きみ、人並み?

戦時中の列国戦車情報


 年頃の男性にとって、自身の持ち物が人並みであるか、と云う問題は極めて重大である。もちろん、大きさではなく、性能である、と云う意見も現実に確かに存在する。しかし、性能が同等であれば、大きいに越した事はない、と世の男性一般が思っていることは、云うまでもないだろう。

 兵器世界に於いても同様のことが云える。大艦巨砲主義と呼ばれた潮流は、まさに「デカイものを一気にブチ込む」とう云う極めて男らしい発想以外の何物でもない。陸上においても、大砲は「太く、長く、(砲弾は)重く」を実践しようとしていたことは疑う余地もないのである。

 さて、欧州大戦に登場した戦車はどうであったか。ぬめる大地を這い回り、敵の急所を衝く兵器として生を受けた最初の戦車が巨大な鋼鉄の怪物であったことは読者諸氏が一番ご存じである。
 しかし、その後の戦車の発達は性急にコトを果たそうとする快速戦車と、じっくりと進みつつ、大火力で責め上げる重戦車の2つの方向で進歩しながら、先進工業国群と自称一等国群は未曾有の大戦争に突入したのである。


 銭湯に行くと、他人の持ち物が気になるように、優秀な国産戦車を持つ帝国臣民も、よその国の戦車は気になったらしい。
 前置きが長かったが、今回は戦時中の雑誌に登場した列強の戦車の話である。

 当時の日本国内において、自国兵器の性能を具体的に語る事は、禁止されていたため、あくまでも諸外国に限った紹介記事である。以下に記事全文を掲載するが、例によって漢字・仮名遣い・改行等は改変してあるので御了承いただきたい。


列強の戦車比べ(国民科学グラフS18.3)
陸軍少佐 荘司 武夫

 陸軍の先頭を驀進して、敵の第一線を踏破しながら、味方の進撃路をひらくものは、近代兵器の華である戦車だ。

 その戦車には何が一番重要な条件かといえば卓抜せる機動力と火力と踏破力であって、それには頑丈なる装甲威力を具備しなければならない。
 その戦車とは、自動車を装甲し、それに無限軌道(カタピラ)を取りつけたようなものだと思うのは誤りである。自動車はすべて前方に機関があって後方の車輌を動かすようにできているが、戦車はその反対で、前輪起動式となっている。
 これは敵弾に対する機関の防御と死角を無くするためである。戦車の戦闘力は、山野敵中を突破しながら、その砲塔によって、砲や重機関銃を撃ちまくるところにある。

 戦車の構造は、大要左の図解(註:紙面の関係で省略)のようなものであるが、今各国が持って居ると考えられる重戦車に就いて一瞥して見よう。

 先ず重戦車を早くから持って居ると考えられた国はフランスであった。殊にそれは超重戦車で陸上軍艦にも比すべき程のものであるといわれた。3C重戦車と云われるものがそれで、全量七十四頓、最大装甲は五十粍、全長十二米、全高四米と云うとても大きなもので中戦車の十八頓、装甲二十粍、全長六米、全高二米に対し如何に大きなものであるかが推察せられよう。しかも武装は野砲と同様な七十五粍砲一門と機関銃四挺を持ち、乗員は十四名もの多きに上って居るのであるが、その最大出力は四百馬力で、最大時速十三粁と云う、実にノロノロした速度した出し得ず、軽快な機動性とは凡そ縁遠い戦車である。だから今度の欧州戦争ではドイツ軍には、手も足も出ず、その持って居た戦車の数も極めて少なかったとは云え、何等見るべき働きもなくドイツの軍門に降る破目となって了ったのである。

