「宮武外骨主筆」を謳う

『奇抜と滑稽』創刊広告で81万7千9百おまけ


 高円寺の古書会館で、紙屑を漁るのが近頃の楽しみである。安い、一枚ペラだから「兵器生活」記事にするのが早い、これで世間様が「面白い」と褒めてくれれば云う事ナシなのだが、反応が全然ないから、ネタにしたあと嵩張らない、と云う利点を挙げておく。ともあれ良いことづくめなのだ。

 こんなチラシを見つける。


『奇抜と滑稽』創刊広告チラシ

 「宮武外骨主筆」に目が行く。値段は…安い!買ッたァ!
 会館を出て喫茶店に入り、コーヒー啜って文面に目を通す。以下に例のタテヨコ変換、仮名遣いの調整などやりお目にかける。

 宮武外骨主筆 曾て大阪に於て滑稽新聞を主宰し 満天下に其奇才を謳われたる外骨翁は 其後東京帝国大学内に『明治時代新聞雑誌保存館』の設立せらるるや其主任となり 同時に還暦再生の活動に入り、第二の故郷たる大阪にて創刊せる 本誌の主筆として翁一流の快筆を揮わるることとなった、蓋し天下の一大偉観である。
 軽佻、低級、浅薄、空論、空想、平凡、単調の読物に飽きたる人々は来れ、来って此高等罵詈と上品色気にて満たされたる本誌を読め。

 創刊雑誌が、既刊誌をくだらぬモノと斬り捨て、自誌こそ高級・時代に則した読み物である、と持ち上げる事は珍しくもないが、ウリモノが「高等罵詈」「上品色気」と云う、外骨先生の好きソーな言葉を使っているトコロが嬉しい。
 スローガンもある。

 ・本誌は上品にして又下品なり
 ・本誌は穏健にして又過激なり
 ・本誌は安価にして又愉快なり

 ここも良いですね。
 しかし、賢明なる「兵器生活」読者諸氏なら、外骨先生が自己の創刊雑誌宣伝にあたり、自身を「外骨翁」ナドと記すモノだろうか? と訝しんでいるはずだ。東京在住の当人が編輯・発行するのであれば、新たな発行所を、わざわざ大阪に設ける必要も無い。これは外骨の名声を利用した新雑誌なのではないのか?

 バスで中野区立中央図書館に行き、『宮武外骨此中にあり』の「21 雑誌集成 不二 下 ‐6〜10号‐/奇抜と滑稽他」(ゆまに書房1994年)を借り出して来る。創刊1号は昭和2年4月5日印刷5月1日発行で、そこに「かつがれて主筆」と云う外骨の文章がある。要点だけ引く。

 主筆というのは編輯総統の義にあらずだから、固より全誌面の責任を負う者ではないが

 ……。
 ……。
 「宮武外骨」の名前が入った雑誌創刊広告を手に入れただけで充分ぢゃあないか…。150円だったし…。今月のネタにするのだし…。

 広告文面に戻る。

 創刊号内容一斑
 ・代議士選挙官弁法案(註:『勘弁』と懸けてある)
 ・議会の印象 ・租税横領法案
 ・妊娠の考慮 ・銀行取付騒ぎ
 ・全集の全集 ・世界賭博大系

 ・明治猥褻史
 ・奇妙なお札 ・キッスの起源
 ・震災手形  ・不良家庭の表裏
 ・鯰の癇癪  ・奇抜な挨拶状

 ・釈尊時代の堕落尼
 ・罪人運搬車 ・郊外住宅
 ・句仏の句  ・日活酒井米子対面記
 ・女優日記  ・大阪の名士

 ・自叙伝式の外骨逸事
 ・小鳥売買  ・適当な嫁入先
 ・惨酷な死刑 ・色あさり
 ・淫乱淀君  ・合法的脅喝団

 ・活動女優の戸籍しらべ

 ○此外挿絵漫画等々々山盛り

 エログロナンセンス時代の幕が上がりつつある印象だ。復刻ではあるが、本誌を借り出して来てしまったので、ザッと目は通す。創刊号を見ればナルホド掲げてある記事は載っている(校合まではやってないから、多少の相違はあるかも知れない)。全て面白い読み物かと問われる―読み物とは云えぬモノもある―と、興味深い記事はあるよ、と言葉を濁しておかざるを得ない。
 「解題」に引かれた外骨の回想によれば、「宮武外骨主筆」の標榜は2号限りでやめてもらい、執筆も4号でやめてしまったと云う。ただし5号にも自身の身体不調を語る「鬼のカクラン」と云う記事はある。ともあれ、ゆまに書房の叢書に収録された『奇抜と滑稽』は5号まで―刊行は表題を『滑稽新聞』に変えて続いた由―である。広告文面からの違和感は正しかったのだ。


 この画は、刊行された本誌にも掲載されている。老若男女、さまざまな人が描いてあるので、ドンナ人物がいるのかジックリと見てみるとヒマつぶしになります。普通の兵隊サンがいない。ナゼ?

