負ける帝国ソ連にすがる

起死回生? の対ソ外交方策提言で77万2千おまけ


 阿佐ヶ谷駅からちょっとばかし歩いた古本屋で、こんな本を見つける。


『ソ連の勝因とドイツの敗因』

 表題は戦前・戦中刊行物のしるし"右書き"だが、その文字は戦時中なら発禁確実な、『ソ連の勝因とドイツの敗因』だ。これは面白そうだと買って奥付を見れば、敗戦まもない昭和20(1945)年11月刊行とある。
 著者は高津正道と云う人。
 『政治家人名事典』(日外アソシエーツ)と『世界大百科事典』(平凡社)の記述をあわせると、

 明治26年生まれ。
 早大時代暁民会を結成し放校処分。
 大正10年反軍ビラで検挙、禁錮8ヶ月。
 同11年共産党の創立に参加し翌年ソ連に渡る。13年帰国後禁錮10ヶ月。
 昭和2年出獄後は「福本イズム」共産党を離れ、労働農民党(労農党)に参加。昭和12年の人民戦線事件で検挙される。
 とあり、"アカい人"である事が知れる。戦後は社会党に所属して顧問も務めた由。昭和49年没。戦時中についての記述はない。

 そんな人のこんなタイトルの本じゃあ、単なるソ連万歳なモノだろうと、読み飛ばすつもりでページを開く。内容は、
 第一部 ソ連の勝因
 第二部 ソ連最近の対日態度に対し我国の執るべき方策
 第三部 ドイツの敗因
 と云うもの。

 本文に入る前の「序」は戦後間もない本らしく、こう始まる。

 真珠湾奇襲、香港占領につづくシンガポール陥落という、あの「勝利の記録」時代にも、われわれ少数の者は、大東亜戦争で日本は結局勝てない、それどころか最後は大敗を免れないのだ、という見透しを持っていた。(略)人々がモスクワの陥落や、スターリン政権の崩壊を、ほとんど既定の事実でもあるかのごとく論評していたにもかかわらず、われわれは相変わらず、ドイツは東西両戦線の何れでも敗れると信じて疑わなかった。

 "あと出しジャンケン"だなァ…と読み進め、この本の成り立ちを知って驚く。
 第一部「ソ連の勝因」は、原題を「ソ連戦力の精神的側面に関する研究」と云い、昭和19年の小磯内閣当時、"ドイツ救援のためソ連と開戦すべき"の声が上がったのに対し、ソ連に背後から襲いかかった所で勝てるモノではないと、戦前刊行された書籍など用いて懇切丁寧に説明したもので、外務省関係者を通じて重光葵外相に提出した文章だと云うのだ。
 第二部、第三部は昭和20年に、鈴木内閣の東郷茂徳外相に向けて書かれ、やはり人づてに出された提言書なのである。
 つまりこの本は、帝国日本が敗戦に向かおうとする時期に、"アカ"が政府要人に向けて記したモノと云うわけだ。それが出来る程度には"無害化"されていたのだろうが、警察の監視下にあったと云う。

 そう云う色メガネで第一部を読んでいくと、ソ連国民の戦意の堅さ、工業生産力の高さを語るのが、帝国日本のそれへの裏返しの批判である事が伝わってきて、なかなかに面白い。
 日本国内に流布されているソ連観(独ソ戦当初にあったソ連早期崩壊説など)を批判する中で、ソ連民衆は、帝政ロシア時代より生活水準・文化水準が向上し、もはや無知蒙昧とは云えない。それを成し遂げた共産党とスターリンを信頼しており、祖国防衛の戦意も高い。工業生産力は衰えておらず、食糧の備蓄もある。だからソ連は負けないとしている。
 中身そのものは政治体制、生産力、国民生活、女性の活用などを延々引用・紹介するもので、読んでいるとソ連の宣伝記事も同然に思えてくる。分量も150ページくらいある冗長なモノだ。

