(おまけのおまけのおまけ承前)
 「魔薬読本」の口絵『ヒロポンは招ねく』。
 この一連の写真はヤラセだと思いたい。


ほうら なんでもないだろう!


(承前)
 [合法的薬の存在が災禍のたね]
 最近に密造密売されているものは、殆どメチルプロパミンつまりヒロポンであります。この密造の激増は、薬品市場において、きわめて自由に入手できるエフェドリン(せきとめ薬)を原料としてたやすく製造ができるからであります。
 麻薬でも、覚せい剤でも同様でありますが、法による薬品の合法的存在の間隙を縫って、密造、密売が強化されるのであります。だからこの魔薬の濫用や中毒に関する防止対策は、こうした合法的薬品存在の処理問題に第一のキイポイントをおいて考えなければならないのです。すなわち、絶態(ママ)策は、政府所有以外にこの薬品の所有取扱を禁止することであります。
 今日使用されている覚せい剤は、ほとんどアンプル入の注射薬でありまして、内服薬の密造というものは全くないといってよい位です。大体において、それらの注射薬は、一tアンプルが多いのですが、一回に多量を使用する中毒者用としては、二tいや、今日はそれ以上のものも現れています。
 初めのうちは、有名製薬会社のレッテルを張り(ママ)、包装もきわめて巧妙に偽装してありましたが、近頃は、きわめて簡易な姿をしています。無印、無包装の裸のままのアンプル数十本を古紙や古新聞で無造作につつんで、魔の手から魔の手へと移送され、密売、秘用がつづけられています。
 粗悪品になると、エフェドリンを生水でうすめただけのがあります。しかし中には、ブドウ糖や、安ナカ、カフェイン、食塩などを加えたものも見うけられます。

 「密造ヒロポン」のパッケージ、今なら高値で売れるんじゃあないか(笑)?
 先にあげたヒロポン注射薬が、1管1t入りアンプルを5管、10管、50管の単位で販売されたことを思うと、容量二倍以上の密造薬があったことになる。

[密売者は誰か]
 覚せい剤の密造者、密輸者、密売者の大部分は第三国人であり、その手先に日本人が使われております。何となさけないことになったではありませんか。
 それはともかく、密造所はもちろん秘密工場でありますが、この工場は、原料を溶解し、アンプルに封入するだけの簡易作業でありますから、きわめて小規模な簡単な工場であるため、かなり俊敏な役人にもその所在発見は非常に困難であります。
 薬量は、一tアンプルに2―5ミリというような微量でありますから、原料結晶も一時に大量を要しないために、合成工場といっても、各所にそうたくさんあるわけではありません。又きわめて簡易に移動したりするものですから、側面の協力のないかぎり、検挙や発見が困難であります。
 密売の現場は、電鉄駅やホームのような混雑した場所で、ちょうどスリが手から手へ盗品を渡すような方法で行われるようであります。しかし、大胆な常用者は、ほとんど公々然と街頭連絡によって取引しております。上野ガード下、池袋、新宿の盛り場などが、絶好な取引市場の観を呈しております。

 敗戦国の悲しみがにじみ出た文章だ。
 本書の別なところには、

 かつては、中国や印度の阿片禍の亡状をいやしみ、軽蔑のまなこを向けていた、いわゆる先進文化国人の見識と自負とは全く地におちました。

 とさえ書かれている。

[秘密注射場]
 最近は、昔の中国(特に上海や広東など)に存在していたモヒの注射所のような秘密集会所を設け、巧みな相言葉や信号連絡等によって、巡回移動式注射組織がもたれているようです。
 もちろん、それらの注射係の大部分は医療的知識などはなく、きわめて非衛生であります。又迅速秘密を要する仕事ですから、AからBへ、CからDへと注射する間消毒をするひまもないので、実に不潔、危険きわまりないのであります。
 従って、注射によって、覚せい剤の中毒を昂揚する以外に、Aの病毒をBに、Cのもつ病毒をDに伝染させるということが、往々に発生しています。
 最近の情報によりますと、―二九年五月―中毒者の一人がマラリア原虫保有者であったため、その注射所に通った一群の覚せい剤常用者の大部分がマラリア菌をうつされ、多数のマラリア患者が発生して、防疫上に大問題をなげかけている実情があります。

 「マラリア原虫保有者」が出てくるところも、「戦後」なところか。(消毒されてない)注射器の使い回しの危険性は、現代では、AIDSの入り口の一つとして指摘されているから、昔の人を笑うわけにはいかない。

