ここからは礼儀作法についての試問となる。

 第四 礼儀作法に関する試問
 [一]礼儀について
 一、(問)人はなぜ礼儀を正しくしなければならないでしょうか。
    (礼儀を守ることはなぜ必要ですか)
    (礼儀が正しくないとどうなりますか)
    (答)世の中は礼儀で立って行くものです。もし礼儀が正しくないと、
       目上目下の区別もなくなって、人には不快の念を起こさせ、
       自分の品位をおとすことになります。

 二、(問)外国では礼儀に対して日本をどう見て居りますか。
       それでは、あなたたちは礼儀について、どんな心得を
       もったならばよいでしょう。
    (答)我が国では昔から礼儀作法が重んぜられたので、外国の人から
       日本は礼儀作法の正しい国だと言われて来ました。
       時勢がかわっても礼儀作法の大切なことにはかわりがありませんから、
       一そう注意して、大国民としての品位をおとさないように心掛けます。

 [二]作法について
 一、(問)人の前に出る時には、どういう注意(心得)が必要でしょうか。
    (答)髪の毛や手足を清潔にし、着物の着方などにも気をつけて、
       身なりをととのえるようにします。

 二、(問)指の爪はなぜふだん短く切って置かなくてはならないでしょうか。
    (答)自然不潔になって、人の前に出る時には失礼になりますし、
       衛生のためによくありませんから。

 三、(問)人と食事をする時の注意をいいなさい。
    (お食事について、心得ていなくてはならないことは何でしょうか)
    (答)みんなで楽しく食事するように心掛け、食器の類を荒々しく取扱ったり、
       さわがしい物音をたてたりしないようにします。
       (姿勢を正しくし、無作法なことをせず、食物はよくかんで食べます)

 四、(問)汽車や電車の切符を買う時や改札口での注意をいいなさい。
    (答)切符売場や改札口では、自分より先に居る人の後に立って、
       じゅんじゅんに自分の番の来るのを待ちます。
       そして、先を争って他人を押したり、押しのけようとしてはなりません。

 五、(問)汽車・電車・バスなどに乗降する時の心掛けを述べなさい。
    (答)先を争わないようにするのが第一で、乗る時は降りる人が皆降りてから、
       順に従ってあせらず、おちついて混雑しないよう、
       人の迷惑にならないようにします。

 六、(問)汽車・電車・バス等に乗った時に、心掛けなくてはならない礼儀は
       どんな事ですか。
      (汽車・電車・バス等に大勢乗っている時は、どんな心掛けが大切ですか)
    (答)よく注意して、人に迷惑をかけないようにし、自分だけ席を広くとったり、
       不行儀な振舞をしたり、卑しい言葉づかいをしないようにし、
       又人の顔かたちやなりふりを笑ったり、とやかく言ったりしてはなりません。

 七、(問)車中のこみあっている時には、どう心掛けますか。
    (答)広く座席をとらぬように正しく腰を掛け、荷物は膝の上に置くなりして
       他人の邪魔にならぬように始末し、老人や子供や小さい子を背負ったり
       連れた人には、成るべく席をゆずり、濡れた雨具類は
       人に迷惑をかけぬようにします。

 八、(問)人は常に礼儀作法を守らなければなりませんが、集会の際や停車場や
       展覧会など、その他人のこみあっている所では、どんな行いを
       謹まなくてはなりませんか。
    (答)人に迷惑をかけないようにすること、順番のある場所では
       人を押しのけて先を争ったり、不行儀ななりふりや卑しい言葉遣いや、
       他人の容貌・服装を笑ったり批評したりなどしないように心掛けます。

 なぜ、礼儀が必要か?
 上に天皇陛下を頂き、君臣が一家であることを標榜する国家体制(国体)である以上、「目上目下」は厳として区別されねばならぬのだ。ゆえに自称「前衛」の無産政党が、大衆を指導するやり方は国風に合わないことになる(大政翼賛会が変質せざるを得なかった遠因もここにありそうだ)。
 「礼儀作法が重んじられた」のは、身分社会であったからだ。そこを古来からの美風と見るか、残滓と見るかは人それぞれだろう。しかし上級役職者・年長者を無条件に敬えと云うことであるから、「パワハラ」と「お追従」の温床となる。

