PROFILE2

ここでは、PCを使い始めてから節目にあたる出来事を中心に、綴っていきたいと思います。


PC暦はどれくらいかと言うと・・・・
 はっきり言ってそれほど永くPCを使ってきたわけではありません。 何やらPC暦の前に簡単な自分史などを語らなければなりませんが・・・・・・・・。
社会人になってから最初の2年弱だけコンピュータらしきものを使った仕事をしていましたが、その後は肉体労働中心の職業を長らく続け、プライベートではPCなど持った事がありませんでした。ちなみに最初に関わっていたコンピュータは、NC工作機械のプログラムを組むものでした。5.25インチフロッピーの時代で、プログラムといってもいわゆるコンピュータ言語とは全く違うものでした。
 その後、コンピュータに縁が無かった時代には、仕事では”切り文字用”のカッティングマシン、プライベートではシンセサイザーやシーケンサーという全くの専用機には触れていましたが、その頃すでに存在していたはずのMACやPC-98x1には全く興味がありませんでした。その時代の話はまた別の機会に、ということで・・・・。
 遅まきながら、コンピュータをやっておかないと、時代の流れに取り残されてしまうかもしれないと思い立ったのは1997の事でした。それとは別に以前から絵を描きたいと思い、人物画などの研究をしていました。それを「デジタルで何とかしよう」という考えがあったのですが・・・・・。


1997年4月26日(土)----AT互換機1号機を自宅に設置
 高校時代の先輩であるh氏より、貸してもいいマシンがあるという事で、自作PCを1台借りてきました(私の車に積んで、うちまで同行してもらいました)。以後、h氏は私の自作の師匠となるわけですが・・・・・。OSはWindows95初期バージョン、CPUは75MHz、メモリ32MB、ハードディスクはIDEの540MBというものでしたが、SCSIアダプタを付けてくれました(うちに来てSCSIのハードディスク540MBも取り付けようとしていたのですが、繋げてみたらすでに死んでいたみたいです(笑))。ちなみにSCSIアダプタは、AdaptecのAHA2940でした。
 翌月にはスキャナ、プリンタを買って早速色々と試し始めました。CPUも75MHzから133MHzに取り替えました。確か19,800円もしたと思います。今ではそんなの高くて笑っちゃいますよね。133MHzなんて今では、ペンダントになっているとか・・・・・。それでも当時はCPUをアップグレードした時の見違える速さに感動した覚えがあります。ホントに。
 その頃は、目の前にあるマシン固有の名称がWindows95だと思っている超初心者でした。世の中にはNECやFujitsuやIBMといった色々なWindows95マシンがあるということがよく理解できなませんでした。つまりハードに対するソフトという概念が、カセットデッキに対するカセットテープ(メディア)というものでしかなく、OSという概念が理解できませんでした。では、Windows95=OSとかいうものは、そのマシンのどこに存在しているのか?マザーボードとかCPUと言ったパーツ名はおおよそわかっていましたから、画面でしか捕らえられないOSとやらが、どこから立ち上がってくるのか?という事が謎でした(笑)。それは、とりあえずハードディスクの中に格納されているということが、後でわかったわけですが(でも、読み込まれる先はメモリですけど)・・・・・・。


1998年7月----悪夢に遭遇
1998年7月5日(日)----17インチモニタ(A701G)、ビデオカード(Xrert@Play98)
1998年7月10日(金)----マザーボード(TXP4)、CPU(MMX Pentium200MHz)、メモリ(32MBx2)、IDEハードディスク(Fireball SE 2)
 1号機設置から1年以上経過した後、とうとうトラブルに遭遇することになるのです。正直言ってあまり言いたくはない話なのですが、「自己責任で行う」という意味のわからない初心者のためにあえて公開しましょう。
 結局はバルクで買ったビデオカードのドライバがおかしかった事(バグというより、適合したものでなかった可能性大)により、その後散々振り回される事になるのです。インストーラの指示に従ってドライバをインストールしたのですが、『マウスカーソルが痙攣』、『アイコンが浮き出で来る』、挙句の果てに『ハングアップでブランクスクリーン』。あとは電源をブチ切りするしかない状態に陥る事、数回。お話になりませんでした。当然OS(もうWin98になっていました)はインストールのし直しで、「なんで、こんな使えない物、売ってるんだぁ〜!!!」といった感じで、最悪の事態でした。もろ名指しで言ってしまいますが、ATIのドライバは今でも油断ならないようです。
 せっかく速かった2GのHDDも不良クラスタが出来てしまい、1ヶ月近くは14万円の投資が生かせない状態でした。しかし、こういったアップグレードという(欲をだす?)行為も自作では、すべて自己責任で解決できなければやってはいけないのです。私の場合はh氏が同じビデオカード(箱入りのリテール品)を持っていた為、こちらの古いドライバを使い解決できましたが、それでもスムーズに環境が移行できなかった事による損害は多少なりとも発生したわけです。それとなんと言っても精神的なストレスがでかいです。他の電化製品とは全く勝手が違うものだと言う事が、この時わかりました。