[何本位うつか]
 覚せい剤の常用者は、どれ位の量をどんなふうに使用しているかというと、最初は一日に一、二本程度でありますが、中毒状態になると、一〇本から三十本を注射するようになります。しかもそれがほとんど静脈注射であることを考えると、全く身震えがいたします。
 完全な中毒者は一日一〇〇本以上を、人手もかりずに自分で腕や脚部にぶつりぶつりとやるというのですから、ちょっと常識では判断ができぬものであります。

[迅速に利く静脈注射]
 覚せい剤は、別に内服とか、鼻腔吸入法がありますが、薬物の作用が、内服の場合は、二、三時間もかかるので、迅速時にききめのある注射、しかも皮下よりも早く効力のある静脈注射が行われるのです。
 前に申し上げたように、覚せい剤の医療目的である疲労回復は実際に効果があるのかといえば、事実はそうでないのであります。つまり一時、疲労の自覚が弱まるにすぎないのです。従って注射後数時間すれば、疲労はかえって蓄積され、過労の現象をおこします。そこでついもう二本、もう三本と注射をするようになりがちです。睡気を覚せいする場合も同様であります。一時睡眠の自覚を抑えるだけのことですから、使用後数時間すれば、かえって必要な睡眠をさまたげて来た関係から、不眠の蓄積でかえって過労になり、またもう三本、もう五本と注射をしない訳にはいけなくなります。
 先に私は、覚せい剤のもう一つの薬理作用に、神経末梢製興奮作用があることを述べましたが、この作用は、臓器の滑平(ママ)筋に作用し、血管を収縮させ、続いて血圧を上昇させることに役立ちます。
 また、胃腸や尿道や胆嚢のけいれんを緩和させます。

 ヒロポンに錠剤、散剤があるのに、なぜ「ヒロポン=注射」となったのか、長年気になっていたのだが、その答えがここにあった。読めばなるほど納得だ。
 「不眠の蓄積でかえって過労に」、「過労から逃れようと」連用するようになり、中毒になっていく。
 針をブスリと刺すのだ、一日に100回も…。
[おでぶ夫人への注(ママ)告]
 往々に、肥満している女性などがスタイル満点をねがって、覚せい剤を「痩せ薬」に使用するのも、この作用を狙っての愛用であります。しかしこれもまた危険きわまりないものです。それは前のようなわけで、胃腸の運動が低下し、空腹感が減少するために、食欲がおこらず小食となり、滋養の供給を少なくするということから「痩せる」わけになるのです。なおその上に、興奮継続によって体力の消耗が大きくなり、自然に体重が減少するのです。
 このように覚せい剤は、快味を餌として人間を誘惑する生命のカンナであります。ヒロポンの最小の致死量は、体重一キロあたり五―十五ミリグラムとされております。それは毎日連用している常用者は、耐性が高まっていくことを考えにいれた標準です。そこで、中には体重1キロ当り二十ミリ位、つまり体重五十キロ(十三貫余の人で)千ミリグラムに近い量を用いても死なない猛者もあり得るという訳になります。
 しかしこれは一時に死なないというだけのことで、こんな体になって千ミリの薬に耐えるということは、もう絞首台に片足かけたのと同じことであって、放任しておけぱ早晩中毒死するということを意味するのであります。
 ヒロポンの中毒過程は、使用量差、調薬差や個人の体力差によって幾分の差違はあります。つまり僅か一、二ヶ月の連用によって中毒発現を見る人もあれば、一年位連用しても精神分裂を現さない人もあります。しかし大体に五、六ヶ月連用すれば、たいていの者は中毒症状に入ります。この点は麻薬と格段の差があるようですが、入慣年齢(後表詳記―本稿では略す)がきわめて若いゆえ、亡者廃人になる年齢が成人前であることを考えると、実に恐ろしい亡国薬であり、青春の大敵であることが明らかです。