 公共交通機関や公共の場所でのマナーは、現代にあっても注意され続けている。人の身なりや顔カタチを公然と指差さなくなったことだけは、戦後の進歩と云ってよいのではないだろうか(TVなどでネタにしているから、各人がその場でやる必要が無くなっただけかも知れませんが)

 第五 衛生に関する試問
 一、(問)公衆衛生とはどういうことですか。
    (答)社会一般の人々の健康を保つために、自分自分でよく衛生に注意し、
       又お互いに心をあわせて衛生に力をつくすことです。

 二、(問)伝染病の種類にはどんなものがありますか。
    (伝染病の種類をいってごらんなさい)
    (答)急性のものには、コレラ・チフス・赤痢など、慢性のものには、
       結核やトラホームなどがあります。

 三、(問)伝染病はどうして起きるのですか。
    (答)病毒が外から体内にはいって起こるのですが、それには、
       飲食物と一しょにはいり、或は呼吸につれてはいり、或は不潔な物に
       ふれた時にはいります。

 四、(問)伝染病にかからないようにするには、どんな注意がいりますか。
    (伝染病を防ぐにはどうしますか)
    (答)常に身体を強健にしておくことが第一です。
       伝染病の流行する時は、特に飲食物に注意し、睡眠を十分にとり、
       よい空気を吸い、日光に浴し、身体・衣服・住居などを清潔にし、
       医師や衛生係の注意を守り、飲料水や下水などにも気をつけて、
       大掃除や消毒を十分にすることが大切です。

 五、(問)もし伝染病にかかったらどうすればよいですか。
       又その時の注意をお話しなさい。
    (もし伝染病にかかったらどうしますか)
    (答)すぐに医師の治療を受け、他人にうつさないように十分気をつけます。
       この場合に、隠して届出をしなかったり、迷信から医師の治療を
       受けなかったり、又全快しない中に人中へ出たりしないようにします。

 ここは戦後の進歩を強く感じるところだ。
 「迷信から医師の治療を受けな」いの一文に、戦前日本が、なんだかんだと江戸時代を引きずっている所を感じる。
 伝染病には「花柳病」も入るはずだが、さすがに小学生が知ってて良い話ではない(これ自体は国家的な大問題なのだ。詳しくは『陸軍と性病 花柳病対策と慰安所』(藤田昌雄、えにし書房2015年)を一読されたい)。

 「伝染病」を「インフルエンザ」と読み替えれば今でも通用する事項である。
 小学校の保健室に、「トラホーム」などの掛図があったのを思い出す。

 衛生と云えば、蛔虫・蟯虫・真田虫などの寄生虫を忘れてはならないのだが、ここでは何もふれられていない。気のつけようが無いと云うことか。
 長々とと試問内容を見てきた。
 「所詮はタテマエだ」と云われればそれまでだ。しかしこれらが学校の中で語られ、成績から、上級学校入試の合否を左右するモノであった事までは否定出来ない。

 冒頭挙げた著名人たちの生き方に、これらの「常識」がどう影響を与えていたかは、当人でなければ知りようがない。自分自身が小学校時代に習った事・学んだ事を、全て身に付けていたわけでなかった事を振り返れば、似たようなものだったろう。
 しかし、何人かの経歴には、軍の学校に進んだ事が記されてある。進路はさておき「忠良な臣民」たるべしとの教えは、中学校に進もうと云う子供たちの中には、しっかり刻み込まれたのではないかと思っている。

 戦前の修身教育を今やろうとすると”塚本幼稚園”のように大きな批判を招くのだが、こうして教科書レベルの建前論だけ読む限り、そんなにヒドイ事は云ってない。

 「自分のなすべき事をまじめに行って善良有為の人となり、国家の大事に当たっては身命をさざげて君国に尽くし、平時には自分の職分を励んで国の富強を増し、文明を進める」

 「国民国家」を標榜していれば、どの国でも同じような事を求めるだろう。
 戦前日本が国の舵取りを誤ったのは、国家が国民に求める徳目のせいではなく、軍・官・政治家・実業家それぞれが「忠君愛国」の名で、やりたいこと/やるべきと考えたことを好き勝手にやったところにある(”船頭多くして船山に登る”ですね)。
 自分を省みず、他人の言動をあげつらってばかりいるのも、感心しない。

(おまけのおまけ)
 まだ「時局に関する試問」が残っている。
 と云うわけで、次回に続く。ここまで引っ張るとは思わなかった。