1999年10月(兵器生活開設)〜12月
10月14日
「うわさの遠近法」 (松山 巌) を読み終える。学生のころ、文化人類学の講義で紹介され、読みたいなと思っていたが、当時は書物エンゲル係数が低く、結局読めずじまいだった本である。発売後10年近く経ってから読む本というのは、私の場合結構 「当たり」 になる傾向があるようで、この本についても 「当たり」 であった。
明治、大正、昭和と変転する時代と、そこに現れる 「うわさ」 を通して 「時代の軋み」 (腰巻より) を浮かび上がらせる本である。講談社学術文庫久々のヒットと云っておこう。
戦前・戦中の社会情勢についての記述が面白い。
ついでに 「芸術は爆発だ! 岡本太郎痛快語録」 も読む。あらためて、トンデモナイおっさんだったんだなあ…と感慨を新たにする。縄文美術の再発見者だったとは知らなかった。 「芸術新潮」 の特集は以前読んでいたはずだったのだが…。まったく自分の記憶力もあてにはならない。
10月24日
山本 夏彦の 「誰か「戦前」を知らないか」(文春新書)を買う予定で初台はオペラシティの紀伊国屋に出かけて帰ってきたら、プラス網野 善彦/宮田 登「歴史の中で語られてこなかったこと」 (洋泉社) 多木 浩二「戦争論」(岩波新書)、鵜飼 正樹/北村 皆雄/上島 敏昭「見世物小屋の文化誌」(新宿書房)の四冊になっていた。新書二冊は大した金額では無いが、残り二冊が約五千円なのは失策としか云いようがない。この二日で厚みの少ない本ばかり読み進み、一番分厚い見世物本は全然手が付けられない。内容が内容なので、電車の中で読むわけにもいかない。たまに電車の中で官能小説を堂々と読んでいる人がいるが、まったく尊敬するしかない。
「戦争論」 戦争に関する各種の論文から、戦争を前提とした国民国家のあり方を脱却することで、戦争そのものを根絶できる、というなかなか刺激的な論旨を展開してくれる。
・明治政府が成立後、まずは国民皆兵を訴えたことに注目し、大日本帝国は軍隊国家であったとして、西洋帝国主義国家が、市民革命体制を維持するために、国民皆兵制度を確立したこととの対比を行っている。
・日本の軍隊は、上官の命令=天皇の命令の、完全な上意下達の世界を確立し、先進思想を持たせないよう軍人を社会から隔離したことにより、奴隷の軍隊だったと断罪している。
・旧ソ連やユーゴの内戦に関しては、連邦が解体し、各民族が国民国家としての確立を目指したために、その地域に居住する他民族を迫害した結果だとして、民族自決の原則自体が戦争の引き金となりうることに言及し、ルワンダ内戦に関しては、植民地支配者の行った民族分断政策により、もともと共存していた民族同士を戦わせるに至ったとしている。もちろん現実にはそれ以外の要素もからんでいるため、その解決は非常に困難だともしているが…。
文章も平易であり、非常に面白い本であります。
「歴史の中でかたられてこなかったこと」 という対談集は、民俗学で云う 「常民」=「百姓」=「農民」 という図式に対する異議申し立てから始まり (「もののけ姫」 を思い出して欲しい) 、長子相続の影に隠れた老人・女性の役割を説き、果ては従軍慰安婦問題までを語っている。ここで網野は自由主義史観者が、実際の軍隊及び軍隊的教育を受けておらず、そこに議論の甘さを見る、と発言している。ここで話しは先の 「戦争論」 ともリンクしてくる。
網野は 「将校たちの中には、今でも 「あれほど規律の正しい軍隊が、暴行や強姦のようなひどいことをするはずがない」 と思い込んでいる人もいますね。ところが、将校の前では規律正しくても、絶対服従の結果なので、実際に戦地で将校の目の届かないところになると実にひどいことをやるわけです。」 と云う発言もしている。
いわば、いじめっ子が教師の前では 「良い子」 で通っているにもかかわらず、影でクラスメイトを自殺に追いやっている図式があったはずだ、というわけである。
