焼夷弾解説記事で82万4千9百おまけ
高円寺の古書市で紙屑を漁っていたら、「紙屑」扱いするには畏れ多いモノが目に留まる。
『主婦之友』昭和20年2月号(敗戦の年だ)。オレ・スレ・汚れの三冠で300円。貼られた値札のノリがページにひっつき、誌面がチョイと読めぬオマケ付き(泣きながら貼り付いたトコロを剥がす)。
『主婦之友』昭和20年2月号(墨ハネあり)
スッカリ厚みの無くなった『主婦之友』。戦争激化につれ、裏表紙に防空啓蒙記事を載せるようになって、とても興味深いモノがあるのだが、空襲の「惨禍」に対して、想定が甘かったとの批判もある。この号の記事「敵はこんな焼夷弾を使う」も、その例に属するんだろうなぁ…と目を通してみると、東京への空襲が始まり、実地に得られた情報が、案外正しく―隣組防空群(そこに住んでいる人)を始めとする、民防空の担い手の士気を落とさないよう―記されていて、驚いてしまう。
今回は、この記事の全文を、例のタテヨコ変換等を施して、ご紹介する。
同号裏表紙「敵はこんな焼夷弾を使う」
主婦の防空覚え書その二
敵はこんな焼夷弾を使う
焼夷弾の正体と戦い方
防衛総司令部指導
吉沢廉三郎画
これがB29の、帝都夜間盲爆にバラ撒いた油脂焼夷弾です。
一個の重さ約二.八瓩(キロ)で、長さ五十センチ、直径八センチという小さなもの。鉛色鉄製の六角筒の中に、油脂性の焼夷剤(「ガソリン」、「グリセリン」)が布(きれ)に包んで充填してあり、下部に信管、頭部に約二米(メートル)の布(きれ)が数条ついています。
イ図は投下前のまとまった姿。上下二段に合計三十八個の焼夷弾が金具できっしりと締めつけてあり、B29がこれを投下すると、通常われわれの頭上五六百米ぐらいで信管が炸裂して金具が解け、三十八個がバラバラになって降って来るという仕組みになっています。
弾は空中で発火して落ちて来ることもありますが、目標物に打(ぶ)つかってパッと点火するのが普通。燃焼温度は五米離れた雨樋を溶かすくらいの力があり、一番盛んなときには三四米の焔を噴いて、燃えた布が四散するので、夜間など殊に物凄く見えますが、一度に辺り一面が火の海になるようなことは決してありません。
正体を洗えばこれだけの他愛ないもの。こんな代物で帝都を焦土化しようという敵の魂胆こそ憎むべきではありませんか。
敵は今後もこの種焼夷弾を使う公算が多い。正体さえ掴んでおけば、恐れるには当たりません。しかしマッチ一本でも、放っておけば大火になります。落下! と同時に突撃、そして早期発見、つづいて注水、特に延焼防止の着意を忘れてはなりません。(裏面につづく)
「重さ約二.八瓩(キロ)で、長さ五十センチ、直径八センチ(略)六角筒」、敵方の度量衡で記せば重量6ポンド、長さ20インチ、断面六角形で直径3インチの鉄の筒。本土空襲で猛威を振るったM69焼夷弾である。「上下二段に合計三十八個の焼夷弾が金具できっしりと締めつけて」と、爆撃機から投下される時の状態までも記されている。
骨董市で買ったM69の弾殻
38個を集束した状態(『戦略爆撃機B−29』(講談社)より)
『東京大空襲・戦災誌』第3巻「東京空襲の被害状況」に、この「帝都夜間空襲」と思われる、昭和19年11月29日深夜の空襲被害をまとめた表(11月30日13時現在)が掲載されている。その砂町管内の「投下弾数及種別」に、焼夷弾「五瓩級油脂三八」、不発弾「焼夷弾不発三八(一括)」の記述がある。「一括」とあるから、本来上空で結束が解かれ個々に落ちるべきモノが、まるごと不発弾として落ち、回収されて『主婦之友』記事の元になったのではないか。
M69焼夷弾について、上空から「燃えながら落ちて来る」、「着地して撃発しないと火は出ないから燃えながら落ちて来ることはあり得ない」との議論があるが、記事に「発火して落ちて来ることもありますが」、「目標物に打(ぶ)つかってパッと点火するのが普通」と、答えは既に書いてあるのだ。
