「敵性語」を追放しよう 日本人の横文字崇拝について
(例によって大風呂敷です)
今回のテキストは 「写真週報」 昭和18年2月3日(257)号からであります。表紙にいわく「米英色を一掃しよう」
戦時中の「敵性語」追放運動は、当時の日本のおかしさを象徴するものとして読者諸氏にとっては周知の事項であると思う。今回は当局発行の雑誌から、その内容を垣間見よう、と云う趣向であります。
毎度毎度大きい画像ばかりで申し訳ない(笑)。本文にはこうある(当然原文は旧かな)
これは決してニューヨークやロンドンの街頭ではない。日本の街頭だ。しかもわれわれは、いま米英と戦っている。それにどうだろう、わが日本の都会にこの横文字看板が氾濫しているとは…かかる米英媚態の看板は断然やめようではないか
それではどういう看板が米英媚態のものであるかというと、大体ここに取り上げた看板のように、この商店は一体なにを商っているのか、その肝心なところが横文字で書いてあったり、店名に敵米英の地名や人名を用いてあるものである。これは誰が考えても日本人をお客としている日本の店のとるべきことではなく、まして敵国の地名や人名を書くにいたっては媚態以外の何物でもないであろう。
続いて「これが日本人に売る日本商品だろうか!」(当然旧かな)
米英臭のある品物を喜ぶ気持が、まだ銃後に残っていると知ったら、前線の将兵は、どんなに悲しみ、どんなに怒ることだろうか。この嘆き、この悲しみ、この怒りと同じ心で、もう一度身の回りを見回してみよう。学用品、化粧品、薬品… 童心を蝕み、婦道を傷つけ、果ては戦力を挫くもの、十二月八日の朝、既に消えてなくなっている筈のものがまだ残ってはいないだろうか。つくる人、売る人、買う人、みんな前線将兵と同じ日本人だ…
昭和17年12月 英語雑誌名禁止
昭和18年 1月13日 ジャズなど米英楽曲・レコードの演奏が禁止される
(一億人の昭和史 3 太平洋戦争 毎日新聞社 1976年)
と云う時勢をうけての宣伝・啓蒙活動の一つの姿である。この「週報」の文章は非常に平易、明快である。この紙面のノリをどこかで見たことがある人も多いと思う。「暮らしの手帖」である。具体例を挙げたいところだが、総督府には「暮らしの手帖」は無い。読者諸氏は御母堂から拝借の上、見比べて見られんことを希望する。
もともと「暮らしの手帖」の編集長を永年続けた花森安治は、戦時中は大政翼賛会の宣伝部で活躍したことがあり、「欲しがりません勝つまでは」等の標語で知られている。今となっては確認のしようも無いが、私は彼がからんでいたと思う。
(花森安治と大政翼賛会の関係については、山本夏彦「私の岩波物語」 文春文庫によった。花森本人については、朝日文庫だったと記憶しているが「花森安治の仕事」とか云うタイトルで伝記が出ている。総督府にも一冊あるのだが、例によって行方不明である。タイトルもうろ覚えなので、「そんな本はありません」と書店の愛想の悪いバイトの姉ちゃんに文句を云われても、当局は一切関知しない)
日本人と云う人種が、いかに横文字にしびれていたか、如実に実証されている。
逆に云えば、「戦前暗黒史観」が都市部においては必ずしも通用してはいない、と云うことの証拠であるとも云えるのである。ここで取り上げられている事例は当然極端な例なのだろうが、現代の日本にもまったく同じ事が云えるのである。
だから「Jビーフ」なんて云う情けない名称は勘弁してもらいたいものである。素直に「国産上質牛肉」と云え!
おまけとして「アメリカジャズ」のレコードをたたき壊している漫画を載せる。これも同じ号に載っていたものである。このおとっつあんが持っているのが竹槍でなくて本当に良かったと思う。
この「週報」、実は歴史史料として重大なものを含んでいる。それは「廃棄すべき敵性レコード 一覧表」である。発売会社、番号、題名が入ったもので、「これを再録したら絶対ウケる!」と総督をして思わせた程のものである。しかしそれを打ち込む工数とウケてくれそうな人数とを秤にかけるとどう考えてもこちらの骨折り損になりそうなので、止めた(笑)。興味のある向きはリクエストと賄をドンと積んでいただければ考え直す余地はあるので、熟慮検討の程を…。
戦時中の敵性語排斥の中で、野球用語が日本語になった、と云うのは有名な話である。この先米国と戦争することになったらやはりコンピュータ用語を全部日本語化するのだろうか? どなたか「ホームページ」を良い日本語化していただけないものだろうか!