悲しき御買上・淋しき御研究

「便利と経済」で62万2千おまけ


 タイトルは、「兵器生活」の舞台裏を表したものではない。
 古本市でこんな冊子を買ったのである。


「便利と経済」日本家庭科学研究会編

 
 「農産加工」「食料製法」の秘伝が記されているふれこみであるが、サイフの紐がゆるんでしまったのは、内容ではなく、赤枠右側に記された、


東久邇宮家御買上御研究(昭和21、10、25付)


 この一文である。

 世が世ならば、「賜台覧」と特筆大書されるのだが、なにぶん中身が、代用食の作り方だったり、生活必需品のメンテナンス法と代用品の紹介、さらには衛生に関するもので、意地の悪い書き方をすれば、戦時中の婦人雑誌や付録の記事をかき集め、もっともらしい体裁を整えたシロモノとも見なせる冊子なのだ。奥付は、「昭和21年3月1日初版印刷発行、昭和22年8月1日増補六版印刷発行」と、戦後の改革が進みつつある時期なので、ご覧の通りおとなしい表現となっている。
 冷静に考えてみれば、宮家御買上御研究なのは確かなのだろうが、東久邇宮稔彦殿下ご自身がお読みになったとは書かれてないので、「台覧」―御覧になること。皇后宮をはじめ殿下方に用いる(『皇室敬語便覧』昭和15年刊、東京日日新聞社/大阪毎日新聞社)―の表現を避けたのかも知れぬ。
 そもそも戦争に負けていなければ、宮家がこんなモノを買うわけが無い。

 ちなみに、東久邇宮を含む宮家の皇籍離脱は昭和22年10月である。「御研究」が皇籍離脱後の生活に役立ったかどうかまでは解らない。
 この冊子が、どう云う目的のため作られたのか(戦後国民に何を期待しているのか)について、「はしがき」、「再版 増補に就て」の二文を御紹介する。例によって仮名遣い等改め、文が長いところに空白、改行も施してある。

 はしがき
 これからの家庭人はより一層科学的な常識と努力が必要になって参りました。曰く政治、家庭経済、食糧、育児等々これを解決してゆくにはどうしても家庭生活を科学化し合理化せねばなりません。
 今や新日本は、生活の科学化と喧ましく論議されています。然し六ヶしい科学的理論や実生活に即しない実験は今の私達には必要ありません。


 実用的家庭生活の科学化とは其日其日の実際生活と切離せない事柄を科学化し実験して行くことこそ、本当の生活の科学化であり家庭生活の合理化であります。
 戦災にて多くの物資は消耗され食糧は又欠乏を叫ばれる時、少ない物資や手持ちの品にて必要な物品、生活必需品をつくり出す そこに実際的家庭生活の科学化がなければなりません。


 このパンフレットはそうした事柄を 本会が日夜研究実験致し実験簡易なもののみを採録致しましたもので、中に家伝として秘蔵せられていたものを多数公開して居ります。
 実はそのものの科学的根本原理より出発し、理論的にもその根拠を指摘しつつ具体的に方法論へ進む筈でしたが、徒らに長文に流れるを恐れ且繁雑難渋を慮り、学究的理論的検討は他日に譲り、端的に効果を伝うるべく一足飛びに、実験方法の記述のみに邁進致しました。


 若し日常生活の科学化、合理化を念願されし家庭人にして熟読玩味、必ずや自得の上、より良き生活を享受される事を確く信じて疑わざる所であります。

 本書と別冊甘藷利用製法全書は
 東久邇宮家より御買上御研究を賜る
 (昭和二十一年十月二十五日付)


 昭和二十二年八月一日
       日本家庭科学研究会


 再版 増補に就て
 この「便利と経済」は実際的日常生活の科学化、合理化を念願されし多くの家庭人より、過分の御褒辞と共に求められたる秘伝の一班をここに公開したものであります。

