(株)アミューズ株主総会後パーティーの模様

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平成14年6月25日(金)18時頃〜

ウエスティンホテル東京(恵比寿)ギャラクシールーム


 不覚にも入場が遅れ、ポジションが前から3列目も端のほうという、我々(しんさん、フニクラさん、私)としては、完全ボーンヘッドをやってしまう。会場は300人くらいで少々きつめ。老若男女、かなり幅広い客層で、株式総会のおまけという、特殊な設定が如実に表れている。正面に簡易の舞台で、両サイドにミニスクリーン。
 富田さん、黒のワンピースで登場。吉田照美さんと2人の司会で始まる。」

(凡例) 黒字・・・吉田照美さん 青字・・・富田靖子さん ピンク字・・・サンプラザ中野さん


       オーディションと女優デビューの思い出




「えー大変長らくお待たせしました。株主の皆様、株主でない皆様もですね、ようこそお越し頂きました。これから暫くですね、ちょと硬いタイトルですが、株主総会パーティーでございます。本日の司会進行を担当させて頂きます、アミューズの吉田照美でございます。よろしくお願いします。」

「富田靖子です。本日は不慣れな司会をやらせていただきますが、頑張りますので、どうぞよろしくお願いします。」

「まあ、とにかく株主総会パーティーというのはやったことがございませんのでね・・・」

「はい」

「ちょっと緊張してしまうんですけども・・・」

「ええ」

「皆さんもやさしい気持ちで、ステージのほうをごらん頂けたらと思います。僕はアミューズのほうに所属させて頂いて8年でありまして、福山君なんかは僕の先輩になるわけですけども、富田靖子さんは、アミューズと活躍がだいたい一緒っていう感じで、よろしいんですよね?

「あの〜」

「僕の先輩なんですよ。」

「そうです、え〜、あの〜」

「僕は51歳のジジイ(富田さん笑い)なんですがね」

「そうですね、サザンオールスターズの次になると思います。」

「そうですよね、僕は先ほど資料を拝見したんですけども、みたところ、やっぱりそういう感じでね、あっというまですよね。」

「あっというまの19年間でした。」


「そうですよね。ということで、本日は(株)アミューズを身近に知って頂こうということと、楽しいひと時をお過ごし頂いて、ワールドカップのこの後あります韓国・ドイツ戦、間に合うように(場内笑い)考えておりますので(場内拍手)気が気じゃない方もいらっしゃるかと思いますのでね、それは判っていますので、ひとつお楽しみ頂けたらと思ってますので。
 まずは早速でございますが、若い息吹といいますかね、出てきますと、僕よりかなり上の方もいらっしゃると思いますが、若いエキスがほとばしりますので、十分お楽しみ頂けたらと思います。さ、ご紹介しましょう、間もなくCDリリースしまして、メジャーデビューします新ユニットでございます。さっきエレベーターで一緒に降りてきたんですけど、お腹を鳴らして、大変な状況でございまして、若い!皆様のお目に触れるのも今日が初めてでございまして、今は7月3日のデビューを控えまして、毎日忙しく活動しております、それでは、暖かい、そして盛大な拍手でお迎え頂きたいと思います。BOY STYLE です。それでは聞いていただきましょう。」(拍手)


           【BOY STYLEの歌、自己紹介、歌、と続く】

はい、ありがとうございました。BOY STYLEの4人組みでした。では、ちょっとお話をね、富田靖子ちゃんも、昔の自分を思い出してるんじゃないでしょうかね。」

「いえ、いえ」(笑い)

「靖子ちゃんが結局アミューズの方に来た時よりちっちゃいんですよね。」

「多分同じ位・・・」


「ということは14」

「14の方がいらっしゃると・・・彼女と同じくらいの時に・・・」


「でも、あれですよね、アミューズという会社にイメージみたいなのはありますか?」

       【以下、吉田とBOY STYLEのトークが続く、途中で】     

 靖子ちゃんが初めてね、ラジオ番組でレギュラーやってくれてたんですよね、この時靖子ちゃんが、流れ星が流れたときに、靖子ちゃん何をお祈りする?って聞いたときにね、靖子ちゃんがしばらくして、カネ・カネ・カネ・・・ってね(笑い)株価とおんなじかな」

「じゃあ、今度は、株・株・株・・・と、」
(吉田の乾いた笑い)

「それじゃ、一人ずつ聞きましょう」

           【以下、吉田とBOY STYLEのトークが続く】


BOY STYLE の皆さんでした、拍手でお送り頂きたいと思います。ありがとうございました。(拍手)

