「エヂソン」対「ヱヂソン」(承前)

衝撃の事実が明らかになる第二ラウンド


(前回までのあらすじ)
 今月のネタに詰まった印度総督は、11年前に使った「エジソンバンド」ネタの焼き直しと云う、『溺れる者は藁をも掴む』を地で行く挙行に挑む。
 眼前に見たのは、誠文堂新光社と実業之日本社の二大老舗出版社広告ページ同士の苛烈な商戦だ。商品名「エヂソンバンド」「ヱヂソンバンド」の違いに着目した総督は、そこに先・後を峻別出来るポイントがあるものと推測、専用乗合地下鉄道で国立国会図書館に向かい、発明王エジソンの表記を調査、主流は「エヂソン」だが「ヱヂソン」表記も存在することを突き止め、やるつもりの無かった広告の初出を探さすと云う、毎度おなじみのドツボに嵌ったのである。

  と云うわけで、広告を遡ることにした。ホントは誠文堂新光社の雑誌を使うべきところなのだが、12月終わりに更新するネタを24日に補強する、無茶な作戦であるから、まず「実業之日本」広告は、さほど古くからあるものでは無いことだけを確認することにする。
 昭和5年上半期、昭和8年上半期のマイクロフイルムをガラリンゴロリン廻す。昭和5年上半期分には広告は無い。昭和8年―「商店界」が「ヱヂソンバンド」を名乗っている頃―の広告はあるのだろうか。

 あるのだ、これが…。 そして信じられぬモノを見た!


「実業之日本」昭和8年2月1日

 なんと「商店界」同様に表記が「ヱ」で、ナカグロまでついている。

 科学の威力頭脳の若返り
 理想的/健脳器
 
ヱヂソン・バンド(独逸発明)

 ■本器は胴、鐵、満俺、珪素、軽銀の合成金属になるものにして之等金属の微妙なる磁力の働きと「ラジエーター」の作用に依り頭脳に於ける新舊血液の迅速なる交替運動となり其結果頭脳は翻然として若返り根本的の健脳となるのでありますから従って神経衰弱、頭痛、不眠、記憶力減退等頭脳に関する一切の悩みは拭うが如く根絶し能率の増進は驚くべきものがあります。

 ■本器は近代科学の精緻を以て成れる独逸の誇れる世界的発明の一つにして嘗てヱヂソン翁が疲労恢復の妙器と激賞し常に之を愛用せられし程のものであります。

 (主効)不眠及神経衰弱根治脳溢血の完全防止
     記憶力増大、頭痛逆上疲労の即時恢復


 本器を用いて頭脳の健全ならぬ人は一人もなし

 「独逸発明」!
 それだけでもアタマを冷やしたくなる驚きだが、「エジソンバンド」は、エジソンが発明したものに非ずと云う衝撃的事実! エジソンが愛用したから「エジソンバンド」。そして単なるアタマ冷やし器ではない「微妙なる磁力の働き」!
 プラモデルでおなじみの、この戦車、あの戦闘機はエジソンバンドを着けた人達が図面を描いておったとは…聞いたことも無いが、一人か二人はいたような気はする。
 昭和7年下半期まで戻る。能率研究会の広告はすでに掲載されている。やはり表記は「ヱ」で「独逸発明」つきだ。広告のレイアウトは似たり寄ったりなので略すが、下にあげる7年10月の広告は、他の号とはタイプが異なる。


「実業之日本」昭和7年10月1日号

 通常はページ半分をタテに使うのだが、ページ全面を使った広告である。まずは上段を翻刻する。

 不眠・神経衰弱を一掃して
  頭脳を健全に保つには?