 しかし、第二部はすでにソ連が中立条約の破棄を通告(20年4月)し、ドイツが降伏(5月)したあとの20年6月に書かれたもので、分量も14ページに抑えられている。
 国内の一部に見られた"親ソ観"を、日本が現存する最後の反共国家である事実で一蹴。ドイツが倒れた以上、ソ連が日本と妥協する必要はなくなったと看破する。それでも、アメリカと直接講和交渉の余地が無い現状では、ソ連の仲介を得るしかない。それにはどうすれば良いかを提言するものだ。

 第三部は大日本帝国の指導者たちが、ソ連が仲介に立つかどうか、その返答を待ちわびていた20年7月に書かれたもの(その返事が8月9日の参戦だ)。
 ヒットラーの躍進が、ドイツ国民の全面的支持によるものではなく、ナチス党の暴力による反対党の制圧と、ドイツの「赤化」を恐れる英・仏の外国政府の支援によってなされたものと見なし、国民の大多数は形ばかりの支持を示したに過ぎないとしている。
 ドイツの戦争目的の変転―欧州新秩序の確立から、欧州をボルシェビキから防衛する事に変わり、最後は"祖国防衛戦争"て敗北に至る―と云う現象と、ベルリンに攻め込まれるまで戦争をやめる事が出来なかった、指導者の「講和に対する勇気の欠如と無能」を指摘する。
 独裁政体での失策は、指導者の自己批判がなければ矯正に至る事が無い。また人民の積極的な支持がなければ総力戦での勝利は得られない事から、独裁とは、戦争遂行に最も不適当な政治形態なのだと結論づけている。
 これを、日本の政権批判に置き換えながら読むのが、推奨される"正しい読み方"なのである。

 しかし、こんな人でも、「スターリンが、党中央委員会の許可を得た上でなければ、(略)施政上の意見を述べることを敢えてしない」、「スターリン政権は最も民主的な政権である」など、彼が決して独裁者などではない、と本書の中で何度も言及しているのだ。有名な"粛正"についても、「政府と党とは、法律上の犯罪者たる明白な証拠があがるまでは、彼等(註・反対派)を処分することはしなかった。(略)その余りに寛容な態度に、むしろ奇異の念を抱かせるような点が少なくなかった」と評している。
 人間、見たくないモノは見えないように出来てるらしい(自戒しよう)。
 前置きがいつもに増して長くなってしまったが、今回はこの本の第二部「ソ連最近の対日態度に対し我国の執るべき方策」の全文掲載をやる。
 例によってタテのものをヨコにして、仮名遣いなどを改め、適宜改行を加えてある事をお断りしておく。

 ソ連最近の対日態度に対し我国の執るべき方策

 はしがき
 今から五年前、独ソ戦争が勃発した当時において、今われわれの眼前に事実となって現れているところの光彩陸離たる赤軍の大勝利を予見していた者が、果してあったであろうか? それは極めて少数ではあったが、我国にも存在した。また、大東亜戦争の緒戦に当たって、今われわれが当面しているこの未曾有の国難を予見していた者があっただろうか? それも何人かはあった。
 だが、これら少数の具眼の士は、沈黙を守っていた。我国には治安維持法などいう世界に類い希れな法律が存在していて、言論の自由がない。誰しも刑に処せられることを好みはしないからである。だが、今にしてみれば、これは国家のために、この上なき不幸なことであった。
 ところで、わが政府は如何なる見解を持っていたか? わが陸海軍は如何? まさかに、ドイツの没落を予見していたならば、この盟邦と東西呼応して、世界新秩序の建設を宣言することはしなかったであろう。まさかに、大東亜共栄圏建設の戦略戦術には、サイパン島の失陥、沖縄の苦戦、更にまた帝都をはじめ重要都市の壊滅までが予定されていたわけではなかったであろう。もしそうであったとしたら、まさに狂気の沙汰である。それ故に阿南陸相は今議会において、「深く責任を感じている」と言明したのである。