YouTubeにある投下実験記録映像を見ると、確かに「一度に辺り一面が火の海になるようなことは決して」無い。板に貼り付いた焼夷剤の炎は、なるほど「他愛ないもの」に見える。一個が目の前に落ちて来るだけならば、何とか消し止められそうな感じはある。一個だけならば…。
裏面の記事は、この焼夷弾に対する心構えを説く。
裏表紙の裏面「敵はこんな焼夷弾を使う」(続き)
敵の帝都夜間空襲に投下した集合油脂焼夷弾は、既に北九州で体験済のもの。一地域に二千四百発も落とされて、全焼僅かに二戸、あとは完全に『最初の一分間』で叩き潰したという、目ざましい鎮西防空陣の活躍でした。
帝都夜間盲爆の被害も、ごく軽微であった。しかし、敵の焼夷弾攻撃に完全に打ち勝ったとは言えない地域のあったことも事実です。
『東京大空襲・戦災誌』第3巻に、11月29〜30日の空襲での、神田・日本橋での被災と、消防機関の活動を、警視総監名で内務大臣に報告した文書(消教務一二七六号)が載っている。
来襲したB29は25機(米側記録は29機出撃・24機攻撃の由)。そこには、「本空襲ニ於ケル初期消防々火ハ概シテ失敗シ警防団官設消防隊ノ消防作業又不成功ノ憾アリ」と記されているのだ(太字は引用者による)。
隣組防空群(住人で編成)は、「待避観念旺盛ニシテ防護活動ニ移リ得ル初動態勢良好ナラザリシモノト推定」、警防団(現在の消防団に相当)は、日本橋・神田ともに「警備屯所ヘ完全参集セズ」と推定されている。しかし警防団は消火活動が始まると「自己家屋ノ焼失」をものともせず、「残火鎮滅ニ至ル迄終始敢闘ヲ続ケタリ」として、称賛はしている。
この空襲で、神田区は焼夷弾約314発・小型爆弾約10発が落ち、全焼688棟・半焼10棟。日本橋区は焼夷弾約756発・小型爆弾約30発を受け、全焼614棟・半焼24棟の被害があった。
記事に戻る。
真暗(まっくら)な壕から飛び出ると、小さい火災でも大きく、物凄く見える。闇の中に焔を見て怖気づき、立ち上がりの遅れたことも敗因の一つでした。
殊に油脂はあちこちに飛び散って燃え出すから、丁度狐火を見るように眼が眩むが、燃えるのは焼夷弾自身の油脂であって、辺りに燃え種(ぐさ)さえなければ、すぐと燃え広がるものではありません。
ここに早期発見の意義があります。黒煙を恐れず飛び込んで、水と同時に濡れ筵(むしろ)、砂、蒲団などを巧みに使い、火点を圧さえたら素早く弾を外に放り出してしまえばよいのです。この油脂焼夷弾は、女子供でも大丈夫手掴みにできる代物です。くすぶっている円筒を、手袋を濡らして手掴みにし、ホイと投げ出したという例さえあります。
『最初の一分間』にさえ勝てば、完全にやっつけられるのがこの焼夷弾です。『一分間消火』即ち『早期発見』、『早期発見』こそ空襲下の迅速な立ち上がり、言い換えれば焼夷弾に体当りの気魄にほかなりません。この敢闘精神に伴う準備が、いざの場合にものを言うのです。
被害が出た原因を防空群の士気に置き、「最初の一分間」での延焼阻止が強調される。先の文書でも、神田・日本橋での初期消火の失敗をふまえ、「隣組 特防 警防団運用上ノ対策」として、
1,待避観念ノ是正ト敢闘精神ノ昂揚振起
九州地方ノ災害ニ基キ近時待避訓練ニ徹底過ギタル観アリ 之ニ加ウルニ去ル二十四二十七両日ノ空襲ニ於イテハ爆弾及大型焼夷弾ノ投下ニ依リ一ニモ二ニモ待避ト云ウ観念ガ徹底シ過ギテ待避ハ即チ避難ノ観念ニ行過ギ待避ハ即チ初期消火ノ為ノ待機ト云ウ観念ナキ者極メテ多キ傾向ニアル如ク認メラルルヲ以テ待避ハ待機 待避壕ハ待機壕 待避訓練ハ待機訓練ト訂正一般都民ニ対シ初期防火ノ挺身敢闘精神ヲ一段ト昂揚振起セシムルコトヲ必要トス
と記す。
