主筆読書録

2000年1月〜3月


1月19日

 岸田 秀「ものぐさ精神分析(正・続)」(中公文庫)、半籐 一利「戦う石橋 湛山」(中公文庫)読了。「ものぐさ…」は、かつて公報にて紹介した「二十世紀を精神分析する」「性的唯幻論序説」の元となった文章群であり、改めて己の思想、生き方を考えさせられる本である。「正」の解説を今は亡き伊丹 十三が書いているのが悲しい。
 解説にいわく「私は、自分自身が確かに自分自身の中から手を伸ばして世界をつかみとっているのを実感し、驚きと喜びに打ち震えた。」世間一般の常識、良識、因習、その他一切を、「本能が壊れた」人類が構築した幻想に過ぎない!と喝破する岸田理論を知った喜びが出ている文章である。しかし伊丹は一度は幻想と見たはずの、社会に負けて自殺したのである。
 非常に面白い本であるが、危険な本でもある。

1月23日

 「今こそ知りたい 自衛隊の実力」(宝島文庫)読了。フタを開けるまで実力が解らないのは来期の巨人軍と同じである(笑)。

2月1日

 総督腑近代化工事中に出土した「スーパー書斎の仕事術」(文春文庫 山根 一眞)を良む。「論語読みの論語知らず」と云う言葉があるが、仕事の進め方について、私はまさにそれである。この人の「情報の仕事術」(日本経済新聞社 名著)に影響され、大枚はたいて購入したマイクロカセットレコーダーは一度使ったきり、袋ファイルも5枚で挫折。システム手帳は空白と、まったく「とんちき書斎のでたらめ仕事術」である。

 改めて読み直すと、読まない本は捨てる!と云う一点で、本そのものをどういう形が保管するか、などという話はまったく無い。たしか有名な「超整理法」も本の保管については冷淡だった記憶がある。困った話だ。

 総督腑にある本の3割は確かに書店で入手可能である。しかし7割は次回入手が困難な本ばかりである。戦前、戦中の軍事雑誌など、どうやって再度入手しろと云うのか!職業的研究者や小説書きのように、どこかに行けば「どうぞお持ち下さい」と資料を渡される程、私は権威ある人間では無い。結局死後二束三文で買いたたかれるのを承知で資料を抱え込むしか無いのである。
 そう云う業深き人間向きの情報整理術の本(また本だ!)と云うものは無いものなのだろうか?

〜2月9日

 榮久庵 憲司「幕の内弁当の美学」(朝日文庫)、「東京人」、呉 善花「韓国併合への道」を購入。「幕の内」を通勤読書本として読んでいる。「日本的発想の原点」として幕の内弁当をベースにして日本文化、精神を説き、今後日本のデザインが進むべき方向を示す、と云う刺激的な本である。内容と直接関係は無いのだが、とにかく幕の内弁当(企業が就職内定者に出すようなれっきとしたモノ。プラスチックのパック入りでは無いヤツ)が食べたくなってくる困った本である(笑)。

 とは云え、「異質なモノを一つの土台に対等に、美しく並べる(本では「パックする」と云う表記であるが)」と云う考え方は、弁当に留まらず、国際秩序、民族融和、異文化共存と云った深淵なテーマとなっていることに驚いている。根底にあるものはあらゆる事物に対する寛容さと、その背景にある無神論手前の汎神論である。
 ユダヤ教、キリスト教、イスラム教が唯一の神に民衆の信仰心を収斂させるベクトルを持つものであるのに対し、こちらは神が民衆の中に拡散していくベクトルであると云える。本来同一の神を奉じる3宗教がどれだけの民衆を殺して来たかを思うと、とかく原始的と云われる多神教の精神を持つ方が、世界中の民衆にとって良いのではないかと私には思えてならない。

 さらに話を飛躍させるなら、戦前(今も信奉する輩には欠かないが)に喧伝された「八紘一宇の精神」とは、日本に代表される多神教精神が、キリスト教と科学主義に依って立つ西洋と、共産主義、儒教を取り込むことが本義だったのではないか、と云う考えにまで至ってしまうのである。
 戦前日本の失敗は多神教(国の為に死んだ兵隊が神になるのである)であるべき日本と、それぞれの神を戴く世界を無理に天皇一神教にしようとしたところにあったのでは無いだろうか?

