)で同期。

       昭和19年 朝鮮半島で生まれる(父、関東軍作戦参謀)。
       昭和26年
 東京都世田谷区立 松原小学校入学。
       昭和38年 私立実践女子高等学校卒業
       昭和42年 私立 明治大学文学部英文学科卒業
       昭和44年 明治大学文学部・大学院修士課程終了。 
       昭和44年 私立東洋女子短期大学に星山教授の助手として奉職。
       昭和45年 同じく 東洋女子短期大学英語英文科専任講師。
       現在     東洋学園大学現代経営学部 教授。 
               教務部長

十二というのが彼女の旧姓。

英語部の「あこがれの星」だったね。
彼女と俺が、結婚するというので、そりゃ、もう大騒ぎ。

思い返せば
大学1年の春、昼のクラブ活動で、ディスカッションの部屋がたまたま彼女と同じになった。
これが彼女と最初に出あった運命の日だ。

ディスカッションというのは円卓会議だからね。
教室の机を丸く並べ替える。
真向かいに色の真っ黒い、ちじれっけの、骨ばった娘が座っている。
長い首筋と、その上の上にゆれるポニーテールが、若者たちの「向嬢心」をそそる。
ちょっと器量よし。
育ちのよさがそこはかとなく身体全体を包んでいる、そんな子だった。

名札が「K.Juni」となっている。「ケイ・ジューニかぁ・・・」一目見てインドネシアからの留学生だと思った。
キャサリヌかクリスチーンか・・・
きちんとした美しい英語を流暢にしゃべる女性だった。


大学2年のとき、私は英語劇のキャストになった。
上智、学習院、明治学院、成城、明治、5大学対抗の英語劇コンクールの5年目。
優勝が必須の目標とされていた。

5月頭から10月半ばまで、私たちは毎日稽古を続けた。
ギリシャ悲劇『メディア』。
主役のメディアを演じた十二規梭子(そう、あのインドネシア娘だ)嬢の責任感の強さに、
相手役ジェイスン(イアソン)を演じる私は、ほれた。
「この根性ある女性の、子供がほしい」と思った。

コンテストに優勝した翌日、
早速、私は彼女に、結婚を前提にした交際を申し込んだ。
「ごめんなさい。原田クンって、私好みのタイプじゃないのよね」というのが、
彼女の返事だった。
口説き落とすのに2年かかった。


大学院に入った彼女の、
日本育英会の奨学金が文学座付属演劇研究所生徒から
文学座の研究生になった生活力のない僕を育ててくれた。
生まれも育ちも東京世田谷の山手娘(建設会社社長令嬢)は、
文句ひとつ言わず援助してくれた。

70年『裸の十九歳』で新人賞をとった年、僕らは結婚した。



息子:虎太郎 コタロウ  1974年(昭和49年)8月31日生まれ  
堀越学園高校国際理解コース卒業   

「彼女が30才になる前に子供を生ませたい」と思った。
規梭子が30才になる1ヶ月と4日前、虎太郎(コタロウ)は生まれてきた。
2304グラム。
消化器官の弱い、ちいさな子だった。

虎太郎(コタロウ)クンは、ボクの先生だ。
人間の優しさと
人生の明るさを僕に教えてくれるために生まれて来たのだと思う。
命の大切さは、彼に教えられた。
はじめて「命は大切だ」と僕は実感として、
それを言葉にすることが
できるようになった。

虎太郎(コタロウ)は
中学時代のいじめの後遺症で、いまでも時々どもる。
悔しいが仕方がない。
≪どもり≫を治すことが
いじめたやつらへの、仕返しだと、思いつくには、
彼は、あまりにも多くの負担をかかえこんでいるのだ。

がんばれ!コタロウ(虎太郎)!
                             2002/5/4  大二郎


                        もどる