                  【BOY STYLE 退場】


「自分の中学2年3年の頃を考えると、考えられないですよ」

「ええ、ほんとに・・・」


「中学3年のときに親に卒業文集の文を書いてもらいましたからね、もう何にもできなくて」

「その時はどんな事を書いたんですか?」

「卒業しても、僕の母校よ僕のことを忘れないでくださいとかいう、それだけしか書けない・・・はい(富田さん笑い)思いっきり静かになってしまいましたね。」(会場笑い)
「あのーそれからね、富田靖子ちゃん、今日は特別に来て頂きまして、今のBOY STYLEと同じくらいに芸能界デビューなさって、最初は「アイコ十六歳」・・・」

「そうです・・・の映画のオーディションで、」

「オーディションで、これはどういう感じでオーディションを受けてみようと思ったんですか?」

「えーっと、あのー中学3年生の春に、君映画に出ないか、っていうキャッチフレーズで・・・」


「すごいキャッチフレーズですね。」

「それで、映画のオーディション、夏休みだったら、両親も・・・」


「それは何でみつけたんですか?」

「いや、友達が・・・」


「友達がそういう・・・」

「はい、みつけてくれて、それで受けようと思って・・・」


「その時は、それで、まさか自分が映画に出られるとは思っていないでしょう?」

「思ってないです、思ってないです。」


「それで、オーディションを受けて・・・」

「オーディションを受けて、それが春、3月くらいだと思うんですけど、あ、3月だと中2になっちゃいますから、えとー、あ、違うわ、いいんですか、中3の3月4月あたりからオーディションが始まって、その夏には合格して映画の撮影に・・・」


「入っちゃったわけですか、」

「入ってますね」


「その時は信じられないような気持ちでしょ?どうなんですか?」

「そうですね、でも、あの、オーディディションというのがとても、当時のオーディション、今のオーディションと比べてもそうなんですけど、8次、8次オーディションとか、10次オーディションとかっていう・・・」


「もう、何回も、何回もあって、」

「何回も、何回も繰り返されてたので、もう・・・( ? )とか、そういうものは全く無かったです。」

「オーディションはどうゆう事をやったんですか?」

「あのー、台本が出来あがってて、そのなかのシーンの抜粋をやっみてくださいっていわれて」

「一番そのなかで大変だったっていうのは、今思い出すと」

「名古屋弁・・・、私は・・・彼女たちBOY STYLEは関西出身ですけど・・・」


「はい、大阪・・・」

「自分は福岡出身で、そうくさ、とか、そうたい、とか、そういう言葉で育ってきたのがいきなり、そうだわ、とか、語尾が( ? )、聴いたことの無い言葉でお芝居するっていうことがとても・・・」


「プレッシャーになるわけですね」

「そうですね、はい」




            「アイコ十六歳」の思い出




「さ、それではですね、富田靖子ちゃんにとっては、いっぱいいろいろあるんですけど、思い出の作品、3作品、これだろうな、というのをこちらで選ばせていただきまして、えー、まずは「アイコ十六歳」これをですね、映像がありますので、これをご覧頂きたいと思います。」


               【「アイコ十六歳」映像スタート】


「屋根のシーンですね」

「やっぱり・・・BOY STYLE の娘たちと、やっぱり違いますね(照れ笑い)」

「福岡から出てきて2ヶ月っていう感じですよね・・・」

「んー、いい感じだよね。
靖子ちゃんと一緒にやったラジオ番組、これよりちょっと後くらいですよね

「そうですね、アイコの公開が終わって、( ? )になってからですね」

「文化放送でやってまして、その中でチャレンジ名作ライブラリーというコーナーがあって、そこで、アイコちゃんが・・・あのー靖子ちゃんがレギュラーで、いわゆるいろんな名作を朗読するってゆうね」

「大変でした、まだ博多弁が抜けきってなかったので、はい」

「これが、今関あきよし監督で1983年12月デビュー作品ということなんですけどね、これで日本アカデミー賞新人賞、横浜映画祭新人賞を受賞しているということですけど」

「はい」

「これは撮り終わった( ? )でしょ?」

「いや、撮り終わってから、実はまだ全然芝居が未熟だったので、ラストのシーンとか取り直したりとか・・・」

「えっ、」

「実はあったものですから」

「あったの?」

「( ? )ことですけども、監督からここはもっとこういう感じでやったほうがいいんじゃないか、ということで、監督が、私は今33歳ですけども、当時は23歳で撮った作品で、少しづつ、こういう、映画をみて足りないシーンをあとで、撮ったりしてて・・・」