〜2月11日

 「幕の内弁当の美学」読了。面白い。巻末の幕の内弁当の歴史が拾い物である。こう云う本を読んでしまうと、日本料理屋で漆塗りの器に入った飯が食べたくなる。昼飯を喰いがてら外出する。

紀伊国屋で「不思議の果実 象が空をU」(沢木 耕太郎 文春文庫)、「日本人と戦争」(木村 譲二 光文社文庫)、「武侠都市宣言」(兵藤 二十八 四谷ラウンド)を購入する。仕方が無いので京王プラザ内の日本料理屋で週替わり弁当と云うものを食す。


 沢木耕太郎「不思議の果実(象が空をU)」を読みながらバスで初台に戻る。美空ひばりの話が泣かせる。「深夜特急」も良いが、「路上の視野」「象が空を」の雑文シリーズや「バーボンストリート」「チェーンスモーキング」と云った小品集の方が私にはタメになっているのである。一読されんことを…。

 「武侠都市」、散漫の感在り。ただし「良心」と「良識」の二面性については頷ける所在り。
 ここで云う「良心」とは性善説から来るものを指し、人類愛のような精神のあるべき方向のこと。「良識」とは性悪説から来るもので、兵藤氏は「経験値」と規定している。非常に解りにくいが、現代日本人が持っていない「事物に対する二面性」を解りやすく説明しようとしたものである。文章で読んでいると「ほうほう」と解った気になるが、原文を使わないで説明しようとすると、訳が分からない(笑)。素直に「汝の敵を愛せ」が「良心」で、「異教徒皆殺し」が「良識」と書けば良いのである。それ以前に「良識」と云う言葉の使い方が誤っていると云わなければなるまい。

 単純に云えば西洋人は友愛を説きながらも相手にスキを見せないが、日本人は友愛を説いて相手に騙されるか、ひたすら敵視するかしか無い、と云うだけの話しである。「日本(及び日本人)は子供である」と云うことでもある。


 「幕の内弁当…」にもあるが、しきたり/形式=良心(兵藤氏の云うところの)と説いて良い。つまり人間が生きるための指針が、日本の場合は「世間体」と云った形式しか存在しないため、形式の表面を取り繕っていれば良いだけだったり、形式そのものがが無価値なものになったりすると、とかく低レベルの欲望充足に走って無秩序になりがちなのである。

 「自由主義史観」の持ち主の一部は、現代人に「公」と云うモノが無いからだ、としているが、内面が空っぽのまま、器だけ押しつけることは、「一見良い子」を別な形で作り出すだけである。「一見良い子」がどれだけ始末に悪いモノかは、昨今の新聞を見れば一目瞭然である。


 責任論を云っても事態の解決にはならないことは承知の上だが、先の「良心」「良識」の話しに連なるので続ける。過去の大人は若者を怒るべきであった。自分の事は棚に上げてでも。そう、今の私のように。

 他人の心の中の棚を見抜くことが出来るくらいのレベルであれば、一般に使われる「良識」を持つことは簡単である。心の棚をまだ作れない子供にまで、「わがままを云ったモノ勝ち」と云う意識を植え付けてしまった大人の責任は重い。
 何のために大人の体力があるのか? それは子供の間違いを矯正するためには、相手に有無を云わせない強制力=拳骨をふるうためなのである。何故大人は子供より物知りか? 自分の拳骨の痛さを知り、必要以上に強制力を発揮させないためである。
 18歳の若者を殴りつけると返り討ちに合う可能性もあるが、9歳の子供に対する強制力=暴力は、監禁されていると云う不合理からの逃走を諦めさせる程の威力を持っているのである。


 …などと偉そうな事を書いてしまったが、そういう意志を出してしまえば、それを実行しなければ格好が付かない、と云う新たな意識を生む効果くらいはある。実行していない、と云って責める必要は無い、実行出来なくて一番つらいのは本人なのだから。

