戦時中の動物園光景
「かわいそうなぞう」と云えば、「フランダースの犬」、「世界大戦争」と並ぶ、<泣かないヤツは人非人>ネタとして名高い。また、戦争の悲惨さを教える名教材の一つでもある。
この話、上野動物園が舞台になっているのだが、ふと思うと、上野以外の動物園でも、やはり猛獣の事前処置(と云う言葉は使いたくないのだが、最初に思い浮かんだ言葉が<しまつ>なのである。いかに自分が荒んだ精神生活を営んでいるかが解ると云うものだ)がなされていたのだろうか、と云う事を全く意識していなかった事に気が付くのである。
さらに自分の不見識を述べてしまえば、小学生の時にこの話を知って以来、その時の情報以上のものを、まったく得ようとしていなかったのであった。
なんでこのような文章を書こうとしているかと云えば、古本屋で入手した「科学画報」(昭和19年3月)に、以下の記事を発見してしまったからなのである…。
切迫した現情勢の中で、日本の児童達に生きた教材をつとめて来た動物達はどうしているだろうか。彼等も非常時の波にもまれている。
事変以来、食料問題、燃料問題を身を以て経験し、この度は、猛獣たちは遂に国に殉じて剥製となって尚生きつづける。各主要都市の動物園を以下に見る。
と云う編集部の序文の後に、「かわいそうなぞう」の元ネタと云うべき文章が掲載されているのである。例によって仮名遣いの変更を施してあるが、句読点については、特殊な使い方をしているため、あえて原文そのままとした。
猛獣のいない動物園
上野動物園園長代理 福田三郎
動物園前景
象室の前のだらだらした道を行くと、猛獣舎の前へ出るのである。毎朝のことである。私が、この道を歩いて、猛獣舎の前に出るのを見た牝のライオンのカテリナは、寝そべっていた、身体を、はねあがるようにして、とびおきて、身体を鉄柵にすりつけて、あまえ、のどを鳴らして、愛撫の私の手を待つのである。首を、さわらせるのである。
隣の牡のライオンは、私を見ても、そばには、やって来ないが、悦びの感情を身体全体にみなぎらせて、運動場の中を、あちこち、歩きながら私の方を見るのが、平常の癖であった。
お隣のマライグマは、私の来たのも知らないで、鉄柵によじのぼって、長い舌で、鉄棒を、なめているのである。
黒豹も、虎も、そして、豹も、一つとして思い出のないものはないのである。
私が毎朝、象室の前から、猛獣舎の前へ歩いて行くのは、今も昔も変りはないのである。
猛獣のいない動物園出動
私が象室の前から、猛獣舎の前へ出る私の姿を見た狗鷲は、はばたきをして、啼きながら、鉄柵、近く、歩いて来るのである。
かつて、聞かれた、ライオンの太いバスの声でなく、かん高い、鷲の啼声である。
獣の王といわれる猛獣舎の檻には、ライオンでなく、鳥の王といわれる鷲が、収容されているのである。
猛獣舎の猛禽舎になったのである。
私達は、猛獣舎の運動場から、歩を移して寝室に行って見よう。
猛獣舎の入口に「午前十時給餌」と記された、かつての、猛獣達の餌の時間を記した掲示板は今はなく、新しい「動物標本陳列諸所」と記した掲示板を見るのである。
再び寝室に入って見よう。なんと、たいした変り方てあろう。
過ぐる日、ライオン、豹の産室にあてられた、また、休息所であった寝室は、新装され、壁には、南方、北方、アメリカ、アフリカの原産地の状態を画き、原産地における動物の棲息状態を有りのままに画き出されているのである。
そして、ここに、在りし日のライオン、虎、豹、マライグマその他の動物−鳥獣が、在りしままの威容を以て陳列されているのである。
猛獣舎の寝室が、動物標本陳列所となっているのである。
盛夏の候、動物園の猛獣達は、空襲などの万一の場合に備えて、おだやかな方法で所置されたのである。
これより先、動物園としては、空襲などの万一の場合に臨んで非常所置をとることに万全の準備を整えていたのであるが、動物達も、激烈な衝動にあっては、恐るべき狂乱状態となり、所置に万一の齟齬があってはとの懸念から、非常手段をとらずに、穏かな方法で事前に所置したのである。
時局に殉じた猛獣
