本屋で靴下

三井物産・三省堂書店のコラボレーションで63万9千おまけ


 「昨日、本屋で靴下を買った」
 プログやツイッターに書いたら、数少ない友人・知人がさらに少なくなるかもしれぬ。しかし戦前、有名本屋が白昼堂々と靴下を売っていたのだ。
 その名を『学生の靴下』と云う。

 学生の靴下
 有名なる書籍店にあり
 目下発売中
 男女用拾八種類
 菊版美装二足入
 供給元 三井物産
 発売元 三省堂


 三井物産・三省堂が始(ママ)めての試みとして靴下の原糸を用い特に学生の靴下として男女用十八種を製りました。之は三省堂ばかりでなく各有名書籍店にありまして特に入学の御祝いや其の他の御贈答用に適し美麗な菊版装釘二足入のものでございます。

 本屋と靴下、三省堂書店と三井物産、ちょっと思いのつかぬ組み合わである。しかし、「学生への贈答用」と云う視点で見てみると、なるほど靴下は辞書・万年筆と同じ位置づけとなる。「菊版装釘」で売るのも見事である(一度履いた靴下を、二度三度と化粧箱に戻すことは無いだろうが)。

 今時の商売なら、『当店でしか買えません』とやるところを、「之は三省堂ばかりでなく各有名書籍店にありまして」―これは三井物産の主張だろう―とあるのも面白い。

 裏面は、こうなっている



 三井物産三省堂の新しい試み!!
 学生の方で靴下をはかぬ人がありますか。それ程誰でもはくものでこれ程乱調のものはありません。市場に出ているもので甲の店と乙の店とでは先ず値段の差違があります。同じ品質の物で然りです。まして色合地質でも違えば素人には全く判りません。高い物は高い丈の価値があるか疑問ですし、安い物は「安かろう悪かろう」の心配があり、恐らく皆様はお困りのことと存じます。そこで今回■(註:井桁の中に判読不能な文字)印「学生の靴下」を考案して発売することに致しました。

 「三省堂書店百年史」によると、神田駿河台に進出した『丸善』が、洋品を販売しはじめるが、自慢の舶来高級品が「学生上がりのにわか紳士には少々手が届き兼ねる」様子を見て、三省堂書店も大正13年頃『洋品部』を設置、ネクタイなどの販売を始め、「三省堂小売部の洋品類は比較的他店より安い」との評判を得るに至ったとある。

 もはや「学生」と云う言葉に、学校に行ってる人以上の含みは無きに等しいが、戦前はそうではない。
 「事典 昭和戦前期の日本 制度と実態」(吉川弘文館)であげられている、尋常小学校(六年制・今の小学校に相当)卒業者の進路を表にすると、
   %
 高等小学校  66
 中等学校  21
 進学せず  13
 合計 100
 
 となる(高等小学校進学者には、中学受験に失敗した者も含まれる)。中央教育院議会「初等中等教育と高等教育との接続の改善について (中間報告)」(平成11年11月1日)は、「昭和15年における旧制中学校への進学率は約7%で、高等女学校等を含めても約25%にすぎなかった」とあるので、上表の『中等学校』も、高等女学校進学を含む数字かもしれない。
 クラス40人(こう云う所にもトシが出る)の、わずか10人足らずが上の学校に通わせてもらえるに過ぎない。当時の「学生」―特に帝国大学及び旧制高等学校進学者―は、今の名門私立小・中学校に通うお子様方と、同等以上の値打ち(出自と将来性は似たようなものだが、自由度ははるかに高い)を持っていたのだ。
 とは云うものの「学生」の身分では、自由になる金に乏しいのが相場であるから、三省堂『洋品部』のやり方は見事に当たったわけである。

 ほどなく三省堂書店は昭和4年春に新店舗での営業を開始する。内部は、

 一階に内外書籍・内外雑誌・文房具・電気器具・煙草・薬品・化粧品・時計・前売り切符・運動具・洋服・通学服・婦人服地・百番売場(得意先係)。商品券。更に二階には洋品・帽子・手芸品・婦人洋品・靴・写真部・食堂・小集会場等(『三省堂書店百年史』)

 から成り立ち、「学生のデパート」を標榜するに至る。この延長線上に「学生の靴下」があるわけで、本屋が靴下を売っている、と云うよりも、「セレクトショップ」が本屋を名乗っている感がある。

 この「学生の靴下」、「三省堂書店百年史」(以下『百年史』と記述する)によれば、株式会社三省堂(出版・印刷を行っているほう、書店の親会社だった)の取締役、永井茂彌の学友、向井忠晴が三井物産の社長だった関係で、物産からの働きかけに乗ったものだと云う。
 書店では、アドバルーンをあげたり、飛行機からビラを撒いたりと、「相当世間をアッといわせることをやってのけた」由。


「三省堂書店百年史」より

 チラシの文面に戻る。

 この学生の靴下としての最も良き点は

 品質保証 是は原糸は特に靴下専用のものを用いてあります
 規格統一 伸縮の度合は無理なくサイズを一定し常に同一物を提供致します
 価格低廉 同質物の市場値段より低廉且耐久力絶大です


 の三拍子整った標準型黒靴下であります。どうか絶対に御信用あって御着用を願います。
 本品は標準型二足を一組とし、書籍の装幀になる美麗なケースに入れて、市内書店に於て販売して居ります。
 品別は春、夏、秋、冬の四期に分れ、種類は男女十八種でございます。