 フランスに次いで重戦車で有名なのはソ連であろう。殊に何か変わった戦車を持って居るらしいと云われたソ連が独ソ戦争となると案の定怪物的戦車を持ち出し、ドイツ軍の高射砲の前にあっけない敗戦の浮目(ママ)を見たのは、何としてもその使用法の拙劣なことを物語って居る。
 ソ連の重戦車は一般に鈍重で行動半径が小さく、砲塔の旋回が不良で、比較的死角が多いと云われる。世に五十頓戦車と言われているものの諸元を示せば、その全重量は五十二頓、最大装甲の厚さ七十五粍で、武装は七十六粍加農砲一、機関銃二挺のものと、十五榴一、機関砲一、機関銃一のものとがある。乗員は五名で馬力五五〇、最大時速二十九粁で行動半径は比較的小さいと云うことである。全長六米七十糎もあるから三米迄の壕は超越することができる。この戦車は潜望鏡を持って居て外部を見る様に造られてある。
 ソ連はこの五十頓超重戦車の外に、中戦車を若干大きくした二十六頓程度の重戦車を持って居る。T−34戦車と呼ばれて居るものがそれであって、重量は二十六頓五百、最大装甲四十六粍、武装は七十五粍砲一、軽機関銃二を持ち、乗員三名で最大時速七十粁と云う。特にこの戦車の砲塔は電気式旋回のものである点に注意を要する。この戦車も全長六米近くのものであるから三米迄の壕は渡り得るのである。

 敵国米、英も共に重戦車を持って居る。
 殊にイギリスが最新鋭を誇るマチルダー重戦車は最大装甲八十粍と云う強力な鋼板を被って居る点に於いて世界一である。この戦車は重量二十六頓で武装は四十粍砲一、機関銃一で、その巨大な戦車に対して貧弱な武装と云わねばならぬ。乗員は四名で馬力二百、最大時速二十三粁と云われる。この戦車も全長六米を有し三米の壕は越えることができる。特に変わって居るのは、そのエンジンにディーゼル機関を使用して居る点であって、ガソリンのものに比べて火災の恐れは遙かに少ないと云える。
 イギリスはこのマチルダーの外にヴィッカース三十二頓重戦車を持って居る。重量三十二頓、武装は四十七粍砲一、機関銃四、乗員は実に十名と云う多数である。装甲は重さに比して、案外薄く最大二十五粍と云う心細さである。三二〇馬力の最大時速三十二粁で、特にその全長が長く九米三十糎であるから四米六十糎 (ママ)壕までは通過が可能であると称せられている。

 アメリカはM3中戦車と云う名称のものを持って居るが、この戦車の重量は二十八頓もあるのであるから、前に述べた戦車の区分に基づけば当然重戦車に属するものである。この重戦車も、アメリカの中戦車の特色と同じく特にその武装の多いものに驚くのである。即ち重量二十八頓で武装は七十五粍砲一、三十七粍砲一、機関銃三で乗員は七名である。馬力は四百最大時速は四十粁である。全長六米七十糎であるから三米迄の壕は渡り得る筈である。


 以上述べた如く、現在重戦車も比較的多く持って居ると思われる国はソ連、イギリス、アメリカ、フランス等である。共に極端なる物質的なる国柄であると共に、その慣用戦法が攻撃よりも防御に秀でて居る軍隊の国々である点は面白い。

 重戦車の特質と云うものは極度の物質的な力をねらったもので、その装甲と云い、その大きさと云い、共に敵を圧倒すべき大きさのものである。だが、その機動力は他の戦車に比して劣るから自然防御的使用となる事は止むを得ない所である。

 こうした考えの軍隊は敵に打ち勝ち得るものではなく、フランスがドイツに敗れ、ソ連が又ドイツにから手酷い打撃を受け、更にイギリス、アメリカが共に我が日本から惨めな敗戦を嘗めさせられて居ることが、この事を雄弁に物語って居るのである。

 だが、将来エンジンの進歩に伴って戦車の型、戦車の重量はだんだんと大きくなり、その武装も亦強大なものとなって、然も機動力の相当にあるものが造られ、攻撃に於いても偉大なる戦力を発揮する様になる事は明らかであろう。

 対米英(蘭豪もあるが…)戦争の行方がまだ楽観視できた時期の記事である。実際の所は、ガダルカナル島からの転進が発表になった直後であり(発表は2月9日付)、21世紀人である我々は、すでに戦局容易ならざることを知っていることは云うまでもないのだが、一般国民は当然何も知らされていない。
 したがって記事の口調もおのずから緒戦の勝利に酔っているものである。

 フランスがドイツに敗れ、ソ連が又ドイツにから手酷い打撃を受け、更にイギリス、アメリカが共に我が日本から惨めな敗戦を嘗めさせられて居ることが、この事を雄弁に物語って居るのである。

 と云う文章は、それを雄弁に物語っている。しかし、戦車に関わる人間であれば、「五十頓戦車」=KV1、2の「七十五粍」や、「マチルダー重戦車」の「八十五粍」の重装甲が何を意味しているのかは明白で、