 秘伝、家伝と称するものは古今いろいろありますが、昔の秘伝、家伝は今日の生活様式にそぐわないやら、よしそれがあっても、物資不足やら、時勢の急転に順応せないものが多々あるのです。

 この「便利と経済」は本会日夜研究実験完成の内 実験簡単容易なるもののみの実験記述にして、自給自足、家庭の単位としての記述なれば、これを製品、販売営業的、企業化するは其の人の応用察知力に俟つ。

 尚本書中御不明の点は責任を以て御指導致します。規定の五円券同封御問合せ下さい 書中以外の御問合せは事務繁雑の折柄御答え致し兼ねる場合があります故不悪御諒承を乞う。

 はしがきの本文中、「科学」が10回も出てくる。これだけで、非科学的なのだが、「科学的根本原理より出発し、理論的にもその根拠を指摘しつつ具体的に方法論へ進む筈でしたが」と念押しまでして、「端的に効果を伝う」と逃げている。日本人の科学水準は低い、とは戦時中から心ある科学者が苦言を呈していた事なのだが、この冊子も『科学という名のお題目』を唱えていることになる。

 冊子自体は40円だが、内容の問い合わせには5円を取ると云う。8人から問い合わせが来れば一冊売れるのと同じわけだから、それなりに良いビジネスモデルなのだろう。
 「製品、販売営業的、企業化」は読者の才覚によると記してあると「増補には記され、「復興」にかこつけて、一山当てようと考え始めた人達にも、これを売りつけようと云うの商売っ気が起こるくらいには、日常生活が戻りつつあったのだろう。

 先に『科学という名のお題目』と片付けてしまったが、冊子本文は「科学的な家庭生活」と題された一文で始まる。

 実用的家庭生活の科学化とは、なにもむつかしい事ではありません。其の日其の日の生活に、はっきりとした計画を立て 仕事や又物資の面において そのものの利用価値を最大限生かす事を研究し 出来る範囲での改善を加えて行く事こそ 本当の家庭生活の科学化であります。

 家庭生活に機械を使っているからとか、電気洗濯機や電気七輪を使用しているから 立派に生活の科学化は出来ているというような考え方は 最も非科学的な人と思います 又家庭に機械が使えないから、電化出来ないから家庭生活を科学的にする事が出来ないという人も同じと思います。

 科学的な生活と機械を使う生活とは必ずしも同じ物ではありません。家庭生活の科学化という事は科学的な心持、即ち物事を正しく見てよく研究し 判断を誤らぬように処理して行こうとする事であります。
 少なくともそうした心掛が本当に科学的な家庭生活と思います。


 ここに云う「科学」とは何か?
 「婦人家庭百科辞典」(ちくま学芸文庫―原著は三省堂から昭和12(1937)年刊行)で、「科学」を引くと

 広義では、単に「学」というに同じく、哲学を始めあらゆる学問の総称にいうが、普通には哲学以外の諸学を総称する名である。また狭義には「自然科学」と同様に用いられている。(Science)

 「自然科学」の項を見ると

 「文化科学」に対する科学の一大部門で、経験によって自然の事物相互の間の一般的関係の法則を定めることを目的とするものをいう。物理学の如きはその例。なお動物学・生物学・植物学のように記述をもっぱらとする自然科学もある。(Natural science)

 「科学的」とは、物の道理を押さえ、無理をしない態度と云うことになる。物事の因果を知る、としても良いだろう。

 さらに目次を見ていくことで、当時何が必要とされたのか―発行者が「国民は何に困っている」と考えたか―を掴むことも出来るはずだ(昭和22年8月時点となってしまうが)。なお、カッコ内は主筆による補足である。

目次
食糧の部

1.科学的な家庭生活
1.完全食糧の科学

  (蛋白質・含水炭素・脂肪・無機質・ビタミン・繊維素の6要素の解説)
1.滋養パンの作り方
1.未利用食糧

  (茶殻の栄養科学)
1.栄養失調症恢復素の製法
  (蜜柑の皮の食べ方)