 人生に一番大切なもの
 人間生活の上で何が大切かと申しますと、勿論健康も大切であり、努力も必要その他いろいろありましょうが、それよりも頭脳を常によき状態に保つということは、他の何よりも最も重要事ではないかと考えます。
 即ち健康も、努力も、熱心も誠意もよき頭脳の力を借りてこそ初めて完全な働きをするのではありますまいか。

 斯う考えて来ますと、人生に頭脳ほど重大な役割を持つものはないという結論に到達するわけです。
 がさてしかし、現代のような生存競争の激しい、複雑な社会に在って、常に頭脳を冷静に、朗らかに保つということは多く不可能事に属する問題です。


 現代人共通の悩み
 都会生活者の殆ど凡てが神経衰弱患者であり、不眠症に悩まされている事を思うとき、その決して偶然でない事を知り得ます。
 その他現代人は生活の不自然から起る諸種の疾病、たとえば脳溢血、逆上症、頭重、頭痛などに苦しむ人が非常に多いのであります。
 しかし時代が斯様に病者を製造すると同時に、時代はこれらの患者を救う科学の力をも発展させることを忘れませんでした。


 エヂソンを驚喜させた大発明
 独逸に「エヂソンバンド」と称される科学的健脳器が発明されて居ります。これはエヂソン翁が頭脳の疲労恢復にこれほど重宝なものはないと愛用措かなかったところから「エヂソンバンド」と命名されるに至ったというエピソードを有する世界に誇る発明品の一つであって、本器を形成する特殊金属の血液に対する微妙な作用は、頭脳中に鬱滞せる汚血を忽ち移動交替して、新鮮な血液を招致せしめ、前記の如き現代人の頭脳に関する諸疾患は、実に簡単迅速に恢復せしめます。
 しかも軽妙なる一箇の本器さえあれば他に薬品等一切不要永久に使用出来るという、実に経済的にも無比のものであります。
 常に頭脳を過労する人々に是非一器をお奨めする所以であります。


 因に本器が八幡製鉄所、海軍工廠等の如き激しく頭脳を使用する技術家の集団又はインテリ階級に重宝愛用せらるる所を見て其効果の適確なる事は立証されるものと思われます。

 「健康よりも頭脳が大切」とは、凄い事を云うものだが、さらにビックリなのはこの商品が、海軍工廠でも使っていたことである。プラモデルでおなじみの、帝国海軍の誇る、あの戦艦も、この空母も「エジソンバンド」の助けを借りて出来上がったと云うようなものだ(だから戦争で負けたんだ、などとは云わぬこと)。
 現在は怪しい記憶力増大器具として認識されている(ハイ、ワタクシもその一人で御座います)「エジソンバンド」が、「其効果の適確なる事は立証されたものと思われます」と、文字を小さく記されているのは、世の無常を感じないわけにはいかぬ。
 ア行の「エ」表記であることに注意。どうも「エ」「ヱ」の使い分けは、思った程厳密なモノではなさそうだ。


 下段は、通常の広告をタテに縮めたようなもので、効能書きなどが記してある。

 脳溢血完全予防
 不眠症・神経衰弱・頭痛・精神疲労・記憶力減退・視覚朦朧・脳充血・頭重・倦怠等に効果著大なり


 科学の威力
 本器は、独逸の誇れる発明の一つであって、その構造の簡単、用法の簡易、効果の甚大、保存の永久、価格の低廉にして、且つ一切薬品等を用いるの要なき、世界唯一の科学的健脳器である。嘗て発明王エヂソン氏が頭脳疲労の迅速恢復に これ以上の妙器はないと激賞し愛用措かなかったところのものである。


 先年 帝大物療科長眞鍋教授が、独逸留学帰朝に際し、初めて我国に紹介されたが、今や学生、官吏、会社員、技術家 等の間に非常な愛用者を増し、業務能率の増進、勉学の記憶力増大に偉大な効果を現しつつあり。