「一番印象に残ってる思い出に残ってるシーンってどこなんですか?そうすると」

「あっ、今ちょうど映ってる、ここだけが唯一、一発OKっていう」
(場内笑い)

「あ、これ、一発OKだったんだ」
「これ、だけでした」(かなり強調していた)

「へえー、よかったですね、同じこと繰り返さなくてね」

(管理人注)
上記のシーンは「金魚売りの屋台とぶつかって、自転車ごと田んぼに転落する場面」です。でも、このシーンはメイキング版「グッドバイ夏のうさぎ」をみる限りでは、何回か撮りなおしてるようで、富田さんの記憶違いか、あるいは笑いをとるための咄嗟のアドリブのようだ。多分後者だろう。


「それで、映画で一番( ? )評判が良かったわけだから、それは、相当また今までの世界と違う形での喜びっていうのがあったんでしょ?」

「あのー、自分の顔がスクリーンに出てきたときに、あんまり大きくってちょっとビックリしました。それまで映画はガンダムしか見たことなかったものですから、人の顔がこんなに大きく映るものかっていう、映画のすごいエネルギーに、当時は結構びっくりしました」

「へえー、いい感じで映ってると思うけどねえ」

「いやあ、やっぱり、かなり恥ずかしいものがありますね」


「んー」

「このシーンなんかも全然出来なくって、日にちを改めて設定をして頂いて・・・」
(クライマックスの教室での長セリフの場面)

「またやったの?」

「はい、やって頂いたり・・・」


「へえー、そうなんだ、この年は、NHKの連続テレビ小説「おしん」が大ヒットしたりね、鈴木健二アナウンサーの「気配りのすすめ」なんていうのが、売れたという年だったんですけどね、でもやっぱり、作品が残るっていうのは幸せなことだと思いますけどね」

「いやー・・・」


「そんなことないですか?」

「私にしてみたら、やっぱり、14歳の時の、こう・・・」


「あのときの自分て、離れてみて、かわいいとか思うでしょう?俺だったら思いますよ、何てかわいいんだろうと」(場内笑い)

「いや、あのー、当時の思ってることとかも、やっぱり映画に映ってるので、この時に自分が何を考えてたのか、芝居が上手くなりたいとか、( ? )に共鳴したいという思いばかりが先走ってる・・・」

「その時ずっと思ってたんだ」

「思ってました」


「それはすごいと、僕は思いますけどね、えーということで、ほんとに今も変ってないと思っても、やっぱり素敵な女のね、富田靖子さんになってるわけですけど、今、靖子ちゃんというと、あの頃の・・・僕はあの頃を知ってるから、なんとなく妙な感じがしますけどね」
「さ、それではですね、今日は、今も非常にピカピカだったんですけども、その前のもっと貴重な映像というのを特別に用意しまして、株主の皆様だけにそっとお見せすると・・・」

「これは、ゼッタイみることが出来ないですよ!!」
(かなり強調して)

「特別映像、アイコ十六歳から1年前になります、まだ素人の中学生だった、富田靖子、1982年、昭和57年、今日おいでの方も昭和57年、私はこんなことしてたとか、いうのが頭にうかんでくるかと思いますが、オーディションの時の映像をそれではお届けしたいと思います。」

【暫くしてスクリーンに「紅子ー、あんた、よくそんなこといえるわね」のオーディション場面が・・・】

(管理人注)
そんな見公開映像を株主総会なんかで流すはずもないけど、ちょっと期待した結果がやっぱり「グッドバイ夏のうさぎ」でした。とはいえ貴重な映像には違いは無く、よくこの場で取り上げてくれたなと感謝。

「恐いですね・・・」

「あ、これが私です」(富田さんのNGの場面で場内爆笑)

「これ、なんで間違えたかっていうと、セリフは「・・・やっとったんだよ!」っていわなきゃいけないのに「やっとったとよ!」って( ? )」

「でも、ものおおじしてないですよね」

「アイコの役を頂いた時の場面ですね」

「でも、これ、すごい印象残ってるでしょ」

「そー、です、ねー」


「泣いたりはしなかったんですか」

「しませんでした」


「へえー、泣かなかったの」

「これは博多駅で、名古屋へ向かう直前のところですね。友達が思ったよりたくさん見送りに来てくれて、それで、わんわん泣いちゃって・・・」

「これ、泣いてるんだ」

「1ヶ月後には帰ってくるのに・・・」


「でも、やっぱり、旅立ち・・・っていう感じが、友達の方には感じられるものがあったんじゃないかな」

「この時、なに、疲れて寝ちゃってるの?」
(名古屋へ向かう新幹線の中で気持ち良さそうに寝ている場面)