 善い哉! その言明は大出来であった。だが、然らば、陸相は如何にしてその貴き責任感を完うしようとするのであるか? 今や事態は、政府並びに軍当局よりして公然と、議会において、敵軍による本土分断の予想すらが言明せられるところまで来ているのである。この秋に当たって、徒らに本土死守を呼号し、一億玉砕を号令することが、この責任感をまっとうする道であろうか? 断じて否である。
 「世界新秩序の建設」は夢と消えたのか? 大東亜共栄圏の建設は、遂に成らなかったのであるか? 若し陸相にして、真に責任を感ずるならば、この質問に対し、一億国民はいうまでもなく、大東亜十億の人民の一人一人が納得するように、正々堂々と所信を披瀝して、明確なる答弁をしなければならぬ。さもなくば責任回避である。

 もし、不幸にして、今や軍においては、「本土死守」以外には何等の戦略も戦術もあり得ない事態に立ち至ったのであるとするならば、陸海軍に代わって、「新秩序建設」の主導権を他の者が握らなければならぬ。なんとなれば、この戦争は「本土死守」などという消極的なものではなく、世界と大東亜とに新秩序をもたらすための戦争であったではないか。すなわち、舞台上の主役は代わらねばならぬ。だが、新たなる主役は何人であろうか? それは「外交」でなければならぬ。「軍事」に代わって「外交」が舞台の正面に登場し、国家の運命を背負って立つの役割を演じなければならぬ。

 今日の事態に対する、痛烈な批判が語られる。著者その人が治安維持法で検挙され、「沈黙を守」っていた一人である。対米英戦を始める前に発言の機会があれば、の無念さがここにはあるのだが、「世界新秩序」「大東亜共栄圏」の旗は降ろしてはならぬ、と述べている事に注意が必要だ。

 一 刻下における我外交の対象について
 今日我国の大多数の人々はソ連に対し多大なる期待を寄せている。最も懐疑的な人々すらが、この戦争の成行如何に拘わらず、ソ連は最後まで中立を守るであろう、と観測している。極端なる楽観論者になると、ソ連は、米英の太平洋における覇権を喜ばないが故に、我国の出ようによっては、我国に加担することだとて、まんざらあり得ないことではない、と夢見ている。
 われわれもまた、刻下における我外交の対象はソ連であると考えている。(いま直接、アメリカへの橋がかかるとは思えないではないか)。極言するならば、対ソ外交の成否こそが、我国の運命の決定点であろう、と考えている。(その理由を述べることは省略)。だが、同時にわれわれは対ソ外交の成功について、決して安易なる希望的観測をなすものではない。いな、むしろ悲観論者に属するのである。これを成功にまで漕ぎつけさせるには、余りに多くの障碍があり、余りに多くの悪条件がある。但し、ソ連を米英から切り離すことなどは不可能事に属する。

