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あゆみ
1955年 前身の富士通サッカー部が設立
1962年 神奈川県1部リーグ優勝
1967年 関東リーグ参入
1972年 JSL(旧日本リーグ)2部に参入
1976年 JSL2部優勝。1部昇格。
1992年 旧JFL(ジャパンフットボールリーグ)1部に参入
1996年 名称を「富士通川崎フットボールクラブ」とし、川崎市に密着したプロスポーツクラブをめざす。
旧JFL9位(15勝15敗、勝ち点45)、天皇杯4回戦進出。
1997年 ブラジルの強豪クラブ・グレミオと提携。
名称を「川崎フロンターレ」に改称し、ユニホーム、エンブレムもグレミオカラーに一新。
Jリーグ経験者を中心に選手補強。6月にJリーグ準会員に承認される。
旧JFL3位(23勝7敗、勝ち点67)。勝ち点差1でJリーグ昇格ならず。天皇杯3回戦進出。
1998年 旧JFL2位(23勝7敗、勝ち点68)。ナビスコカップグループリーグ敗退、天皇杯3回戦進出。
11月、翌年から始まるJリーグ2部制導入のための「Jリーグ1部参入決定戦」で
Jリーグ18位のアビスパ福岡と対戦するも、試合終了直前に同点に追いつかれた後延長Vゴール負け。
翌年のJリーグディビジョン2(=Jリーグ2部、J2)参加が決定。
1999年 5月に練習場が市内麻生区に完成。
第34節(11月5日)対サガン鳥栖戦で延長Vゴールで勝利し、リーグ優勝と念願のJ1昇格を決める。
J2優勝(25勝3分8敗、勝ち点73)、ナビスコカップ1回戦敗退、天皇杯4回戦進出。
2000年 リーグ戦と並行して行われた、ヤマザキナビスコカップで躍進。
決勝で鹿島アントラーズに0-2で敗北も準優勝。
一方、リーグ戦では監督が2度交代するなど低迷が続き、
2ndステージ第13節(11月18日)対柏レイソル戦で敗戦し、翌年のJ2降格が決定。
J1 1stステージ15位(3勝2分10敗、勝ち点10)、2ndステージ15位(4勝2分9敗、勝ち点11)。
J1年間総合16位(7勝4分19敗、勝ち点21)、天皇杯3回戦敗退。
2001年 ユニホーム、エンブレムを一新。
7月に成績不振のため、今年から指揮をとっていた堀井監督が退任。
後任に、前大分トリニータ監督の石崎信弘氏が就任。
今年1年でのJ1復帰はは果たせなかったが、2003年のJ1復帰はもちろん、
中・長期的視点に立ったクラブ運営を目指す。
J2・7位(19勝4分21敗、勝ち点60)、ナビスコカップ準々決勝進出、天皇杯は初の準決勝進出。
2002年 川崎市民に対して身近なクラブとして歩むキャッチフレーズ、"FOOTBALL TOGETHER"を発表。
背番号12がサポーターナンバーとして欠番になる。
5月に社名を「叶崎フロンターレ」と変更。
10月の対セレッソ大阪戦(等々力)にて、ホーム入場数史上最多の20,405人を記録。
12月に市民クラブとして、新たに29団体から出資を受ける。
J2・4位(23勝11分10敗、勝ち点80)、天皇杯準々決勝進出。
「フロンターレ」の由来
「フロンターレ」とは、イタリア語の"frontale"「正面の」という意味。
常に最前線で挑戦し続けるフロンティアスピリッツや正面から正々堂々と戦う姿勢を表現している。また、日本の正面に位置する臨海都市「川崎」とともに歩んでいく思いもこめられており、市民の公募で1997年に決定した。
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