 広告文句はさておき、「春、夏、秋、冬」別のラインナップには首をかしげてしまう。エアコンの無い時代であるから、「夏」「冬」「それ以外」の違いはあって当然だが、黒一色の靴下で「春」用「秋」用とは、どう考えても「装幀」の違いとしか思えないのだ。
 手持ちのチラシには、もう一種類ある。

 うたい文句はほぼ同じなのだが、

 品別は雪・月・花・に分かれ種類は男女十九種でございます

 案の定、「春」用「秋」用は統合されている。夏用に「雪」と名付けるアマノジャクは無いから、冬=「雪」、夏=「月」、春and秋=「花」なのだろう。



 裏はこうである。体裁は赤チラシと同じだが、赤は十八、こちらは十九種類となっている。これは『特大』が追加されたためだ。
 サイズと価格を抜き出してみる。

  サイズ
(センチ) 
日本足袋
文数 
標準程度   定価
(註:左・緑/右・赤)  





用 
 17C.M.  七文  第一学年程度  二足入  42銭  38銭
 18C.M.  七文三分・七文半  第二学年程度  二足入  44銭  40銭
 19C.M.  七文七分  第三学年程度  二足入  46銭  42銭
 20C.M.  八文・八文三分  第四学年程度  二足入  48銭  44銭
 21C.M.  八文半  第五学年程度  二足入  50銭  46銭
 22C.M.  九文  第六学年程度  二足入  52銭  48銭



用 
 22C.M.  九文  第一・二学年程度  二足入  45銭  42銭
 23C.M.  九文七分  第三学年程度  二足入  47銭  44銭
 24C.M.  十文・十文三分  第四・五学年程度  二足入  49銭  46銭
 特大   25C.M.  十文半・十一文  一般用  二足入  52銭  −





用 
 17C.M.  七文  第一学年程度  二足入  50銭  45銭
 18C.M.  七文三分・七文半  第二学年程度  二足入  55銭  50銭
 19C.M.  七文七分  第三学年程度  二足入  60銭  55銭
 20C.M.  八文・八文三分  第四学年程度  二足入  65銭  60銭
 21C.M.  八文半  第五学年程度  二足入  70銭  65銭
 22C.M.  九文  第六学年程度  二足入  75銭  70銭



用 
 21C.M.  八文半  第一・二学年程度  二足入  63銭  60銭
 22C.M.  九文  第三学年程度  二足入  68銭  65銭
 23C.M.  九文七分  第四・五学年程度  二足入  73銭  70銭

 1センチ刻みのサイズ展開も、そこまで細かくやるかと驚くところだが、昔と今では平均身長が違うとは云え、『特大』がわずか25センチなのには唖然としてしまう。ちなみに主筆は、本表で云えば『中学生用/第四・五学年程度』の頃から28センチの靴を履き、27センチの靴下を無理矢理履いていたので、この靴下の恩恵を受けることが出来ない。

 同じ22センチ九文の靴下でも、男子小学生用52銭(緑チラシの場合、以下同じ)、中学生は45銭と七銭違う。女子用も小学生75銭、女学生68銭で同じく七銭の差。同学年男女では値段が23銭も違うのだ。

 女子用/小学生用が割高なのは、赤チラシのイラストから、スカート/半ズボンに長靴下と、長ズボンと短靴下の違いではないかと推測できる。しかし、単に小学生用は頑丈に造るので割高になる、小学生(の親)には「三省堂」ブランドが浸透してないので、売れ行きを悲観視して値が高い、あるいは逆に数が出るのを幸い「ボッて」いる、など理由だけはいくらでも考えられるが、本当のところは「百年史」にも書いてない。

 「学生の靴下」が、「絶対に御信用」なお値打ちモノだったのか、チラシは何も語ってくれない(社史では『値段は相当安くなっている』『よく売れたのは確か』とは書いてあるが…)。困ったときの「値段史年表」(朝日新聞社)には、足袋とナイロンストッキングは載っているが、靴下は無いので、検証のしようがないのだ。

 「三省堂が靴下を売っていた」以上のことが殆ど書けない有様なのだが、幸いチラシに書かれた「菊判美装」の写真は、「百年史」に出ている。

受験問題集と云うか、年鑑のようですね

 「菊版美装」の名に恥じぬ、狙いすぎなケースだ。書店の平台に置いて映え、棚に揃えても体裁よろしきものだが、部屋に並べておくのは微妙なところではある。男女用仲良く並べてあったのか、そうでなかったのか、気になるところだ。

 写真には、「花の巻」「1932年版」(昭和7年)とあり、赤チラシの「春夏秋冬」のラインナップは、それ以前に出たものと推測できる。なお、同書には昭和10年の「三省堂卸部」発行の暑中見舞いはがきが掲載されており、そこに「学生の靴下」の文字があることから、このころまで販売されていたことは確かだが、「百年史」の記述では、「その後の流通ぐあいがうまくゆかず、靴下販売の継続はやがて空中分解してしまう」とあり、いつまで販売されていたのかは、わからない。
 三省堂書店が標榜した「学生のデパート」と云う商売のやり方は、さまざまな「若者むけ」商売の中に埋没・消失して久しい。しかし、若者がみな、ファッショナブルなナリを志向しているわけではないだろう。街の洋服屋はもちろん、デパートの洋服売場も敷居が高すぎる・怖ろしいと感じる人は少なくないはずだ(恐怖の素の2/3は、用のない時に声をかけ、試着したい時に限って寄ってこない店員にある)。戦前の「学生」はごく一部の恵まれた若者に過ぎないが、ファッショナブルな者、そうでない者もふくめて面倒みましょうと云う考え方が、世の中もう少しあっても良いような気がしてならない。