 何はなくとも、栄養のバランスの取れた食品を取らなければならない。食べることは生きる事。生きてこそ日本は復興するのだ。

1.甘藷飴の作り方
1.上等水飴の作り方
1.飴の素作り方
1.水飴の作り方
1.飴玉の作り方
1.葡萄糖の作り方
1.甘酒の作り方
1.酵母の作り方
1.砂糖の作り方


 続いては甘味関係(『飴』ばかりだが)だ。人生、何かしら甘みが無ければやってられぬもの。古本道楽も、持っていて楽しく、読んで面白く、「兵器生活」のネタになるなど、甘みが無ければ続くものでない。

1.味噌の作り方
1.葡萄液の作り方
1.松葉酒の作り方
1.ジャムの作り方
1.ソースの作り方
1.納豆の作り方
1.食油の作り方
1.食酢の作り方
1.代用バターの作り方
1.家庭製麺法
1.醤油の作り方
1.ミルク代用品
1.代用米及干うどん
1.家庭味の素
1.甘みの代用
1.鶏卵の代用
1.野菜の乾燥貯蔵法
1.家庭野菜補給法
1.速成野菜補給法

1.豆腐の作り方
1.酒の科学


 調味料の作り方と、貴重なタンパク源である、牛乳の代用品(豆乳)に卵の代用品(大豆のきな粉と魚粉を混ぜた物、あるいは青魚と野菜)が続き、野菜関係と豆腐が続く。肉は出て来ない。
 食糧の部の最後にある「酒の科学」は、お酒のアルコール度数を記し「沢山飲んでも安外(ママ)酔わぬもの」「少量でも忽ち酔払って仕舞う強いもの」を分けたものである。

必需品の部
1.靴の家庭修理法
1.障子紙防水法
1.科学的写真変色防止法
1.電気コンロ、アイロン修理法
1.家庭金物類修理法
1.ナフタリン代用品
1.DDT代用
1.代用練炭製法
1.薪炭の代用品
1.レコードの若返り法
1.洗濯石鹸の作り方


 まず、焼け跡を歩き廻る靴! なぜか障子。写真は出征して未だ戻らぬ父・夫・兄・弟、あるいは生き別れになった家族のものか。レコードもかつての平和な時代を思い起こすものであり、新たな時代を言祝ぐ装置でもある(商売の客寄せにもなるだろう)。調理その他で燃料も必要だし、洗濯には石鹸が必要だ。配給だけでは足りないところだってある。
 洋服や靴下の修理や更正の項目が無いのは、支那事変以来さんざ語られ、かつ各自実践してきたので、今更「秘伝」も何も無いからであろう。

衛生の部
1.小児の病気応急手当法
1.母乳の出が悪いとき
1.科学的な睡眠法
1.特効薬梅エキスの作り方
1.精力剤の妙薬
1.氷の代用
1.家伝咳どめの妙薬

  (水飴に大根を刻み込んで少しずつ食べる 等)
1.家伝神経痛の妙薬

 敗戦後のモノ不足で、一番ワリを喰うのは、弱者である妊産婦、乳幼児に老人である。
 医者にかかる金が無い、医者にも薬が無いとなれば、「秘伝」「家伝」とされる民間療法の類に頼るしかない。日本の復興とは、子供達が幸せな人生を送れる環境を作り上げることでもある。それには、子供自身の健康を守ってやる必要があるのだ。

 「秘伝」の数々の中から面白そうな所を紹介する。まずは「砂糖の作り方」

 今迄南方より補給せられていた砂糖もこれからは、戦前の様に潤沢に補給されることは殆ど望み薄くなった参りました。
 それ故どうしても内地にある手近な物でこれを補って行かねばなりません。これは非常に甘く栄養もあり味のよい砂糖の作り方を御紹介致します。

