「雷電」礼賛(ただし機体にあらず)
学研「局地戦闘機 雷電」の感想を書こうとしたら、途方もない分量になってしまった。よって独立したネタとしてここにあげる。
下記の文章は、過去に読んだ文章や、筆者個人の経験と一方的な思いこみによって成り立っている。したがって、文章の趣旨や記述は、すべて私の妄想であると云って過言ではない。
学研「局地戦闘機 雷電」を読む。私の出自はモデラーなので、技術的記述は「ほほう、これは凄い」で終わってしまうし、開発の経緯や戦歴についても「さいざんすか」と云う感想しか持ち得ない。
モデラーと名乗っても、どうせ「雷電」のプラモを作る予定も無いので、実機写真や図版が豊富にあっても、「そのうち使えるな」(そのくせ使う予定など無い)、と冷淡なものである。そもそも私は「雷電」がキライなのだ(笑)。理由は簡単で、私には色気が感じられないからである。
同じ帝国海軍戦闘機ならば零戦の方が美しいと思っている。太った戦闘機で許せるのは強風(まだ仕上がってねえや)までで、紫電も紫電改も、あのたるんだ尻尾が駄目である。日本人の手による飛行機は清楚・可憐であって欲しいのである。
どうも日米戦争中に形を見た海軍単発戦闘機は、悪い意味での「なりふりかまわず」さを感じさせて面白く無い。この「なりふりかまわず」な印象はどこから来るのか、を考えるのは愉しそうなのだが、多分つまらない文章にしかならないので、これ以上の追求はやめる。
余談が過ぎた(笑)。
学研の「雷電」で評価される部分は、「特別企画1 究極の「雷電」デザイン」にある。
従来、「趣味的兵器本」と云う種類の書籍は、基本的には「事実」の紹介に終始してきたと思う。あくまでも現実に存在した兵器を紹介するのが本質とされ、著者の評価はあくまでも実在した兵器と、兵器そのものは存在出来なかったが、少なくとも現実に存在した計画についてにのみ、述べられている。
「私ならこうするね」と云うプランは、一部の例外(といっても私はフットワーク出版社 福島 巌「日本陸海軍 幻の最強兵器シミュレーション」くらいしか実例を知らないが)を除いて、兵器本界からはキワモノ扱いされてきた。
正直なところ、モデラーとしての立場に立てば、この「究極…」もやはりキワモノであり、「兵器資料本」には無用のものと位置づける。しかし、「兵器生活」主筆としては、「兵器資料本」にこのような記事が登場したことを大いに歓迎するのである。
読者諸賢はすでにお気づきであろうが、私は「活字中毒」で「年号嫌い」である。文章による機械構造の詳細な説明も正直なところ勘弁してもらいたいと思っている(こう云うページを運用している以上、少しは目を通しているが、記憶中枢からはいつもはじき返されている)。しかし他人の理路整然とした意見、アイデアを読んだり見たりするのは好きなのである。そうでなければ、なんで50年前の読者投稿を一語一句テキスト化するものか!
だから、「雷電」と云う実在した戦闘機をネタにして、それぞれの理論をもとに、好き勝手にいじり倒してしまったこの記事を「面白い」と思うのである。
第二に「時代の動きが感じられる」
「趣味の兵器本」の内容が、いよいよ動いてきた、と云う印象を持つのである。先にも書いたが、この手の本はあくまでも事実が主で、想像は従であった。
私が思うに、日本の戦後における兵器研究は、まず正史から抹消された帝国軍隊と、それに付随した技術者による鎮魂が基底にあったと思う。
敗戦後、帝国日本は(軍は)「絶対悪」となり、現在に至っていることは云うまでもない。
「恒久平和」追求の動きの中、帝国陸海軍の罪悪が論じられる中で、個々の戦闘や「悪の組織」としての帝国陸海軍の研究、その「悪」を際だたせるための「良識的」とされた軍人の発掘が行われた。「どうしようもない陸軍」と「良識だけではどうしようもなかった海軍」と云う図式が形成され、軍事・兵器本の書き手は、その図式の制約を受けざるを得なくなった。
「それだけではない!」
戦後の「趣味の兵器本」の一番手は、一個の技術者として、兵器運用者としての自己の正当化、およびその兵器を持って死んだものたち(殺されたものたちは除く)への手向けの花束としての研究である。技術者や軍人の回想録がこれにあたる。
「戦争は悪い、しかし戦争となった以上は、全力を尽くすのが当然の義務であり、私はそれに誇りを持つ」と云う意味合いが強い。「悪いのは一部の連中であり、自分たちは力を尽くして負けただけである−戦争指導に誤りが無ければ勝てた」と云う意味合いも多少はある、と私は思っている。