「はい、すごく、このメイキングには寝てるところが多い・・・」


「ははは、そうなんだ」

「ずいぶん長い( ? )ですね、ほんと、のどがカラカラで・・・」(店の軒先でかき氷を食べる場面)

「いいと思うけどな、記録としてねえ」

「カットしても、離さないところが、私らしいというか、食い意地が張っているというか・・・」

                     【映像終了】

「はい」

「でも、離れてみれるでしょう、そんなことないんだ、そこが不思議だね」

「いや、あの、( ? )は別にして・・・」


「こんだけ離れると、別の自分という感じで、ちょっと( ? )でないと思ったりね」

「いや、思いませんね」


「思ったことないんだ」

「やっぱり、その時の思いで作ってるから、やっぱり思い出してしまうので、冷静に見るというのは・・・、こういう時は、だから出来るかも知れないですね。」



 
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「さて、それでですね、皆さんもご存知のとおり、富田靖子さんといえば、大林宣彦監督の「さびしんぼう」という名作があるわけで、尾道3部作といわれておりますけども、「転校生」「時をかける少女」「さびしんぼう」ということで、それをご覧頂きましょうか。

                【「さびしんぼう」映像スタート】

「何年ぶりにみるんだろう・・・」

「靖子ちゃん、ヒロインの少女と道化師の少女の一人二役というね」

「そうです、初めての二役で・・・」


「これも大変だよね、二役っていうのはね」

「そー、ですね、でも不思議なもので自分は出来るって、やれるんだって思いこみがすごくあって、それで乗り切ったっていう感じがあるんですけど」


「大林監督って、どういう監督だったんですか?」

「画面で感じる、そのままの監督で・・・」


「すごい、やさしい感じだよね」

「でも、映画になると、1回だけ大林監督が大きな声を出されたのを聞いたことがあって・・・」


「それは、どういうとき?」

「犬が本番中トコトコ歩いて画面の中に入ったとき、あわてて助監督の方が、その犬をどけたら、その犬が( ? )にはいってきたので、監督が「どけないでくれ!」って叫んだのを聞いたのが1回ありました」


「言ってくれた言葉って、いろいろあるんですか、大林監督が靖子ちゃんにね」

「よく、憶えてはいないんですけども、いつも会う度に握手をして、久しぶりだね、とか・・・」


「それは、監督が触れたいとか(笑い)・・・・親みたいな気持ちになるのかな」

「そうですね、生意気盛りでしたから、監督の手のひらでコロコロ、コロコロという感じだったんじゃないかなって思います」

「さびしんぼうで、一番印象に残ってるシーンていうのはどこなんですか」

「さびしんぼう」で一番印象に残ってるのは、ラストのシーンで白塗りの女の子が雨に打たれるんですけど、それが、冬の夜中の3時に消防車で雨を降らせて、木に雨があたるんですけど、そうすると、それが「つらら」になる、寒い中の撮影が一番記憶に残ってますね、はい」


「そうなんだ、でも一般的に考えると、いろんな人との出会いで、大林監督なんかとも仕事が出来て、さびしんぼうというのが、富田靖子ちゃんのなかでは代表作にもなる・・・ね」

「不思議ですね、撮影しているときはそんなこと考えもしてなかったですけども・・・」


「でも、このあたりになってくると、私はやっていけそうだとか、そういう感じになったんじゃないの?」

「えーと、あのー、( ? )やれるんだろうか、どうだろうか、という思いが心の隅に、やっぱりあります、自分は芝居が出来てるのだろうかっていう、ちょっとした不安が、ええ」


「そうなんだ、さ、それではですね、いよいよ今度はおとなの富田靖子、思い出の作品、3作目になります「南京の基督」をご覧頂きます。


              【「南京の基督」映像スタート】


「これが平成7年ですね、1995年の7月、トニー・オウ監督、クリスチャンの中国人少女と日本人作家との運命的な愛の物語り」
「この時、キャスティングを逆転させてるんですよね、日本人作家のほうを、ね」