〜2月17日

 「日韓併合…」読了。朝鮮半島の近現代史に関して全く知識が無かったことが判明した。著者いわく韓国人自身も自国の歴史に関しては「日本悪者観」に支配されているとのことである。
 韓国併合の背景に関しては、この本の記述を当面は信用するしかない。李朝自体に近代化を行う能力が無かったことが、清、ロシア、日本の進出をもたらし、外国に支配されたことが、朝鮮民族の民族意識を目覚めさせた、と云うのが教科書的説明と云うことになろうか…。となると勃興した民族意識をうまくコントロール出来なかった日本の統治方法にも問題があったと云うことでもあろう。
 日本自体に民族の危機意識が発生していない以上、この問題を実感することは困難である。まあ右翼と「自由主義史観」の人には危機意識が少しはあるのだろうが…。


 「石橋湛山評論集」を読み出す。「哲学的日本を建設すべし」と云う論の中で「我が現代の人心は何故にかくの如く浅薄弱小、確信なく、力なきに到ったかということである。(略)曰く、哲学がないからである。言い換えれば自己の立場についての徹底せる智見が彼らに欠けておるが故である」と述べられているが、現在の日本社会の状況もまさにそれである。ちなみにこの論は明治45年に発表されたものである!惜しむべし!自説が受け入れられないまま戦後まで生き延びてしまったことを思うと、悲しむべきことである。日本の将来に対する悲観的な見方がことごとく当たってしまっているだけに己が不幸をさぞや嘆いたことであろう。
 「ベンチがアホやから」と球団を移籍した野球選手が居たが、為政者が馬鹿だと云って国籍を替えるわけにもいきますまい。

〜2月25日

  「昭和生活文化年代記」(TOTO出版)、「<癒し>としての消費」(大塚 英志 勁草書房)なんぞを読んでいる。

〜3月1日

 「昭和天皇独白録」(文春文庫)今更ながら読了。巻末の歴史学者の対談の中で「自分がインタビューしたかった」と云う科白に「学問の業」と云うものを感じる。やはり昭和天皇は戦争責任を取るべきだったと改めて思う本。

 「「日米会話手帳」はなぜ売れたか」(朝日文庫)途中。以前「兵器生活」上で「米英色を一層しよう」と云う当局のキャンペーンを取り上げたが、この本を読むと、日本人は敗戦前から「英語」と云うよりアメリカ文化が大好きだったと云うことがわかる。つまり、一部「自由主義史観」者が叫ぶように「戦争に負けてアメリカに洗脳された」のではなく、「もともとアメリカナイズされたがっていたものが、そうなった」と云うだけの話なのである。

3月2日

 大塚 英志「<癒し>としての消費」ようやく読了。雑文集と云うこともあり、「少女民俗学」程のインパクトは無い。あるいは私がそれだけオトナになったと云うことか…

3月6日

 今更ではあるが「老人力」(赤瀬川 源平 筑摩書房)を読む。赤瀬川は「櫻画報」時代からのファンなので、発売される本は極力購入するようにしているのだが、「中古カメラウィルス」に感染したあたりから、本の発売ペースが急激に上がり、追いつけなくなってしまった。「老人力」と「新解さん」くらいしか読んでいない人は「東京ミキサー計画」(PARCO出版、ちくま文庫)、「芸術原論」(岩波新書)、「外骨という人がいた」(ちくま文庫だったかな?)くらいは読んで置くように。


 これまた今更ネタで恐縮だが、沢木 耕太郎「オリンピア」(集英社)を読み始める。「壇」、「キャパ」はとうとう「飛ばし」扱いになってしまった。恥ずかしいなあ…。

3月8日

 「オリンピア」読了。続いて「花森安治の編集室」(唐澤 平吉 昌文社)読了。「暮らしの手帖」が読みたくなる。親元でスネを囓っていたころ、本屋が届けてくれた「暮らしの手帖」を読むのが何より楽しみだった。実家の石油ストーブは常に最高点のアラジンだったし、湯沸かし器などと云う不経済なシロモノは今でも無い。近年電子レンジが装備されたのは遺憾ではあるが、総督府には絶対置いてやらない。現在の私を形成した雑誌である。

3月9日

 「孤独のグルメ」(久住 昌之、谷口 ジロー、扶桑社文庫)読了。まあ谷口ジロー画の「夜行」である。泉 春樹(字あってたかな?)が画を描くとギャグそのものなのだが、谷口ジローが画工を担当することで、かろうじてギャグ化を免れている。それでも食い物を食べた瞬間の顔のアップに笑いがこみ上げてくるのは何故だろう。