平行して、「当事者」でない書き手も現れる。それはかつての兵器雑誌にかかわった人であり、かつての兵器ファンの後の姿である。「敗軍の将」は戦争そのものを語る事を良しとしなかったであろうが、「当事者」で無いものは、「当事者しか知り得ない事実」を彼等から聞き出すと同時に、「自分なりの評価」を加える事が許される。
ここで後の架空戦記に連なる思想が形成される。「物量に負けた」とか「アレが間に合っていれば」といった話である。「幻の新鋭機」とか「日本軍の秘密兵器」と云う類がこの系譜に含まれるであろう。
しかし面白いことに、「趣味の兵器本」の世界は、ここでしばらく対象そのものを深化させる方向に走る。プラモデルの隆盛による、「兵器資料本」の出現である。
模型メーカーが、自社の製品を精緻化するにあたり、資料の収集に勉めたことは想像に難くない。商品に反映されない部分は、先進的プラモマニアが自作する、と云う風潮が生まれた。当然、兵器に関する資料需要が生まれる。航空機雑誌は実機写真中心となり、「世界の傑作機」「丸スペシャル」のような特定の兵器のみを紹介した書籍も発行される。
市場が要請したのは、兵器そのものに関する情報だけとなり、兵器に関する著者独自の解釈は、あくまでも歴史的事実にのっとったものだけが許されるようになった。
その背景を想像するに、正史に(軍事史・兵器史そのものが「正史」に値するかは別としても)記述されている以上の事を、とくとくと述べても、「いまさらどうせいっちゅうの!」という書き手と読み手の意識が、個人としての解釈を要求しなかったのだろうし、困難な時局下で奮闘努力した「当事者」への遠慮が働いていたのであろう。
経済人向け雑誌が、将帥論を掲載しはじめたのが、いつなのか私は知らない。しかし、私が本を読み出したころ(昭和50年代後半)には、既に書店のビジネス書コーナーには、あきらかに経営者を対象とした「孫子の兵法」本や、「陸軍要務令」の解説書があった。書き手の中には軍参謀だった者も少なくないように思う。いや、それ以前に高所から物云う人間の大部分は、そもそも一時期は軍歴を持っていたのである。「当事者」が自分に関わりがなかった事象を語り始めたのである。
実際の経営者がどうであるかは別としても、ビジネス書の一つの流れは、「過去を学び、未来を創るための智慧を伝える」というものである。つまり、成功も失敗もすべてその原因を追及しておかないと売り物にならないのである。
敗戦後50年が経過した。「当事者」も序々に鬼籍に入るのが世の常である。戦争を進めた「当事者」は物故し、これからの戦争を防ごうとしていた「当事者」も第一線を退いていく。後には彼等の本を読んだ世代だけが残された。
「残された世代」−我々である。少年雑誌の戦記・兵器記事を読み、戦争映画を観、模型を作り、戦史を読んだ「戦争を知らないこどもたち」とその息子達。 学校の授業では取り上げられないのに、歴史の教科書のその部分を一番熱心に、ただし純真な意識を持たずに読んだ者。兵器と軍事だけに詳しくなった「恐るべきこども」。彼等が「趣味の兵器本」を自分の金で買いだした時、時代が少し動いた。
「趣味の兵器本」がひたすら兵器の図面と細部写真と、現存する兵器のありかを求めているころ、当事者の回想録である、「戦記」もその潮流を形成していたはずである。
書き手に求められたのは、実物と史実に関する知識であり、それは「秘蔵写真を数多く所有し、あるいは見ること」と、「当事者から事実を聞き出すすべを持つこと」と「当事者であること」で云う資質であることは云うまでもない。
しかし、それだけでは市場は硬直し、先細る。理由は簡単で、誰でも興味を持つ=売れる事象はすでに掘り起こされてしまったからである。
歴史、と云うよりも歴史情報と云った方が良いのだろう、それは「金」のようなものである。日常と云う大地を掘り起こし、歴史を史料、証言、書籍と云う石ころを精製して、商品である「金」を見つけだす。我々はその「金」を模型製作や日常会話で使用して、ささやかな尊敬−あいつは良く知っている−を得るのだ。
その「金」が乏しくなってきている。「金」の価値自体は低下していないのであるならば、このご時世にもうける方法は3通りある。誰も手をつけていない金鉱を探して掘り出すこと、金を採取した石ころをさらに細かくして、残った金をかき集めることと、すでに市場に出た金を使って、金細工をすることである。