 (1)第一の障碍は、ソ連が我国を世界中で最も危険な侵略国と考えていること。
 ソ連が我国に対して特別なる好意を抱いている、という説が、一部の人士に信ぜられている。これらの人々の信念に対して、今ここに一々批判を加える暇はないが、少なくともこれらの人々は、ソ連が今以て米英及び重慶とは同盟国の関係を維持しており、他方、我国に対しては、中立条約すら廃棄せんとしつつあるということさえ忘れているのである。
 例のスターリンの最近の演説(昭和十九年十一月六日)における我国に対する侵略国呼ばわりに最も驚かされたのは、これらのお目出度き人々であった。だが、何を今更驚くことがあろうか? 日本は世界中で最も好戦的な、最も侵略的な、危険極まる帝国主義国家である、というのが、ソ連人の常識ではないか。
 上はスターリンから下は小学生に至るまでが、そう信じている。凡そ日本について書かれた数知れぬソ連人の文章の中で、侵略国呼ばわりしていないものは、唯の一つもないのである。試みに、レーニン、スターリンの著書の一つも読むがよい。日本が侵略国たるは、したがって、好戦的たるはその宿命である。と彼等は断言している。なぜかというと、日本は元来「持たざる国」であるが故に、資本主義的に発展を遂げんとすれば、勢い他国の領土を侵略せざるを得ないからである。だから日本は、明治維新以来、少しでも隙があったらつけ込もうと、夜の眼も寝ずに、侵略戦争の機会を狙い、一切を犠牲にして、戦争の準備をつづけて来たのである。このような国が存在することは、世界平和のためには、まことに厄介千万なことである、と彼等はいうのである。ソ連人は悉くそう信じている。そして、このような国を隣邦に持っていることを、決して幸福だとは思っていない。寸刻も油断はならぬと考えている。張鼓峰事件にしても、ノモンハン事件にしても、日本側よりの意識的国境侵犯によるもので、決して偶然に起ったものではなかった、と彼等は信じている。

 而して、ソ連は極力日本と事を構えぬように努力して来た。国境に攻め込んで来れば、止むを得ずこれを追っ払わなければならぬが、なるべく事を荒立てたくない、という方針であった。
 ソ連の要人は苦労に苦労を重ねて来た傑物揃いである。それがため、必要とあらば、「侵略国」の使臣に対しても、コーカサス産の上等の葡萄酒ぐらい振舞うことも惜しまぬ。笑顔をもって肩を叩くことぐらいは、朝飯前の芸当である。だが、それを見て、「東洋人同志」に対する「好感」だなどと信じてしまったら、余り人が好すぎるであろう。
 ソ連が大東亜戦争において、今日まで忠実に中立条約を守りつづけて来たのも、それは決して「好意」からではなかったのである。それ以前、いわゆる社会主義建設に忙しかった時代に、我国と事を構えることを極力避けたのと同様に、ドイツという強敵と戦いつつある時、ソ連は我国に背後を脅かされる危険を、出来るだけ避ける必要があったからである。それ故に我国に対して、極力平和維持に努めて来たに過ぎない。
 このソ連に対し、何人が如何にわが「聖戦」の「真意」を説いたところで、それは壁に向って物言うに等しい。我国のインテリ階級すらが、大東亜戦争は東亜民族解放の聖戦なり、という政府ならびに軍の度々の声明に対して、皮肉な苦笑をもって応えている有様ではないか。

 ソ連が崩壊し、21世紀も20年目を迎えようと今日、ソ連の脅威は、中国の脅威に置き換えられた感があるが、それと同じような感覚をソ連は持っていたと云う指摘だ。
 「シベリア出兵」の前科があり、満洲事変以降の日本の「躍進」も、今日の眼で見れば主権国家への、あるいは宗主国の混乱に乗じた侵略と云われれば何も云えぬ事実を思えば、ソ連の感情もわからぬでもない。
 「上等の葡萄酒ぐらい振舞う」「笑顔をもって肩を叩く」のは、スターリンが松岡洋右にやった事である。「極端なる楽観論者」への厭味に他ならない。
 先に「世界新秩序」「大東亜共栄圏」の旗は降ろしてはならぬと述べたはずなのに、「聖戦」の「真意」など日本のインテリすら苦笑しているモノをソ連が受け入れるわけが無かろうと、筆がすべっている。

 (2)第二の障碍は、我国が世界中で最も極端なる反共産主義国家であるということ
 この点は説明するまでもないことであろう。我国は、内においては治安維持法を布き、外においてはドイツと結んで、全世界から共産主義を掃滅することに努力して来った。(近衛公も平沼男も、国際反共連盟日本支部の顧問であった)。
 ドイツその他の反共産主義国家においてすら、共産党が公然と活動した一時期があったが、我国においては曾て一度として共産党の合法的存在を許されたことはなかった。そして、今や我国は、ドイツ没落の後においては、共産党の存在を許さぬ世界唯一の大国となった。すなわち、我国はイデオロギー的にもソ連に対して、最も尖鋭的に対立する国なのである。
 この点から考えても、ソ連が我国に対して好意を持たないことは、当然であるといわなければならない。

