「揮毫代金の受け取り」で81万8千7百おまけ
高円寺の古書会館で紙屑をかきまわしていると、こんな紙切れが出て来る。
揮毫料の領収証である。
証
金弐拾円也 碑文揮毫料
右領収仕り候也
昭和三年五月十九日 聖月石堂
精神満腹会御中
と書いてある。
「揮毫」されたモノを見ることはあっても、その値段・相場は知られていない。料金20円―1円2千円として4万円、3千円なら6万円―が、高いのか安いのか? 何文字の碑文に対して支払われたのか? これだけでは解らない。
書いた文字が、商売のタネになる人の肉筆・手書きの領収書なのだから、価値があっても良さそうなものだけれども、ネット検索で名前の出ない人の手だ。お値段タッタの150円。
柔らかい和紙である。毛筆使用を前提としたものらしい。よーく見ると
「静岡二葉青年会用箋」と印刷されている。揮毫を求めた「精神満腹会」なる団体、そのメンバーが差し出した紙が、青年会で使っているモノでなのだ。青年会で、それなりの立場―金銭のやりとりが出来るくらいの―人物が、「精神満腹会」にいた事になる。面白い。
「精神満腹会」って何だ?
ネットで検索してみる。「精神満腹」は、幕末三舟の一人、山岡鉄舟の言葉と出てくる。彼は最後の将軍・徳川慶喜から天皇(の威を借る倒幕軍)への恭順の意を伝え、江戸攻撃を回避させるべく、慶応4年3月に駿府に赴き、西郷隆盛と談判、江戸開城への道筋をつけることに成功する。
その道中、薩埵峠(さったとうげ)で、倒幕軍哨兵に見とがめらるのだが、峠手前の「望嶽亭」に逃れた鉄舟は、そこの当主の助けで、清水の侠客、次郎長―清水次郎長である―のもとに舟で送り届けられる。次郎長は手の者を鉄舟に同道させ、彼の任務達成を支援したのである。
こうして面識が出来た両者は、互いの人物を認め合う関係になり、明治21(1888)年の山岡鉄舟の葬儀には、次郎長一家が上京、その葬列に加わるまでになるのだ。
次郎長が鉄舟に、悟りとは何ぞや? と問うた時、鉄舟は「精神満腹」の一言で応えたのだと云う。そこから名前をいただいたのが「精神満腹会」であり、そこが昭和3年、次郎長の銅像を建てた事を知る。
昭和3年に精神満腹会が、揮毫代金20円支払ったのは、銅像の銘板か石碑にする文字を書いてもらったからではないのか?
これは現地に行かねばなるまい。幸い、ゴールデン・ウィークも来る。
東海道線清水駅は、新幹線が停まらず、JR在来線が東日本・東海に跨がるので微妙に行きづらい。5月1日の8時半ころ、新宿駅から湘南新宿ラインで小田原を目指す。早い電車で早く行こうと国府津どまりに乗ったものの、二宮で電車を乗り継いだら後から出た列車。ともあれ熱海まで。そこからJR東海運行の短い編成の電車に乗り換え、正午少し前に清水駅に着く。
駅構内で地味に置いてある。当代清水港の名物は、お茶の香りでも男伊達でもなく、「ちびまる子ちゃん」と「清水エスパルス」なのだ。
駅前では自民党の市会議員か何かが、清水地区発展を訴える演説をしている。「三保の空港を復活させる」、「海洋研究施設を拡充して、世界の研究者が家族連れでやってくる」など威勢良くブチ上げる。財源はドーすんだ。など思いつつ、駅前の観光案内所で観光地図をもらう。案内所のオッサンが何処に行くのか尋ねるので、「受取書」を見せると、「壮士の墓は是非行きなさい」とパンフレットをくれる。
バスで行くこと10分弱、次郎長の銅像とお墓がある、梅蔭禅寺最寄りのバス停につく。
お寺は、観光バスが数台置ける駐車場もある、立派なもの。さぁ見るぞと境内に入ると、休館中の貼り紙がしてあり、墓も銅像も見ることが出来ない! 落胆の余り、貼り紙の写真を撮り忘れる。金返せとはこの事だ。
「精神満腹」につられて来たものの、朝食・昼食取り損ねて「肉体空腹」。次の目的地「次郎長生家」を目指す。
「次郎長笠」と云う、バカでかいどら焼きが売られている。見本の大きさに怖れをなして買わず。
「次郎長生家」は、幕末の安政年間にはあった建物で、近年修復されたもの。中は資料館になっている。地域雑誌『季刊 清水』46号、特集1「没後120年 次郎長を再考する」を見つけ買う。2013年初版、2025年2版。
生家が火曜休みと知っていたので、清水行きを水曜にした。ここまで休みになっていたら、近くの巴川に身投げしているトコロだ。
生家も連なる「次郎長通り」商店街―長い商店街だが仕舞屋が目立つ―から港橋を渡って、次郎長が経営していた船宿「末廣」をを再現したと云う観光施設も見る。「次郎長コスプレ」が出来るのだが、そこまでの思い入れは無いので、館内ひとまわりして出る。
「壮士墓」に行く。次郎長が建てた、「咸臨丸事件」死者のお墓である。
