このページの開設にあたって
・・・・所信表明・・・・
現在、日本国内においては各種のミリタリ関連書籍・雑誌が刊行されており、我々兵器ファンの情報源として活用されている現状については、今更記すまでもない。しかし、私のような戦後生まれの兵器ファンにとって、戦前の兵器ファンが、どういう形で兵器の情報に接していたか、ということについては、皆目見当がつかない状態である。
現代を生きる一兵器ファンとしては、過去の兵器ファンのことなど、知ったことではないのは事実ではあるが、過去の兵器に興味を持っている身としては、その兵器が 「どういうモノであったか」 ということをまずは知りたくなるものである。そして我々は現在流通している各種の資料を手かがりに、その兵器に関する知識を確立していくものである。また、それと平行して 「どういう風に使用されていたか」 ということについても、やはり資料を通して学んでいく。兵器そのものだけでなく、歴史に対する興味が湧いてくる段階である。しかし現在評価の確定した兵器が、 「最新鋭」 であったときの 「当時の印象・評価」 そのものに触れる機会は殆ど無いと云ってもよいだろう。
東京は台東区に 「吉原」 という場所がある。云うまでもなく江戸時代から現在に至る色街である。江戸時代における 「吉原」 については、江戸学の必修科目であると云って過言では無い。浮世絵・黄表紙のようなメディアから、或る程度の実態を知ることが出来るし、細見のような一次資料も(創成期のころは別として)或る程度現存しており、充分なカネと行政の理解が得られれば、 「吉原テーマパーク」 を作ることも可能である。また、明治以降の 「吉原」 についても江戸時代のそれとは比較にならないまでも研究はされており、 「こんなところでございました」 と語ることも出来る。
ところが、戦前の兵器がどのように紹介されていたか、ということについては、私の知るところでは殆ど研究されていないように思われる。現在書店に流通しているミリタリ書籍・雑誌は、現代の視点から書かれており、いわば研究者の考えと、当時の当事者の思い出話に終始していると云っても良い。もちろん我々が求めている兵器の知識は、あくまでも現代に生きる人間が必要としているものであるから、別に不都合は無い。しかし今の我々が自衛隊や米軍の兵器に興味を持ち、同好の士で意見を交わしているように、戦前の人達にも同じような兵器ファンが存在していたのではないか? また、兵器雑誌の類が存在していたのではないか、と私は思うのである。
しかし戦前の兵器ファン自身が、当時について書き記した資料がそもそも存在していない (ファンはあくまでも情報の最下流にいるので、その実態そのものが明らかになっていない)。それに、現在功成り名を遂げたかつての兵器ファンがいたとしても、せいぜい 「航空雑誌を読んで、想いを馳せた」 という程度の話しか残っておらず、せいぜい戦前にも兵器ファン向けの雑誌が存在していたらしい、というレベルの話でしかない。結局、私のような戦後産まれのファンは、小松崎茂 (戦中・戦後とSF・兵器イラストの分野で活躍したイラストレイター) の、 「戦後」 の仕事を紹介する際に 「戦中は雑誌 『機械化』 で数々の兵器イラストを描いていた」 というような記述から、当時も兵器ファン向けの雑誌が存在していた、ということを知識として知るだけで、その内容自体を検証するわけにはいかないのである。
当時も兵器雑誌があったとしても、現物にあたること自体が困難である、と云わざるを得ない。先にふれた 「機械化」 については小松崎茂人気のせいか、古本市場に姿を表すことが殆ど無い (少なくともふつうの兵器ファンである、私は見たことがない) 。そしてそれ以外の雑誌に関しての情報は乏しく、私の知識としては、 「航空朝日」 「空」 「海と空」 「航空知識」 「陸軍画報」 「海洋少年」 という雑誌が存在していた (「航空知識」 については未見) ことまでは知っている。もちろん 「子供の科学」 や 「少年倶楽部」 といった科学雑誌・子供向け総合雑誌にも兵器記事は記載されていたであろうことは想像に難くない。しかし、そういう雑誌に掲載されていた兵器記事そのものに関する研究成果が一般の目に触れるところにまでは来ていないようである。
