平泉
2001年初秋に行った時の写真です。
岩手県交通の一関からの定期観光バスで各場所を廻りました。
 中尊寺
やってきました!初平泉。中尊寺!
左は観光バスが着いた駐車場から高館の方を望む。
駐車場の片隅には、弁慶立往生跡がありました。実際立ち往生した所はもう少し高館寄りの方らしいです。後から知ったのですが、以前は後世の人が立てた墓もあったらしいのですが、皆がさわってボロボロになってしまったそうで、国道を渡った別の所へ移たのだそうです。

駐車場から地下道を通って月見坂へ。思っていたよりも長く急な坂でした。夜はきっと月がきれいに見えるのだろうなぁと思いを馳せながら坂を登りました。
その途中にある物見からの景色です。束稲山の山裾が右端に見えます。
ガイドさんは写真やや左の方を指して、渡辺という所で弁慶は生まれたとか言っていたけれど、住んでいたの間違いじゃないのかなぁと思いながらも、そういう説があるのかも知れないと考え直し聞いていました。真実はいかに?!
さらに月見坂を登り、やっと本堂へ。
ここで座禅を初体験してきました。お坊さんに一度は叩くからと言われていたので、一度叩かれました。座禅は、難しかった。座禅って無心に成る事かと思ったけれど、数字を心の中で数えるのですが、全く外の音が聞こえない程心に集中してしまうと、お坊さんの一から数え直す合図が聞こえなくなってしまうし。何だか在るがままを受け入れるというか感じるという気がしました。
座禅が終わると、また座禅をしたい時はツアーじゃなくてもできるのでと、お坊さんから名刺をいただきました。
本堂のそばで衡年茶を試飲して、不思議だったけれど不味くはなかったので祖母への土産に買う。
その後、短い自由行動時間。

拝観券を買い、賛衡蔵で宝物の品々を見て、金色堂へ。
残念ながらこの建物で守られている金色堂を撮る事はできませんでした。すばらしい工芸に感嘆しつつも、目の前には奥州藤原氏4代の遺体があるんだと思うと、お騒がせしてすみませんとも思ったのでした。
経蔵
旧覆堂
昔、金色堂を守っていた建物が移築されていて、中へ入る事もできました。
釈迦堂
能楽堂

鐘楼

峯薬師堂
時間切れで月見坂途中の弁慶堂まで行く事はできませんでした(T_T)
 高館・義経堂
高館の受け付け横の階段を上がった突き当り、すばらしい景色を見渡せました。
写真3枚をつなげてるのでちょっと変ですが。
右に大きく流れているのが北上川。当時はもう少し山寄りを流れていたそうです。
その奥の山が束稲山。
衣川が左の方から北上川にそそいでいるはずなのですが、写真では分かりませんね。
左の奥の方に衣川古戦場跡があるらしいです。
右へ歩くと芭蕉の碑。
夏草や 兵共が 夢の跡
左へ歩くと宝物館。中に写真を撮ってはいけないとか書いて無かったので撮ってしまいました。
上2枚の写真の兜の鉢のどちらの説明だったか、、、(後日、左の説明と確認してきました。右が高館付近で出土した兜)
宝物館横の階段上がると義経堂。中にある義経像分かりますか?

 毛越寺
毛越寺のパンフレットの境内図に撮影場所を×印つけました。
駐車場から、毛越寺への小道には萩の花が咲いていました。
入り口へ来るとラッキーな事にその日は御開帳日だと分かり、入り口正面の本堂へ。

本堂自体は真新しくきれいでした。
が、なぜか私は写真を撮っていなかったんです。。。
向かって左の方から中に入ると、3枚の絵の掛け軸があり、本堂中央に薬師如来。寺社では御本尊を撮ってはいけない所もあるので、確認したら撮影して良いとの事でした。
本堂向かって右側に大泉が池があります。この池に向かって正面、昔は橋を渡って金堂へ行ったのかも知れませんが、橋は無いので時計回りで歩いて行きました。
南大門跡辺から大泉が池の池中立石(中央)を望む。
池の向側には、建物跡の土が盛り上がった所に看板が立てられていました。

嘉祥寺跡

講堂跡

金堂跡

遣水。
平安時代から残っているものらしい。
平安時代の貴族の家にもこの様な遣水があったのでしょうね。
常行堂
3/4程大泉が池を廻り、写真左に少し見えるのが州浜、右に楓に隠れて林の幹だけ見えるのが鐘楼跡かな。
写真はありませんが、道路を挟んで向う側は何かの跡らしき雰囲気でした(その後読んだ本では観自在王院と鈴沢池の跡らしいです)。

やはりツアーという事で時間が無く、また私の下調べが足りなかったので知らなかった所がたくさんあり、今度行く時はレンタルサイクルが良さそうです。
その時には柳御所には行きたいですね。そして、泉の東北旅行は仙台へ続く・・・(旅行記はないけど)

※パンフレットの著作権等は各寺院にありますので、ここからの転載は御遠慮下さい。