「はい、芥川龍之介をモデルにした日本人作家のほうを香港の俳優レオン・カーフェイがやって・・・」

「富田靖子ちゃんが中国人の少女をやるわけだから、演出としては心憎いというか、なんというか、ね」

「そうですね、そのかわり、私もレオンもすごく苦労がありました」


「それは、やっぱり言葉ですか?」

「えーと、あのー、ものの考え方ですね、やっぱり文化が違うので、日本人の考え方、中国の考え方がありますから・・・」

「そうだろうなあ」

「はい、こうやって、私なんかは、うなずいてしまうんですけど、中国人はそんなにうなずかないですから」


「ああ、そうかそうか、ちょっとしたことだけど、そこが違うと・・・」

「違うよ、っていうのがよくありました」


「どれくらいロケには、製作日数は相当長かったんでしょ?」

「準備期間がかなり長かったんですけど、( ? )期間が2週間くらい、ロケーションが3週間くらいだったと思います、はい」


「日本と香港で同時公開されまして大ヒットしましたが、第8回東京国際映画祭インターナショナルコンペティション部門で富田靖子さんが最優秀女優賞、それから最優秀芸術貢献賞を受賞しているとうことなんですけどね、でもこのあたりになるとどうなんですか、いろんな方との出会いをもっと求めて、ああゆう役者さんとお仕事したいとかね、ああゆう監督とお仕事したいとかいうのはでてくるでしょ?」

「あ、そうゆうのは、逆に10代の頃のほうがものすごくありました」


「へえ、そうなんだ」

「20代終わって30代を迎えた今、こう、ずっと、人とのつながりを大切にしたいな、って思います。いろんな役者さんと出会ったり、監督と出会ったその効果を大切にしたいって・・・」

「なるほどね、今まで仕事の中で影響を受けた方とか、そういう人って具体的には誰が一番影響うけましたかね?」

「最近は浅丘ルリ子さん・・・」

「えっ、浅丘ルリ子さん、どうゆう影響を?」

「あのー、匂うんですよ」


「匂うっていうと・・・」

「原田美枝子さんさんと・・・、次、公開される映画で浅丘さんとご一緒したんですけど・・・」


「あ、これがですね、最新作が、篠原哲雄監督の「木曜組曲」とゆう作品なんですけど、それで浅丘さんと共演された・・・」

「その時に原田さんとお話してて、原田美枝子さんもご一緒してて、それで、浅丘さんて、やっぱりこう・・・セットに入った瞬間に「浅丘ルリ子さんがいらした!」っていう、香りがするよね、って話をしてて、それで、ルリ子さんと二人っきりのシーンの時も、ルリ子さんの匂いにまきこまれるっていうか・・・」

「それは激しい香水をつけてるとか・・・」

「そういうんじゃないです、なんだろうな、人が持って生まれた香り・・・」


「オーラっていうか、カリスマっぽいというのが確かにあると」

「ほんとに・・・」


「それはみんなが感じるもんなんですか?」

「だと思います、それで、その香りに包まれるとお芝居しなくても( ? )的な役に自分がなれるっていう・・・」

「へえー、浅丘さんとは初めてなんだ」

「はい、今、芝居するよ、って、こう構えるんですけど、ルリ子さんと一緒のときは全然そんなこと・・・はい」

「すごいもんですね、僕ら一般的にはちょっと判らないとこだけど、これが、他にも、今、原田美枝子さんと一緒とおっしゃいましたが、加藤登紀子さん、鈴木京香さん、西田尚美さんと、女性ばかりで繰りひろげられるサスペンス作品なんですよね」

「はい」


「どうゆうストーリーなんですか、これは」

「あの、出てくる女性陣がみんな親戚という、浅丘ルリ子さんが私の叔母だったりとかするんですが、その親戚が、年1回ごはんを食べるっていう、集いをするんですけど、実は浅丘ルリ子さんが作家で、私たちも作家なんですが、浅丘ルリ子さんが突然お亡くなりになられたんですね、数年前に。その死があまりにも疑問が多いので、残された親戚の私たちが、年1回決まって、その謎を解きたいために、いろんな話をするんですね。そしたら、たまたま、その年に花束が贈られてきて・・・で、なんだったかな・・・、メッセジカードに浅丘ルリ子さんの役名を殺したのは誰だ、みたいなことが書いてあって、それで、こう、波瀾がまきおこるという・・・、どうしてルリ子さんがやられた役の女流作家が亡くなったかっていう真相を追っていく、サスペンス・・・」