 将来エンジンの進歩に伴って戦車の型、戦車の重量はだんだんと大きくなり、その武装も亦強大なものとなって、然も機動力の相当にあるものが造られ、攻撃に於いても偉大なる戦力を発揮する様になる

 と云う結びの文章は、「日本も重戦車を持たないとエライことになりまっせ」と云っているのと同じ意味を持っている。


 この記事を紹介するにあたって、私は「自国兵器の性能を具体的に語る事は、禁止されていた」と書いた。実はこの記事には、中戦車の十八頓、装甲二十粍、全長六米、全高二米と云う極めて重大な軍事情報がうっかりと記載されているのである。この記事を熱心に読んでしまった読者は何を思ったのだろうか…。 

 年は改まって、昭和19年となると、すでに雨の神宮外苑の出陣学徒壮行会も終わり、タラワ・マキンも玉砕していた(どちらも18年10〜11月の話)。

 国民科学グラフ(S19.2月)
「最近の戦車の発達」陸軍少佐 吉永 義尊

 第一次世界大戦に新兵器として華々しく登場した戦車は、二十年の平和時代に黙々として進歩し、欧州に第二次大戦勃発するや、独波戦争、独仏戦争に赫々たる戦果を収め、独ソ戦に至って遂に両軍地上戦闘の主体兵器となるに至った。而して第二次大戦勃発後の四半年の間にも著しい発達を遂げつつある。


大きさ
 誕生当時の戦車が余りにも図体の大きな為に鈍重で、大きな目標を呈しながら人間の走る位の速度で戦場をのそのそと歩き廻って敵砲兵の餌食になった為、前大戦後の平和時代には一時小型快速時代と称すべき時代があった。
 英国のカーデン・ロイド戦車は其の著名なもので、重量二頓位に二名の乗員で、時速四、五十粁を出す此の型のものは一時世界を風靡したものであった。
 併し独波戦、独仏戦に於ける独軍戦車は、スペイン内戦に於いて小型戦車の無価値が認められた為、既に二十頓級中戦車を主力として大成功を収めたのであった。然るに独ソ戦が勃発するとソ軍は四四頓及び五二頓のKB重戦車を出現させて独軍を驚かせた。ソ軍の花形中戦車T34も二七頓を算する。爾来戦車大型化の時代が来た観がある。
 独軍はソ軍の大型戦車に対し五七頓の新戦車「虎」を以て対抗し、米軍M4中戦車ゼネラル・シャーマンは三二頓、英軍のマーク4歩兵戦車チャーチルは三八頓もある。米軍のM1重戦車ドレッドノートも五七頓である。

 此の如く最近の各国戦車は急速に大型化して来た原因は、攻防の威力を増加して来たこと即ち大きな砲を備え、厚い装甲版を張り廻らして来た点に在り、而も軽量大馬力の機関と、巧妙なる走行装置に依って、大型にして而も快速を有せしめ得るに至ったからに外ならない。


武装
 ソ軍の中戦車T34が口径七六粍の長加農を有し、五二頓のKB戦車は十五糎榴弾砲を積んで、宛然動く砲台として人を驚かした。之に対して独の「虎」戦車は八八粍の長加農を以て答え、米のゼネラル・シャーマン戦車、英のチャーチル戦車等、総て七六粍砲を装備している。今日主力戦車の武装は七五粍以上でなければ人並ではない。


装甲
 重戦車の装甲は独ソ戦勃発当時に於けるKB戦車が既に七五粍以上の厚さを有していたが、其の後急速に厚さを増し、最近では一番厚い所は一五〇粍から一八〇粍に達し、正に地上軍艦の相貌を呈して来た。
 米のゼネラル・シャーマンも八五粍以上の厚さを有し、チャーチル戦車も一〇〇粍を超える。米のM1重戦車ドレッドノートに至っては二四〇粍に達すると言う。
 併し最近は所謂鋼鋳物を装甲に使用しているので、厚さに比して防弾効力は普通の圧延鋼に比して若干低下を免れないことは考慮しなければならない。


速度
 此の様に戦車は大きくなって来たが、其の速度は決して昔の戦車の様にのろくなったのではない。独軍「虎」戦車が時速四五粁以上の快速を誇れば、米軍のゼネラル・シャーマンも、ドレッドノートも時速四〇粁を出す。ソ軍KB戦車も新型のものは時速五〇粁を出すと言われ、鈍重其の名の如きチャーチルも二六粁は走る。小山の如き鉄塊が風を巻いて走る状況は正に地軸を揺がす。


