我海軍新鋭戦闘機

ほとんど捏造デッチアゲな航空雑誌着色写真


 大東亜戦期の雑誌等に掲載された、「海軍新鋭戦闘機」が、零戦を指すものであると思って、ほぼ間違いは無い。
 零戦に続く雷電は、名称と写真がペアで公表(昭和19年11月)され、紫電(紫電改含む)は敗戦後に初めて一般国民の知るところとなった戦闘機であるから、海軍の新鋭戦闘機は、支那事変当初の九六式艦戦を除けば、零戦(の名が公然となるのは、雷電と同じ19年11月だ)しか存在しないことになる。

 しかし、大日本飛行協会の「飛行少年」昭和19年2月号に掲載された、「着色口絵 我新鋭海軍戦闘機」を見た時、私はすぐにこれを「零戦」と云い切る度胸は無かった。


南海を圧する我海軍新鋭戦闘機

 B5版雑誌の特設カラーページ、銀座で云えば和光の時計台、新宿三丁目なら伊勢丹、永田町の国会議事堂に匹敵する、一等地中の一等地を丸々使った「海軍新鋭戦闘機」の写真がコレである。
 この「写真」を見て、何が写っているのかは、大元帥陛下はもちろん、撮ったカメラマンでさえ即答出来ないと思う。

 拡大してみよう。


機体部分を拡大したもの

 ぱっと目には、中翼単葉の新型戦闘機! のように見える。
 今時の飛行機ファンであれば、中翼の戦闘機なら紫電と連想が働き、そう云う判断が働く以上、主脚のゴチャゴチャは、例の二段引込式に見えて来て「これは紫電を修正した写真に違いない!」と大喜びしてしまうところだろう。
 しかし、この写真を画像ファイルにして(拡大なんかしちゃったりして)、改めてよーく見てみると、紫電の尾部はこの写真のように尖ってはいない事を思い出し、本当に紫電であれば、写真タイトルは「我海軍最新鋭戦闘機」にならねばならぬはずだ、と当初の興奮はあっと云う間に冷める。
 心を静め、目玉を切り替えよ〜く見れば、エンジンカウル下の空気取り入れ口と、脚収容部を消去ついでに、エアブラシが必要以上に動き回り、中翼単葉風になってしまった、ただの零戦である。

 戦後65年を越えた古雑誌愛好家が、落胆のあまり「兵器生活」のネタにしようと、よからぬ企てに走るくらいであるから、当時の少年読者達の驚きと失望は想像に余りある。


断じて強しわが海軍新鋭戦闘機(部分)

 同じ号に掲載された「断じて強しわが海軍新鋭戦闘機」(の一部)である。ご覧の通り、機体下面はうまいこと影になってディティールは良く解らないが、主翼に装備された20ミリ銃は堂々と写っている。零戦の姿を出してはならぬ、と云う話では無いのだ。

 一体全体、この着色写真は読者に何を伝えようと云うつもりだったのか?
 それは「海軍新鋭戦闘機」の勇姿(天然色だ)を通して、海空軍への信頼と、自分も操縦士となって国家にご奉公しようと云う、少年読者の意欲をかき立てるものではなかったか?

 つまらぬ検閲と事なかれ主義そのものの過剰な修正が、「貴重な着色写真」を「兵器生活」くらいしか使わない、「トホホ新兵器写真」に堕してしまったのだ。
(『弱そうに見える』等の理由で、検閲不許可になるケースがあっても良いと思う)

 (おまけ)
 「新鋭戦闘機」の修正(しすぎな)写真だけでは読者諸氏に申し訳が無いので、「海と空」昭和19年12月号に掲載された、「最新鋭艦上雷撃機」―天山―の写真を載せておく。

 写真の説明に「最新鋭」と記載されている所に注意されたい。
 最初にあげた「新鋭戦闘機」より、よっぽど強そうに見える。こう云う写真を着色しておいてくれればなあ…。