私が当時の兵器雑誌にふれたのは、今から2年程前に埼玉県川越市の某古書店にて発見した雑誌だった。 「海と空」 「空」 が10冊パックされ、販売されていたのである。有り金をはたいて購入した私は驚喜した。私が今まで読んでいた戦後の価値観下の兵器雑誌と共通した世界があったからである。もちろん戦前・戦中の雑誌であるから、軍の検閲下での発行であることは云うまでもない。しかしそこにあったのは、航空機や軍艦が好きでたまらない人の姿だったのである。
例えば 「海と空」 昭和20年1月では 「神風特別攻撃隊・比島沖海戦」 と銘打って現在は 「レイテ沖海戦」 と称されている戦闘を特集している。戦闘経緯と戦果については 「大本営発表」 そのものなので価値は無い(笑)。もちろんこの記事については当時のマスコミがいかに 「大本営発表」 に縛られていたかを示すだけでしかないのだが、同じ号には 「航空戦とロケット」 (大河原 元) という記事があり、ロケット弾・ジェット機・V1号・V2号を 「ロケット兵器」 として紹介している。記事中には英国のブリストル・ボーファイターがロケット弾を発射している写真があり、 「沿岸哨戒に活躍中のボーファイター機から、一対のロケット弾が発射されたところ(略)」 というキャプションが付いている。 「鬼畜」 である英国軍機が堂々と掲載されている時点で驚く。さらに 「日本軍艦発達図誌」 (深谷 甫) では軍艦香取(初代)軍艦鹿島(初代) が 「時局」 とは無関係なままに紹介されているのである。 もちろん時局にからむ記事として、先の特集以外にも 「船員戦記」 (栖坂 聖司) 「大東亜戦争の現在と将来」 (大本営海軍報道部海軍大佐 栗原 悦蔵) という記事もある。しかし総ページ数48にして、4ページも造船所・材料の加工・建造 (鋲締としてリベット接合と電気溶接の説明あり) を解説するだけの 「商船講座」 を掲載して、何も云われなかったのだろうか、と心配さえしてしまうのである。この編集の冷静さ (あるいはこれしか掲載できる記事が無かったための開き直りさ) には恐れ入りました、と云うしかない。
また、当時の雑誌でしか見られないモノとして、時局便乗 「広告」 の存在を欠かすことは出来ない。 戦前・戦中の 「広告」 については専門家による紹介・考察を別の機会に行う予定なので、詳しくは説明しないが、今の 「海と空」 では 「戦争の為の鉛筆」 として三菱鉛筆の広告、その下には 「御存知ですか?こんな有利な財産投資!!」 というコピーがついた日興証券の投資信託 (一口500円より、ちなみにこの 「海と空」 誌の定価は税込み (一種の奢侈税と思われる) 85銭である。) の広告がある!のである。当時国を挙げての貯蓄運動をしている時に 「投資信託」を勧めているヤツがいるのである (貯蓄運動に限らず、戦中の一般国民の暮らしについて興味を持たれた向きは荒俣宏 「決戦下のユートピア」 (文芸春秋社) を一読されたい)。
戦前・戦中の広告に関しては、兵器ファンの守備範囲外で、わりと書物にまとめられてはいるが、 「戦時色深まる」 という観点でのみ語られることが多いように思われる。 「面白広告」 としても、あるいは「こんな企業がこんなモノを?」 という視点で語るに足るモノであると、私は思うのである。
私はこの 「兵器生活」 誌上(?)で、これら忘れられた兵器雑誌に登場した記事の紹介・考察を行い、当時のファンがどういう記事を読んでいたか、また何を考えていたかを現在・未来の兵器ファンに提示していきたいと考えている。このHPを読んだところで歴史の点数が良くなるわけでも、兵器そのものの知識が増えるわけでもないが、兵器ファン各人の歴史認識に少しはためになるのではないかと、私自身は考えているし、何より 「こういうモノがあったんだよ」 とささやかながら、情報発信出来ることが私には嬉しくてたまらない。
巻頭の辞であるので、かなり気負った文章となってしまったが、本文は私の気分次第でどんどん崩れていくはずなので、 「堅苦しい文章は苦手だなあ」 と云う方であっても、兵器雑誌を購読 (立ち読みも含む) されている方であれば、楽しんでいただけるものと信ずる次第である。ただし、「巻頭の辞」であってもここまで長文になってしまっているように、私の文章は 「不必要に長い」 という性質がある。適時ダウンロードを行い、貴重な電話代を節約されんことを希望する。