学校自体が軍隊をモデルにした規律・秩序訓練施設という性格を持って設立されたということを考えると、兵器、軍事、軍隊を考えるのもあながち無駄なことでは無いと云える。
山本 夏彦は戦時中に 「空腹では無かった」 と公言している数少ない人物である。先の二冊は戦中は 「空腹を抱えていた」 という戦中暗黒史観というべきもので、山本はそういう見方は 「戦前戦中まっ暗史観」 と揶揄している。
これは当時を振り返った人間がどういう環境にあったかによって、正反対になりうるものである。バブル期にいい目を見た人が、「あのころよもう一度」 と現状を嘆く一方で、 「バブル前に戻っただけじゃん」 と平気でいる人がいるようなものである。したがって、戦前はおろか戦後も知らない世代としては、その両方を知っておく必要がある。 「兵器生活」 は両者の中道を行くものであります。
10月26日
先日購入した 「シンデレラボーイ シンデレラガール」 (若い人は読んだ方が良い) 「誰か 「戦前」 を知らないか」 (まあまあ) 「大空の墓標」 (歴史書で ”未熟な搭乗員”と称された人間がどのように戦争を過ごしたかを知るには良い本、ただし感動は低い) を読み終える。
10月28日
「歴史の中で語られてこなかったこと」 読了。後半部分では、コメ自給問題に関する対談が面白い。とかく太古から日本全国でコメが作られていたかのように語られがちであるが、歴史学から見ると、それは必ずしも正しくないとのことである。また、「水呑百姓」 が教科書で記述されているような、「貧しい農民」だけではなくて、水田を持たない農民や、漁民等も 「水呑」 といて権力機構から認識されている、と云うなかなか刺激的な話しが展開されている。社会科の教師と真っ向から戦いたい方、一度目を通すとよいでしょう。
「電脳遊戯の少年少女達」 読了。テレビゲームとは、現実生活を補完するものかどうかに関する論考を中心として、プリクラ、伝言ダイアル等まで含んだ野心作。例のハイジャック事件にも言及しているが、「ゲームはゲームである」 と云う見地に立っているため、この事件に対する突っ込みは甘い。
10年以上前に話題になった 「元禄御畳奉行の日記」 をようやく読み始める。「御畳奉行」 と云うれっきとした尾張藩の役人の日記に関する話しなのだが、武士がすっかり公務員化した時代の空気を今に伝えており、日本人の進歩の無さに笑いが出てしまう。もちろんそうでない日本人がいたことも事実であることは云うまでも無いのだが…。武張った人間の生き様が知りたい人は、新井 白石の 「折りたく柴の記」 (確か岩波文庫にある) のアタマの方を読むことを勧める。時代的には極めて近い分、対極の生き方を見ることが出来る。
幕末期の破天荒な武士の生き様は、勝 小吉 (勝 海舟のオヤジ) の 「夢酔独言」 (昔角川文庫にあったのだが…) をどうぞ。
11月1日
会社帰りに古本屋に寄り、薄田泣菫 (すすきだ きゅうきん) の 「茶話」 (岩波文庫) を購入する。以前読んだ 「うわさの遠近法」 中の 「コラムの誕生と消失」 に登場していた本である。コラムのお手本そのものである。上手い。まだ1/4程度しか読み進んでいないが、「当たり」 である。巻末の解説によると、岩波文庫版にはいくつかの欠点があるようだが、まあどうせ大正年間のコラムの本である。すべての事象を理解することはできっこ無い。外国人名に分かりづらい部分があるが、御自分の知識と雑学を総動員する価値はあると思います。
11月9日