しかして、動物園の係員に見まもられて、所置された動物は次の通りである。
ライオン三頭、トラ一頭、ヒョウ三頭、黒豹二頭、チーター一頭、熊類七頭、北極熊二頭、象三頭、ガラガラヘビ一頭、ニシキヘビ一頭、アメリカ野牛二頭である。かくして時局に殉じた猛獣達の慰霊祭が九月の初旬に動物園の慰霊碑の前で、浅草寺大僧正が導師となって、盛大に挙行されたのである。
式場の正面には殉職難猛獣霊位と記された位牌が安置され、この前には生前、好物であった肉、魚、野菜等が供られ、大達都長官の焼香で式は終ったのである。(以下略)
「かわいそうなぞう」の後日談と位置づける事が出来る文章である。<穏やかな方法>がどのようなものであったかは、今では小学生でも知っている…。
自分達が大切にしていた動物を、自らの手で殺さなければならなかった悲しみが、戦時下の出版物でありながら、行間ににじみ出てくるのである。
<象三頭>と云うのが、例の話に出てくる象である事は云うまでも無い。
この文だけでも本代の元は取った以上のものであるのだが、さらに今度は東京での措置をふまえ、京阪神の動物園を尋ねたルポが続くのである。
戦時下にあって、動物輸入禁止令や、飼料、燃料、鉄材の不足、加うるに大都会の防空上猛獣の殉職が問題となっている折から、その後の動物達が気になって京阪神の動物園を見て回った。
京・阪・神 動物園に拾う
吉田平七郎
京都動物園
京都は大阪に比べ工業地帯でもないので、猛獣達もライオン三頭、豹二頭、満州虎、スマトラ虎あり、熊類も北極熊、シベリアの赤熊から印度、セイロンの蜜熊、マライ熊に至るまで大揃いの豪華版。
どこかで無くなると、泌々それ等が目のあたりに見られるのが如何にも有難く、今更ながら強く逞しいものに対する魅力と重要性が感ぜられる。正に天然記念物指定に値するものである。
燃料も三分の一以下になり、河馬は水温が不足しても繁殖しているし、縞馬が日本一の仔をもうけて三頭いる。
駱駝が五頭にも殖えている。
象もキリンもペンギンも、阪神パークから来る充振り。
神戸の牝豹を借り、有無相通じて繁殖を計り、また普通の豹と黒豹との雑種をつくろうとしたが、出産前に黒豹が斃れたのは残念だった。
珍しい逸品は昭和十七年セレベスのカスカスが親仔づれでお目見えしたのは、これも大戦果獲物の一つに挙げてもよかろう。
乳牛を飼い、兎の自給をやり、毛皮は緬羊の剪毛とともに軍需品として献納している。最近園外に自給農園を三段ばかり開墾しているのは頼もしい。
標本室では、五十余種の剥製で南方動物の紹介をやり、日本一の南洋鰐(マライ半島産)は昭南博物館のものより大きいという。
児童の作文やスケッチ展、人気動物の名付け投票等は科学と芸術を結びつけて嬉しい催し物であった。これが前線へ慰問用にも送られて好評である。何日も学校の見学旅行団に出会すが、また何時でも美術の都だけに作家達に親しまれている。園内に動物の美術工芸品が見られるのも、京都らしく和やかである。
小鳥一匹、草花一鉢持てない市民達は動植物園の共存位許されてもよい。美的享楽が贅沢なら音楽も絵画も演劇も同様問題となる。誰にも喜ばれる動物たちを、相並ぶ美術館とともに市民よ護れ。京大も大いに後援活用すべきである。
京都動物園は風景的にも最も恵れて既に単なる動物園ではなく、京の名所として日本的存在でもある。
なんと!東京では<穏やかな方法で>処置され、全国的に殺されたものとばかり思っていた猛獣が、京都では生きていたのである。記事の言葉を借りれば、<正に天然記念物指定>モノである。象は、わざわざ阪神パークからもらいうけている(阪神パーク動物園閉鎖のため)。
記者は書く、<美的享楽が贅沢なら音楽も絵画も演劇も同様問題となる。誰にも喜ばれる動物たちを、相並ぶ美術館とともに市民よ護れ。> この時代に良くここまで書いてしまったものだと、私はこの文章の書き手の身の上が心配でならない。私が検閲官であれば、即刻削除、厳重注意にしている(笑)。文章は続く。
大阪動物園