「靖子さんはどういうキャラクターの役なんですか」

「えっとー、私は・・・、どうだったかな・・・、どんな役だったかな、(場内少し笑い)あ、私はサスペンス作家・・・」


「サスペンス作家で、性格はどうゆう性格の?」

「あの、子供が一人いまして、ちょっと、旦那さんとうまくいっていないっていうサスペンス作家で、京香さんが、鈴木京香さんがルポライターみたいな、ドキュメンタリータッチの文章を書く女性で、それで原田美枝子さんが技術関係の文を書かれたりとか、みんなそれぞれいろんな分野で文章を書いてるっていう・・・」

「・・・という人物なんですか、これがですね、「木曜組曲」が10月の、ちょっと先ですけどね、中旬から銀座シネラセットで公開されますので、ひとつ頭のなかにメモして頂けたらと思います」



         アミューズと株とパソコンと




「とゆうことで、とにかくもう、富田靖子さんはアミューズとともにですね、きてて、さっきBOY STYLEのときいろいろ聞きましたけど、靖子さんにとってアミューズという会社はどういう会社ですかね?」

(しばらく沈黙)
「どう、ゆう、会社でしょうね・・・」(困惑気味に)

「イメージ的なものでも何でもいいんですがね」

「あのー・・・、ん・・・」


「ほかの会社は知らないんですよね、僕は文化放送という小さなラジオ局にいてまして、あまりいい会社じゃなかったな、とゆのがあって辞めてきたんですけども(富田さん、場内笑い)いろいろそうゆうのがあるから、一つしか知らないと言いにくいかもしれないですけどね、なんかこう、仕事ができる幸せがあると思うんですよ、ね」

「会社・・・私にとっては家族といえば家族ですけど、でも、誰よりも・・・誰よりも負けたくない場所、であることは確かです」


「ほお・・・」

「会社と競って芝居をしてるわけじゃないですけど、やっぱり、会社のスタッフに、芝居良かったよ、っていわれると、正直誰にいってもらうより嬉しかったり・・・」


「そうか、そうか、それは、わかる気がしますね」

「ええ、会社の人に、いい、って言ってもらえるような、唸らせるような作品を作るのが、あの、私のひとつの目標であったりする場所、ですね」


「わかります、それはすごくよくわかります、はい」
「さて、アミューズはですね、サザンオールスターズを筆頭にですね、多数のミュージシャンが所属しているわけですけですが、本年度2002年度のマネージメントテーマという難しいものがありまして、「ALL YOU NEED IS LIVE・・・」(場内笑い)

「似たような言葉ありますよね、歌で・・・ 
(突然歌い出す)♪ALL NEED YOU・・・なんとかっていう・・・(笑い)」

「まあ、英語堪能な方はすぐわかるかな、でもちょっと緊張してしまいますよね、今のはすぐわかると思います、LOVEじゃなくてLIVEですからね、ALL YOU NEED IS LIVE 生のステージの感動を大切にしていこうと、いうことでやっていくわけなんですけども、で、この後に皆さんにお楽しみ頂きたいのは、アミューズ所属のミュージシャンを代表しまして、今日、このあと、沖縄石垣島出身で、アミューズ所属12年目、僕より4年も長く先輩とゆうですね、BEGIN のみなさんのライブをこれからお楽しみ頂こうということなんですけど、ライブというのは靖子さんも行ったりしますか?」

「あのー、やっぱり行きます、大好きです、BEGINのライブはいいです、かっこいいです・・・、昔、BEGINのデビューシングルだと思うんですけど、「恋しくて」というのを初めて聞いたときに、もう、ノックアウトされました」

「そうだよねえ・・・」

「今でも、そのときのテープをまだ持ってますし、ええ・・・すごく素敵でした」

「今日はそう有意味でもそのマネージメントテーマにのっとった形で、株主の皆様、そうでない皆様にもですね、その感動を持ち帰って頂けたらと思いますので、ひとつ、ご期待頂きたいと思います」
「えー、その前にですね、時間にして5分程なんですが、今のアミューズのすべてがわかるビデオというのがありますので、そちらをご覧頂いて、より身近にアミューズというのをわかって頂こうというのがありますので、こんな会社であるというのが一瞬にしてわかると思いますので、そのビデオをここでご覧いただきたいと思います」