「私の岩波物語」読み進む。電通の話などもあり、定価で購入しても一部の人は損はしない。私は古本屋で250円也で購入。基本的には雑誌「室内」の歴史を語っているのだが、それと並行して戦前からの出版・印刷・木工・建築・広告の流れを知ることが出来る、中々お得な書物である。著者が「正直なヤな奴」なので当事者でなければ非常に楽しめる。おかげで山本夏彦の本をこれから読まなければならない羽目に陥ってしまった。ただし戦前・戦中に関する基本的な知識は必要。読者のレベルを選ぶあたりがまったくヤなオヤジである。もっとも当人は私のような青二才が何を云っても泰然としていることは確実である。
11月14日
「子供より古書が大事と思いたい」読了。古本ネタと云うのは、書き手の人柄が何故かダイレクトに出るようで、読んでいて退屈しない。とはいえいくら学究の徒とはいえ、借金で古本を買いあさると云うのも恐ろしい話である。用途は異なっているが、私も某消費者金融に残高を持つ身であるので、「大変だなあ…」と感慨が深い。とはいえ、ああいう錬金術(すなわち借金)をマスターしておくと、何かあったとき(と云っても、呑み代が無くなった時くらいかあ)、テポドンくらいの役には立つ。
11月15日
「戦争案内」 (戸井 昌造 平凡社ライブラリー) 読了。「よもやま話」シリーズの左かかったもの。書き手の性格で、そのニュアンスは変わるが、中身そのものはそれほど変わらないと云う見本。ニュース映画でおなじみの神宮での学徒出陣式に欠席した人の話を読むのは始めてである。迫撃砲隊でのガス弾演習の記述は珍しい。「青と茶はもっとこわい、窒息性の猛毒ガスだ。これを大量に吸うと数秒で肺をやられて死ぬ。黄色は一がイペリット、二がルイサイト系で、いずれも糜爛性の毒液が入っており、耳もとでふるとピチャピチャと音がした。」
11月18日
「寄生虫博士の中国トイレ旅行記」 (鈴木 了司 集英社文庫) 「権力とは何か」 (安能 努 文春新書) 読了。
「トイレ」は家族計画推進の一環として、中国での寄生虫対策に尽力している鈴木教授のトイレ見聞記。一般旅行者が実地に見学することの少ない学校・公共施設・農村の便所事情を解説した迷著。私も中国で便所写真を撮りまくっていたクチなので、こう云う本は大好きである。図版が少ないのが惜しまれる。中国へは年末年始の休みくらいしか出かける機会は作れないので、中国公衆便所の悪臭と云うものに縁が無い。とは云え凍結した糞便が剥きだしになっていた、某ウルムチの便所には足がすくんだものである。中国の便所に扉や仕切の類が無いのは有名な話であるが、中国にスカトロプレイが存在するのかは未だに不明である。
「権力」は「封神演義」で一躍有名?になった中国研究者の本。春秋戦国時代の兵学書を中心に「「神」の存在しない混沌の世界」での権力の成り立ちと行使のありかたについて述べたものである。今時「黄禍論」をふりかざしている小林よしのりと、批判精神の無いその愛読者あたりに読ませたい本である。社会秩序確立の為に権力は存在しており、権力を存分に行使するためには権威が必要である、と云う当たり前であるが忘れられがちな事実に気づかされる。「私」の調整(秩序の維持)のために権威を持たされた「公」が権力を行使する、と云うわけである。
現代日本の不幸は全ての権威が失墜したと云う一点に尽きると思う。それが昨今の「プチ・カリスマ」の輩出とその消費の背景にあるのだろう。「英雄が出現する時代は不幸であるが、英雄を必要とする時代はもっと不幸だ」と云う警句はまったくお見事としか云いようがない。
12月1日
「「三国志」の迷宮」(山口 久和 文春新書) 読了。正史「三国志」とその周辺より、「三国志演義」(NHKの人形劇や横山 光輝のマンガの元ネタ)の虚飾を剥ぐ本。「有徳の仮面を被って、ついに帝位に登った劉備、礼教社会への反逆者曹操、そして「誠実のマキャベリスト」孔明など」と云う一句が全てを物語る。「演義」の世界に飽き足らない人向き。ただし面白さとしてはモーニング連載中の「蒼天航路」の方が上である。
続けて「性的唯幻論序説」(岸田 秀 文春新書)を読み始める。半分しか読んでませんが、これは凄い本です。詳細は後日ここで取り上げることにする。
