静岡合宿(1)

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「おいおい、危ないぞ。あんまりはしゃぐなよっ!」......これで満足か?静岡駅北口から1km弱の所に駿府公園があります。明治30年から終戦迄、陸軍第34連隊の兵営がありました。その後昭和26年に「駿府公園」と名付けられたそうです。

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立派な県庁が一番目立っていたような気がするけどね。「歩兵第三十四聯隊址」の前で。暑さでみんなへばってました。東京は大雨だったのですが、こっちでは傘が邪魔でしょうがなかったです。

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明治20年前後から明治新政府は富国強兵の政策に拍車をかけ、明治27年(1894)に日清戦争が勃発すると静岡に聯隊を誕生させた。明治29年には駿府城の本丸・二の丸など、141.700u(43300坪)を埋めてしまう。

明治22年、市制施行と同時に静岡市は12000円の市債を発行して明治新政府から城の払い下げを受けるが、29年、軍備拡張の時代の趨勢に聯隊誘致の話が持ち上がり、市は駿府城一切を無料で陸軍省に献納した。

翌年には駿府城内に白壁モルタルの兵舎が作られ、愛知県豊橋から「ひげの聯隊長」高木作蔵大佐と、旗手小沢三郎少尉が捧持した軍旗を先頭に入隊し、ここに静岡第三十四聯隊が誕生した。


「お休み処ステーション」って...。 公園の中を散策中。

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お手植えミカンって市民に配られるみたいよ。徳川家康公の銅像。駿府城本丸跡である。このうしろには家康の「お手植えミカン」がある。

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後ろから歩いてくる怪しげなグラサンのおっさんは?「やすらぎの塔」の前で。 戦没学生慰霊の供養に公園の北部一角に建てられた。

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ここの部分のメモがないのはどうしてだ?たぶん置いていかれそうになったから急いでたんだよ。なんだろ、これ。憶えてないです。「とこしえ」??

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学園祭に参加を試みる上尾メ駿府公園の西側にある静岡雙葉高校では学園祭の真っ最中。

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静岡雙葉高校の校訓は「徳においては純真に、義務においては堅実に」である。

これは、真直で純真な心を養い、なすべきことは誠実に勇気をもって最後まで行うようにという意味である。勉学、行事、クラブ・・・この高校のすべての活動がこの校訓の下にある。この校訓は日本だけでなく、全世界の「幼きイエス会」の学校共通のものである。


歩きすぎ。つかれたよ。周りからは変な目で見られるし...。...さて、気を取り直して。
少し歩いて浅間神社へ。これは神社に入ってすぐにあった「阪本藤吉製茶之碑」です。製茶技術の向上に尽力した功績を称えているらしい。

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古来、駿河国の総社として朝野の崇敬を集める。竹千代(家康の幼名)が元服式をおこなったことから特に徳川氏は厚く保護し、江戸時代には徳川氏のあつい崇敬を受けた。徳川三代将軍家光は寛永年間(1600前半)に「浅間造り」の見事な社殿を造ったが、安永・天明(1700後半)と二度も火災で焼け、現存する社殿は江戸時代末期に約60年の歳月と8万5,000両を費やして再建された建物である。境内にある19世紀に造営された建築はすべて国の重要文化財になっている。


このあたりから頭の中に慎吾ママのおはロックがかかりはじめた。境内の池に架かる「鏡橋」を渡る。

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足取り重く。浅間山に登りはじめる。こんなコースは聞いてなかったと口々に不平を言う、わけなく無言で登る。

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それでも山の上から見る下界は気持ちいいもんです。しかし、サンダルはまずいっしょ。

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それにしてもこのサングラスの男性、登るのも下るのも速い。誰も追いつけず。「静岡市戦禍犠牲者慰霊塔」

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先生は山の頂上で「この山なんての?」とか言ってたなあ。すかさず上尾眼の「知らずにかい!」のツッコミ。「B29墜落搭乗者慰霊碑」

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蚊がすごかった。あと、山を登ったり下ったり往復する人々が恐かった。果てしなく拡がる下界と「洋服の青山」を使ったネタなんだけど、全く判らないじゃないか!

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