 さて戦車の今後はどうなるか。今後更に大型化するか、再び小型へ逆戻りするか。既に一〇〇頓を突破する超重戦車の出現も伝えられるが、果たして無限に大型化し、五〇〇頓、一〇〇〇頓の地上軍艦が出現すだろうか。
 恐らくは尚当分は大型化の可能性なしとしないが、冶金及び走行装置の画期的進歩のない限りは一定の限度がある。即ちキャタピラに依る走行装置に於いては、接地面積と総重量との比が或限度を超えることを許さない。其の程度を超過すれば戦車は土中にめりこんで動けなくなってしまう。
 然るに戦車の大型化に伴い、キャタピラの接地面積は概ね二乗で増大するが重量は略々三乗で増加するものと考えなければならない。従って接地面積と総重量の比が限界を超過する時が来るに違いない。茲に戦車大型化の一つの限度がある。それが一〇〇頓か一五〇頓か二〇〇頓か三〇〇頓かそれは現代の戦車技術の進歩如何に関することなのであって茲に明言は出来ない。 

 連合国の反攻の本格化、盟邦ドイツの苦戦、云うまでもなく、ムッソリーニは失脚済みである。
 この記事でまず注目すべきは、「小型戦車の無価値が認められた」と大戦前レベルの戦車(実質軽戦車)を、一般国民の前で切り捨てたことである。そして

 今日主力戦車の武装は七五粍以上でなければ人並ではない。

 と云う一言である。帝国陸軍戦車に興味を持たれている読者諸賢にとって、この一言がどれほどトンデモナイことであるかは、説明するまでも無いが、一般読者諸氏の便宜をはかるため、少し解説をする。
 当時と云うか、敗戦までの帝国陸軍主力戦車の主砲は対歩兵用の57ミリないしは第二次大戦直前のソ連戦車への対抗策としての47ミリ砲であった。対戦車砲もやはり47ミリである。そして相手の戦車は、上記記事で紹介された列国の「重戦車」なのである。

 一般国民向け雑誌記事に、このような内容を出すからには、陸軍にも、それなりの根拠があった。それが架空戦記等でおなじみの三式、四式、五式の各中戦車である。

 敗戦まで前線では小口径火砲搭載の中戦車、軽戦車が悪戦苦闘していたわけであるが、兵器開発サイドは、すでに昭和18年6月に47ミリ砲搭載の新型中戦車=一式中戦車の開発を終え、対戦車戦闘用の新型57ミリ戦車砲を搭載予定の別な中戦車の開発に取りかかっていた。後の四式中戦車である。さらにこれと並行して大型戦車の開発も開始、これが五式となる。
 残念ながら、一式の砲を75ミリ野砲に換装した三式も含め、これら帝国陸軍の「人並み」戦車は、実戦に参加することなく、スクラップとなったのである。

 さて最期に「陸軍画報」に掲載された列国戦車の情報を紹介する。時期は不明(つまり私が迂闊にも巻数、号数を記録し忘れただけの話である)であるが、内容から判断するに、昭和18年末から19年中のものと思われる。本編で語るべきところは既に語ってしまったのだが、この記事が当時の列国戦車情報を一番良くまとめているようなので、この機会に紹介する次第である。


最新の機甲兵器 陸軍兵技中尉 杉村 俊雄

 兵器の進歩は戦時に於いて特に著しい。今日最新鋭を誇っても明日忽ち対抗手段の出現の前に頭を下げねばならぬ事例は挙げ切れぬ程ある。第二次大戦勃発以来世界の機甲兵器には大きな変革があり、今はその第二期とも称し得る。第一期とは、独逸の電撃作戦より、独ソ開戦迄、第二期は、独ソ開戦以来今日に続いている期間を云う。第一期が速度を重視し、比較的軽装甲のもの、集団使用が専らだったのに引きかえ、第二期は重装甲、強武装が主眼とせられ、殆ど一会戦毎にその強度を増して来たかの観がある。今各国主装備戦車を列記すると次の如くなる。

独逸
 従来3号4号を、新たに5号及び6号戦車を主力とし、之にフェルヂナンド自走砲等の自走砲類、偵察連絡用の軽車輌を併せ使っている。

ソ連
 T34中戦車を主体とし、KB(カーウェー)1、KBC(カーウェーエス)1の重戦車、KB2、其他の砲戦車自走砲を併用し、T80等の軽戦車T40水陸戦車等を用いている。