 材料=工程=家庭にて
 先ず柿のよく熟したもの(渋柿はよく熟した渋味のないもの)を取ってへたをとり布袋に入れて潰し乍ら汁を搾ります、その汁を釜に入れて、この汁一升に消石灰一匁内外の割に混入し、一時間程火にかけてよくまぜ乍ら強く煮立て、再び袋に戻し汁を搾って又煮詰めます、その間絶えず釜の中に注意して、浮き上がった泡はのこらず杓子で掬って捨てます。三時間程煮詰めますと大分ねばりて来ます、これを杓子の先から四、五滴水の中に垂らしてみてパッと散らずに飴のように塊まれば適当ですから、これを空缶等に入れ冷やします、こうして一貫匁の屑柿から凡そ一斤の砂糖がとれます。


 「一億総シュガーレス」時代の悲壮感あふれる書き出しが、なんとも云えない。
 続いて「ソースの作り方」、

 ソースも今迄の如く、店より買って其のまま使用するという様な事は 家庭人の科学心があまりになさすぎます。自分で科学し家庭全員の栄養と嗜好に適する様に作り出す事が今から必要になって参りました。(前書きほど作り方は面白く無いので略す)

 現代とは異なり、戦前の日本人は脂肪分が不足しがちであったため、「食油の作り方」には、こんな記述がある

 脂肪は白米、うどんやパン、芋に比べて二倍以上のカロリーが多いのです 生活の合理化に一番適しております この食油不足の折柄ここに家庭にて簡単に造る方法をおすすめ致します。

 と、椿、山茶花の実、南瓜の種、落花生、胡麻、くるみ、菜種から油を取る方法が紹介されている。
 食用油脂と云えば、何と云ってもバターである。

 落花生をよく炒ってから味噌又は塩を加えて擂鉢で擂りますとねっとりとバターのようになります。又大豆を一晩水につけてから擂鉢で擂り塩で味をつけて弱火で練り上げますと立派なバターの様になります、又ミカンの皮、茶殻の粉末ゴマや人参を細かに刻んで練り込むと風味が出て栄養的に百%です。

 「代用バターの作り方」はこんな具合だ。実に手間がかかっている。熱々ごはんに、バターひとかけら落とし、醤油を垂らすと、安上がりな御馳走になるのだが、この「代用バター」では望むべくもなさそうだ。

 生活「必需品の部」からは、「ナフタリンの代用品」を挙げてみる。

 ナフタリン払底の折柄これは便利です。菖蒲をとって陰干しにしたものを細かくちぎって 箪笥の引出しの底に入れ 新聞紙を敷き、その上に着物をしまう様にします。
 ナフタリン等に劣らぬ効果があります。


 これは今でも使えそうな「秘伝」に見える(勿論、効果の程は保障しかねますが)。ちょっと怪しげなのが「DDT代用品」だ。

 塵芥箱や不潔な場所のウジ虫又草花や植物の油虫等の駆除剤として又蟻撃退剤としておすすめ致します。
 材料=煙草の吸残りの焼た先を除き他をバラバラにして濃く煎じ、その煮出した汁を霧吹きで撒布すると驚く程効きます。
 又この液を適宜薄めて筆先にてタムシの出来た所へ塗れば速効があります。
 ちょっとした切り傷には、刻煙草をもみ千切って傷口につければ、血止めの効があります。


 戦後、アメリカが持ち込んだ「DDT」の名を借りているだけである。ウジ虫油虫に効くのなら、シラミにも使えそうな気がするが、シラミ相手はDDTそのものを使うから記述が無いのであろう(高濃度の液を、人体に直接ふりかけるのは、よろしくないのかもしれぬ)。

 これら「秘伝」「家伝」のうち、復興〜経済成長の「時勢の急転に順応せないもの」(特に代用食の類)は、早々と姿を消してしまったが、そのいくつかは、生活の知恵としていつか日の目を見る時を、じっと待っているに違いない。

 しかし、表題が「便利と経済」とありながら、どれ一つとして便利にも安上がりにも思えぬのは、自分が戦後生まれであるからなのだろうか…。