ムダ子さん、タメ子さん

川崎貯蓄銀行パンフレットで81万4千おまけ


 「兵器生活25年」にはマダ早いのだけど、毎月の記事をこさえるために買った、本・チラシ、道楽で買った本・雑誌、世間に追従するため買った本・雑誌が、部屋と台所に野積み山積みになっている。
 「兵器生活」のネタは、一文字一文字キーボードで打ち込んでいるから、文字面だけは真剣に目を通さざるを得ない。それでいて内容はしょーも無いモノが多いから、紹介したあとは部屋に積み上げるだけ。「使い捨て」みたヨーなモノである。しかし捨てられないし、売り飛ばすのも面倒なので、「ゴミ屋敷」(ただしひと部屋)化が進むばかり。
 書籍・雑誌の類は、積み上げれば傾いたり(たまに)崩れたりして、それをまた適当に積み直す―そうしないと寝る場所が無い―から、へんな曲り方をしてしまう。紙切れは本の山崩れに巻き込まれて―コイツらと雑誌が「山崩れ」の元凶なのだ―本の下敷きとなり、泣くに泣けないことにもなる。
 いずれ「紙屑」になるのは免れない。盛者必衰。栄えたためしはドコにも無いが。

 そう考えると、ハナっから「紙屑」同然のモノをネタに使った方が、世のため人のためなんぢゃあないか? なんて気持ちになって来る。
 高円寺の古書会館に行き、薄い―可愛い子の画が載っているわけではない―雑誌やパンフ・チラシといった「紙屑」が並んだトコロを丹念に掘り返し、こんな「紙屑」を買う。


「川崎貯蓄」第33号(昭和6年2月号)

 「川崎貯蓄銀行」―のち、系列の川崎第百銀行に吸収され、戦時中に三菱銀行に統合される―が発行した、パンフレットだ。貸付金で助かった話、貯蓄読み物、俳句投稿欄などが載っている、8ページの読み物である。そこに載っているマンガが、しょーもないンだけど、戦前生活の一面を描いているトコロがあり、大金2百円投じて持ち帰る。

 「貯蓄漫画 ムダ子とタメ子の生い立ち」(木村豊)
 ムダ子とタメ子。貯蓄を奨めるマンガとは云え、あまりにも露骨な名前が素晴らしい。この名を世間様に広めたいがために、買ったヨーなもの(笑)。
 例によって縦書きをヨコ書きに改め、仮名遣いなども調整してある。


貯蓄漫画

 右側が「ムダ子」で左が「タメ子」。6コマ目でタメ子さんは良縁に恵まれ、マルで囲われたムダ子さんが「モヤモヤ」としている、あまりにも解りやすいマンガである。
 詞書きは、活動映画の弁士ふうに、情感タップリ・朗々と読み上げると雰囲気が出ます。


 (一)一にもシネマ二にもシネマ、シネマなくては夜の明けぬムダ子さんは、一昨日はO館、今日はP館とキネマ見学に夜を日につぎ 貯蓄なぞについては目もくれませんでした。

 ムダ子さん、お下げ髪だから女学生なのだろう。ヒールの高い靴に踏まれている「お金」を擬人化したモノに注目です。
 「O館」「P館」、東京市内の名の知られた映画館なのだろうが、この方面の知識が無いので何も云えぬ。「オデオン」「ピカデリー」なんて名前が浮かぶ。近所の図書館で調べてみようとしたが、和名のナントカ館・ナントカ座ばかり―「道玄坂キネマ」なんてぇのがあった―で、良い資料も見つけられず。



 (二)歩くことも余り好きでありませんから、自然ムダ子さんは余り遠くないC町へもドライブ M百貨店へもドライブ N停車場へもドライブという具合で、お父さまから頂戴する毎月のお小遣いも またたくまにフッ飛んでしまいます。

 「金」さんタクシーに轢かれている。M百貨店は「三越」なんだろう。N停車場は「中野駅」か「日暮里」か? 東京市内1円の「円タク」を乗り回しているとすれば、中野・日暮里は範囲を越える。市電なら「電停」となるから、鉄道駅と見なければならぬ。ではC町は? 解らなくても生きるには勿論、本稿を作るためにも困りはしないが、こう云うトコロが気になってならない。
 毎月のお小遣い、とあるから貧乏人ではないが、現金を持ち歩くのだから華族令嬢とまでは云えぬ。