米国
 M4中戦車が主力で、M5軽戦車、M7自走砲、M10戦車駆逐戦車等を多く用いている。M1重戦車なるものも屡々宣伝されたが、実戦に用いたのやら用いないのやら分からぬ内に、今度はM6重戦車なるものの写真を掲載し始めた。外に水陸両用の運搬車軽自動車の類を盛んに使う。

英国
 マーク4歩兵戦車、所謂チャーチル戦車が主体となっているが、外にもマーク2歩兵、マーク3歩兵、マーク5及び6巡航戦車等車種が多い。

 次に少し細部に亘って述べて見よう。
1.米国
 米国は従来軽戦車を主として研究し、クリスチーの各種戦車の如きが幅をきかせる国柄であった所が今次欧州大戦勃発し、更に大東亜戦で我国に散々叩かれてより、突然方針を改め主力戦車として中戦車の大量整備に努める外、重戦車をも整備するに至った。自動車王国として世界に君臨していた米国が同一業種たる機甲兵器に部品其他部分品の優秀さを保ちつつも、極めて幼稚な所に長く停滞していたのはむしろ不思議な位である。その原因を推察するに自由主義的経済組織に基を発する兵器に対する業者の気乗薄が反映したものであろう。
 最近はM4中戦車が全数の2/3約を占め、軽戦車は逐次製造数を減じて中戦車に置換しつつある。
 殆ど各戦車共通にゴム塊をはめ込んだ無限軌道及び懸架バネに筒式独立懸架の方式を古くより採用している。其他米戦車の特徴としては、装備機関の頓当り馬力甚だ大で、高速を出し得ること、火砲機関銃等搭載火器の数の多いこと等である。

イ.M3軽戦車(ゼネラル・スチュアルト)
 我国が比島及びビルマに始めて相見えた米国製戦車としてなじみ深いものがある。鹵獲されて多摩川園の鹵獲兵器展覧会に陳列してあったから、実物を御覧になった方も多いと思う。各部とも非実戦的な要素を多く含み姿勢高く、垂直壁多く、優秀な戦車とは云えない。果たせる哉彼等自身気付いたと見え製造を中止してしまった。姿勢の高くなった原因は、星型発動機を後部に竪に配置した為である。
 諸元
 重量 13頓
 全長 4.2米
 武装 37粍砲1 機関銃1 双連
    高射機関銃1 
    前方機関銃3
 装甲 最大55粍
 速度 55粁時
 機関 空冷ガソリン200馬力
 この内前方機関銃は極めて無意味な作りつけで典型的の非実戦型である。

ロ.M5軽戦車
 M3軽戦車の改良型であるが写真によっても余りはっきりと改良点がつかめない。

ハ.M4中戦車(ゼネラル・シャーマン)
 M3中戦車は主砲が前方固定式であった為、側方の射撃出来ず不評を招いたがこの戦車に於いては実戦の経験を取入れ1941年完成し、目下主力戦車として整備に大童となっている。勿論主砲は回転砲塔に収め全体鋳鉄製としたため流線形の避弾経始となっている。後面の装甲が60粍、前面の55粍より厚い所は面白い。
 諸元
 重量 32頓
 装甲 最大60粍
 武装 75粍砲1 機関銃4
 速度 40粁時
 全長 5.65米

ニ.M1重戦車
 大東亜戦開始後本格的に製造し始めたようであるが良く分からない。本戦車の懸架装置だけは米軍の標準型式のものと違っている。
 諸元
 重量 59頓
 装甲 最大200粍
 武装 3吋(76.2粍)長加農砲1又は105粍長加農砲1
    37粍砲1〜2 12.7粍砲1〜2   
    7.62粍機関銃2〜4
 全長 約7米

ホ.75粍自走砲
 半装軌の車体に75粍野砲を搭載したに過ぎない。我国に鹵獲され、展覧会の陳列物となっている。半装軌の履帯に鉄の骨を入れたゴム製を使っている。
 諸元
 重量 車体のみ空車にて7.4頓
 装甲 前面12.5粍
 武装 75粍野砲1
 速度 80粁時
 全長 6.15米