 中年の階段を昇り始めたからでは無いのだが、「中年男に恋はできるか」(小浜 逸郎、佐藤 幹夫、洋泉社新書Y)を読み始める。

3月14日

 「リサイクルビン」(米田 淳一 講談社ノベルズ)読了。うーん、面白いのだが…。総督府全土を挙げて(総督兼人民1名)勝手に応援しているので、「兵器生活」読者諸氏は彼が無事に所得税を納付出来るよう、一人一冊購入すること(笑)。米田氏のホームページはリンクのページから飛ぶことが出来ます。

〜3月17日

 「中国 現代ことば事情」(丹藤 佳紀 岩波新書)読了。通勤電車で読むには手頃。


 知人宅で「DAICONV、Wオープニングアニメ」を観る。恥ずかしながら、現物を観るのはこれが初めてである。すでに20年近く昔の映像となってしまったのだが、野心ある若者が気合いを入れて作った映像と云うのは、観ていて気持ちが良い。Vの方は、作画レベルにバラツキがあり、いかにもアマチュア然としているが、Wになると、映像そのものの完成度がかなり上がっている。懐かしい(と云っても動く映像で観るのは今回が初めてなのだが…)。

3月18日

 「勉強はそれからだ」(沢木 耕太郎 文春文庫)、「昭和史の論点」(坂本 多加雄、秦 郁彦、半籐 一利、保阪 正康 文春新書)、「仙人の桜、俗人の桜」(赤瀬川 原平 平凡社ライブラリー)を購入。「勉強…」、「昭和史…」を読了。

 「昭和史…」が素晴らしく面白い!大正年間のワシントン体制から、張作霖爆殺〜戦後補償まで、いかに日本の為政者と軍部が駄目駄目(笑)だったかを解りやすく解き明かした怪書。4人の対談集なのだが、各人が自分の姿勢は棚に上げて、ひたすら「なんでこうなっちゃったんだろうねえ」と云うことを語っているため、爽快感すら感じられる(ちと持ち上げすぎか?)。

 傑作なのは日独伊三国同盟の背景についての部分で、

 半籐 (略)陸軍は明治以来、ドイツ陸軍に学んできましたから、親近感を持つのもわかるんですが、イギリスに学んだ海軍が、なぜドイツに傾倒したのか。(略)ドイツに行った海軍士官はみんな女をあてがわれて、それで骨抜きにされたんですと。

 保阪 ドイツではメイドの名目で若い女性を日本の武官と一緒に住まわせたといいます。これが実質的な現地妻だった。

 これで国が滅んだとすれば、もはや喜劇以外の何物でも無い。さぞや健康で美しい純血アーリア女性のメイドだったのだろう。いや、逆に見目麗しいユダヤ女性だったかもしれない。うらやましいぞ!海軍士官!!

 (上記文章中、極めて不適切な表現がありました。「兵器生活」は地球にやさしい健全な読み物です。引き続きお楽しみ下さい)


 こう云う本を読んでしまうと、改めて「私無き公」と云うものがいかにインチキかと思う。法家思想では無いが、官僚(含む軍人、警官)と政治家に関しては「性悪説」の立場に立った方が国民の為である。
 公は私を越えることは出来ない。と書くと「国家や家族と云った「公」の為に一身を抛っている人を侮辱するのか」とお叱りを受けそうだが、それは「公を私と同一視している」だけのことであると容易に反論出来る。自分のプライドに関わることだから、人は生命をも省みないのである。

3月19日

 一部で話題になっている「太平洋戦争 日本帝国陸軍」(成美堂出版)をようやく入手。陸海軍不仲説の論拠の一つとして挙げられている「陸軍船舶」の記事が面白い。しかし「大発」(日本産上陸用舟艇)の詳細が解る写真なりイラストと云うものを殆ど見たことが無いのは何故?
 確かに大発は機密兵器であったから、当時の資料が無い、と云うのは理解できるのだが、米軍あたりが当然調査しているはずである。ファインモールド(帝国兵器プラモを色々製造、出荷しているメーカー)で上陸装備の兵士満載のキットを出せば100個は売れると思うのだが、南方へ出征した元兵士が「懐かしいなあ…」と大量に購入してくれるような気がするのだが(そう考えるのは私だけ?)。
 陸軍の携行食糧の記事もある。味に関する記述が無いのが惜しい。米軍ネタになると缶切りまでもネタになるのだが、日本軍の場合、そこまで調査が進んでいないのだろうか?やはり「丸」バックナンバーを掘り出すしか無いか、また国会図書館に行く用件が増えた(笑)。