 ソ連は我国を、封建的な専制政治の国と見ている。すなわち、憲政といっても。それはほんの真似事に過ぎず、人民を代表する議会は全く無力であって、軍人と官僚が意のままに人民を支配する。資本家と地主とは、これと結託して、思う存分に人民を搾取する。労働者農民の状態は、英国の植民地の土人のそれ以下である。人民の反抗に対しては、警察と憲兵と軍隊とによって、残虐きわまる弾圧が下される。言論、出版の自由はもとより、労働組合、農民組合の存在すら許されぬ。実に、日本という国は、世界中で最も野蛮な、最も憎むべき国家である、と彼等はいうのである。
 さて、ソ連は大東亜戦争について如何にいうかといえば、自国においてすら、かくの如き最悪の政治を行っている日本が、他国を侵略し、その人民を支配した場合、如何なる事態を生ずるかは、敢えて想像するまでもないことだ、と見ている。それ故に、我国朝野の宣伝機関が如何に大童になって、共栄圏の建設、被圧迫民族の解放を声高く叫んでも、ソ連ではセセラ笑っているのである。
 我国軍官民の間に、我国の大東亜政策は、ソ連の民族政策とその本質を同じうするものである、と説くことによって、大東亜戦争に対するソ連の協力を誘い出そうとする奇抜なる着想がチラホラ見えるが、しかし、ソ連人といえども子供ではないのであって、その手には容易に乗って来ない。そして曰く、「まず最も手近な朝鮮と台湾とを解放し、南樺太を返還してから話に来給え」と。

 (1)と同工異曲な指摘ではあるが、ソ連の立場を説明するのに便乗して、著者が今まで受けた仕打ちとその口実を、帝国存亡の危機にかこつけて批判しているようにも見える。
 日本が「反共産主義国家」と明記されていると新奇な印象がある。

 (3)最悪の条件は、ソ連の我国に対する戦略的地位の強化である
 前にも述べたように、ソ連は我国と事を構えることを好まず、何事かが起っても、なるべく穏便に、穏便にと処理し来り、そして、大東亜戦争開始以後においても、四角四面に中立条約を守り通して来たが、これは決して我国に対する好意好感からではなく、一つの便法に過ぎなかったのである。
 だが、ソ連のこの態度が、今後何時まで継続されるかは、保証の限りではない。すでに本年(昭和二十年)四月の中立条約不継続の通告において、その兆候が現れているではないか。
 ところで、何がソ連をして対日態度を硬化せしめたのであるか? いうまでもなく、ソ連の我国に対する戦略的地位が、最近著しく強化されて来たからである。そして、それは時々刻々に強められて来つつある。この点については、更めて説明の要もあるまい。
 すでに強敵ドイツは征服され、ベルリンには赤旗が翻っているではないか。欧州諸国は殆ど残らずソ連の衛星国家となりつつあるではないか。世界の労働階級の中で、最も頑固な反ソ分子であった英国の労働者の間にすら、親ソ傾向は著しく増大し、英国労働組合は、従来拒絶しつづけて来たソ連労働組合との会合を、今や欣然として実現させたではないか。労働党は親ソ政策をその綱領の第一に掲げて、政権獲得に進出している。ソ連はもはや、西部国境線に何等の不安を感ずることなくして、東方に兵を用いることが出来るようになった?(ママ)
 或いはソ連は、独ソ戦争において、その戦力を消耗し尽くしていまい、もはや東方に作戦する余力を持たぬであろう、と説く者もあろう。しかし、これは甚だしき認識不足である。独ソ戦争の最中にソ連は軍需生産力を著しく増大させた。それは戦前の水準をはるかに突破している。且つ量と共に質においても驚異的に向上している。―このことは、誰よりもヒトラー自身が、あのスターリングラード敗戦後の歴史的な演説において、悲痛にも口をきわめて証言しているではないか。
 また、たといソ連が独ソ戦争によって多大な打撃を蒙っているとしても、我国もまた大東亜戦争によって、それに勝るとも劣らない創痍を蒙っているではないか。且つ米軍の「物量攻撃」を撃退しかねて、制空権も制海権も敵の手中に奪い去られている我国の現状に比して、ソ連の立場の有利なることは、比較すべくもないではないか。