爆弾(工場設備を破壊する)から身を護るべく、警報・待避の指示で壕に入る。爆弾が炸裂したあとで外に出ないと爆風・破片で危ない。待避の時間が長くなる。消火活動の初動が遅れる。暗い壕を出ると火だ。生まれて初めての実戦だ。うまく行かなくても仕方がないではないか。『主婦之友』記事の論調に通じるトコロがある
記事は具体的な備えにも言及している。
○水がまだ足りない。少なくとも現在の三倍は用意すること。
○家の整理が悪い。押入、床下、物置の隅々も素早く点検できるように。目の落ちたところから、火災は大きくなる。
○焼夷弾はどこにでも落ちる。どんな狭い不便なところにも、自由に戦い得る突撃路を作る。
○壕と家の位置、間隔も、検討してみる。立ち上がりは焼夷弾落下! と同時でなければ間に合わぬ。
落下着弾(焼夷剤噴出)からの「一分間」でどこまでやれるかで、鎮火制圧/延焼類焼が別れる。床下・庭の待避壕を出て、水入りバケツ・濡れ蓆などを取り、火点を探し、消火する。自分の部屋から台所を通り便所に入るのに、本をまたぎ身体を捻りヨコ歩きして、便所扉前のモノをのける動作を日々やってる我が身には無理だ。
そして記事は怖ろしい事をサラリと記す。
この焼夷弾は裏面で示す通り、三十八個一組になって投下されるので、固まって落ちて来る場合が多い。一隣組に十個も二十個も降って来るものと思わねばなりません。従って、一軒々々、我が家は我が手で消す決意と備えが必要です。
なおこの弾は、普通の瓦葺平屋なら床に落下するが、二階建てだと殆ど二階か天井裏で止まります。二階に防火資材を用意すること、天井板の一部をすかして、覗き込めるようにしておくことも大切です。
隣組ひとつは10軒前後の世帯とされる。そこに10、20個も来られたらたまったモノではない。「最初の一分間」は最初に見つけた一個に費やされ、その間、見逃された・手の廻らぬところは燃焼を続け、火勢は強まっていく。しつこいまでに「最初の一分間」を強調するのは、それを過ぎると消火がどんどん困難になることの裏返しである。
『東京大空襲・戦災誌』第4巻は、新聞報道が時系列で収録されている。12月1日の記事に、親子二人が裏庭の壕に待避していたところ、「表通りに落ちた焼夷弾がポンとはねて玄関にとびこんだ」ため待避所から出て消し止めたものの、二階に落ちたものを見逃したまま、壕に戻ったら手遅れになって家を焼いてしまった事例が紹介されている。
自分の家・隣組が消火鎮圧に成功しても安心は出来ない。隣接する隣組が初期消火に失敗―空き家・倉庫など無人の場所が炎上―し、その火がこちらに向かって来たら? 踏み留まり延焼を防ぐか、逃げ出すかの決断を迫られる。
防空啓蒙記事は、消火出来る(空襲に勝つ)前提で書かれている。どこで初期消火を諦め、官設消防に任せ、火災からの避難に移行すべきか? 火からの逃れ方は記されていない。
(おまけの余談)
掲載したM69の弾殻は、アニメーション映画『この世界の片隅に』考証協力に動員された当時、2014年3月に高幡不動の骨董市で見つけ「供出」したもの。学校の先生が教材に使っていた由。
最近、『高畑勲と「火垂るの墓」─「幻の脚本」と「7冊の構想ノート」を読み解く─』(寺越陽子、新潮社)を読んだ際、スタッフが骨董屋でこの弾殻を買い、中に重りを入れて落下時にどんな音がするのかを調べた話が載っていて、やっぱり買うんだ…の親近感とともに、着地の「音」を知ろうと云う発想が俺には無かった! と敗北感を味わったのである。
(おまけの後悔)
20年以上前、友人に西荻窪の古本屋を教えてもらった時、昭和18−19年頃の『主婦之友』がまとまって出ていたのを見る。店を教えてくれた人がそれを買い、呑みの場で同行者みんなで記事を「おんもしれえ♪」と喜んで見せてもらって以降、まとまったカタチで売られているのを見た事が無い。ぽつりぽつりと買い足し、生きてる間に揃うことは無いなぁ…と思っている。