 説明書進呈
 定価金弐円・送料 内地十五銭/領土四十五銭/代引十五銭増


 輸入発売元 能率研究会

 取扱販売所
 三越、伊東屋、丸善、松屋、其他百貨店
 海軍省及海軍工廠、八幡製鉄所、帝国製糖会社等の各購買部、京城高野製作所
 博多丸善支店等知名商店に有。


 販売所には、帝都東京を代表する一流店が名前を出している。帝大教授の影響力は怖ろしいものだ。
 もともとは疲労したアタマを回復させる効能をアピールしているのに、一言書き足したとしか思えない「記憶力増大」―疲労で減退した記憶力を元に戻すのだから、プラスマイナスゼロなのでは?―が後にクローズアップされていく事を思うと、これを買った人が何を求めていたのかが伺え、今では許されぬ文章も味わい深い。

 ちなみに、この時期「実業之日本」代理部でも「エヂソンバンド」(あるいは『ヱヂソンバンド』)が販売されており、誠文堂と競争する前に、同じ雑誌内での戦いまであったことになる。それほどまでに売れたのか、そうせざるを得ないまでに売れなかったのかは、調べる術がない。


昭和8年8月15日号

 こちらも「エ」表記。「御註文は(略)実業之日本社代理部へお願いいたします。」と記載してあるのが微笑ましい。定価は同じだが、「領土」向け送料が3銭だけ安い。

 支那事変が長期化し、さらに米英との戦争まで始まって国民生活が圧迫されていく(金持ち除く)のは、読者諸氏ご承知のところだろう。貴重な金属を使う「エジソンバンド」の未来が明るいわけもなく、誠文堂新光社の雑誌広告から「ヱヂソンバンド」の姿は見えなくなる。
 しかし、「実業之日本」誌上には、まだその名前を見ることが出来るのだ。


「実業之日本」昭和17年1月15日

科学的健脳器
 
ヱヂソンバンド

 朝夕十分間の使用で、頭脳が冷静になり、心身爽快、頭脳の過労を癒し、記憶力を二倍に増大し、不眠や神経衰弱を一掃す。特に実務家、学生、技術家等に奨む。

 表記が「ヂソンバンド」に戻っているのに注意。発売元は能率研究会ではなく、「実業之日本社代理部」だ。
 定価は未だに金弐円―価格統制があるので昭和14年9月18日時点から値上げナシなのはともかく、少なくとも昭和7年からそのまま―なのは、当初の価格で相当利益を上げてたと云うことか。送料は「内地十五銭 鮮台樺四十二銭」。 
 そこから1年以上飛んでしまった(主筆が持ってないだけなのだが)昭和18年10月の同誌―表紙には「防衛と戦時都民生活」、「イタリヤの脱落と欧州戦局」の赤文字が踊る―の広告欄に、信じられぬモノを見る。


「実業之日本」昭和18年10月1日号

 ヱヂソンバンド改め
 
ヒルキュア・バンド(独)

 本器は独逸の世界に誇る科学発明品の一つで、微妙な磁力の働きと、放熱装置の理学的作用により、朝夕十分間づつの使用で、頭重、神経衰弱を一掃し頭脳明快記憶力を増大す

 全国著名書店及文具店眼鏡店にあり

 発売元
 能率研究会


 英語排斥が、コンナところにまで及んでいる。
 「独逸の科学発明品」とは、10年以上前の広告に逆戻りである。見逃せないのは、復活した「微妙な磁力の働き」だ。10年間、ひたすら冷却効果を売り物にしていたはずではなかったのか? 
 発売元は能率研究会に戻っている。「定価二円」は不変だが、送料の記載はなくなる。もう近海も危ないのか?
 エジソンバンド日本上陸時期の解明は、今後の課題となってしまったが、
 1.もとはドイツ製品
 2.エジソンが愛用
 3.一流デパートでも販売
 4.戦前のエジソンは「エヂソン」「ヱヂソン」2種類の表記(余談)
 と云うところが解ってきて、11年間怪しい商品扱いのまま放置した罪滅ぼしにはなったかと思う。