咸臨丸は、太平洋を越えて米国に渡った幕府の軍艦として知られる。海軍奉行榎本武揚は新政府に降るのを拒み、旧幕府艦隊を率いて出奔、その中の一隻である。脱走艦隊は荒天で散り散りになり、咸臨丸は損傷、修理のため清水に停泊する。そこを新政府軍が襲撃する。艦に残っていた乗員は殺戮され、遺体は海に投げ込まれる。遺体収容は「賊軍」への加担と見なされるため、漁師は漁にも出られず困惑するしかない。そこで乗り出したのが次郎長一家。遺体を引き揚げ懇ろに埋葬する。その地に後年建てられたのが「壮士墓」になのだ。文字を書いたのは山岡鉄舟である。
もう清水はいいな、と思う。夕方を待って一杯やるだけだ。
とは云え、このまま帰ると本当にムダ足を踏んだだけになってしまう。観光地図を見直す。「1936年に建てられた銀行の建物をリノベーションしたお洒落なカフェ」と書いてある。これくらいは見ておこう。越えた川をまた戻る。
また「次郎長通り」を行くのもつまらないので、裏道を行く。「美濃輪稲荷神社」の参道脇に、「CAFE OEC」はある。
正面はタイル貼りになっていて、戦前の銀行らしさがまったく無い。ここもハズレかと思ってしまうが、
脇の造りは確かに銀行だ。歩き廻って疲れてもいるので中に入る。
内側に柱が無いので、入ると広く感じる。写真ではカウンターの向こう側で見えないのだが、もとの執務室にテーブルが置かれ客席になっている。そこへは靴を脱いで上がるようになっていて面倒なので、手前側のイスに座る。銀行のカウンターの上に珈琲が出て、預金者がお金を数えていた所にイスを置いて飲んでいるわけだ。こりゃ愉快だ。
店のひとに、この建物の話など聞かせてもらう。
もとは清水銀行の支店。閉店して所有者が変わり、事務所として使われていたが、空き家となってしばらく放置されていたのだと云う。取り壊しの話が持ち上がったので、この際だからとカフェに作り替えた由。
かつては「次郎長通り」の手前まで路面電車が来ていて、通りの先には、三保の工業地帯への通い船の乗り場があったそうだ。工場に通う人の往来で賑わい、「無いものはない」繁華街であったとの事。銀行の支店も出来ると云うわけだ。
「銀行感のない外観ですね」と口にする。店主は同意しつつ、改装に先立ち元の姿を知るべく、銀行本店で資料を探し、創業何周年だかの記念誌を見せてもらったと云う。本店、他の支店は写真や図面が載っているのだが、この支店だけは往時の写真も図面も―艦砲射撃で銀行本店が被災し資料が焼け―残っていないと語る。惜しいなぁ。
店内にある金庫を開けてもらい、中を見せていただく。内側は桐で出来た引き出しが入っていて箪笥のような作りになっている。札束・債券の類はもちろん納まっておらず、食器、調味料など商売道具が並べてある。
「どちらから来られましたか」と尋ねられる。「実は…」と例の紙切れを出し、次郎長の銅像が見られなかった事を話す。こう云う店をやる人だ、地域の事情には通じている。あのお寺は「人手がなくて」資料館が開けられないのだと云う。
「電話して、開けてもらいましょうか?」
願ってもない申し入れだが、初対面で、そこまでお手を煩わせてしまう事への申し訳なさに、お心遣いだけ受け取り、謝意を延べて店を出る。
呑む場所を決めるべく、一階に商店の入ったビルが連なる「清水銀座」、アーケードが続く「清水駅前銀座」と歩く。どちらも清水の繁華街って何処にあるの? と云いたくなる有様だったが、アーケードの方で呑み屋は見つかり、呑んで喰う。
落ち着いたトコロで観光地図を見直す。「三保の松原」のすぐ近くまで来ていたのだ。一度は見ておきたいトコロだし、明日も休みだ。久しぶりに野宿しても良い。
…とは思ったものの、翌日は大雨の予報が出ている。傘も無い。
清水駅から静岡駅に出る。在来線を乗り継ぎしていたら、新宿まで戻れるかも怪しいのだ。新幹線に乗るに限る。静岡駅でビール一本、弁当も買い、車内で片づけ東京に戻る。
(おまけの参考)
『季刊 清水』46号。「清水次郎長と山岡鉄舟」(松本倹)は鉄舟が駿府に赴くところを詳細に記す。
「次郎長が生きた幕末明治維新」(石原雅彦)は、徳川家斉の大御所時代(天明7年)から明治26年の次郎長の死までを、政治史・鉄舟・次郎長の軌跡を並行して紹介している。他の記事も興味深い。
『壮士墓 次郎長が壮士墓を建てた』(次郎長翁を知る会、『壮士墓』のパンフレット)
『幽香山 梅蔭禅寺』パンフレット。観光案内所でもらった「壮士墓」パンフに挟まっていたもの。「精神満腹会」世話人総代、平野光雄の撰文が載っていて、次郎長の銅像が建ったとき書かれたものと推測している。お寺では入手できなかったので有難い。
(おまけのおまけ)
カフェ裏手にある「美濃輪稲荷神社」は、「県下最高位のお稲荷さん」の由(と、手書きされた立て札がある)。拝殿の手前に、こんなモノが立っている。
「所沢のオバケに扮した大ネズミ」(苦笑)。丁寧に板を切って作ってある。その気になれば、もっとそっくりに造作出来るのに、(大人の事情で)こんなカタチにしたのだろう。
ネコのバスは だれもいないときにやって来ます。たぶん。