 若い女性が覚醒剤(と気付かず)に手を出すきっかけの一つが、これと云われている。
 ヒロポンの成分で痩せるのではなく、食欲がなくなり食べなくなることで痩せるわけだから、いかがわしい「痩せ薬」である。効き目が抜けてると猛烈な飢餓を感じるのかどうかは解らない。
 平日の朝食を抜く主筆が云っても説得力は無いが、ご飯はちゃんと食べた方がいいです。ロクに食事を取らぬ人が、幸せであるとは到底思えない。
[まるで狂人]
 連用による中毒過程は、精神病による気狂いの分裂症状と大体において似ております。まず、初めに、錯覚そして錯視・錯聴・錯蝕が発現します。ついで幻視・幻聴・幻蝕をよびおこし、幻覚妄想性となり、被害妄想や追跡妄想などが発現し、完全な気狂い状態になっていきます。
 (略)その経過状況を簡単に説明してみましょう。

 年齢三十才の中国引揚者。処は東京、時は昭和二十四年。
 この男は中国在住当時 麻薬愛用者であって 引揚当時もモヒを使用していたため、すでに軽い中毒者となっていました。ところが引揚後深く反省して謹みはじめ、苦心して幾分快復しかけていました。しかし経済的に少しく余裕ができて来た頃、何となく物足りない感じがするままに、引揚仲間から手に入れたヒロポンを注射してみたところ、その物足りなさは緩和され、気分も身躯も軽々して来たので、つい連用しつづけてしまいました。
 初めは一日に一本乃至三本位であったのが、二ヶ月目には一回10tから20t、その月の終りには一日に30tも打つようになって来ました。三ヶ月目頃から、注射後ほんのわずかすると、何となく気がいらいらしたり、物事がむやみに気になって来ました。

 それから数日すると、天井の木目が蟻や南京虫に見えたり、障子にうつる樹の影がゆらぐ人の姿に見えて来ました。つまり幻覚が先に発現したのです。やがてそれらの虫が自分の背中を這いまわるような錯覚から、ついで、その虫がだんだん大きくなって、ついには巨大な人の姿のように感じられて来ました。しかもそれがたえず自分のあとから追いかけて来るように感じられて来ました。つまり追跡妄想に陥ってしまったわけです。
 こうして、半歳目のある日、彼の追跡妄想はついに被害圧迫妄想にかわり、巨人が刀をもって彼に迫って来るような感じがして来ました。その結果、何の罪もない人が 彼の歩行中その後を通っておったものを 巨人の加害と幻覚して、そばにおちていた大きな石をひろいあげてその人を撲りつけ、瀕死の重傷を負わせてしまいました。もちろん刑務所が彼の運命の途中下車駅になったことは間違いありません。

 一回10から20tと云うと、1t入りなら10本20本注射しないと気が済まない事になる。そのくせ、ほんのわずかで気がいらいらして来るのでは、効き目も落ちているのだろう。
 幻覚の描写が江戸川乱歩の小説みたいだと書いたら、石で殴られるような気がする。

 ここまでが、「魔薬読本」での覚醒剤(ヒロポン)に関する主な記事である。もっと断片にして簡潔にすべきところだが、要約すると面白さが減ってしまうので、まるごと掲載した次第。
 さいごに巻末近くに掲載された「福井刑務所在監の犯罪者が綴った懺悔文」を紹介する。

 [不眠の力闘
 (略)
 ―前略―
 兄との協同で経営する店舗の開店間近の或る一日のこと、私は、ここ数日間無理をして仕事を強行し、不眠に近い努力をした結果、目を赤くはらして喫茶店へ飛び込み、コーヒーをのみながら、徹夜の話や、馬力をかけていることを話し合っていたら、横の席にいたSという近所の若い衆が、
 「ヒロポンを注射するといいよ、二三日くらいなら大丈夫ですから」と話しかけてくれました。私は覚せい剤、ヒロポンということから、戦争中のことを思いおこしました。
 私はお国の大事に滅死(ママ)奉公、国体の安からんことを祈りつつ、海軍航空隊に入隊し、爾後、搭乗員として戦場に参加しました。出撃の前夜などは、隊員としても生身の人間です。故郷の父母を思い、兄弟や友を思って転々、眠られぬ夜を幾度かすごしました。そして酒を飲む習慣がくりかえされ、はては、飲んでもからだまで完全に酔わせることができず、翌朝は重いあたまのまま出撃することも往々ありました。
 こんな時軍医に相談すると、軍医は笑いながら隊員に覚せい剤を注射してくれたものです。こうしてフラフラ状態を立て直して出撃する。そして数多くの同期生は白木の箱の人となって帰ってくるのでした。また、夜間攻撃、薄暮攻撃又は黎明攻撃のための搭乗員の眠けをさますためにも 覚せいい剤の皮下注射が行われました。
 こうして強烈ではなかったけれど、覚せい剤中毒になった私も、国敗れて故郷にかえりました。しかし中毒もきわめて軽かったこととインフレの波のはげしさから、生活に追われ、つい覚せい剤のことも忘れるともなく忘れてしまっていました。