1998年9月----パーティション実験の日々
1998年9月4日(金)----リムーバブルケース(Mobile Rack RH10/IDE)

1998年9月9日(水)----IDEハードディスク(ProDrive LPS 540AT)、SCSIハードディスク(DSP3053L)Windows95 OSR2.0
1998年9月30日(水)----パーティション操作ツール(Partition-It)
 その後、h氏に借りたマシンを返すべく、CD-ROMドライブやSCSIカードなど残りのパーツを買い集めました。しかし、この間に考えたことは、自分のデータの書き換えが自由であると同時に、システムも書き換えられてしまうものであり、異常が起きた時に対処できる手段がなければならない、と言う事。シンセサイザーとは違うのだと言う事。シンセサイザーであれば音色データのみ書き換え可能で、システムなどはユーザが変えられないようになっている。しかし、PCの場合は違うと・・・・。
 そんな中、Windows95の後期バージョンが秋葉原で安く手に入ったのでした。そして、システムが入っていないPC(というよりハードディスク)にWindows95/98を1からインストールすること数回・・・・それによって得た、(他には類を見ない)コンピュータという独特の道具の扱い方が、その後、マルチブートへの興味へとつながって行きます。それと、一つ、システムの生命を握るのが、ハードディスクの状態やOSの正常なBootにあると思い立つや、「パーティションを自由自在に操る事から全ては始まる」と信じ込んだのでした。
 不良クラスタの出来てしまった2Gのハードディスクをどう使うかと言う問題がありましたが、少し容量の小さい昔のディスクなら、中古で比較的安く手に入るので、IDEとSCSIの500MBクラスのディスクを1台ずつ用意しました(それでも当時はSCSIは5800円、IDEは6800円した・・・・・タ、タカイ!!!)。それとSCSIのハードディスクと言うものを初めて使う瞬間でした。しかし、とんでもなくうるさく、ガリガリ、ガサガサという音がしてました。しかも結構熱くなったし・・・・IDEのProDriveの方がよっぽど性能が良かったです。
 それで何をやっていたかと言うと、SCSI、IDEのディスクを同時に繋いだときのインストール実験とか、システムパーティション(Cドライブ)のバックアップや復元の実験をさんざんやりました。SCSIディスクにインストールしようとした時、IDEディスクを同時に認識させてしまうと、BIOSでSCSIからBootにしていてもSCSIディスクにはシステムファイル(io.sys, msdos.sys, command.com他、ルートにあるファイル)しかインストールされなかったという経験もしました(確かそうだと思った)。バックアップと復元は、Windows95と98で全ての組み合わせで試しました。95で95を、95で98を、98で95を、98で98をといった具合に・・・・・。やはり古いOSで新しいOSの復元は無理、と言うよりバックアップツールのバージョンが95と98では違っているので、それが原因のようです。その頃はDriveImageなどの専用のバックアップソフトも無かったので、OS標準のツールを使うしかありませんでした。しかし、正常な状態のシステムパーティションを1つのファイルに固めれば、それを他のパーティションやディスクに復元可能である事がわかってしまってから、世界観がまるで変わりました。さらに、圧縮ドライブに対するバックアップ、復元の実験もやりました。結果的に、圧縮ドライブからノーマルドライブの復元は可能ですが、ノーマルドライブで圧縮ドライブを復元してもBootしませんでした。結論として、「ドライブの圧縮なんてやるもんじゃない」というのが自論です(今はハードディスクも安価で大容量なので、やる意味もないでしょう)。


1998年10月----TurboLinux 2.0 Lite (DOS/V POWER REPORT 10月号付録)
 Windows98のチューンナップに関する記事が乗っていたので、それが主な目的で買った雑誌がありました。付録のCD-ROMに妙なものが入っていることに気づいたのですが、それがPC-UNIXを知るきっかけでした。どうもWindowsのようなOSではあっても、Windowsとは全く別物であると言う事は、記事を読んでなんとなくわかりました。実は、その記事の中でPartition-Itも紹介されていましたが、すでにうちにはハードディスクが3台あったので、あえて1台でマルチブートの危険を冒す必要もなかったわけです。
 とにかく「Windowsではないものが走る」と言う事が妙に新鮮で、時間を忘れて夢中になりました。最初は雑誌の解説の命ずるままに、グラフィカルログインでインストールしてしまい、ログアウトしてもまたログイン画面が出てくるだけで、「これ、どうやってシャットダウンするんだ?」といった感じでした。その雑誌の解説にはshutdownコマンドのことがどこにも書いていなくて、終了のさせ方がわからず困った覚えがあります。そのまま付けっぱなしで仕事に行ったか、電源をブチ切りしたのか、どちらもやったような気がしますが、その後すぐに他のLinux本を買ったような記憶があります。
 後々にわかってきたのですが、どうも自分にはグラフィカルログインよりもテキストログインの方が性に合っているようです。挑戦!Linux [Debianインストール編]はよい本でした。エーアイムックという簡素な保存版シリーズなのですが、そこには初心者が困らないような一通りの事が書いてありました。Windowsを入れたり潰したり、Linuxを入れたり潰したりをしばらくの間は繰り返していました。コマンドや切り回し方が少しわかった後、別のPC-UNIXであるFreeBSDに手を出していくわけですが・・・。