大阪が東京と前後して猛獣達を犠牲にしたもの、ライオン・虎・豹・ピウマ・北極熊・羆・満洲熊・縞ハイエナ・斑ハイエナ・ヌクテ等二十四頭で、鰐、錦蛇、また河馬等は取扱上問題にならず残存している。
猛獣舎のあとには、大鷲。禿鷲等猛禽類が相応しく入って適材適所。各寝室を明るく開放して猛獣達の剥製を陳列する予定である。
名物のリタ、ロイドも無き数に入り、芝生の一角に記念像(岩田千虎作)となり、黒猩々一頭が残る。
キリンやペンギン、フラミンゴは賑やかに、阪神パークの解散部隊である。
南方の豚尾猿、黒猿、蟹喰猿等は大東亜戦争下のお土産寄贈物であり、白猩、カンガルー、水牛、ミオカスター等よく繁殖し、増産部隊では、豚が水牛と病死した象舎を利用し、大物象二頭の無きあとを数量で埋合せ。ヨークシャーの外にハンプシャー、ジュラックジャージィ等は興味をひく。
かなり広い園内に空地、空家を造っては相すまぬというので、蓖麻を植えたり、山羊、七面鳥、鵞鳥を入れたり、鶩が二百羽も飼われている。家畜や家禽、伝書鳩や功労馬もおり、軍用動物の紹介やそれ等の飼育指導も時局動物園の一使命だ。
共栄圏内の動物分布図は三間に二間大で、七大区に百余種の図解がしてある。ここのが一番学術的によくできている。
また成績の良いのは淡水産魚で、槽は十七あり、オヤニラミ、ワタカ等もよく育ち、秋翠は日独鯉の雑種で共栄親善を説いている。感心せぬのは小鳥類が六十種もいるのに、まるで鳥屋の店先見たいで、ただ並べてあるのは勿体ない。また動物の説明が物足りなく、特色がない。どんな動物でも特有の興味が持てるような解説の工夫が足りない。
目下飼料は肉類より、雑穀(濃厚飼料)類が不足しがちで満洲から雑草の実が入っている。一皿二銭の餌芋類が大根に代っている。燃料不足で河馬や鰐が我慢し、暖房のできないところは敷藁をふやしてやる。それも廃物のしぶであるが相当効果的で暖かい。
由来を迎えて、本園では嘗て飼育した猿の種類四十五種類の標本展をやったのは傑作。
その他市内生物の調査、皮革の展覧会、同窓会、研究発表会等、科学知識や趣味の向上を計るのは結構。先年「動物二千六百年史」を編纂配布したのは殊勲甲であり、アルバムも何とか廃刊にせず、戦時下動物の種類が減っただけに必要ではないか。この際もっと通俗的なまた子供本位の催し物や宣伝をしほしい。人寄せをするのがいけないのではない、もっと動物園を活用せしめないのが寒心物であると思う。
大阪も、東京同様に動物を殺している事が立証されたわけなのだが、ここにも見逃してはならない事実がある。<鰐、錦蛇、また河馬等は取扱上問題にならず残存している。>と云う一文である。上野で処置されたニシキヘビが、大阪では取扱上問題にならず残存しているのである!!京都の事例も含めて考えると、少なくともこの時期は、当局が危険動物の処置を全国一律に要求していない事が判明されてしまったのである。文はまだ続く。
神戸動物園
神戸動物園は諏訪山公園山腹に位し、最小の面積を最大に活用している全国的標本の好例である。大神戸市の面目にかけて、どんなにでもやって行けるのであるが、戦時下大拡張、移転問題は将来の楽しみにして、現在は最少の資材で最大の効用を発揮している。動物園も工夫次第でこんなに面白くやって行けると教えている。
現在ライオンが繁殖しているし、虎も豹も北極熊もいるのであるが、新京の動物園へ猛獣達は引越す約束だとか。山腹に絶対安全な防空壕でも造ればどうかなる。篤志家が日本にないのは情ない。
唯一の存在カラカラや大山猫、それから毎度港だけに寄贈動物が多い。豪州のデンゴは珍しい。その他鸚鵡類や豚尾猿、蟹喰猿、ビンチャロン等最近の渡来物。阪神パークの疎開部隊で関西の動物園はどこでも穴埋めをしたようだが、ここでも虎、ペンギン、鷲類、鰐、錦蛇等を収用した。
時局的な工夫といえば、鰐が蓆の上に寝そべっているので尋ねてみると、下に馬糞を入れ、その発酵熱を利用しているという。これは面白い名案だと感心する。鶏の足だけでも皮は利用されて、骨と髄、腱だけのもので二十五キロトンもあれば、大中肉食動物三十頭は飼える。大した消費どころか廃物利用である。それに若干の野犬猫の肉も混用されてはいる。