【司会2名退場。ビデオは作成に関与した映画、所属ミュージシャンの宣伝っぽい内容】


「はい、とゆうことで、ご覧頂きましたが、アミューズという会社をだいたいおわかり頂けたかどうか、そんな簡単にわからないという部分もあるわけですけどね、さて、ここでですね、アミューズには、ナスダック・ジャパンへの上場を機に、株主、投資家の皆様に対しまして、アミューズをよりご理解頂くためにIRサイトを上場日から開設しまして、そのメニューとして「サンプラザ中野の株主への道」というページを開いております。今日はですね、株を通じて日本、世界の情勢について旺盛な関心をお持ちになりますサンプラザ中野がですね、講師になりまして株の仕組みや面白さについてわかりやすくお伝えしているページなんで、今日、本人みえています。それでは来て頂きましょう、サンプラザ中野さんです」


             【拍手とともにサンプラザ中野登場】


「どうもーこんばんはー、サンプラザ中野でーす、ありがとうございまーす、ごくろうさまです、みなさんー、ありがとーございまーす」
「いやあ、どうですか、皆さん、私、最近ね、思うんですよ、鈴木議員にね、献金したあの会社!ひらがなで書くの、やめてほしい。(場内笑い)読み間違えてしまうんですよ」

「そうだよね、いつか女子アナが読み間違えるんじゃないかと心配してますけども」

「ですよねー」
(場内笑い)

(管理人注)

国有林無断伐採事件にからむ汚職事件にかかわった製材会社の「やまりん」という会社のこと。漢字だと多分「山林」だが、正式名称が「やまりん」であり、この字面から「やりまん」を連想してしまう。これは今しか使えないネタである。下ネタ苦手の富田さんは(って、得意な女優なんていないだろう)いつものトボケ顔でやりすごしていた。


「ところでサンプラザ中野さんは、株に関してはいつ頃から関心を持ちはじめたんですか」

「えー、3年前なんですよ」

「3年前、何かきっかけがあったんですか?」

「ネット取引の手数料自由化というのがありまして、その時にネット関係の雑誌から依頼がありまして、そのやりとりを書いてくれと、自分の投資のこととかを、僕も株のこと全然知らなかったので、教えてくださいよと、株をちょっとやってみようかと思っていたとこだったんで」

「ちょうどいいタイミングだったということで・・・」

「はいっ」


「靖子ちゃん株はどうなんですか」

「すみません・・・あの・・・勉強したいと・・・」


「そうだよね、サンプラザ中野さんもいるしね」

「ぜひ、教えてください」


「ぜひ、私のサイトを読んでいただければ」


「それでは、伺いたいのは「サンプラザ中野の株主への道」とはどのうなものかってゆうのを、今日おいでの方は詳しい方も多いでしょうけども、中にはわからないってゆう人もいるでしょうしね、靖子ちゃんとか僕みたいな、どんなものなんですか?」

「とにかく、アミューズは若い会社で、若い方のためにあると、株主になって頂く方も若い方で、多分初めて株を買う方じゃないかなと」

「その可能性は高いですよね」

「そうですよね、それで僕も株主になってから、たかだか2年半ですよ、そのときにいろんな経験をして、それを生かして、それを反面教師にして、みなさんが株にうまいこと入ってこれるように・・・、私、すごい失敗したことがあるんです」


「どうゆう失敗ですか」

「一番最初に株を買った時にですね、とりあえず買ってみようと思いまして・・・えー、いいのかな、○○ってゆう株を2千株買おうと思ったんですよ、そのとき1株が100円だったんですよ、ですから20万円でとりあえず買っちゃおうと思ったんですよ」


「はいはい」

「ネットで、チャッチャッチャッとやって、OK,OK,OKってやったら・・・2万株買っちゃったんです」
(場内笑い)