ヘ.M7自走砲
 旧式中戦車の車体に105粍榴弾砲を搭載して、対戦車砲としたもので、恐らく間に合わせの急ごしらえと思われる。

ト.M10自走対戦車砲
 中戦車の対戦車威力増大の為作られたもので車体はM四中戦車を用いている。回転砲塔に主砲を備えていて、戦車と外観何ら選ぶ所がない。名前はつけようでどうにもなる。用法により、対戦車砲ともなれば戦車とも言い得よう。

チ.M12戦車駆逐自走砲
 これも廃物たるM3中戦車の車体を利用し、155粍加農を搭載したもので、車は単に火砲の運搬用にしか過ぎない、射撃はこのように下車して行う。(註:「このように」とあるが、本文には掲載されていない)

り.水陸両用運搬車(アリゲーター)
 装軌車輌ではあるが、ジュラルミン製で戦車の仲間には入れ難い。T型の履帯が水に入るとそのままみづかきとなって航行する。
 諸元
 重量 約7頓
 全長 約6米
 速度 陸上 40粁時
    水上 16粁時
 搭載量 人員40名又は積載量3頓


2.英国
 英国は他の国と違い、重中戦車等の区分をせず巡航戦車及び歩兵戦車とする。巡航戦車は一般に速度背大きく機動的用法を主とするものを言い、速度小で強装甲を有し、歩兵直協の用法を主とするものを、歩兵戦車としている。英国は速度重視を第一次戦以来の伝統としていたが近時の傾向は、時流に押し流されての一大転換である。然し他の諸国殊に独ソに比較すると、英国に於ける最新式のチャーチルすら、武装、装甲とも著しく見劣りがする。戦車に関しては先進国たるを誇った英国も、近時は第二流に転落したかの観がある。

イ.マーク7軽戦車
 1940年採用した最も新しい軽戦車である。カーデンロイド特有の懸架装置を一擲した所に新味がある。
 諸元
 全長 4.1米
 武装 40粍砲1 7.7粍機関銃1

ロ.マーク6巡航戦車(クルセーダー)
 最も新しい巡航戦車でこれには新型と旧型とあり、旧型は2封度砲(40粍砲)、新型は六ポンド砲(57粍砲)を装備する。砲塔の変形は外観上の特色であるが、避弾経始としての効果は多少有ろう。
 諸元
 重量 18頓
 装甲 最大60粍
 武装 57粍加農1 機関銃2
    煙発射機1
 速度 60粁時
 全長 6.0米

ハ.マーク3歩兵戦車
 カナダ製の英国戦車で米国のG.M社製二サイクルヂーゼル発動機を利用している所は、飽くまで他力本願の戦車である。英本国に送っている。
 諸元
 重量 16頓
 装甲 最大65粍
 武装 40粍砲1 機関銃1
 速度 24粁時

ニ.マーク4歩兵戦車
 43年の北阿反撃作戦に登場した最も新しい主力戦車である。徐々に改良して行ったと見え三つの型式が現れている。最も新しい三型の諸元を示す。
 諸元
 重量 38頓
 装甲 最大88粍
 武装 57粍砲1 機関銃3
 速度 26粁時
 全長 7.1米
 二型は、57粍砲の前身で40粍砲を砲塔に装備し、一型は40粍砲を砲塔に、75粍砲を車体前面に持っている。

ホ.88粍自走砲
 マーク3歩兵戦車(バレンタイン)の車体を利用して大型固定砲塔をつけ88粍砲を載せたものである。廃物利用で可もなく不可もない。諸元はバレンタインと大差ないと見てよかろう。近時敵の新聞雑誌にしきりに活躍状態を宣伝している。

ヘ.ブレンガンキャリヤー
 カーデンロイド小型戦車の変形でブレン機関銃を搭載する所からブレンガンキャリヤーと呼ばれ英植民地始め世界中の植民地軍が広く使用していた。1938年頃から既に、相当整備されていたのであるから、良い加減に、お払い箱にすべき所を日本軍相手に、南方各地で相当出て来た為、忽ち鹵獲されてしまった。上部蔽蓋もなく、唯迅速なる機関銃陣地の変換を主目的とし、又機関銃を車上に置いたまま戦闘する事もある。
 諸元
 重量 4頓
 装甲 最大11粍
 武装 7.7粍機関銃1
 速度 50粁/時
 全長 3.75米