言い換えれば、外国の文献、史料を調べて書くことと、先人が使用した基礎文献−一次資料を再検討して新たな「真実」を探す方法、そして先人の研究成果を利用して時代にあった体裁を整える方法である。
近年、第4の方法が発見された。「錬金術」である。
金では無いものを使って、「金」を生成するのが錬金術である。別な云い方をすれば「価値があるのは金だけでは無い」ということでもある。「金」では無いものとは何か、それは「趣味の兵器本」読者が持つ思想以外の何物でもない。
刺激があれば、反応がある−この「反応」が「金」と同価値を持つようになってきたのである。刺激が何で、反応が何であるかは、わざわざ書くまでも無いだろう。
兵器とは科学である。正しくは科学の成果の一つの表れである。人類は想像力−ひらめきを元手に、実験や観察といった努力によって科学を発達させてきた。しかし、その一方では、思考して書くと云う努力の道も歴然と存在している。空想科学小説−SFである。
SFと云うと、未来社会に、超兵器や新発明、そして宇宙人と云うのがおおかたの印象だと思う。
しかし自衛隊の一部隊を、戦国時代に送り込んで、理路整然とゆくさきを記せば映画会社が大金を出して映画にしてしまうのである。戦時中に帝国陸軍が「鉄人」を28体製造しても許されるし、多国籍軍事企業体が、自社新商品としてサイボーグ戦隊を生み出してもかまわないのである。「SF」と云う看板を背負っていれば、舞台も道具も何でもアリなのである。
SFが市民権を得た、と云うのがここで触れようとしている「錬金術」の背景にある。兵器製造会社の技師でなくとも、陸海軍の人間でなくても、政治家でなくても自分の想像した兵器、あるいは活躍できなかった兵器を縦横無尽に活躍させる場が存在していたのである。かつての「趣味の兵器本」読者が、「私はこう思う」と云うことを堂々と述べる場所がいつのまにか出現していたのである。
SFの読者がすべて「趣味の兵器本」読者であるわけではない。SFの書き手がすべてそれであったわけでもない。昭和30年代〜40年代のSFマンガを見れば一目瞭然である。登場する兵器は、あくまでも「兵器」と云う記号でしかない。(もちろん小松崎茂の絵物語のような例外もある) しかし特撮映画だけはその始祖である「ゴジラ」から現実の兵器を登場させていた。
何故か?生身の役者を使い、実在の場所に大怪獣を登場させる以上、それを迎え撃つ「科学兵器」は、現実に存在しているものを使わなければリアリティが出ない、と製作者が思ったのだろうとしか想像しようが無い。書き割りの背景で良いマンガと、立体のセットを使う映画との違いなのだろう。
日本ビジュアルSFは、独自の世界を持つ「マンガ」とあくまでも現実世界の中に異物を置く「トクサツ」とに分かれて発達していくことになる。
「何故アニメに触れないのか?」と疑問に思う人もいよう。日本では、かつてアニメーション映画の事を「漫画映画」「TVマンガ」と呼称していた。つまりは「マンガ」なのである。日本のTVアニメの始祖は「鉄腕アトム」である。したがって、本稿においては、ある時期までのアニメは、マンガの一種として見ても差し支えない。
「トクサツ」を見て育った世代が、自らも「トクサツ」作品を作り出そう、と思うのは道理である。日本の経済成長により、国民生活のレベルが上がったことで、高校生〜大学生が、8ミリカメラを使用して、「トクサツ」を撮りはじめた。アマチュアは、自らの作品のルーツを往年の「トクサツ」に求め始める。
そしてちょうどそのころ(1980年代初頭)、本家の「トクサツ」映画が往年のパワーを失いつつあり、むしろ今まで傍流とみられていた洋画「トクサツ」が日本のそれに追いつき、追い越した。
1980年代は、軍事趣味者にとっても変動の時代だったと、後の人は云うにちがいない。
第一に、日本「トクサツ」の権威失墜。過去の作品(60年代の東宝特撮やウルトラシリーズ)が評価される一方で、最新作がファンによって否定されるようになった。同時にファン活動から、「トクサツ」世界に進出するものが出現した。
第二に、「マンガ」が進化?した。記号としての乗り物や兵器が、具体的なそれとして描かれるようになり、読者は、その具体的に描かれたモノを支持しはじめた。
第三は、「マンガ」の進化と平行して「TVマンガ」が「アニメ」化した。話の筋以上に、登場する人物や背景や乗り物、兵器の描き方の善し悪しが評価されるようになった。
