「死の爆弾投下」 の話



 太平洋戦争末期、日本陸海軍が組織的な航空機等による体当たり攻撃=カミカゼアタックを行ったということについては読者諸氏はよくご存じの事と思う。


 特攻の成果としては諸所の数字があるが、手元の資料 (一億人の昭和史:3巻太平洋戦争 毎日新聞社) によると昭和19年10月から敗戦までに直援機を含め2469機の出撃、撃沈した艦船358隻、作戦命中率16.5%となっている。俗に 「一機をもって一艦を葬る」 という名目で始められた攻撃方法にしては、その成功率がそれほど多くないことに気が付くと思う。おそらくは通常の水平爆撃以上、急降下爆撃未満という数字になっていると思われる (註:爆撃における命中率の問題に関する資料未見のため、この評価はあくまでも筆者の独断である)。
 成功率の低さに関しては諸要因 (操縦者のスキル不足、迎撃体制の完備、突入目標選定:空母、戦艦といった 「大物」 狙い 等) があるが、結果としては米軍全体の攻撃意欲を削いだわけでもなく (個々の艦船乗務員への影響は大きかったが) 、日本の敗戦条件を有利にしたわけでもない。誤解を招く云い方をあえてすれば、 「やるべきことはやった」 という指揮官層および兵士の自己満足でしかなかったことになる。


 組織が存亡の危機にある以上、トップから末端まで、やれることは何でもやる、というのは組織としては当然のモラルである。会社の売り上げが悪ければ飛び込みセールスでも、縁故を頼ってでも売り上げ確保の努力はされねばならないし、極端な話、経営トップは経理操作さえ (商法違反) 指示するものである。したがって戦争の劣性化 = 国家存亡の危機感を持っていた指揮官・兵士が体当たり攻撃に走ることについて、善悪は問うつもりは無い。しかし、その戦法が理にかなったものであるか = 本当に通常の攻撃よりも効果があったのか、ということについては後世に生きるものとして、リアルな評価を行う必要があると思っている。


 私が今回の駄文を書くきっかけとなった 「 『死の爆弾投下』 の話」 という記事がある ( 「陸軍画報」 昭和9年5月号)。以下にその内容 (約8割) を紹介する。省略部分は (略) と表示した。原文は当然旧漢字・旧かなであるが、新かなとした。ただし資料的価値を考え、文章・語句の怪しい部分もそのままにしてある。また、一部ルビが振られているが、webでの紹介を前提としているため、すべて省略した。なお、文中の 「哩」 はマイル、 「呎」 はフィートのことである。記事中の図版 (軍艦爆撃の飛行コースと、高射砲の有効距離を図示したもの) は同様の理由により残念ながら省略した。
 当記事は無署名。内容から判断すると外国雑誌からの翻訳と思われるが、出典が記載されていないため、断定できないことをあらかじめお断りする。


(註:機体諸共爆弾となって重要な敵陣や敵艦に落下するという壮絶な 「死の直下」 は果たして真実か?というキャッチコピーが存在する。以下本文)

 (略) 操縦士の固く結んだ唇が緩む。神明の加護を祈っているのだ。彼は彼の任務に身を捧げ、自分の使命に崇高なものを感じている。だが彼は死の宣告を受けた人間なのだ。 (略) 突如耳をつんざく轟然たる物音と共に操縦士も機体も消えうせる軍艦が爆破される。数分経つか経たないかに軍艦は傾き出し、やがて大きく一揺れしたかと見るまに艦底を水面に見せ、海魔の住家にすべり込んでしまう。というのが 「死の爆弾投下」 即ち 「自殺的爆弾投下」 の正体なのである。
 これは極く最近イタリの官立出版所から出版された 「死の直下」 と言う、いとも壮烈無比な小説のテーマであって、これが果たして実現されるか否かに就いては専門家のあいだにも賛否半しているが、これに対してアメリカの陸軍飛行隊に所属する専門家は、 「この小説の主人公である青年達は実に愛国的であねが、実はこれらの青年達は全く生命を浪費させているに過ぎない」 と言って具体的にその理由をあげて説明した。以下は彼の言い分である。