ト.ディンゴ装甲自動車
 英国は、植民地軍を多く持っているので装備兵器は本国から徐々にこれ等に流れ出し、相当古いもの迄臆面もなく何処かで使っている。装甲自動車も随分古いものがあるが、ディンゴ及び次にあるアイアンサイドは比較的新しい装備とされている。これは四輪起動四輪操向である。
 諸元
 重量 3頓
 装甲 最大30粍
 武装 機関銃1
 速度 84粁
 全長 3.3米

チ.アイアンサイド装甲自動車
 車体上面が開いている小型車両で、連絡弾薬補給等に使われる。戦闘及び防御力とも大した事はない。
 諸元
 重量 2.0頓
 装甲 8粍
 武装 機関銃1
 速度 80粁/時
 全長 4.0米

3.ソ連
 ソ連の最近に於ける戦車発達は実に目ざましく、往時の米英模倣時代と比較して、驚くの外ない。ソ連戦車界の特徴としては自国製の新型戦車を持つ反面盛に米英戦車を戦線に活躍させている事である。

イ.T34戦車
 独ソ戦に始めて出現し、独軍をして大いに面食らわせたものである。形状がBT戦車の新型と稍々似ているが、性能其他比較にならぬ優秀な戦車である。外形に極めて顕著な避弾経始を採用し、弾丸を跳飛させる事に努めている。
 諸元
 重量 約26頓
 装甲 最大70粍
 武装 76.2粍砲1 7.62機関銃2
 速度 50粁/時
 全長 約6米

ロ.KB1戦車
 武装装甲の強大を以て鳴る新型重戦車である。
 諸元
 重量 約43頓
 装甲 最大120粍
 武装 76.2粍砲1 7.62粍機関銃2
 速度 35粁/時

ハ.KB2戦車
 KB1戦車と同じ車体を使い76粍砲の代りに、150粍精(ママ)弾砲を搭載したものである。戦車隊の火力支援用に使う。
 諸元
 重量 約52頓
 装甲 最大75粍
 武装 152粍砲1 7.62粍機関銃2
 速度 35粁/時

4.独逸
イ.5号戦車(豹戦車)
 虎戦車と並んで独軍主力戦車の一翼をなすもので虎より小さい。極めて長い火砲を持っているのが特徴である。

ロ.6号戦車(虎戦車)
 驚異的長砲身を有する主力戦車で、攻撃防御力とも、名実共に虎の異名に恥じぬものがある。特殊の装置を施せば河川を潜って渡り得る事が伝えられている。

 緒戦の気分が抜けていない、と云うか、米英に対する敵愾心が旺盛と云うのか判断に困る書き方である。さすがは「陸軍画報」、知られている各国の戦車情報が欲しい、と云う読者のツボを押さえている。
 当時の最新情報に基づく記事であるので、現代ではよほどのマニアでないと知らない戦車(マーク7軽戦車=テトラーク軽戦車、88ミリ自走砲=バレンタイン戦車に17ポンド砲を搭載したアーチャー自走砲。88ミリと云っているのは間違い)のことまで載っていて、楽しめる。
 ドイツ戦車の性能をあえて伏せると云う小粋な真似は、「お約束」と云うべきものだろう。

 M10自走対戦車砲に対するコメントの「回転砲塔に主砲を備えていて、戦車と外観何ら選ぶ所がない。名前はつけようでどうにもなる。用法により、対戦車砲ともなれば戦車とも言い得よう。」と云う記述も興味深いものがある。

 M3軽戦車に対する講評は、陸軍内部誌の「機甲」からパクってきたようである。

 参考ついでに帝国陸軍の主力戦車である九七式中戦車の諸元を紹介する。あらためて「人並み」の大きさと云うものをかみしめて欲しい。

 諸元
  重量 15.0頓(全備)
      改良型 15.8頓
  全長 5米52
  全高 2米23 
      改良型 2米38
  装甲 25粍
  機関 空冷ヂーゼル170馬力
  速度 38粁/時
  武装 57粍砲1 機関銃2 
      改良型 47粍砲1 機関銃2

(参考 帝国陸軍の戦闘用車両 改訂版 デルタ出版)

 戦車の場合は、人並みになんとしてでもならなければ、戦にならないわけであるが、己が持ち物の場合は、実際の所はいかがなものであろうか? 読者諸賢の健闘を祈ってやまない(但し18歳未満は除く)。

不肖の息子をなだめつつ戻る