 これを要するに、今やソ連にとっては何等我国を恐れる必要はなくなった。したがって、我国との妥協の必要もなくなったのである。このことは、従来のわが対ソ外交の基盤の喪失を意味する。
 これはまた同時に、我国における対ソ楽観論の最後の地盤の消失となる。わが国軍官民の一部には、依然として、ソ連はいわゆる「反ソ十字軍」に対抗するために、我国を味方につけておく必要を感じている、という説が行われている。共同の敵たるドイツの征服が完了すると同時に、英米対ソ連の間の利害対立がいよいよ露呈せられるに至ったことは、最近の新聞が雑多な事実を挙げて、これを説明するまでもないことである。この対立は、米英を指導者とするいわゆる「反ソ十字軍」の結成にまで生長する危険性を孕んでいることを、ソ連当局が感じているであろうことも、或いは事実であるかもしれない。とはいえ、従来から全世界の反共産主義国家の最先頭に立って来たし、現在でもなお立っているところの我国を、ソ連は果たして信用するであろうか?
 前にも述べたように、ソ連にとって、わが日本はこの上なき危険な隣人である。このような隣人を持っていては、枕を高くして安眠することは出来ない。だからこれと争っては不利であるうちは、なるべく相手を刺激しないように、程よく妥協して行くことが賢明である。ソ連は従来我国に対して、そのような態度をとって来ている。けれども、もし勝つ見込がつくならば、何を躊躇しようぞ、直ちにその息の根を止めてしまい、禍根を永遠に除去するに越したことはなかろう。ソ連は我国に対して、今やそのような態度に出んとしつつあるのである。

 この点を、もう少し具体的に述べよう。
 第一に、もし我国が大東亜戦争に勝利した場合はどうか? ソ連はこのことを最も嫌っている。その理由は明白である。我国は直ちに共産主義撲滅の十字軍を率いて、ソ連に侵略して行くであろうから。
 第二に、米国が勝利する場合は如何? わが本土はドイツの如く米軍によって占領せられるであろう。これまたソ連にとっては、歓迎すべき事態ではない。もしも米軍がわが本土に駐屯し、わが本土の到る所に空軍基地を設けるとしたならば、極東ソ連は大なる脅威を感ぜざるを得まい。
 しからば如何になすべきか。ソ連としては、時機を見て米英に加担し、我国を無条件降伏に導き、侵略国家として再び起つ能わざる状態にしておくことが、最も賢明なる策である。而して、我が外地、我が本土の重要地点をその手中に確保することによって、わが本土が米国のみの前進基地になることを防止すると同時に、日本海を自己の領海と化するのみならず、更に太平洋への進出の宿望をも遂げんとするであろう。
 ソ連の対日戦の参加は何時であろうか? これの判定は甚だ難しいが、恐くはそれは米軍のわが本土上陸と同時に行われるのではあるまいか。
 では、対ソ外交は絶望であるのか? 筆者はさきに対ソ外交こそが、刻下の国難の絶体絶命的窮地を打開するための唯一の血路である、と断定した。且つ、但し、この外交はきわめて困難である、と附言した。そしてまずその「国難」について述べたのである。次に、この困難をいかに解決し、そして、如何にして、困難打開の血路をそこに見出すべきかについて述べよう。