「2万株も買っちゃったんだ」

「僕の総予算が50万だったんです、200万になっちゃったんです」


「それは押し間違えたんですか?」

「押し間違えたんです」


「あららら・・・」


「そうゆう間違えをして欲しくないため反面教師として、書かせて頂いてるわけです」

「それは、基本的なところですよね・・・」
場内笑い)
「私は、機械を壊してしまった人間なので、とてもそんなこといえないんですが・・・」

「富田靖子さん、こうみえてですね、車の運転がヘタなんです」

「どういうことですか」

「車もだめですし、・・・」


「メカがだいたい?」

「インターネットというものをしたら機械がフリーズしてしまって、一週間で壊してしまいました」


「僕もパソコン壊れたままで、どうしようかと思ってるんですが」

「ええー、大丈夫ですか、僕は四六時中パソコンがないと生きていけないですから」


「生きていけない身体ですか・・・」

「ザウルスっていうPDAを持ち歩いて、だいたい3時くらいから、みてますよ、ヤフーサイトね、あれもみてますよ、ヤフーの掲示板・・・」

「きっと関係者の方いらっしゃるんですよね」


「いますよ、いますよ・・・・、なかなかね、泣けたり笑ったり・・・」


「株の楽しみってのは何なんですか、サンプラザ中野さんにとっての」

「楽しみですか?」


「どかが醍醐味?」

「やっぱね、今月の半ばまではね、これはいくぞ!と、やっと取り返したぜ!と、思ったら、なぜ売れない!」
(会場笑い)

「会場からいっぱい笑いでましたね」


「私、自分で作ったですね、株式格言、いいですか」


「いいですよ」

「格言、株は売り時、売る勇気」
(会場から拍手)

「なるほど・・・これはつかんでますね」

「売る勇気ないんですか?・・・」

(管理人注)
中野沈黙・・・場内爆笑、富田さんの天然ボケで笑わしてくれます。


「なかなか難しいんですか、売る時って・・・」


「そう、ね・・・( ? )・・・小泉はなにやってんだ!・・・何をやってるんでしょうね」


「何もやってない感じですよね」

「株をやると、おのずから政治にもどんどん興味が・・・興味というか・・・」


「そうですね」

「いいですよね、さ、サンプラザ中野さんの最近の音楽活動を・・・」


        【サンプラザ中野、韓国での音楽活動の様子を語る】


「準備のほうが整いましたので、このあと、BEGINのライブでお楽しみ頂きましょう、よろしくどうぞ」

          【拍手とともに3名退場、BEGINのライブ開始】


「はい、BEGINのライブをお送りしました、ということでね、仕事に疲れたとき、株の売買に疲れたときにね、BEGINを聞いていただけたらと思います。ということで、今日はアミューズの株主の皆様と私たちが初めて一同に会するという試みをさせていただいたわけですけども、お楽しみ頂けたでしょうか。今後もですね、アミューズとしましてはこの様な機会を折を見て設けさせていただきたいと思いますので、是非ともまたお越しなっていただきたいと思います。今日参加できなかったほかのアーティストたちもたくさんおりますので、またそんな折にですねぜひ参加させていただくことをここでお約束させていただきたいと思います。それでは最後になりますけども、アミューズの代表取締役会長であります、大里洋吉がご挨拶させていただきたいと思います。」

                 【アミューズの会長の挨拶】
(さすが芸能プロダクション創始者で、上場会社の役員とは思えないユニークな挨拶)


「代表取締役会長大里洋吉からの挨拶でした。ということで、時間のほうがもう7時40分を過ぎたくらいになっていますので、会長が言ったようにですね、このあと慌てて帰って怪我するとつまんないので、是非おちついて帰って頂いて、韓国を応援していただきたいと思います。えーそれではですね、これをもちまして、初めてのアミューズの株主総会パーティーをお開きにさせていただきたいと思います。どうもありがとうございました。」

「どうもありがとうございました」


               【拍手とともに司会2名退場】    


管理人メモ

 
ということで、以上が株主総会パーティーのうち富田靖子さん関連部分を抜粋した全記録です。他者の発言は適当に端折った部分もありますが、富田さんの発言部分は可能な限り忠実に記載しました。「あのー」とか「えーと」とか、文字だけを見ると見苦しい部分はあるのですが、富田さんの語り口調を思い浮かべながら読むと、「らしさ」が伝わってくると思いますが、いかがでしょうか。

 今回のパーティーについては、積極的にPRしていたわけではないので、富田さんの出演自体がほとんど公になっておらず、アミューズの株主であっても平日の東京開催なので、かなりの諸条件が整わなければ見に行けないという、非常に限定されたものでした。

また、株主総会パーティーは翌年以降も開催されそうですが、富田さんの出演は今年1回限りでしょう。そんななかで、ワンチャンスをとらえて出席できたのは幸運としかいいようがありません。内容も想像していたような単純な司会進行役だけではなく、富田さんの女優としてのトークにかなりの時間をかけており、ファンとしては非常に満足のいくものでした。しかし、限られた人しか内容を知り得ないというのは非常にもったいないという思いから、今回の特集を組んでみました。少しでも多くの富田さんのファンの方に株主総会パーティーの状況が伝われば幸いです。


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