外骨先生は「ルシアン」を飲んだか?

ネタ詰まりで『スコブル』に手を出す71万4千おまけ


 「たかが月イチ、されど月イチ」。
 これだッと思ったネタはさほどウケず、「いそぎはたらき」で仕立てたモノは話題にもならず、ネタ詰まりで休筆にすれば読者諸氏の叱責が怖いのである。

 そんなアタマで古本屋めぐりをしていたら、『スコブル』を買ってしまった。宮武外骨が出していた大正時代の雑誌である。
 「兵器生活」で拾い上げるネタが載っているとはさすがに思わぬが、外骨先生の仕事が(赤瀬川原平の本などで知り得たレベルではあるが)、この閑古鳥も寄りつかぬサイトの根底にあるのだから、やりようはあるかもしれない。マア黙って読み給え。




『スコブル』第18号(大正7年4月)


 どんなネタを持ち出しても「大きくウケることはない」のだから、トコトン馬鹿馬鹿しい記事を紹介する。
 馬鹿馬鹿しい記事ではあっても、例の漢字とかな遣いの改編をやり、ルビはカッコ書きに改めたりする手間は惜しまない。


 姫御前(ひめごぜ)のアラレモナキ殺生

 長閑(のどけ)き春の海に於ける女小供の汐干狩は、古来無邪気な遊びとして居るが実は生物を捕獲して自己の餌食とする原始時代の遺習が行楽に変じたのである、弱肉強食(原文強調)が生物の通則であるにしても、赤い腰巻、蝦(えび)茶の袴 花色リボンに白い手拭の姫御前が、浅蜊、蛤の安住地を攪乱して、彼処に二つ、此処に三つあったと、互いに悦び興ずるのは罪の深い事ではないか、我輩は之を不良少女の集団(原文強調)と見るのである とは云うものの、実は青春の男性をそそる艶美な写真を紹介せんが為めに例のヘンネヂ文句を並べて見たのである

 この記事に、手持ちの絵葉書を組み合わせるとスコブル面白くなる(当人主観比)。


稲毛海岸汐干狩ノ良子女王殿下


 「良子女王殿下」は、後の「香淳皇后」(昭和天皇の后)だ。
 皇太子の后に内定したのが大正7年1月とあるので、この絵葉書もそう云う文脈で作成されたのだろう(せっかくの海辺を白足袋で歩かねばならぬとは、女王様もご不自由な事である)。

 ここで改めて元記事の表題を繰り返す。

 姫御前のアラレモナキ殺生

 誌面掲載の写真が粗いので、「女王殿下」が含まれているかは定かでないが、絵葉書コレクターでもある外骨先生が、このハガキの存在を意識しているのは疑いようがない。
 「青春の男性をそそる」目付きで絵葉書をよーく見ると、「赤い腰巻」ならぬ「白いシミーズ」の裾がチラリ覗き、足許の砂地には、海水がわずかに溜まって脛を映し出しているのがわかる。水たまりがもう少し手前側に広ければ…。



 ページ上段には、同じテーマを違う視点で見た記事がある。

 駄洒落にも程がある
 春に於ける女の貝拾いと、秋に於ける男の松茸狩とは、山海の行楽として、一対の年中行事に成って居る
 南方熊楠先生の亜流らしいが、此の天の配合、甚だ変妙ではないか、とラチもない事を科学的らしく述べて、低級者に迎合の駄洒落を云う者がある、以後は謹め

 「駄洒落」を云っているのは、『スコブル』主筆本人デハナイカと(低級に限らず)読者は皆思ったろう。「駄洒落」の意味は解説するまでもあるまい。

(おまけのおまけ)