12月3日
「仁丹は、ナゼ苦い」(町田 忍 ボランティア情報ネットワーク)を読む、と云うか見る。串間 努と並ぶB級文化研究家(と云ってしまってよいのだろうか?)の本である。
この両名は「兵器生活」を開設するにあたって多大なる影響を総督本人に与えた「開府の祖」と云うべき人物である。この二人がミリタリーマニアでなかったおかげで「兵器生活」があると云って良い。
「仁丹…」は明治大正の薬品広告の図版を陳列、解説した本である。そういう意味では、私の取り上げている「スペルマ治療器」「エジソンバンド」なども同類である。文字通りの「日曜研究家」(同名の雑誌を発行しているのが、串間 努。これも昭和30〜40年代前半生まれにとっては感涙モノの本)の私には、国会図書館で過去の新聞のマイクロフィルムを読みあさるようなマネは不可能である。したがって、こういう本にはある種の羨望の念が出てしまうのである。
彼等の仕事の軍事版をやろう、と云うのが「兵器生活」の壮大な野望である。牟田口中将の印度攻略に匹敵する無謀な試みなのである(笑)。
12月6日
「突発性書籍購入症候群」が発症し、「ドイツ空軍軍用機集1928〜45」(野原 茂 グリーンアロー出版社) 「パラサイト・シングルの時代」(山田 昌弘 ちくま新書) 「天皇がわかれば日本がわかる」(斎川 眞 ちくま新書)を買い込む。
「アーマーモデリング 12月号」を読む。モリナガ・ヨウのマンガが例によって笑わしてくれる。1960年代後半生まれにこう云う人が居てくれて、同世代人としては嬉しい限りである。
特定のイデオロギーに傾いていない、中国関係の本を読むのが好きなので、「現代中国文化探検」(藤井 省三 岩波新書)を読んでいる。今までありそうで無かった「北京」「上海」「香港」「台北」を取り上げた本。「上海」に関しては、先行の書籍に劣る部分はあるが、新書で4都市を取り上げる以上、各都市への突っ込みが足らないのは仕方の無いところなのだろう。ただし、現代都市文学や映画を取り上げたあたりに本書の特長がある。年末あたりに中国に遊びに行こう、と考えている人は読んで置いて損は無い。
中国関係の本は、文化、歴史、政治、経済、旅行記等々多種多彩であるが、私はその中でも雑学に近い文化、歴史、旅行記、近代建築関係の本を読むことにしている。今更「毛沢東思想」でもないし、中国に投資する程の資金も無い、諸子百家を真面目に読み出すには歳を取りすぎた。大正〜昭和初期の旅行記が中々面白く、しばしば古本屋を少しなりとも儲けさせている。1920〜30年代の中国を一度歩いてみたかったものである。
「ドイツ空軍軍用機集」は、本論部分を執筆(と云うと大袈裟だが…)する時、とかくうろ覚えで文章を進めてしまいがちなので、理論武装用に購入。一冊モノの航空機図鑑のようなものがあれば非常に助かるのだが、近年此の手の書籍もマニア化が進んだせいか、やたらと細分化が行われているようで、全般的な知識を仕入れたい私のような人間は困る。
12月7日
「現代中国文化探検」を読み終わる。先日よりも評価は上がる。台湾・香港に関していかに自分が無知であったかを知らされる(その手の本を読んでいないのだから無理は無いのだが…)。現代文学、映画まで言及したところが勝利の原因である。自分が生活していない異国や過去を身近にするには、どうしてもそういう方面まで手を広げる必要があるようだ。「ゴー宣」だけを読んでいてはいけないよ。(「週間金曜日」だけでもいけないし、聖教新聞だけでも駄目ってこと)
とは云え、情報の洪水の中で何がアテになるのかについては、各個人の感性に任せるしか無いのも事実である。私自身を振り返っても、新聞は読まない、テレビも見ない、雑誌も読まない、せいぜいYAHOOのニュースクリップを会社で見るくらいと、情報化社会に生きるものとして(情報産業の一端に属するものとして)お恥ずかしい限りである。
