辞書は新しいモノを

『最新百科社会語辞典』で68万おまけ


 「辞書は新らしいものを持て」
 学生の頃に云われたことを、今でも覚えている。
 覚えているのと実践している事は、経済と空間の制約で必ずしも一致してないが、世の中が無駄に便利になり、欲しいとも思わぬ商品・サービスが増え、覚えたくもない新しい言葉が色々出てくる以上、辞書の方もそれに対応させねばならぬのは道理だ。

 一方、60年、70年も昔の古本・古雑誌・古新聞で「兵器生活」していると、今は使われぬ事物の概略くらいは掴んでおかないと体裁の悪い事が多い。その頃の世相が色濃く出ているような資料を見るには、やはり当時の「常識」の断片のカケラくらいは無いと、どこかで足を掬われるんぢゃあないかと思っている。

 「円本」と「資本論」の邦訳で売った改造社が、昭和7年に出した『最新百科社会語辞典』を古書店で見つける。値段は函つきで僅か五百円(税別)! 迷わず買う。
 惜しいことに、本の中にはこの辞書を出す意義を高らかに謳った文章が無い。読む分にはそんなモノは無くても全く困りはしないのだが、人様にお見せする記事にする際、ちょっと淋しく思う。
 と云うわけで国会図書館に出掛け、刊行当時の新聞広告を探し出す。


『大阪朝日新聞』昭和7年5月25日

 『資本論』の広告には「一、資本論を読まざる者は現代人に非ず」と、ちょっと見逃せない文句が付いているのだが、それは見なかったことにして―見てしまったら『資本論』を読まねばならぬではありませんか―、『最新百科社会語辞典』のところを拡大する。


 内外の政治、経済専門語から左翼用語、科学、人物、スポーツ、モダン隠語・等々に至る凡ゆる社会語を明瞭に解説し真に現代人の座右に不可欠の一大百科辞彙

 一通り目を通してみると、解説に多少のバラツキはあるが、広告で謳う「内外の政治」以下「モダン隠語」までは一通り載っているように見える(『等々』の中身は文学芸術、映画用語に支那料理、花言葉まで様々だ)。

 例えば科学用語には、相対性理論(アインシュタインの来日をお膳立てしたのも改造社である)も掲載されているのだが、

 エーテル[物]宇宙間に広く存在し、あらゆる物質の分子の間隙にまでも入込んでいる超感覚的の媒質。
 (註・以下引用は例によって例の表記改変をやっているのと、本文にある外来語の綴りは省略した)

 の項目が存在している。
 「原子」の項目は設定されてないが、

 アトム(英)[科]原子。物質の之以上分割する事を得ないという微細な極限体。

 が代わりに記載されている。編集者は、「原子」の意味を知ろうとする者が、それが「アトム」の訳語である事を知っているものだと思っているらしい。その一方で

 でんし(電子)[物]物質原子を構成する単元要素としての電気的粒子

 エレクトロン(英)[電]電子と訳す。電子は原子よりも更に小さいものとされているが、一種の科学説明上の仮説である。

 の記述があるなど、マトモな辞書扱いするには、少々胡散臭い所がある。
 これは、当時の現代人になったつもりでモノ調べに使うより、現代のヒマ人としてアタマから読み進め、アッ、こんな項目があるだの、この言葉はこんな意味で使われておったのか、などと楽しむ方が精神衛生上良さそうな辞書と云える。
 と云うわけで、どんな言葉が載っているのかをご紹介していくわけだが、面白そうなモノに付箋をしていったら、結構な分量になってしまったので、主筆の手間軽減と読者諸氏の読む便宜をはかって厳選してみる。


これぢゃあ付箋の意味がない

 本文をはじめから読み進めると、あたかも続き物になっているような項目群の存在に気づく。
 例えば、カフェーの客に関する言葉がそれだ(「[隠]は隠語、[流]は流行語を示す)。