 ネタ詰まりの果て、『スコブル』をツイ買ってしまったのは、裏表紙にこんな記事が載っていたからなのだ。


立読禁止貸本予防法


 例の改編の上、全文を揚げる。


 現代の弊習に反抗す
 立読禁止貸本予防法

 本誌スコブルは製本に改革を加えて、下方を裁断しない事にした、之を立読み禁止及び貸本予防法と云うのである、其の理由を茲に説明しなければならぬ

 明治三十年頃までは、雑誌販売店で立読みして居ると店の者が「アナタ其雑誌をお買いになるのですか」と詰責したものであったが、近年は東京では其立読を咎めない事にしたので、初めから買うつもりでなく、立読の目的で販売店に行く事に成り、東京堂の小売部などでは、毎日昼夜数十名の立読人が群集して居る、

 我輩は之を社会堕落の一現象と見るのである、公設の図書館でも二銭三銭の観覧料を取るではないか、然るに販売を目的として陳列して居る雑誌を、商家の店頭で立読して、一厘の報酬もせず、一言の礼も云わずに立去るとは何たる不埒者ぞと云いたい、又不徳義な雑誌販売店では雑誌を売らずに、貸本同様、二三銭の見料で読者に貸し、其の古びたのを残本として発行元へ返す弊習もある、

 因て本誌は其弊習を禁遏する手段として下方を裁断しないのである、一般の読者には手数を掛てスマナイが、これも社会弊風矯正の犠牲と諦め給え

●盗人類似
 近年東京及び各地に雑誌回読会と云うものが多く出来た、毎月希望の新刊雑誌十数種を僅少の出費で閲読し得る便利があるので、各々数百名の会員を有して居る、そして其の回読用の雑誌は、予め密約せる雑誌店の販売品を借り来たりて利用し、回読終了後の汚損した雑誌を販売の残本として発行元に返付するの悪事が行われて居る、そして若し其無法を難詰する者があると「そんな苦情を云う面倒臭い雑誌ならば、今後は全部の販売取次を謝絶します」と云って威喝するそうである、其非道暴戻実に憎むべしではないか、商業道徳の無視もここまで行けば、詐欺偸盗と変りはない
●非道暴戻

 下方を裁断した者には定価を賠償せしむ


 不幸にして「日本立読史」を読んだことが無いので、いつの頃から立ち読みが行われるようになったのか知らないが、明治30年代にはあったのだから、近代的書店が出来たころには既に行われていたのだろう。

 書籍雑誌発行元から見れば「盗人」なのは当然である。我が身に寄せてみても、買うつもりで本屋に行けば立読人の手にあってしばし待たされ、やれやれとレジに持って行こうとすれば表紙にツメを立てられた跡を見たりすると、八百屋の果物を勝手に囓って立ち去る奴はいないのに、何故本屋だけ!(模型屋のプラモを『仮組』して買わずに出る人もいないのに) と義憤に堪えぬ。

 しかし、「明治三十年頃までは」と記す外骨先生自身に「詰責」された過去があればこそ、かつての美風?を書いているのではないか。
 生鮮食料品であれば、外観を見、重さを感じればおおよその品質を推し量ることも不可能ではないが、書籍雑誌の外観から内容を想像するのは極めて困難である。店先のリンゴは傷んでいても「リンゴ」だが、本の場合、タイトルがリンゴでも中身が鮭の切り身だったりするので始末に悪い。
 本を買う立場に戻れば、多少の立ち読みは必要だ。

 主筆が中学生の頃、マンガ単行本の冒頭だけ読めるようにして「続きは買って読みましょう」と本文にカバーを付けていた本屋に入った事がある。その時本人は立ち読みする気マンマンだったので、「この本屋ぢゃあ絶対買わない!」と心に誓ったものである。

 しかし、古書市などで雑誌冊子紙屑の類を買う際、中身を見ないで買う方が多い。ビニールで読めぬようにしてあるのが最大の理由なのは云うまでもないが、会場では気がせっておりその場で読んだところで中身はアタマに入って来ないのだ。手許に置いて精神的に余裕ある時を待たないと、ネタになりそうな記事は見いだせないのである。
 その代わり、と云うわけではないが、コンビニエンス・ストアでは四肢鍛錬の為、立ち読みを怠らない。タバコや野菜ジュースなど観覧料替わりに買って出れば、バカヤローと云われる事も無い。

