まったく甘い見通しだったのです。
手術が9時ころ終わって、皆さんにその一部始終を連絡できるだろうなんて。
シロートはこの辺が怖い。
1700を期して手術室に運び込まれたあたりは、まだ元気だったのです。
ストレッチャーの上に寝そべって見る病院の天井がやたら低いのを発見したり、
手術室の看護婦さんは「お手洗いさん」病室付きの看護婦さんは「外回りさん」と呼ばれていることを、聞き出したりしながら
手術室でやたらはしゃいでいる間は、22時には皆さんにご報告できると心弾んでいたのです。
手術台の上のハロゲンランプが十文字に交差しているのを見て、変に興奮したものです。
「麻酔科のxxです」「・・・○○です」どっちの先生が先輩なのか確かめる暇もなく
深い眠りに入っていきました。
「はらださん、はらださん、終わりましたよ。ずいぶんかかってしまいましたね、申し訳ない」
S先生の優しい声で眠りから覚めたときは、もう21時30分をだいぶ回っていました。
病室に帰ると、虎太郎、規梭、マネージャーの武田さん、涼子ちゃんの心配そうな顔が
いっぺんにほころんで、「お帰りなさい」。
家族っていいですよね。
あ、そうそう5月21日の朗読会、今回のテーマは『家族』です。
地下鉄丸の内線南阿佐ヶ谷駅から5分、「かもめ座」っていう劇場です。
それはさておき、ストレッチャーからベッドに移ると
S先生が僕の足の指を引っ張りながら「どうですか、感触あります?」
これがね、ぜんぜん感触ないのです。
なんだか足をやたら曲げているような感じなので
「先生、ぼく、足を折り曲げたまま寝てるんですか?」
と、聞くと
「いや、足は伸ばしたままですよ。足首が回ってくれるといいんだけどなぁ」
そうか、足首はまわしてもいいんだ。でも、足首をつかさどる神経が、どの辺にあるのかぜんぜんわかりません。
そんなことしているうちに、再び何がなんだかわからなくなってしまいました。
次に目が覚めたのは午前2時
あまりの激痛に、ついつい目が覚めたのです。
左足がズキズキ我慢ならないほど痛むのですが身体は動きが取れません。
両足を曲げているような感じなのです。
右足に血圧検査の袋がついているようで等間隔に閉じたり開いたり。
うとうとしては1時間ごとに目が覚めました。
看病で泊まってくれている規梭を、起こしてしまいます。
身体が身動き取れないのが何よりつらい。
心電図のコードやおしっこ用のチューブ、血液吸取り用の管、点滴
いろんなものが僕の身体から世界中へ伸びていっています。
右足の袋は実はマッサージ器でした。
右足がかたまって動かなくなると大変なので、勝手に足のリハビリを手伝ってくれているのです。
6時を過ぎるまで1時間ごとに目が覚めて、動かない身体をもてあましていました。
看護婦さんが痛み止めの座薬を入れてくれて
ようやく眠りについたのでした。
次に目覚めたのは朝9時です。
それからのことはまた書きましょう。 2002/5/3
大二郎
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