 あぶなえ(―絵)[隠]銀座のカフェーで十円のチップを出す客をいう。

 エーア・チップ(英)[流]和製英語。カフェーで チップを置かない客をいう。

 しんし(紳士)[隠]銀座のカフェーで二円乃至三円位のチップを出す客の事。

 チョイぼれ[隠]銀座のカフェーでチップ五円を出す客。チョット惚れたの意。

 つうこうぜい(通行税)[隠]銀座のカフェーで五十銭のチップをおく客の事を軽蔑的にこういう。

 なみどん(並どん)[隠]銀座のカッフェーで一円のチップを出す客。

 戦前貨幣価値2〜3千倍説に立てば、「通行税」が千円から千五百円(なるほど)。「並どん」2〜3千円(呑めば気も大きくなるってもんだ)。「紳士」になるには3千から9千円(毎回出すにはキツい)。「チョイ惚れ」1万〜1万5千円(これでモテなけりゃあただのボッタクリだ)。そして「あぶな絵」まで来ると、チップと云うにはオドロキの2万3万だ。ここまで来ると、下心を金で表しているようなものですね。
 それを受け取るカフェー女給の手管については、こんな項目がある。

 エロ・サーヴィス[流]男性の本能を刺激する様な巧みな姿態で、エロチックな雰囲気を醸し出し、客を誘う所のカフェー女給の新戦術。

 その例
 ズロースレス(英)[流]ズロースをはいていないの意。エロサービスの一として鼻下長共に歓迎されている。ノー・ズロースと同じ。

 詳細を記述すると風俗壊乱で発売禁止になってしまうからか、辞書に載っているのはこんな程度である。最近、彩流社が復刻し、その後中央公論新社が現代仮名遣いと軽便さを売りに文庫化した『日本歓楽郷案内』(酒井潔、昭和6年)をひもとくと、チップの5円も奮発すると、女給が自宅を記した―「勿論、彼女はアパートの独り住居だ」―名刺をくれ、出した人は後日、「チップ5円はダンゼン安いよ。兎に角安いよ」と鼻息も荒く語ってくれるような目を見たとある。
 しかし、「エーア・チップ」な客に対しては、

 コーヒー一杯やソーダ水一杯で二時間も三時間も頑張られてはたまりません。不景気になったせいでか、身なりなどがなかなかりゅうっとした方に案外このパントヒーヤマンが多いのですからネ。

 今と変わらぬ冷淡なところを見せる。「パントヒーヤマン」はこの辞書には載ってない言葉だが、パンとお冷やだけで居続ける客の意味である。

 なお、チップを4円出す客を何と呼ぶのかは不明。4円は「死」に通じ、あるいは「酔えん」と酒場では縁起が悪くてあえて出さぬようにしているのか、それても他に理由があるのか、ちょっと見当がつかない。
 シリーズものをもう一つ。

 あらばち(新鉢)[隠]@犯罪語で未だ嘗て盗難の被害なき人家又は土蔵をいう。A処女のこと。

 あんざん(安産)[隠]犯罪語で容易に破れ易き土蔵のこと。やすやすと出産するが如しの意。

 いんらんむすめ(淫乱娘)[隠]犯罪者用語で鎖鑰装置のない土蔵のことをいう。

 きむすめ(生娘)@未だ色気つかざる娘。又は処女のこと。うぶな娘の意。A犯罪語では厳重な鎖鑰を施した土蔵のこと。

 こまちむすめ(小町娘)@町内、又その界隈で美しい娘のこと。小野小町は美人であったからである。小町ともいう。A犯罪語で錠を堅く下して容易に破ることの出来ない土蔵。

 じゅうしちむすめ(十七娘)[隠]犯罪語で貴重品宝物を多く納めているある土蔵の事。

 はらみむすめ(孕娘)[隠]犯罪語。収納物品の豊富な見込のある土蔵のこと。土蔵のことを隠語で娘という。

 社会学用語や相撲用語(なぜか決まり手など詳細に解説されている)の中に、こう云う言葉が潜んでいるのを見つけた時、これで今月の更新は大丈夫だと思った(『鑰』はカギの事)。

 「孕娘」の項に、土蔵を「娘」と呼ぶとある。今を遡ること80年も昔、犯罪者諸君は土蔵を擬人化していたのである(さすがに愛でちゃあいないだろうが)!
 これからは「土蔵娘」(『どぞうっこ』)あるいは「蔵娘」の時代だと、向こう一ヶ月くらいは主張しておこう。