従来の「TVマンガ」「マンガ映画」でのモノの描き方から踏み出した作品が、再評価され(云うまでもないが、「旧ルパン」の事である)、「リアルなメカ」を出した作品が評価されるようになった。
第四は、シミュレーションゲームが大々的(と云ってもマイナーなのだが…)に輸入、宣伝され、個人が歴史を動かすことが可能になった。
第五の現象として、SFモノの模型がブームになり、製作物における「もっともらしいウソ」が、容認、賞賛されるようになった。
言葉を換える。第一の現象は、既存の権威の失墜を意味するとともに、センスの良い素人が、玄人の領域に入り込むことが出来るようになった、と云うことである。
第二、第三は、第一の現象と共通する部分が大きいが、必要とされる資本が少なくて済むと云う面で、よりインパクトのある現象と云える。
第四の現象は、第一、二、三が「自分の趣味を満たす空間を作り上げる」のに対して、「史実を自分好みに改変しても許される」と云うことを物語っている。
そして第五は、本来「実物を縮尺した」はずの模型世界においても、作り手の「好き勝手が許される」時代が来たことを意味している。
そして所謂「スケールモデルの冬」が到来する…。
これから自己主張をしようと云う未来ある青少年が、なんで実物と史実にかんじがらめになっている世界に安住できよう!青少年が求めるものは、自己への承認と賞賛なのである。史実や実物の忠実なる下僕ではない。
しかし、無制限の自由は、一部のものを除き、やがて新たな倦怠を生み出す。「なんでもあり」だからといって、「すべてがウケる」ものでもない。権威への回帰の季節がやってくるのである。
まったくのゼロから世界を作り、そこに蠢く歴史を書き上げ、さらに説得力のある兵器を想像して、他人にインパクトを与えることが、どれだけしんどい作業であるか、この駄文をここまで読んでいただいている読者諸氏ならばお判りいただけよう。
絵が描けない、話が作れない、何を考えれば良いのかわからない…。困難だらけである。そして人は本道に還る。
歴史の教科書に書いてある世界、書店に行けば写真でイメージを確認できる世界、ここをちょっとひねってやれば、みんながアッと驚く世界…。
仮想戦記はこういう歴史の中で誕生したのではないか、と私は愚考する。
「趣味の兵器本」の世界は、依然として実物、実話指向であることには変わりないが、上記のように、趣味者を取り巻く環境は変化している。
まずは兵器を選ぶためには、カタログが必要だ。兵器を活躍させるためには、舞台を知らなければ人を説得出来ない、戦史を読まなければならなくなる。兵器は機械だから、エンジンや航空工学も囓った方が望ましい…。
ありきたりな兵器を出しても面白くないから、なるべくマイナーな型式を持ってきた方がウケる…。
「趣味の兵器本」が、「××兵器集」と銘うって、差別化のポイントもよくわからないものを出してきたり、個別の兵器をより詳細に取り上げるようになったり、試作機だの計画機だの、あるいは「ロシア」(笑)にこだわったりして、心ある人の経済状態を破綻させようとしている背景は、今まで述べてきた歴史の中から生まれてきたように思う。
ようやく結論に入れそうである。
何故学研の「雷電」を私が歓迎するのか、それは「趣味の兵器本」の未来の雛形だからである。送り手が、ついに受け手が細々と行ってきた営みを「金」として認め始めたからである。いままで「読むだけ」であった受け手の行為が、高度資本主義社会において、「商品」として(つまり一部社会に)認められたからである。「軍事趣味者」のはしくれとして、どうしてこれを歓迎せずにおられようか!
冒頭にも触れたが、以上の文章は、すべて私の独断と偏見と思いこみに基づいている。よって、本文に書いた「趣味の兵器本」も、その他の歴史についても、特別権威ある書物に準拠しているわけではない。が、そもそも「趣味の兵器本の歴史」なる書物があるわけでもない。
しかし、自分の趣味が、どのような背景で成り立っているのかを考えてみるのも悪くない。読者諸兄には、ご自身の考えがあるはずだから、私の文章に反発するもよし、賛同いただくのもまた良しである(賛同いただいたからといって、何かお礼をするわけではありませんよ)。
「あの記事を、何故私は歓迎するのだろう」と考えたことを、まず自分にわかりやすく書き記したまでのことである。願わくば、それが読者諸氏にとっても、わかりやすいものであって欲しいと思っている。