2百年前の生殖器占い

男子一生涯の運勢が知れる68万3千おまけ


 占いに一喜一憂していた時期があった。
 しかし、運勢が悪いのを口実に、勉強や仕事を放擲するわけにも行かぬキビシー現実に直面する事を、何度となく繰り返した結果、一喜一憂するだけ無駄である事に気付く。
 結局のところ、やるだけのことをやっていれば、世の中そうそうヒドイ目には遭わぬものであり、ヒドイ目を見るからには「手を抜いた」(注意を怠った)、「納期に遅れた」、「連絡しなかった」等、相応の理由が存在しているものなのだ。

 図書館で新聞の縮刷版を見ていたら、こんな記事を見つける。


『大阪朝日新聞』昭和7年5月29日付

 これは素晴らしい!
 以下記事本文を、例の仮名遣い・句読点の変更(当時の朝日新聞は、「。」のかわりに「、」を使っている)など手を入れて、ご紹介する次第。
 妙なところで改行されているのは、元のレイアウトを尊重しての事である。


 二百年前
 人相見の名人
 水野南北の大発見
 男の生○器を相して一生涯の運勢が知れる
 現代科学の新学説に暗合す


 性的精力を奇妙に強めるものあり
 衰弱諸病人もメキメキよくなる
 貧血虚弱者も奇妙に強健になる


 宝暦、明和時代、
 と云えば今より約二百年前の昔であるが、此の時代に名古屋に水野南北と云う奇人があって、人相を見る事に深く興味を持ち 思いを潜めて其の妙理を究むること多年、之れを実地多くの世人に試みんと欲し、身を人相見にやつして諸国を遍歴し、先哲未知の発明をなすところありて其の術神に入り、今日まで観相の第一人者と云い伝えられているが、此の水野南北が神相の秘訣を親しく書き遺した『南北相伝』と云う古い文献十冊が帝国図書館に尚蔵されてある。
 其の巻の二に『男の男根を論ず』と題し、生殖器の形を見て男子一生の運勢の如何を予知する法が具体的に記述されている(その方法のくわしい内容に就ては後段に於て述べる)。生殖器を見て其の人の運命が知れると云うことは 頗る荒唐無稽の如く思われていたが、近世医学の尖端たる


 内分泌学の新学説
 によると、生殖器なるものは、生殖本能の外に、寧ろヨリ以上重大なる官能を有するものであって、絶えず一種のホルモンを内分泌して脳に直達し、脳力と元気活力を養って生命の根源をなしつつある。それで、年は若くとも性的機能が衰弱すると、去勢的にグズグズの意気地のない人間になり、容貌も気力も年寄りくさくなり、早老若朽して落伍者の暗き運命に陥るが、年を老っても性的機能が健全であれば、元気旺盛にして脳力も耄碌せず、壮者を凌いで若々しく活動して明るい運勢を有している。
 此の如く性的機能は人間脳力活力の根本であるから 生殖器を相して其の人の運勢を知ると云う水野南北一流の相法は、其の真理が、偶然にも現代医学の最新学説と符節を合する如く暗合している、二百年以前に現代科学の先駆をなせる一大卓見である。
 斯く生殖器が生命活力の根であるからには


 性的精力を強
 めるものは精力の基となって、病人にも回復力を付け、虚弱体質の人をも強健化し、健康長寿を得せしむるのであって、又身体が強健になれば従って性欲も旺盛になるのは当然の事実である。
 然らば性的精力を一番強めるものは何であるかと云うに、


 蝮蛇…殊に蝮蛇酒
 に過ぐるものがないことは、支那でも日本でも大昔から医書に見え、又人口に膾炙するところの定評である。ナゼ効くかは、現代科学では未だ不可解とせられているけれども、本当に奇妙に効くことは、一たび実験して見ると誰も驚くばかりであるが、蝮蛇酒でも天下一品として昔から有名な信州名物の養命酒は


 山深き信州伊那
 の谷の素封家塩澤家(塩澤海軍少将の生まれた家)で 今より十八代前の家伝秘法として三百年來一日の如く造りつづけてある有名な霊酒であって、蝮蛇の中でも特に貴ばるる赤蝮蛇の活汁に、世にも稀なる高山薬草七種を配合して造り込む醸造秘法は、今日政府の専売特許となっている程 世に類を絶した独特の名物まむし酒である。
 海抜三千尺高地の風土気候の中に幾年を経て