(おまけのおまけ)
 『奇抜と滑稽』、面白くない、と云うより面白がるための知識習得が無いので話にならぬトコロがある。古書価も安くもないから買う気にはならぬ。しかし、面白い記事はあり、紹介することで読んでみよう、買ってやろうと考える人が無いとも限らぬから、図書館で借りた本の図版を引くのは不本意ながら、ひとつ記事を載せる。


全集の全集

 借り物なので、タイトルをいちいちテキスト化はしない。「○○全集」の両脇の言葉だけ載せておく。

 ナント皆さん、ヘンな事がハヤリ出したではありませんか、出版界の資本主義化実現だと云って居る人もありますが、ヤリクリ算段で一儲けしようとする類人猿も多いのですから今後の成行(なりゆき)が見ものであるに違いないと思います。

 「予約者後悔全集」、「予想裏切全集」はなるほどと思わせるが、「不読(よまず)ツンドク全集」、「中途ヘコタレ全集」あたりは実に―耳が痛くて―巧い。
 ここに「室内装飾ハッタリ全集」を加えたい。今日(こんにち)、文学全集・百科事典は応接間の飾りと揶揄される存在でもあり、見栄で揃えた人も少なくなかったと聞く。これに類する「全集」が揚げられなかったのが不思議ですらある。全集の出始めの時期で、まだ購買者の部屋に積み上がるまでに至ってないからか、外骨を始めとする執筆者が読書子ゆえ、本を装飾にする輩の存在を想像出来なかったモノと推察するしかない。

 続く左側の言葉も味わい深い。

 此全集の全集編纂は竹亭子(ちくていし)と協議で聊か考慮したものです、批評的の題名は現実観、其当否に異論もありましょうが、予断的の題名が果して的中するか否かは、ココ数月の内に決する事、徒(いたず)らの嘲罵と見ないで来(きた)る時をお待ち下さい(骨)

 「骨」とあるから、外骨が書いたものとわかる。協議した「竹亭」は、「解題」(吉野孝雄)に福良竹亭(虎雄)とあり、「東京日日新聞」の政治部長、編輯顧問などを経て、夕刊「大阪新聞」取締役編輯局主幹を務めた人との事。
 こっちを本題にしたかったなぁ。

(おまけの余談)
 この全集―「円本」と称されるようになる―の先駆けは、山本実彦率いる改造社「現代日本文学全集」とされる。永井荷風『断腸亭日乗(二)』(岩波文庫)、大正15年10月14日付の記述を引く。

 (改造社が、荷風の作品を「明治年間小説集」に収めるべく、荷風が敬愛している巌谷小波に説得を依頼したとの記述に続けて)是政党の策士或は奸商等の常に用る手段に異らず。悪むべきなり。(略)改造社主人山本氏は曾て毎日新聞社に在りし時、悪辣なる記者として名ありし者といえば、(略)名を文学に託して明治の作家の旧著を再刻して、遺利を獲んと欲するものに外ならず。

 改造社社長の山本実彦も、ユスリ記者同然である。これが昭和2年6月21日付になると、

 邦枝(註・邦枝完二)君来訪、偶然改造社々長山本氏に逢いたりとて全集本の事につきて語るところあり、山本は余に契約手附金として壱万五千円を支払い、周旋礼金として金五百円を邦枝子に与うべき旨言い居れば、枉げて承諾ありたしと云う、余邦枝子の言う所に従うべき旨返答す、邦枝氏直に自働車にて改造社に赴き、住友銀行小切手を持参せり、

 となるのだから、現金(小切手だけど)なモノだ。戦前2千倍で3千万円、3千倍なら4千5百万円が労せず入るのだから、「兵器生活」主筆だって転ぶ用意はある(笑)。荷風に「ウン」と云わせて、今の百万か百五十万せしめる邦枝完二も相当なタマですね。
 余談ついでに記すと、その後、荷風のもとへ博文館から、「現代日本文学全集」に収められた「あめりか物語」が、版元の著作権侵害であるとの抗議が寄せられ、改造社から受け取る予定の金から5千円(1千万~1千5百万円相当)の示談金を出す事になっている。『断腸亭日乗』の昭和2年9月30日付から10月4日付までを使い、その顛末と、博文館への「高等悪口」をぐちぐち書き残している。
 「同社(註:改造社)より受け取りたる金員は其額莫大なれども始めより無きものと思えばそれまでのことなり」とサラリと記し、博文館との訴訟も「一興」とするのだから、恒産ある者は強い(笑)。その荷風をして「其額莫大」と書かせるのだから、全集に載った作家が如何に潤い、載り損なった面々が如何に悔しがって血涙滂沱となったろう事が知れる。