 軍隊でヒロポンを覚えた人が、戦後転落していく話である。復員し社会人として再出発して間もなくは、ヒロポンどころでは無かった人が殆どだったことが伺える。
 軍需工場、軍隊で医師から処方され、その効果に驚くパターンなのだが、当時、中毒がどの程度認識されていたのか知りたいところだ(医師が濫用させないか、濫用・中毒者が存在しても、社会問題になる以前に死んでしまって記録に残らないのか?)。

[呪われた再出発]
 しかし今、私は、以前に軍隊か、医療者の手にしか得られなかったヒロポンを、この友人に買って貰って、再び皮下注射をすることになったのであります。
 やがて、二、三日来の眠い、重い頭も、熟睡の朝のようにすっきりとなって軽く、心は浮きうきするような感じが強くなりました。そして無事に開店準備も終わりました。だが十日ほどあとには、私ははっきりとした覚せい剤のとりこになってしまいました。
 一日一本か二本で再出発をした私の覚せい剤慣用は、日ましに急増して、とうとう友人の紹介で、駅うらのゲソ屋というところで、直接にヒロポンや他の覚せい剤を仕入れて使うことになりました。
 最初使ったころは一t入り一本五円で小売りされておりましたが、ここでは少しまとめて買うと卸値段で二円前後で仕入れることができました。と同時に、麻薬であるモルヒネやヘロインも求めることができるようになりました。

 これは大阪や神戸方面から連日巧みな方法で、秘密なルートによって運ばれて来るのでした。
 ここでは麻薬は通称うどん粉といわれ、一包が二〇〇円で分譲され、そのゲソ屋の二階でひそかに注射したり、吸烟したりしていました。別の室には、ヤク番という人がいて、日給五〇〇円位で雇われ、薬の小売や仕入係、警察の手入の探索係、中毒者の連絡係をしていました。

 集金非常といって警察の手入がある場合は、このヤク番が全責任を負うのです。
 仮に不幸にして警察に連行される場合も、このヤク番が一宿一飯の仁義的に、堅く口をとざして頑張り、一切の罪を引受けます。だから、親方は、彼の留守中の家族の生活を保証し、釈放運動をしたり、検事パイ(検事局での不起訴)になるように努力します。覚せい剤はこのような組織で小売りされます。

 ちょっとのつもりがズルズルと深みに嵌っていく部分である。覚醒剤密売所の様子―ヤク番の役割など―が克明に書かれているのは、「懺悔文」(改悛の情をアピールする)のためか。
 この文には、書かれた年の記載が無く、「ヤク番」日給の程度を掴むのが厄介だ。
 例の「値段史年表」で銀行の初任給を見ると、旧制大卒は、昭和23年で500円、24年は3千円―26年まで4〜6千円の調整手当を加わえて実質7〜9千円―と、戦後のインフで大きく変動している。いくら密売所の責任者とはいえ、カタギの勤め人の月給が日銭とは思えぬ。
 昭和25年の大工手間賃が日に180円、27年530円だから、昭和25年頃の話と仮定して、ビール大ジョッキ一杯135円、汁粉が50円、新聞月53円の『一日500円』は、こまごまと働き、たまに警察に突き出される代価として、割りが良いのか悪いのか。

[レニンと魔薬細胞]
 その昔レニンは、こうした阿片吸烟者の組織網をモデルに、非合法運動の細胞(セル)をつくったといわれますが、この組織は実に巧みにつくられております。又ここでは、覚せい剤を販売する外に、前に述べたように、常備の注射器をいく組も用意してあり、中毒者への奉仕をしております。
 そのほか静脈注射をする時に使うゴム管、消毒水、食卓膳等は一式そろってはおりますが、消毒用の水は水道の水で、何人も何人もの注射器や針を洗うので往々に不潔きわまりないものが多かったので、ちょっと無気味でありました。
 しかし、ともかく常時五六名の中毒者がいて注射をしたり、仕終ったものは、車座になって雑談をしておりました。その雑談も大抵悪の芽生えをよびおこすようなもので、話のない時は、連れ立ってバクチを打ち、覚せい剤の代金を工面していました。