 超科学的に浄化■醸(註:うんじょう、酒をかもすこと)
 され 瓶の中に蝮蛇の形なく、一見葡萄酒の如き美酒であって感じがよく 殊に芳香美味、アルコール分少なく上等の葡萄酒よりうまく、まむし酒であるとはいわねば分からぬ位であるが、而も精分極めて強く、昔から瀕死の病人でも生返ると云われている程の至上霊能を有するから、朝晩小さいコップに一パイづつを適量として愛飲すると メキメキ奇妙なキキメを感得する。 そのキキメは現代の学者が机上の研究や動物試験で、学理に偏して造り出した化学薬や人工栄養剤の如きものとは訳が違い、三百年来の実験を経て超越的霊能と折紙付の深山霊酒であるから 健康者が愛飲すると著しく

 脳力精力根気を
 強め 激務に疲労せず、過労に衰弱せず、感冒
(かぜ)さえ引かぬ位に溌剌たる健康、活動力を増進するので、犬養前首相、清浦伯爵、川村前法相、松田前拓相、海陸軍将星、政界実業家スポーツ界の名士、上流家庭に愛飲者日に多く、又百薬効なき

 衰弱極度の病人
 はグングン抵抗力を強め 自然療能を興起して容態を持直し快復力を得たり 何を食べても血にも肉にもならぬ貧血虚弱の人が丈夫になったり、老人も若返るというような事実が頻々として ますます名声を高めつつあるから誰も是非一度は試むべきものである。


 直ぐハガキを
 養命酒が感じがよく 芳気高尚風味よく 女子供でも喜んで飲む程うまくて飲みよいものであることを実物で紹介するため 小瓶一本に説明書を添え、全部無料で、希望者へ目下分配発送中であるから、東京渋谷町上通り四丁目十六番地養命酒本舗出張所へあてて直ぐハガキを出し試飲せられるがよい



 新聞記事の体裁を取った「養命酒」の広告である。もう記載の住所にハガキを出しても小瓶は届かないだろう。


広告は、紙面の三分の一を使っている(『有田ドラッグ』は一面全部使っていた)
 
 「養命酒」と云えば、「14種類の生薬の成分」が血行を良くして…の広告で有名な「薬用 養命酒」を誰でも思い浮かべることだろう。しかし、広告で謳われているのは、マムシの効能であり、下の商品名の横にも「精力の基 赤まむし酒」と明記されているので、不思議な感じがする。

 極めて限られた読者が読み捨てる「兵器生活」記事ではあるが、名誉毀損営業妨害で訴えられるのはかなわないので、「養命酒製造株式会社」ホームページ掲載の企業沿革を一読する。

 大正12年 長野県上伊那郡に株式会社天龍館設立、塩澤家より「養命酒」の事業を継承

 大正14年 東京・渋谷に天龍館東京支店を開設、「養命酒」の全国販売に踏み出す

 塩澤家が源流で、渋谷に販売拠点があったところまでは同じだ。
 広告の「慶長以来の目標」「各博覧会金牌受領」が誇らしげな商標と、「養命酒製造株式会社」のマークを見比べれば、どちらも龍顔の鳥である。
 古新聞のコピーだけでは「天龍館東京支店」と「養命酒本舗出張所」の関係がわからないが、どちらも塩澤家秘伝の霊酒を扱っている事には変わりはない。


 「赤まむし」」と「14種類の生薬」の関係を見よう。
 ウェヴサイトには、「薬用養命酒」に溶け込む14種類の生薬の解説が載っている。14番目にある『反鼻』は、

 マムシの皮と内臓を取り除いて精製した生薬です。古くから強壮効果の良薬として知られています。

 と説明されている。マムシ成分は存在するのだ。

 ここまで検証する限り、昭和7年の新聞広告にある「養命酒」が、現在のそれの前身であると見てよさそうなのだが、マムシ以外に「世にも稀なる高山薬草七種を配合」とあったものが、(マムシも含めて)「14種類の生薬」になっている所が気に掛かる。商品改良の結果か、当初から「世にも稀なる高山薬草七種」以外の生薬も使っていたのか、これは養命酒製造株式会社の資料館まで足を延ばさないと明確には出来ず、それをやっていては今月の更新に間に合わない。