催物では大東亜動物玩具展や、大東亜の渡り鳥展があり、慰問用パンフレット「スワヤマ」は学童達の動物作品集でよい思いつきであった。それから近頃科学する動物芝居を始めて人気あり、その種類はペンギン、ライオン、駱駝、仏法僧等で、それぞれの動物舎の前で実演する。動物に対する興味を多角的に指導し、理解から愛護に発展させるためにいろいろな手段方法を用いてきた。
今度は神戸である。ここでも猛獣達は生きている。満洲は新京へ疎開される予定にはなっているが…。ただし本当に疎開したのかどうかは、資料が無く、ここでは何もコメント出来ない。吉田氏はあきらかに動物園を護ろうとしない当局と、神戸在住の富裕者層をも批判している。
宝塚動物園
宝塚新温泉場内にあり、あらゆる文化的娯楽設備を欲しいままに取捨選択、絶えず新鮮な工夫を生かして行ける点、大資本私設の御陰で最も恵まれた点また他の厚生機関と対照して、動物園が一番家庭的なオアシスであることを説明する唯一の実験場だ。
童話や玩具の少年時代から、否原始時代から私達は周囲の動物に関心を持たずに生きてはゆけなかった。本能的な魅力が動物にある。敢て子供に立ち返らなくても、大人は大人並に動物の趣味は深く広く根強いものがある。みな私達の懐しい友達になってくれて、一生こんなに可憐な美しく愛すべき物が持てるので生き甲斐を感じる程有難いものになる。それには動物に対する観察、理解、指導が必要であり、動物の趣味を宝塚ではいろんな方面から開発啓蒙に苦心してくれているのは好ましい。
さて戦時下猛獣達、虎やライオンは寝室が二重檻になっていて、警戒警報で安全地帯に入れて置くと飛び出す恐れはなく、爆弾が落ちたら檻諸共全滅だから絶対安心していられる。
南方鳥舎では、鸚鵡、鸚哥類十九種類が明るく美しく、ニューギニアの大花鸚哥、雌は赤く、雄は青く、アルー島の黒鸚鵡や豪州産七草鸚哥、古代蒔絵鸚哥等色、姿、鳴声とりどりに熱帯の楽天地を想わせ、動物標本館では南方の生態陳列、別に熱帯動物園あり、鰐の養殖や珍しい亀類を集めている。
ペンギンの池では二十羽のうち四羽が繁殖中。スワンの池その他で鯉を一万二千匹放って養殖中で、また鶏のアパート十種類が並び、八十羽の鳩も放ち飼いにし身辺のものから親味を持たす一工夫である。
更に一段評判になっているのは、名物の動物サーカスで象、猿、狸、山羊、あしか、鸚鵡等、日本もハーゲンベックやベルサーカス以上に動物の調教ができる常設の動物サーカスはここだけで歌劇学校より、動物学校の訓練を続行させたいものだ。
また特別に昆虫館あり、学生の手近な動物趣味のよき指導機関で学校連中は大だすかりであり、大歓びをしている。二階に催場あり、常にふさわしい展覧会をやり、講演会を開きまた月報を重ねている。
近き将来に総合動物博物館が完成されようとしているが、どことも動物園の忘れられた開拓すべき、それは分野であったものと信ずる。同時に戦時下動物園の活躍すべき打開策だとも思う。
終りに阪神パークの動物園、水族館が無くなったのは経営上の都合でないことを断っておく。
最後は宝塚である。ここで注目するのは<虎やライオンは寝室が二重檻になっていて、警戒警報で安全地帯に入れて置くと飛び出す恐れはなく、爆弾が落ちたら檻諸共全滅だから絶対安心していられる。>と云う文で、つまり動物を処置しなければならなかったのは、動物園側の設備の不備が一番の要因なのではないか?と云う疑念を生むに充分な情報であると云える。檻の一部が破壊され、そこから猛獣が逃走したらどうするんだ、と云う当局が考えそうな心配は、吉田氏には無い(笑)。動物に囓られてもかまわない人なのだろう。
<歌劇学校より、動物学校の訓練を続行させたいものだ。>と云う部分に、吉田氏の趣味が表れている(笑)。
こうして関西方面の事情を知ってしまうと、上野の福田園長代理がますます可哀想になってくるのである。手塩にかけた動物を殺すと云う事は、立場を替えれば、私が自分の可愛い古本を、火災防止のために焼き捨てるようなものである。
私は、この記事を読んだ福田氏の落胆ぶりを、想像したくない。