 「ソ連の我国に対する戦略的地位の強化」とはわかりにくい言葉であるが、"ソ連はその気になれば日本をどうにでも出来る"と云ったところだ。史実を見れば、ソ連が日本本土の重要地点を押さえる事以外は、この指摘通りに事態は推移したと云える。ソ連の対日参戦時期が予想より早まったのは、ヤルタ会談での密約によるものだから、そこをはずした事は責めようがない。戦後日本の反ソ感情はそれで強化されたと云える。
 「東方に兵を用いることが出来るようになった?」の"?"はそこまでの文脈から見て、明らかに不要であるが、著者の安全弁として敢えて記している。言論の自由が無いとは、こんなマネを強いることでもあるのだ。

 二 我国はソ連に対し、如何なる方法を以て、如何なる要求をなすべきか?
 わが対ソ外交の目的は「大東亜共栄圏建設」に対するソ連の協力を得ることにある筈である。そしてまた、ソ連仲介による対米交渉に進まんとするにも、やはりこの道以外にはあり得ない。
 以下にその構想を述べよう―
 (1)まず満洲よりの撤兵―ソ連に対して安全感を与うるために
 (2)然して、我方は大東亜諸国の内政への干渉を一切精算して、これらの諸国をして、名実ともに完全なる独立国家たらしめる意図を有することを、ソ連に通告し、これに対するソ連の緊密なる協力を要求すること。この条項には、さきに我政府が全世界に対して声明せる「適当なる時期における中華民国からの撤兵」の断行をも含む。若し我国が、言葉のみでなく、先手を打って、この声明を実践に移すならば、ひとり対支および対ソの外交のみならず、米英との間に、比較的に不利ならざる手打ちという外交上のゴールに到達し得ることも、ここに或る程度期待し得るかもしれない。
 (3)大東亜宣言の主旨をあくまで徹底させて、朝鮮を独立国たらしめ、これに対して外交関係の開始、更に進んで相互援助条約の締結をソ連に要求すること。
 (4)我国内においては、治安維持法を撤廃し、ソ連との親善関係を促進すること。(何となれば、日本人にして国体の変革を企図する者は、今や極少数の例外たるに過ぎず、これを放任するも、大なる問題たり得ないことは、明白である。我国の国民性はそれほど「不健全」なものではあるまい。)
 (5)若しそれ、更に一歩を進めて、我国行政中枢の一大改革を行い、国民各界を代表するに足る民間的、人民的内閣を組織するならば、内には民心の支持が高まり、外には中立国ソ連のみならず、反枢軸諸国の対日戦意は低下し、戦争処理を目指すわが外交の隘路は、これ(に)より打開されるであろう。この期に及んでの内閣の性格変更ということは、極めて難事業である。然し、これは対ソ外交を志向する限り、不可避の前提となる。

 ところで、最後の重大問題は、以上の外交を推進するために、何人をソ連に派遣すべきかということである。もしその人選にして適切ならざれば一切は画餅に帰するであろう。しからは、如何なる人物を選ぶべきか?
 その第一資格は、官僚にあらず、軍人にあらざること。第二の資格は、ソ連よりいわゆる「ファシスト」と見られる虞れなき人なること。然して、最後に、ソ連要人と十年の知己の如く、胸襟を開いて語り合うことの出来る人でなければならぬ。巷間に「何某」をソ連に送れという声をしばしば聞く。しかし、彼がソ連の眼より、代表的ファシスト外交官なることを、人々は何故に気付かないのであろう。かくて筆者は、真にソ連に対する認識に透徹せる旧無産運動陣営より、数名を簡抜して、この大任を託する以外に方途なし、という結論に到達せざるを得ないのである。
 (昭和二十年六月執筆)