 と云うわけで、「戦前の『養命酒』の広告は面白い」と公言はしない(笑)。
 主筆の事情はさておき、塩澤家秘伝の「まむし酒」から、生薬の有効成分が溶け込むように、じっくり時間とお金をかけて、その言葉がもたらす印象―この広告にも強く現れている―をきれいに消し去った企業努力には、脱帽して感服するしかない。
 本論に戻る。
 広告の文章を最後まで読み通したはずなのに、「後段に於て述べる」はずの「その方法のくわしい内容」が何処にも出てこないぢゃあないか! と、憤っている読者の方もおられる事だろう。安心せよ、主筆もその一人である。

 「直ぐハガキを」の続きには、こう記されている

 =水野南北の「生殖器を相して一代の運勢を知る秘訣」は長いから、此の全部の写しを、養命酒説明書と共に送呈する。此の機会に手に入れて御一覧あれ=

 ダアー!

(おまけのおまけ)
 これで終わりにすると、ただでさえ多くない読者がさらに少なくなってしまうし、何よりも自分が悔しいので国会図書館が公開している『南北相法』から、該当箇所を抜き出しておく。

 引用元は明治41年12月刊行の『南北相法』須原屋書店刊(活字になった本があってヨカッタ)。本文ルビは略しつつ一部をカッコ書きに改め、例の改変も施している。

 男根(なんこん)を論ず
 一、男根は腎気の強き弱き又子孫の有無を見るべし

 一、男根皮かぶりたるものは男根の不具たり又男根は人の芽を出す処なり故に皮をかぶるものは大に悪くまた子に縁薄く又陰所の障りなるが故に女難あるべし

 一、男根の先別に細きものは男根の不具なり又陰所の障りなり以て子に縁薄し女難あるべし

 一、男根大なるものは腎気つよし意(こころ)豊かなり又色に深し又別に大なるものは男根の不具陰所の障りたり

 一、男根小なるものは腎気薄し意いらつく又すこしのことを驚く事あるべし

 一、男根の頭(かしら)大なるものは腎気つよし又子に縁薄し妻縁かわる

 一、男根上にそるものは腎気薄し故に意いらつく以て根気薄し又妻子に縁うすく縁多くかわる事あるべし

 一、男根下にそるものは子にゑん薄し妻ゑん替わるべし

 『北村辰三郎云男根を以て腎気のつよさよわさ又子孫の有無を弁ず是如何
 答云男根は腎気の遊会するの官たり故に一身の花とす又男根に腎気よく通ずる時は其一身に自から花咲がごとし故に老て腎気よわくなりて男根に気通ぜざる時は自から一身に花ひらかず故に男根を以て腎気のつよき弱き又子孫の有無を弁ずと云う考うべし

 『小西吉右衛門問云男根は何に応ず
 答云男根は羅喉星(らごせい)に属す故に羅の声(こえ)あり陰門は計都星(けいとせい)に属す故に陰門は計の名目あり又九曜の星をくり始めるに男は羅喉星より繰り初め女は計都星よりくり始める是天地自然の理なり又男根上へ朝するものは此人生るより陽気盛んにして腎気薄き人なり故に心火高ぶって男根自ら上に朝す以て此人常に陽気さかんにして意いらつく又生れるより陰気つよき人は男根自から下に朝す故に此人常に陰気にして発せず考べし又男根上に朝する者陰門と和合してその苗ほかへそれる故に子にゑん薄し余考うべし

 『浅見重治郎問云男根小なるものは意いらつく是何故
 答云男根小なるものは其腎気うすきがごとし故に肝気さかんとなりて意いかつく余は深く考うべし浅き理を以て爰にしめす


 「一生涯の運勢」と云われればウソぢゃあないが、期待していたモノでは無い(当時の人もそう思っただろう)…。
 さすがにこれを現代語訳する気にはならないが、読者諸氏もそこまでは期待もしないだろう。