千古不朽の"写真肖像"

トホホなDMで76万5千おまけ


 古本屋や古書市に行くと、本・雑誌よりチラシや広告冊子をツイ買ってしまう。
 毎月の、「兵器生活」更新に汲々する身には、見てスグわかり、写して文字が少ないネタ元が、うれしくありがたいのだ。
 もっとも、本体が薄いぶん、何かスパイスが足らない記事になってしまう自覚はあって、モノを書くのは難しいなあ…と、いつも思ってしまう。
 こんな昔の紙切れを買う。
 折り目の付き方・畳んだ時の大きさから、封筒に入れられ、誰かのもとへ送り出された「ダイレクトメール」と推察していて、以下の記述はそれを前提にしている。


「写真肖像会」

 「万世不変色 ブロマイド引伸 写真肖像会」の表題がつけられている。

 例によって文面をひく。
 候文なので、あえて句読点は加えず、かな遣いも原文を活かす。なに、語句の切れ目が判らぬのだ。

 謹啓時下江湖諸彦益々御清祥奉賀候従テ弊館儀日々繁栄ヲ極メ候段平素之御愛顧ノ賜ト厚ク御礼申上候

 惟フニ世ノ文明進歩スルト共ニ斯業モ大ニ改良発達シ其需要ノ途亦夥大ナリ近時欧米ニ於テハ化学的応用ヲ以テ不変色原料ヲ発明セリ即チ万世不変色ブロマイド紙是ナリ 不肖先年欧州各国ヲ遊歴シ幾多ノ歎苦ヲ嘗メ専心技術ノ研究ニ努メ其功空シカラズ茲ニ於テ這回知友ノ勧誘ニ依リ肖像会ヲ画ス抑モ其旨意タルヤ祖先ノ遺風ヲ子孫ニ伝ヘ以テ往時ヲ偲ビ過去ヲ追想スルヲ目的トスルモノニシテ千古不朽千年ノ歳月ヲ経ルモ決シテ退色ノ恐レナシ其願出スル所ノ画像ニ至ツテハ高尚優美殆ンド自然ノ妙致ニ達ス乍併本邦ニ於テハ個々ノ撮影価格不廉ノ為メ各位ヲ満足セシムル不能茲ニ於テ独国イーストマン会社ニテ製造スル万世不変色ブロマイド原紙ヲ特約シ只管写絵鮮麗ニ盡シ料金特別廉価ヲ以テ貴需ニ応シ諸君ニ遺憾ナカラシメシ事ヲ期ス幸ニ御入会アランコトヲ希フ云爾

 館主 長崎徹哉 敬白

(大意)
 文明の進歩とともに、写真業界も大いに改良発達が進み、需要も拡大しています。近ごろ欧米では、化学の応用で、変色しない写真原料が発明されました。「万世不変色ブロマイド紙」が、これです。
 私は先年、ヨーロッパ各国を歴訪し、幾多の苦労のうちに先進技術の研究につとめ習得いたしました。そしてこの度、友の勧めに従って「肖像会」を企てたのです。
 その趣旨は、肖像を残して祖先の遺風として子孫に伝え、往時を偲び、過去を追想するよすがにするというもので、肖像は千古の時を経ても朽ちず、千年先まで色褪せのおそれがありません。画像は高尚かつ優美で、自然な仕上がりとなっています。
 我が国の写真撮影の価格は安くはなく、お客さまがご満足できるものではありませんでしたが、今回ドイツのイーストマン社製造の、不変色ブロマイド原紙の特約を結び、皆様のお求めに特別にお安くお応えいたします。この機会に当会へのご入会いただけますよう、お願いする次第です。

(要旨)
 子孫に肖像写真を残しませんか? 絶対変色しないブロマイド紙。会員に限り特に廉価で撮影!