 (三)それからムダ子さんは名に背かずムダ喰いがさかんです。チョコレート、ヌガー、ビスケット、ドウナッツ、甘栗、甘納豆、ボンボン、キャラメル、ミカン、するめ、リンゴ、バナナ、パイナップル、ネーブル等々

 広島江波在住の「浦野すず」さんが羨ましがるヨーな甘いモノを、これだけ喰って、しかも歩かないのに太らないムダ子さん。お腹に何か飼っているのではありませんか? 「するめ」が入っているから歯は大丈夫のようです。
 そして「金」さんは、最後まで踏みつけにされているのである。このコマだけは嬉しそうにも見える(笑)。


 続いてはタメ子さんのお話。


 (四)それに引替えタメ子さんは、必要でない処は徒歩礼賛で出かけます。健康と貯蓄とを彼女の願わぬ日とてはありませんでした。輝く太陽、輝く貯蓄、タメ子さんは健康そのものの身体の持ち主でありました。

 右手に「オカネ」(お金)が輝き、左手には「川崎」の通帳か證券。ツンと済ましているのが面白い。ムダ子さん、タメ子さんともにヒールのある靴を履いているところも見落としてはならぬ。絵描きは若い娘の足を描くのが好きと見た。



 (五)大地の空気を思い切り吸う事、そして自然と親しむ事、跳躍、跳躍、戸外運動、これは彼女が貯蓄心と共に切っても切れぬもの、忘れてはならぬ一緒に伸びゆくものであったのです。

 テニスをしているタメ子さん。元気ハツラツに見えぬところが実に良い。そして靴の踵はここでも高い。足首を痛めたりしないか心配だ。



 (六)歳月は流るる水の如く、地球の回転と共に同じ事を繰り返している間に数年は経ちました。タメ子は健康な身体をもって 今は良縁調い、貯蓄の方も丁度満期になったので、晴れ晴れと着飾る事が出来ました。
 だが、だが! だが!!! ムダ子は?
 彼女は今は昔日の如何にムダが多かった事を悔い 憂鬱な日を送らねばなりませんでした。


 幸せな今日を迎えるタメ子さんのバックには「川崎」の文字(笑)。結婚が女の幸せとイコールだった時代の話ではある。
 ムダ子さんは、貯蓄をしていなかったがゆえに、「憂鬱な日を送る」と云う。毎日映画を観て、タキシー乗り回し、買い食いしててもオッケーなお父さまが健在であれば、きっと何とか―お前のために積み立てておいたのだ、と川崎貯蓄銀行の通帳を渡してくれる、など―してくれるヨーな気がしてならぬ(笑)。
 それなりの年齢になったムダ子さんが、和装になっているトコロを見逃してはいけない。髪形は案外モダン。カフエーの女給にでもなったのか。

(おまけのおまけ)
 「川崎」の文字が、これでもかと出て来る―宣伝物だから当然なのだけど―が、川崎貯蓄銀行を含む川崎財閥―重工業をやってるのとは異なる―は、各地に銀行支店を建てて行く。川崎銀行の名前は忘れられて久しいが、その建物はいくつか現存していると云う。

 川崎財閥の生き残り、川崎定徳株式会社ホームページには、その沿革とあわせ、現存する建物を紹介するページがある(http://www.kawasakiteitoku.co.jp/archi.html)。
 関東だと、国立歴史民俗博物館のある、千葉県佐倉市に川崎銀行佐倉支店の一部が佐倉市立美術館のエントランスとして利用され、千葉市には千葉市美術館が川崎銀行千葉支店を包むように作られている(外側からだと良くわからないのだが)。
 佐倉市のものは歴史民俗博物館に行った帰りに立ち寄ったことがある。千葉市美術館は、2014年に赤瀬川原平の大規模な展覧会が開催されたとき(会期が始まる直前に亡くなられ、回顧展になってしまった)に行き、建物の外側に別な建物をつくるやり方に驚き、外側の建物のデザインが、主筆の好みでは無かったので激怒した事を、この文を書きながら思い出す。当時の日記を読み返すと、銀行部分は映画撮影で立入が出来なかったと書いてある。もう10年になってしまうのか。