非常時とカメラ

「健全」と「高尚」を主張し、目先の生き残りをはかる73万7千おまけ


 趣味が社会から圧迫されようとする時、その当事者はどういう反応を示すのか?

 1)「趣味」(全般)は、個人と社会の活力(=生産力)を維持する上で、必要不可欠であると主張する。
 2)自分の趣味は「健全」「高尚」であると訴え、社会のお情けにすがり生き残りをはかる。
   隣接・類似している趣味のみならず、同好の一部をも『低俗』『不健全』と貶め切り捨てる。
 3)「実利」が得られると主張し、「趣味」から「実用」へ格上げさせることで、堂々社会の圧力から逃れようとする。

 たぶん、このような行動に出るのだろう。
 自分も遠からず、そうせざるを得なくなるのかと、書いてて気が滅入る。

 古本屋で、戦前の写真用材会社が出していた小冊子がまとまって出ていたので買う。
 例によってそれっきりにしていたのだが、毎度のネタ詰まりに、ワラをも掴む気持ちで目を通している中に、面白い記事を見つけたので紹介する次第。


『カメラ通報』昭和13年1月号

 東京の上野にあった、水野写真機店が発行していた『カメラ通報』と云う、カメラ新商品のカタログ(昭和13(1938)年1月発行)だ。

 記事は、


流線型の新鋭 「ツバサクローム」



新発売! 「ゲルト カメラ F3.5」

 このような、今では忘れ去られた国産カメラの紹介である。他には「ミノルタ・フレックス」、「セミ・オリンパス」など戦後も生き残ったブランドのカメラも載っている。
 「ミノルタ カメラ抽籤券付セット売出」と題して、ミノルタのカメラを1セット140円前後で高級品1個から普及品7個までの組み合わせで販売するものもあるから、町のカメラ屋さん(現像・焼付と証明写真なんぞで糊口をしのぎ、ウィンドウにカメラの2、3台を淋しく陳列しているお店)相手の冊子のようだ。

 冊子の表紙上部には「謹賀戦捷新年」とある。
 これは前年7月に始まった支那事変が、12月の南京占領により勝ちムードが国内に満ちていた事による(当時広島在住の『すずさん』も、提灯行列に参加して、絵の一つも描いたに違いない)。
 しかし戦争は終わらず、13年1月16日に「国民政府を対手にせず」の近衛声明が出て、16年12月8日には米英にも戦端を開くに至り、昭和20年夏の敗戦を迎えることになる。

 そこに載っていたのが「非常時とカメラ」と云うコラムだ。短いものなので、一気に全文を記す。
 例によって縦のモノを横にし仮名遣い等を改めてある。

 非常時とカメラ
 節約の意義を誤解する勿れ

 国家非常の折柄、国民精神総動員の下に、消費節約が叫ばれている。節約!素より大切である。併しながら往々節約の精神を穿きちがえて、徒らに消極的に傾き人生に必要なる趣味娯楽までも抑制し、為に英気を失い、精神的に萎縮し、延いて活動力を鈍らすような向きが無いでもないが、かくの如きは誤れるの甚だしきものと云わねばならぬ。

 不健全なる趣味娯楽は、もちろん大いに戒めなければならぬが、健全にして高尚なる写真趣味などは決して抑制する必要を認めない。尤もその資に乏しき者が 無理算段をしてまでもカメラを求めんとするが如きは 絶対に避けなければならぬが、余裕綽々たる者が 之を求めこれを愛用することは少しも差支えないと思う。

 飛躍日本の国民は 生々ハツラツたるを要する。殊に戦捷に輝く新春に際し、颯爽!カメラを携行して思うままにその趣味を満喫し、浩然の気を養い、また以て業務精勤、銃後の護りを完うしようではないか。これ真に節約の精神を生かす所以の道である。(碧水子)

 冒頭に述べた、趣味への圧力に対する反応の実例である。
 戦争という非常事態の中で、平穏な生活の象徴である「趣味」の意義を説き、そこから生まれる「活動力」こそが国家の活動を下支えする。もって廻った理屈であるが、「よく遊びよく学べ」と云う言葉もあるし、有能なビジネスマンが実は深い趣味人だったなんて話も聞く。仕事漬けでは人間長持ちしない。
 もちろん、この記事が趣味娯楽を擁護する背景には、顧客が萎縮することで、自分たちの商売があがったりになる事態を避けようとする意識がある。戦争は早晩片付くと云う希望的観測もあろう。

 一方、「資に乏しき者が 無理算段をして」写真趣味を続ける・新たに始めることについて否定的であるのは極めて興味深い発言と云える。
 分不相応な人の行為が目立てば、趣味全体の「健全」「高尚」を汚され、社会の制裁を招く懸念を抱いている。既存の顧客が、今まで通りフィルム・印画紙・現像/焼付の薬品を消費してくれて、たまにはカメラも買い換えてくれれば業界は安泰だと思ったのだろう。
 この頃の写真とは、「余裕綽々たる者」が行う趣味だったのだ。

 昭和13年2月に『写真週報』が創刊、「写真報国」なる言葉とともに、国策宣伝に寄与する写真が一般から募集される事になる。写真は「趣味」であることをやめ、国策協力の尖兵(実利)に成り上がったのだ。


「非常時とカメラ」の挿図
 
 それでも私は、敗戦の日までコッソリ「趣味の写真」を撮り続けていたアマチュア・カメラマンが、日本に一人くらいは存在していたと信じたい。
(おまけのおまけ)
 上記冊子とおなじく、昭和13年1月に出た『オリエンタル ニュース』(発行はオリエンタル写真工業)の「月例小型懸賞」入選作品をいくつか紹介する。「戦時下」とは云え、ご覧の通りノンビリしたものだ。


「クサのヒゲ」(水野壽美子)

 昭和30〜40年代に撮影された写真、と云ってもさほど違和感は無い。

 続いては、時局に便乗した作品を二点お目に掛ける。


「秋空晴れて」(外山新吉)



「ソレ射テ」(上田春太郎)

 現代日本では、大人が実地研究と趣味で軍装をするが、この時代は子供が兵隊サンの格好をするのだ。七五三で将官スタイルをした写真を、「目で見る昭和史本」でご覧になった読者諸氏も少なくあるまい。

 「余裕綽々」な写真趣味者の被写体である。みな相応にお金のあるウチの「ヨイコ」だったはずだ。
(おまけの個人的安堵)
 マンガ映画「この世界の片隅に」にカメラが出てこなくて良かった。
 「当時のアマチュア・カメラマンって、どんなカメラを使ってたんでしょうね」と訊かれなくて、ほんとうに良かったと思っている(笑)。