 アメリカのイーストマン社(イーストマン・コダックとなる)を、「独国」としているトコロに<幾ばくかの怪しさを覚える。そう云うモノだと決めてしまうと、「欧州各国ヲ遊歴」、「技術ノ研究」も疑わしくなるが、そこは本題ではない。
 「祖先ノ遺風ヲ子孫ニ伝ヘ」とはあるが、入会を勧誘されている当人の"祖先"は墓の中だろう。その意味は、「アナタの姿を子孫に伝えましょう」になる。
 主筆の母の実家の仏間の上に、その祖父母らしき人の肖像が掲げてあったのを覚えている。それが画だか写真だかは、もはや定かではない。

 家族で写真館に出かけ、"七五三"、"入学記念"など記念写真を撮ってもらう人は今もある。しかし、記念写真とは、写された当人と、それに近い人との間で消費されるモノであって、それが"子孫"(文字面は子と孫までだが)に遺し伝えて行くモノだと認識する人は殆どいない(そうでなければ古いアルバムが骨董市に出たり、『終活』で"写真の始末"が問題になったりはしない)。

 代々続くイエが確固としてあり、国家がそれを制度化した時代である。その一方で、武士の世が終わって社会階層が動揺し、官僚と実業家が社会の担い手になりつつあった時代だ。成功者は、我が姿をお手本にせよ、その父母の姿も、エライ自分を産み育てた存在として崇めたてよと、子孫に遺したくなるのだろう。

 このDMは何時のモノなのか。
 キーワードは「ブロマイド紙」だ。論文「銀塩カラー印画紙の技術系統化調査」(梅本眞)には、1874(明治7)年にイギリス人のモーズレーが"最初のゼラチン現像印画紙"ブロマイド紙を発明し、

 印画紙の主流が鶏卵紙からゼラチン焼き出し紙に代わっていったのが1880 年代末、さらにゼラチン現像紙に次第に置き換わっていくのは1890 年代半ばのことである。

 とある。
 新式の軍艦を引き取りに行くような、国の重要任務で出かけた人ならいざ知らず、一介の写真師が、現地の新しい技術を持ち帰ってくるならば、それが普及しつつあることが前提となる。つまり1880年代末から90年代半ばの数年間。イーストマン社がイーストマン・コダックに改名したのが1892(明治25)年と云う。ここは明治20年代後半と推定しておこう(間違っていたらご指摘下さい)。
 "三景艦"の松島、厳島が、フランスで起工されたのが、ともに1888(明治21)年。大日本帝国憲法発布が1889(明治22)年、第一回衆議院選挙が1890(明治23)年、日清戦争が1894(明治27)年である。植民地化を逃れた日本が、近代国家の体裁を整え、隣国との戦争を決意する時代なのだ。

 この肖像写真、大額の「甲」の場合、タテ「二尺六寸五分」のヨコ「二尺二寸五分」(約80センチ×60センチ)もある。写真本体も「全紙判」(56センチ×45.7センチ)と云うから、映画のポスターか、神社の軒下などに掛けられた奉納額くらいに大きなものだ。額は「神代杉」使用と、これまた張り込んでいる。気になるお値段は「金七円」だ。ちなみに乙は写真が半折サイズで「金五円」、丙は四ツ切判で「金二円五十銭」となっており、「軸掛物」仕上げもある。
 明治27年の高等官初任給が50円、明治30年の小学校教員のそれが8円で、明治25年の白米10キロが67銭である(『値段史年表 明治大正昭和』朝日新聞社)。"先祖伝来"の始めとなるのだから、安い買い物ではない。

 高額な額装仕上だけでは客がつかないと考えたのだろう。「大割引」と記された、普通の写真の価格表も一緒に残っている。


 "台紙"付きかどうかは判らない。
 価格表右側に「 月 日ヨリ向フ 日滞在」、「 町/村 ニ於テ撮影」、下には「写真ハ滞在中ニ調整相渡可申候」と記されている。顧客の求めに応じ、撮影・現像・焼付、プリントお渡しまでやる出張撮影なのだ。
 左側には、

 ●貴客ノ御需ルニ応シ御一報次第遠近ニカカワラズ自費ニテ出張可仕候
 ●至急御入用ノ節ハ撮影后八時間内ニ調整仕候但不変色ブロマイド紙ナリ
 ●古キ小形写真ニテモ御望ニ応シ引延シ調整仕候

 とある。つまり暗室(写真を現像するために使う、光の入らぬよう作られた作業場、と註釈を入れる世の中なんだよなあ…)持参の出張撮影だ。しかも「自費」("実費"の間違いではないのか)で!