 それにしても最近はこの手のムックが増えた。決して豊かでは無い総督府の台所事情を考えるとゆゆしき事態である。


 「日本帝国陸軍」との合わせ技で「スーツの神話」(中野 香織 文春新書)を購入、読了。「背広」(スーツと云うよりこちらの方が私にはぴったりする)発祥の流れがよく解る、面白い本。男性ファッション史入門としても使える。もっとも上流階級のものであるが…。しかしこう云う本を読んだからと云って、背広を一着新調しよう!と云う気にならないところが良い。食べ物の本だとついそのまま出かけて試食、となってしまうのだが…。
 そういえば現代に至る、軍服の歴史に関するまとまった本と云うのが無いことに気が付いた。軍服の本と云うのは、各時代ごとに編集されているから全体の流れを見よう、と思った時に困るし、それぞれの時代、国別に本を買わねばならないから、金銭面でも困る(笑)。

3月20日

 胡桃沢 耕史「天山を越えて」(双葉文庫)読了。面白かったが、氏の「上海リリー」と同工異曲な感もある(こちらの方が古いようであるが…)。1年古書店を探してようやく入手しただけに失望アリ。

3月23日

 「日本の選択 「ヒトラー」に派遣されたスパイ」(角川文庫)読了。日独防共協定締結の舞台裏モノである。ここで日本の大島武官(その後独大使に昇格)と、協定の段取りを付けた人物が、帝国海軍のハインケル戦闘機導入の独側窓口だったとは知らなかった。永年の日独交流の推進に対して日本が花を持たせたとのことである。当然、独側が日本の海軍士官を色仕掛けで籠絡したと云う記述は無い(笑)。

3月24日

 「新版 悪魔の飽食」(森村 誠一 角川文庫)を10数年ぶりに読む。「面白い」と云うと非常に語弊があるのだが、名著には違いない。ショッカーもデストロンもおととい来い!と云う世界。技術者が暴走すると、トンでもない事をしでかすと云う事例でもある。若年の方で、まだ読まれていない人もいるかもしれないが、一読をお勧めする。新書版の方は、古書店で安く入手出来る。当時「写真誤用事件」なんかもあったなあ…。


 閉店間際のイエローサブマリンに飛び込み、コンプレッサー用の手元スイッチと「グランドパワー増刊 世界の戦車(1)」を購入する。戦車図鑑としてお勧め。最も試作戦車の類は取り上げられていない。本当の入門書としては昔、平凡社カラー新書で出ていた「世界の戦車」が読み物としても面白く、巻末の試作車両を含む同一縮尺戦車イラストで超マイナー車両の存在を知る上でもお勧めである。現在は絶版。古書店で見かける事も殆ど無い。思えばこの「世界の戦車」と同じシリーズの「世界の軍用機」が私の知識の源泉であった。このころはまだYF17やミラージュF1の時代だったんだよなあ…。戦車はT62が最新鋭だった…。今からほぼ20年前のお話である。

〜3月31日

 「軍用自動車入門」(高橋 昇 光人社NF文庫)読破中。地上戦用集音機搭載車両までテストしていたとは知らなかった。以外とやることはやっていたんだなあ。


 「レーニンをミイラにした男」(イリヤ・ズバルスキー 赤根 洋子訳、文春文庫)読了。レーニン廟に現在も鎮座ましますレーニンの遺体保存にかかわる物語と見せかけ、実はソ連の1科学者の半生を書いたモノ。「スターリン・ジョーク」(河出文庫)の世界そのままのソ連科学界と国内事情がよくわかる、実は素晴らしい本である。それにしても、社会主義革命の立役者を永久に記念するための技術が、ロシアマフィアの葬式のために利用されているとは…。