1998年10月18日(日)----パーツ返却
 h氏から借りていたパーツに替わるものがほとんど揃い、筐体以外は全て返してしまいました。その頃使っていた筐体はまだATプラットホームで、それに合わせたマザーボードTXP4は、その後1999年5月17日に中古屋に売り払い、処分する事になるのですが・・・・・。1年弱の短い命でした。


1998年10月27日(火)----PC DOS 2000 日本語版
 バックアップと復元の実験に明け暮れていた頃、Windows95/98が結局DOSをベースに発展して来たということで、私の場合必然的な結果かもしれませんが、”生のDOS”に色々と興味が湧いてきました。そこで、MS DOSとは少し違うと言われるIBMのPC DOSを手に入れました。CD-ROM版を購入したのですが、Windows上からインストールFDを作成しなければならず、11枚のFDを必要としました。しかしここでいうDisk1は、あくまでもインストールFDとしてのDisk1で、Windows95/98のBootDiskと違い、最小セットのDOSとして使うには少々適さないものでした。ここでも何やら妙なチャレンジ精神が沸き起こり、自分用にアレンジした最小セットのPC DOS BootDiskを作ったりしました。それにしても、そのFDで立ち上げCD-ROMを読みHDDへのインストールを開始すると、32倍速のCD-ROMドライブで1、2分で終わってしまう驚異の世界でした(笑)。その後、CD-Rドライブを手に入れたときには、そのBootFDといっしょに焼いてブータブルCDにしてしまうわけですが・・・・・・・・。DOSのブータブルCD、おしゃれでしょ?(笑)


1998年秋〜1999年春----ハードディスクがいっぱい
1998年10月27日(火) AC-33200 IDE3.2G
1999年1月8日(金) FBEX5 IDE5.1G
1999年3月16日(火) ST-34321A IDE4.3G、DK-315C SCSI1.4G

 1999年の手帳を見ると、3月頃には7台のハードディスクがあったことが記録されてます。パーティション分割図が書いてあり、それらのハードディスクは全て1台のPC(MB:TXP4)で使用していたわけです。しかし、色々なハードディスクを使って見ると、中にはかなり変なものもあり、価値が下がらないうちに売り払ってしまったものもあります。ガリガリ、ガサガサとうるさいDECのSCSI500MB(DSP3053L)は、ネジ止めしたり外したりしているうちにネジ頭がもげてしまいました。ボール盤(ドリル)で詰まったネジを取り除いてもネジ山は詰まったままでしたが、そのまま売ってしまいました(気が付かなかったみたいですが・・・・)。Western DigitalのIDE3.2G(AC-33200)は、電源を入れてから20、30分放っておくと必ず、ピッキン・・・ピッキン・・・とか、カックン・・・カックン・・・とか変な音が鳴り出し、非常に気持ち悪いディスクでした。ある時その状態で構わずファイルのコーピーをしていたらやはりフリーズしたので、これもさっさと売り払ってしまいました。14000円で買ったものが7400円で売れたのですからまずまずでしょう。HITACHIのSCSI1.4G(DK-315C)もすぐ売ってしまったので、7480円で買ったものが6900円とウソのような値段で売れました。ハーフハイトだったのでリムーバブルケースにも収まらないのがやっぱり気に入らなくなったのと、動作がなんとなくもったりしているのが理由でした。
 その頃、うちで最大の容量であったQuantum IDE5.1G(FBEX5)は、「なんて広々とした空間だろう」と思ったほどです。今では、たいした事無くなってしまいましたが・・・・。それと、その5.1Gは後にSAMSUNGのATAPI CD-ROMドライブと同じケーブルに繋いでいたためにトラブルを起こし、またしても最速のHDDに不良クラスタが出来てしまうわけです(ふざけるなぁ〜〜〜!!!ってか)。だいぶ後でわかった事ですが、QuantumのUltraDMAコントローラ(特にSEやEXなど後期)はどうもATAPI CD-ROMとの相性問題が起こりやすいようです(HITACHIのATAPI CD-ROMもだめ)。


1998年におけるPC関連の費用は、約450,000円でした。


以下作成中

1999年2月23日(火) RO-1420C
1999年2月25日(木) NERO98


P55 T2P4 & TXP4
1999年4月21日(水) P6SBA
1999年5月8日(土) P5A
1999年5年23日(日) P2/370A、VGA切替器、Windows95 OSR1


1999年6月21日 Maxtor IDE1.6G

1999年6月28日 Windows3.1 IBM版

1999年7月15日 MS DOS6.2 PC-9800シリーズ対応
1999年7月20日 MF8617B
1999年7月21日 GA-5AX

1999年7月27日 MS DOS6.2V/Windows3.1、AMD K6-2 350MHz

1999年8月25日 P6BAT-A+



この続きはまたいずれ・・・・

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