12月9日
毎日新聞社の「シリーズ20世紀の記憶 満洲国の幻影」「第二次世界大戦 欧州戦線」「ホロコースト」 文芸春秋社「インタヴューズ 上下」を購入する。しめて9000円。全部新本で購入する予定であったので、助かる。他にも欲しい本はあったが、重くてとても持って帰れそうも無いので次回に廻す(つまり多分買わないと云うこと)。
現代の「設計家の夢」である、「架空機の館」主筆、胃袋三分の一氏らが寄稿している、学研「歴史群像シリーズ 局地戦闘機 紫電改」を購入。これは出たばかりなので新刊本屋にて購入した。
ちくま新書「天皇がわかれば日本がわかる」読み進む。平易な文章。ひたすら史書に依った内容は、私の予想とは少し違っていた。タイトル程ぶっ飛んでいない。
12月12日
「天皇がわかれば日本がわかる」読了。天皇の地位は過去に於いて変わったことが無い、またそれを規定している律令制度も現代に至るまで生き残っている、と云う話と、後進国日本が目指したのは日本列島の中だけの「中華帝国」であった、と云う話に終始しており、天皇の神秘性、宗教性に関しては特に記述は無いので、少し期待はずれ。ただし日本法制史というマイナージャンルの立場を堅持しつつ、平易な文章を使用している点は評価高し。自由主義史観者は読んでおいた方が良い本(それ以外の人は読んでいけないわけではありません)。
「パラサイト・シングルの時代」を読み進む。タイトルと云い、内容といい「心の片隅にある疑問・思想を、平易な文章で解説する、扇情的なタイトルの本」と云う「新書」のお手本(笑)。ここで云う「パラサイト・シングル」とは親元同居の成人独身者の事。私もかつてそうであったので、「自分の過去は棚に上げて、現実を憂う」ことが出来る痛快な書籍でもある(笑)。日本の不況の現況が「パラサイト・シングル」にある! と云うことが解説してあります。
〜12月23日
「江戸の性風俗」(氏家 幹人 講談社現代新書)を読む。岸田 秀の「性的唯幻論序説」で触れられていない、江戸時代の性に関する知識が得られる。「性的唯幻論序説」を読まれた方は一読をお勧めする。
「中国人の歴史観」(劉 傑 文春新書)を読む。日本と中国との国家レベルでの意志疎通について向こう50年絶望させる本(笑)。中国の国内問題に口出しする意志と、されたくない(特に日本に)意志とに妥協点があろうはずがない。「支那」呼称問題について、中国人の立場からの発言もあり、中国について興味のある方は一読をお勧めする(そればっかやなあ…)。
「ミニコミ魂」(串間 努 等 晶文社)を読む。面白い。こう云う本を読んでしまうと自分もミニコミを作りたくなってくる困った本である。宮武 外骨や赤瀬川 原平に多大な影響を受けたものとして、いずれ「書物」としての「兵器生活」を生み出したいと思っている。
〜12月26日
「快楽特許許可局」を読み進む。「兵器生活」でも取り上げた性に関する馬鹿特許の数々を取り上げた奇書。これらのアヤシイ器具や手術方法を考えた当人と利用する本人は、いたって真面目なのがかえって笑いの種になるのである。この手の発明のお世話にだけはなりたくないものである。
「飛行機とともに」読了。初めて「海と空」の名前を一般の出版物に見る。著者の齋藤医師は飛行機ファンにはおなじみであろう。本文で96艦戦を初めて見た時、「ヤカンのような色」に見えたと云う記述がある。一部で話題になっていた海軍戦闘機のワニス仕上げとはこれのことか? 零戦を見た時の記述もあるのだが、色の記述は無いのである。残念。
与圧室の無い時代の太平洋航路では、乗客は酸素パイプをくわえていた、と云う現代ではとても信じられない記述と写真を発見する。とてもじゃあないが、煙草は吸えないなあ…。
「旅と道具」読了。戦時中の旅行の話は、「兵器生活」でも使えそうである。これも良い本。