 昼間でも日光のさすことのほとんどない薄暗い部屋に、駅裏を根拠としている夜の女、もうろうハイヤの運転手、バクチ打ち、遊芸人等が昼夜の別なく出入し、従ってヤク番も徹夜で営業をしていたのです。
 静脈には注射タコができ、もう注射針をさす場所がなくなり、足や尻に注射しておる姿もありました。注射器も量の高まるにつれて太くなり、1/4から1/2に移りました。
 その当時私の使っていた注射器は1/3でした。注射器筒に覚醒剤五tを一杯にして、静脈に突き立てて、注射器の尻を引くと、針を通して覚醒剤の中に、紅い血が流れ込んで来ます。
 この血こそ、中毒者独特のドス黒い色をした汚血であります。血の逆流入で、静脈内に針のはいったことを知り、一気に注射器の内側を抑して、内部の覚せい剤を静脈に注入するのですが、この時の気分たるや、もちろんこれは中毒者のいい分でありますが、筆舌にはつくし難いものであります。ちょうど、油の切れかかった機械にマシン油を一杯注入したような気分です。こうすると、まるで機関車が石炭をくべて、蒸気が一杯になり、安全弁をぐうと押しあげるほどの力が湧いて来ます。自分の頭も心もはっきりとして、中毒者特有の幸福感と満足感とで一杯になるのでした。
 金の持ち合わせのない時は、ヤク番に話せば、一本、二本と借りて、元気をつけてから、金の苦(ママ)面に出掛けて行きます。

 ソビエト共産党の指導者レーニンを「レニン」と表記するとは、お前ェさてはインテリだなぁ? と嬉しくなる。
 余談はさておき、読ませドコロは注射の場面である。「紅い」と書いたインクも乾かぬうちに「ドス黒い」とつじつまが合わなくなるのは、校正者が指摘すべきところだが、そこがかえって「懺悔文」らしさを演出している。
 TVや映画で注射器を刺したあと、血を逆流させるのは、静脈に刺さったかどうかを確認する意味があったのか、と知らずとも日常生活にはなんら不都合の無い知識も手に入る。
 「この時の気分」を体験するわけには行かぬので、そう云うものかとお読みいただきながら、「その先は石で人様をどつく」末路も思い出しておきましょう。

[嘘、々々の連発]
 事実、覚せい剤の切れた時の中毒者の心理というものは、ただ一本でも薬を手に入れて注射したいという一心ばかりで、他の事は何一つ手につかない状態になってしまうのです。
 自分の着ている服、身についている物があるかぎりは、これを売り飛ばすことはもちろんで、借りられるだけの金は借りつくし、人の情けにすがれるだけはすがり尽くす、しかも涙をながし懇願をつづけるその真に迫った表情・態度は、どんな名優でも比較にならぬほどの名演出ぶりであります。
 あらゆる芝居をし、立板に水を流すように、嘘・嘘・嘘の連発をいたします。そして金を手に入れればもうこっちのもの、食事も忘れ、家も忘れ、まず覚せい剤に飛びついて行きます。ですから金のあてのつかない者は、人の物に手をかけて売り飛ばす位、別に苦労をしないでやります。だから、この状態の時にはきまって犯罪をおかすようになります。私もこうしてとうとう詐欺罪を犯してしまいました。

 商売に失敗して、安定した職業をもっていなかった大半の中毒者と同様に、私もポンのために家出をし、昼間は賭ばくに暮れ、夜になると、友人の家、質屋の店先、所を選ばず金の苦(ママ)面をしました。ですから、一本の覚せい剤を得んがためには、義理や世間体などは全然考えて見ません。そして私は再び、否、再度の横領罪を犯しました。そして逮捕される直前などは、丸三日も覚せい剤を打ちつづけ、完全なポンボケ(覚せい中毒の終局)となり、何も考える気力もなく、妙な恐怖感におちいり、ちょっとした物音にも大きい恐怖感を覚えて、涙がとめどなく流れるのでした。そして、何処でもいいから、人のいる明るい所に行きたいと考えて、夜道を歩きました。電柱が人の姿に見えたので駆け出したり、自分のあし音が、自分を追跡して来る人のあし音に聞こえましたので、意味のわからない叫び声をあげて、どなりちらしました。

 こんな時には食事がまったく進みません。日に一度か二日に一度位しか食事のことを考えませんので、体重は十一貫余になり、まるでミイラのような姿になって巷を彷徨しました。
 私の相棒に「一寸」といわれていたチビ助がありまして、絶えず協調していましたが、お互いに中毒が進んで来たこの頃は、僅か五十円ほどの金をとることを競争して、大喧嘩をしてしまいました。