 ちなみに本書にはこんな言葉も載っている。

 どぞう(土蔵)[隠]犯罪語。処女の事。土蔵を破るとは処女を口説いて貞操を破る事。

 むすめし(娘師)[隠]土蔵破りのこと。

 石積み・煉瓦積みの蔵はどうなんだ、とは訊かないでもらいたい。

 これで終わりにすると、現代人に必要なのは隠語の知識なのかと思われてしまうので、当時の世相を表した言葉も引いておく。

 さんロじだい(三ロ時代)[流]エロ、グロ、テロの三つのロの時代。現代世相の一つの表現。それぞれの項参照。

 この辞書の出た昭和7年5月は「五・一五事件」が起こっており、新聞広告を拾うために縮刷版を見ていて驚いてしまった。
 もう一つ。

 ぶんかせいかつ(文化生活)[社]赤瓦のバラック洋館に住み、壁には泰西名画の複製を掲げ、女子大出の才媛を娶り、月賦の蓄音器に耳を傾けながら、「ステキだね」「いいわネ」と語らう事によって、生の充実を感じようとする生活である。

 「現代人の座右に不可欠」と謳いながら、結構底意地が悪い。

 学校の先生には、辞書は最新のものを買え、と指導はされたが、昔の辞書に埋もれた言葉を拾い読みしてみると案外と面白く、そして何の役にも立たないのである。

(おまけのおまけ)
 酒呑みのことを「左党」と云う。なぜ左なのか長年疑問にも感じずにいたのだが、

 ひだり(左)[隠]酒のこと。盃を左手に持って飲むから。

 そうなのか! と膝を叩く。
 しかし自分がいつも右手を使って呑んでいる事に気付き、この辞書の言葉を使えば「ダァーとなる」。

 ダァー[流]元来はのされる、魂魄此の世を去るの意であるが、転じて、たまげた、負けた、あきれた、やられたの意に使用されている。「あいつの図々しさには流石の俺もダァーとなった」等。

(おまけのおまけの補足)
 オチもついたところで呑みに行く。
 左手でお猪口を持って呑むと、箸が使えて便利だなあなどと思いつつ酔っ払い、一晩たった後で、「ノミを持つ手」が左手なので、そこから酒呑みを表したと云う説があるのを思い出す。読んだ辞書が辞書だから、ホントに左手で呑む説で良いのだろうかと、かなり不安になる。
 以下は国会図書館のデジタル資料にある古い作法本から、少し抜き出してみたもの。

 『作法大意』(小島政吉、大正1年)
 盃を受くるには、之を左掌に受け右手を添えて酒を受け、飲み終りて盃を吸物椀の傍に置く

 『現代国民作法精義』(蔵田国秀、大正8年)
 三つ組の杯を受くるには、次座の人に挨拶し、一番の杯を左の人差指にて、一寸押し、右手にて其の縁を取り、左の手に乗せ、右手を添えて戴き、酒を受けて飲み、三宝或は杯台に載せ主人に渡すべし

 『大正礼儀作法』(田野素鳩、大正15年)
 それで盃を受けますには、右の手で盃、左の手で其の台を持ち、そうして中頃に至りて盃と台とを左右に振り分け、台のみは左の側に置き、そうして盃を左の手に持ちかえて之を其の掌に添え、右の手を其の縁にかけて受けるのであります。

 『現代礼儀作法図解』(土尾喜多尾、昭和12年)
 酒は酌人が前に来った時盃を左の手に持って受ける。

 「盃を左手に取って飲むから」と書いてあるのは間違いではない。しかし、

 『礼儀と作法』(富佐美花渓、大正2年)
 両手にて上なる盃を取り上げて、右(ママ)の手先を一寸と畳に突き、右の手のみにて盃を持ちつつ酌を受けるのが本式ですが、

 『礼儀作法読本』(加藤清司、昭和15年)
 盃の献酬はまず杯を三方に載せて出されたところを両手で三方を少し引き寄せ、同じく両の手で杯を取り上げてから、左の手先を畳につき、右手で酌を受けるのが本式の作法であり、

 と、右手こそ本式である! と主張する本も存在するのだ。ところがこの二冊、右が本式だと書いたすぐに、「併し流儀に依れば左の手のみにて持ち、(略)、又た両手にて盃を持って酌を受くることもある」(『礼儀と作法』)、「また両手で受ける流儀もある」(『礼儀作法読本』)と腰が砕け、『礼儀と作法』に至っては

 何れにても其の場合に依って勝手にさるれば可い

 とサジを投げているのである。ダァー!