(おまけのおまけ裏話)

 今回のネタは、横田順彌センセイ流に云えば「うな重」クラス(近年値段が高騰しているので松竹の判定は不能)なのだが、ウラ表紙を見て買ってしまったものである。
 この「立読禁止貸本予防法」でネタにするつもりだったのだが、立ち読みの是非を真剣に考えれば。結局「必要悪」の結論とならざるを得ないから意外性も何も無く、考えて見ればウェヴコンテンツもまた「立ち読み」の親戚ではないかと思い至り、禁止・予防の記事を紹介する当人が、元手(カネと時間)を費やしたコンテンツをタダ見し放題にしている事実に対し、それをドウ思っているのか開陳するのは面倒だぜと、別記事に差し替えた次第。
 そもそもこの「立読禁止貸本予防法」自体、前回のネタ補強のために出向いた江戸博の図書室に展示してあった『谷根千』(外骨特集だったのだ)を見て知ったものだから、堂々と出せるモノでもないのである(世間様は気にも留めないだろうが)。
(おまけの余談)
 タイトルの「ルシアン」は、『スコブル』発行元「半狂堂」(外骨の在所でもある)があった台東区上野桜木近くの「カヤバ珈琲」が出している、コーヒーとココアをブレンドした飲み物である。

 1987年に出た『東京路上博物誌』(藤森照信・荒俣宏・春井裕、鹿島出版会)に、「この古色蒼然した味覚は化石ならではの味だった」と、スゴイ事が書いてあるので、本が出て間もない頃(30年近く前だ!)飲みに出かけたことがある。
 「古色蒼然」とはこんな味を云うのかと顔をしかめて飲んだのだが、ナニ単にブラックで飲んだだけの事で、次に行った時に砂糖を入れてみて案外ウマい事を知った次第。

 店主の死去により一旦は閉店となったが、店を惜しむ関係各位の尽力により、経営形態を改めるのと併せて建屋を改修(二階席も設置される)して復活。外観と一階客席こそ「ミジメ店」「化石商店」そのままだが、今ではお客がひっきりなしに来店して満席お断りも出る人気店として営業中である。
 「ルシアン」も、最初から砂糖を入れたモノ(ご丁寧にアブクまで立ててくれるのだ)が出てくるので、「古色蒼然」の味は遠い日の思い出となってしまった。
 時代が追いついたのですね。



カヤバ珈琲(2016.3.18撮影)


 で、外骨先生は「ルシアン」を召し上がったのか?
 「カヤバ珈琲」のウェヴサイト(もう『ミジメ店』とは云えない)いわく昭和13年開店の由。印度総督府雑本山脈を切り崩し発掘した、「再生外骨主筆」の『面白半分』(第二号、昭和4年7月)奥付記載の半狂堂住所は、「本郷区龍岡町」になっている。残念ながらご近所の人、と云うわけには行かなかったのである。
(蛇足)
 おおよそカタチが出来たところで、外骨先生ネタなのでウカツな事は書けないと、『学術小説 外骨という人がいた!』(赤瀬川原平、ちくま文庫)を買い直し―総督府文庫摩天楼のどこかにあるのだが―、『スコブル』を紹介していてもネタは被ってない事を確認し、「ルシアン」の味がどう表記されていたかを正しく引用すべく、『東京路上博物誌』も、新本で買い直している(古書も含めて三冊目)。

 ネタを書き出す前に『面白半分』を見ていれば、外骨先生が「ルシアン」を飲んでいた可能性は極めて薄いとの結論が出るから、コンナ表題にする事もなく、少なくとも『東京路上博物誌』まで買うことは無かった事に今更気付く。

 悔しいのでタイトルは替えない。