 この頃すでに「古キ小形写真」を複写・引き伸ばすサービスがあった事に驚く。
 顧客が、留学先で撮ったダゲレオタイプの写真(金属板に感光剤を塗ったモノを使う。引き伸ばしも焼き増しもできない)の一つも持ち帰っているだろうと想像すれば、なるほどニーズはありそうである。そんなモノを持っている家であれば、当然離れか客間に写真屋は宿泊を許され、メシのひとつ、酒の一本も付けてくれたのではないだろうか。
 あそこの家で撮ってもらうなら、ウチでも撮ってもらおうと、便乗する人もいるだろう。「大割引」は、そんな顧客向けのサービスと考えられる。

 村の子供が、村長や地主の屋敷に呼ばれた写真師を見て、自分もああなりたいと憧れる話が、あちこちであったはずだ。弟子入りして独り立ちする頃には、「写真屋」呼ばわりされる時代になってしまうわけですが…。
 「文明進歩」の力で、家運隆盛を言祝ぐサービスを売り込むDMではあるが、その仕上がりイメージが、古式蒼然としていて微笑ましい。


額装仕上

 背景が木の板そのままなら、神社の奉納額か絵馬ですよ。
 一方、掛け軸にした時の仕上がり図は、もう少し人間らしくなっている。親(あるいは祖父母)ではなく、今を生きる当人だからだろう。


軸掛物仕上

 「軸掛物」の肖像が、洋服姿であることに目を留められたい。洋服を着なければならぬ人がターゲットだったことがわかる。
 しかし、写真を丸めて痛まないのだろうか(保管しているうちにくっついてしまうと思う)…。

 「大額」の図を拡大する。


これのドコが「殆ンド自然ノ妙致」なのか

 これじゃあ『山海経』の図像も同然だ。「祖先ノ遺風ヲ子孫ニ伝ヘ」、「往時ヲ偲ビ過去ヲ追想スル」よすがには、ちょっとなりそうも無い。
 この「写真肖像会」、うまくいったのだろうか?
(おまけのおまけ)
 図像のトホホさに負けて買ってしまったモノである。
 今回は、「兵器生活」で取り上げる時代とは、ちょっと距離のあるネタであるから、肩肘張らず、自分が楽しむ事だけ考えて書いている。
 愛知県近郊の田舎道を、写真道具を積み込んだ馬車がトコトコ行くのを想像するのは楽しい。
(おまけの追悼)
 明治ネタと云えば、横田順彌先生のフィールドであった!
 楽しみながら書きつつも、ウソは書いてないだろうな、と今さらながら緊張している。
 この人の小説は殆ど読んでない(そもそも小説を読む習慣がないのです)。それでも『SFマガジン』連載の「近代日本奇想小説史」は、すでに「兵器生活」を始めていたこともあって、開始から中絶まで毎月(たまに休載しても)掲載誌を買い続けていたのだが、あまりにも休載が続いたので、これは連載打ち切りになってしまったに違いない、と購読どころか書店での立ち読みさえもやめてしまったのだ。
 古本屋の片隅には、"面白そうな本"がたくさんある事を(記事を通して)教えてくれた人である。

 この人の本を、古本屋に売る。古本屋で安くはない金を払って買う。古本屋の均一棚から掘り出して買う。この先の復刊を待って新刊書店で買う。どれがいちばん供養になるのだろう。