 お店の開店準備の激務を忘れるためにヒロポンを再開したはずが、いつのまにか店を飛び出てしまい―社会と折り合いがつくのなら「懺悔文」など書くまい―、クスリ欲しさの詐欺である。「意味のわからない叫び声をあげる」ようでは、もうおしまいだ。

[ポン助の果し合い]
 そして、二人で組み打ちをして怪我をするほど撲りあいました。まるで生きながらの地獄相でありましょう。でもポン助同士こんな暴行や打ち合いは日常あたり前のことです。
 こうして覚せい剤を得るために、暮の十二月の宵のうちに仲間のポンボケ鈴という奴と一緒に「よもすがらと」(ママ)いう仇名をもっている奴を刺しました。
 「夜もすがら」は仇名の示すように、夜どおしあの辻この辻と走りまわり、奇声をあげ、自分で夜の更けたことなどは眼中になくなってしまった、つまり気狂い寸前の人間でした。刺した理由なんか何もありませんが、ただ覚せい剤のわずか一、二筒をうばいあった結果の犯罪でした。

 夜は更けて来る、頭はますます冴えざえして来る、時間という観念は全くなくなる、自分は、そして人は何をしているのか―安眠しているのか、仕事をしているのか、苦しんでいるのか、全然わからない。根気をつめて深い考えごとをしたり、仕事に精進することなど、薬にしたくもない。人間はどうして将来の生活に進んで行くかなどの思考はまったく私の頭の中から姿を消してしまいました。
 こうして、前科二犯の姿をここの刑務所にすごして、心の修養にはげむようになりました。学校時代・軍隊時代の秀才組が、その道場を獄裡に求めなければならなかったのは、まったくこの通りのわけでした。
 「場所と時間」これが覚せい剤中毒者にとって一番必要なことです。薬から脱却することのできる唯一のものは、「場所と時間」です。たとえそれが刑務所であったところで、遮断された適当な治療所でないなれば、絶対に復元の望みはありません。

[悪の華から希望のみのりへ]
 覚せい剤という薬品が、どのようにして人間の心ゆ体をむしばむかは、拙い私の告白でも御知りになれたでしょう。幸いに私は、進んでこの手記を書く気持ちにかえれたと同時に、この手記によって、一人でも覚せい剤の悪の華からお守りすることができますようにとねがいつつ、筆をとる一人前の人間の心にかえることができました。
 こうして、私は私の犯した罪の万分の一を償いながら、更正の一路に向かって与えられた仕事に精出しております。

 「刺した理由なのか何もありません」と、被害者―石で通行人の頭を割りかねぬアブナイ人―に対する申し訳なさが何も無いまま、懺悔の文はクラマックスを迎え、かつては「秀才組」であった我が身を反省している。覚醒剤からの脱却には、薬の無い「場所と時間」が不可欠と云うが、覚醒剤事犯で検挙される約6割は再犯者である。まさに『ダメ。ゼッタイ』なのだ。

 空き瓶・空き箱も決して安い買い物ではないから、「ホントに買ってるよ、この人はバカだねぇ〜」と、主筆の眼の届かないところで笑うくらいにしておくのが、健全な読者諸氏のありようだと思っている。
 

蟻・蟻・あゝゴジラだ
 錯覚、妄想のひとみ
 

 「おまけのおまけのおまけ」は、この写真だけで終わらせるつもりだったが、この本を使う機会は今しか無いので、『長文失礼』の『ここまでお読みいただき、ありがとうございます』である。

 今でも覚醒剤が、眠気覚ましのガム・飲料然と市中に出回っていたら、つい手を出してしまっていると思う。
 運送屋さん、休日ドライブに出る人も、「眠くならない『安全な』クスリ」があれば―実は危険性が知られていないだけであっても―飛びつくに違いない。
 これだけ自動車が普及した中で、その筋の規制なくこう云うクスリが濫用されていたら、うかつに外も歩けなくなるわけで、やっぱり、おかしくなる様についても書いておいた方が良いと考え直したのだ。

 日頃から官憲に感謝するような目には遭わぬよう気を遣っているのだが、覚醒剤の取り締まりに関しては、お礼を云った方がいいんじゃあないだろうか、と殊勝な事まで思っている。

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