 相当の無理筋と云わざるを得ない。
 日本国内のインテリが苦笑し、ソ連が理解するわけが無いと述べた「大東亜共栄圏建設」を大義名分に押し立てるしかないと云うのだ。
 満洲、支那からの撤兵とはハル・ノートの受諾に等しい(それが出来なかったら米英と戦争したのではなかったか?)。また、国体護持の確証を得られず右往左往しているうちに原爆投下とソ連参戦を迎えた事を思うと、民主政体への移行も困難だろう。
 しかし、これの実行が出来れば連合国側に戦争を続ける理由はなくなる。特に(5)は軍隊の解体や指導者の追放こそ謳っていない(指導者の一人に出した提言にそれは書けまい)が、7月26日に出されたポツダム宣言の内容を先取りしている。
 占領されざる敗戦の目もあったのではないか? と思わせるのだが、仲介の労をとったソ連が、史実でのアメリカの役割をするだけの結果になるだろう事は想像に難くない。
 (4)に付記された「日本人にして国体の変革を企図する者は、今や極少数の例外たるに過ぎず、これを放任するも、大なる問題たり得ないことは、明白である。我国の国民性はそれほど「不健全」なものではあるまい」と書かれているのは興味深い。
 戦後「言論の自由」が保証され、天皇制廃止を訴える言葉が世間に出されても、国政の場に出るほどの影響力はなかったし、昨今の皇統のあり方をめぐる議論が、男系厳守・女系容認と云うところに留まり、天皇制の自然消滅を見守ろうと唱える声は殆ど表に出て来てない。

 結局のところ、明治政府発足以来の政府批判を抑圧する仕組み―下々の者は治世に口を出すものではないとする態度―が、国の舵取りを誤った時、それを正すことが出来ずに帝国日本の破綻を招いたのである。

 訪ソ使節の下馬評にあがり、本稿で「ファシスト外交官」と称された松岡洋右はもちろん、高津正道らが無産派代議士と語らって決めた候補(具体名は不明)がソ連に遣わされる事もなかった。本稿でさんざ言及された日本観を「上はスターリンから下は小学生まで」持っているソ連が、日本の頼みを聞くメリットは何ひとつ無いのだから当然だ。
 本書には記述は無いが、"手土産"の議論はあっただろう。しかし、それ以上のものをもぎ取る自信をスターリンは持っていたとは思う。
(おまけのおまけ)
 これを書きながら『証言 治安維持法 「検挙者10万人の記録」が明かす真実』(』(NHK「ETV特集」取材班、NHK出版新書)を読む。

 共産党員・そのシンパに対する検挙から、法律の解釈拡大に基づく「普通の人」への適用、朝鮮独立運動を標的とした半島・在日鮮人への適用と、「稀代の悪法」ぶりを具体例を挙げて語り倒す本だ。
 「生活図画教育事件」―師範学校の美術部顧問と学生が検挙された事件―の項では、当時司法省でまとめられた資料に掲載された「画」が紹介され、当局の見立てが紹介されている。
 リアリズム調で描かれた"雪かきをする児童"の画は、「(略)児童の意欲的なる表情と姿態は作者の階級意識を如実に現し」ているとされ、"精米所で働く人"では「共産主義社会に在っては機械と人とが真に一体となって働くことが出来るとの作者の意識を此の画面に表現せるもの」と見なされ"犯罪行為"の証拠とされている。

 本書では、法の拡大解釈を積極的に行った事も記されており、正義の名の下で国力を削っていただけではないか、敗戦の原因はこの法律にあったんぢゃあないか、などと思ってしまう。
(おまけの課題)
 今回時間の関係で調べることが出来なかった所がある。
 重光、東郷両外相に献呈された、これらの提言書はちゃんと読まれたのか?
 本書では「Y氏」「T氏」となっている仲介者は誰なのか?
 著者は戦時中、何で喰っていたのか?
 読者諸氏が喜ぶとは到底思えないのだが、調べてみたいと書いておくと、次回のネタを考えなくて済むのであった。