 「一群の愛国青年飛行将校達は戦争が起こったら、身と愛機を犠牲にして、爆弾を積んで敵艦に飛び込む決心を誓っているが、これは一人の人間と一台の飛行機を一隻の軍艦と交換することが非常に有利な交換だからだ。(略)」 と最近の新聞紙が報道しているが、私の会った或る陸軍飛行隊の飛行将校は、私がこれを話したら微笑しながらこう言った。
 「紙の上で空中戦術を饒舌っている航空雑誌にとってそれは全く痛快な特種だろう。だが実際の研究家にとってはまあ痛快なたわごとに過ぎないよ」 また私の会った海軍の飛行将校自身も同じようなことを言って、冷笑していた。
 実際の経験を経た海軍や陸軍の飛行家の経験談をきいてみると、どうも怪しいと思えたこの考えが実際確実な基礎を持った考えでないことがはじめてよく判った。何故かというと、これらの経験者は自分が直接やった飛行戦術と共に飛行射撃術の実際をよく知っているからである。
 「あなたは何か大きな標的に向かって、機首を下ろしてダイヴィング (直下) の姿勢をとったことがありますか」 と訊かれたので 「勿論、でもどうしてそんなことをきくのですか」 と云うと、
 「そうやればあなたは高射砲に最適の標的を与えることになる。高射砲の照準に狂いはない。勿論飛行機は動くから標的は始終移動するわけだが、高射機関砲は二千フィート、じゃない二千ヤードの処であなたを捕らえて終うでしょう。これは別の話だが、海軍機が実際挙げた空中戦術の発達からみても所謂 〔自殺的爆弾投下〕 という方法は陰が薄い。」 と云った。
 長距離用の高射砲は普通三インチが米国海軍ではもっとも長距離のきくものを使っている。しかし一般に長距離用の高射砲は次のような二つの欠点がある。その一つは照準の狂いがあるがつまり標的である飛行機の速度と軍艦の進行速度を計算して照準しなければならないが、その場合に生じる誤差である。
 もう一つの欠点は飛行機の距離の測定に関して生じる誤差である。高射砲の弾丸は一定時間後に炸裂してその炸裂力や鉄の破片で機体を木葉微塵に粉砕するように信管装置になっているのであるが、この誤差のためにうまく機体の傍で炸裂せずに、或いは早すぎるか遅すぎるか、或いは飛行機の前や後になったりしてせっかくの効果がなくなるのである。しかし、これは敵機が普通に進行している場合の話で、若し敵機が垂直降下 (ダイヴィング) を始めたら欠点は取り除かれる。この場合には照準がずっと正確になる。
 たといこの場合に照準の狂いがなくなるとしても、信管装置の問題は相対的な重要さを決して失わない。飛行機が接近するに従って、たとい計算の誤差で未だ炸裂しない弾丸でも、直接命中する率が多くなる。ダイヴィングの飛行機は、六千フィートの高さで半インチ高射機関銃の着弾距離に入る。入ると機関砲の弾は弾丸の帯は空中に張り廻らす。しかしその有効な距離は四千フィートである。
 この機関砲の弾丸は信管仕掛けではない。一般に研究は信管装置に向かっているのにこの弾丸が信管装置仕掛けになっていない理由は、機関砲の命中率が確かだからだ。即ちこれは機体の致命的な部分や操縦士を狙撃するために使用されるのであるが、ただ残る見点は、敵機が近く垂直に降りてくる場合を除くとやはり照準が狂い易いことである。
 かかる事情であるにも不拘、世界の愛国青年、即ち彼の祖国や皇帝や大統領に身命を捧げている青年将校は愛機に爆弾を積んで、からだ諸共半インチ高射機関砲やその他の砲銃が張っている弾丸の幕を衝いて敵艦めがけて突入するというのである。
 「これを御覧なさい」 と言って海軍の友人が一枚の見本写真を見せて呉れた。そして云った 「いくら操縦士が勇敢でも、強力な機関砲や機銃の弾丸でさんざんやられた飛行機を、未だあと数千フィートもの間を操縦してダイヴィングすることが出来ると思いますか」 「尚考えて御覧なさい。若し操縦士が爆弾の信管装置に点火用のスイッチを入れたところへ、敵弾が爆弾の信管を射ったらどうでしょう…」 こういう場合には、たぶん敵艦から未だ一哩位も離れた場所に既に操縦士も機体も皆め目茶々々にされて終う。しかし若し操縦士が爆弾にスイッチを入れることを余りためらっていたら、そのうちに傷つくだろうから操作が不可能になる。たとい致命的な傷は負っていないとしても、操縦や爆弾投下に耐えるだけの力は多分なくだろうから」
 自殺的爆弾投下についての説明をきいてみると、 「奇跡的にも砲火を逃れ云々」 というあり合わせの表現が余りにも真実を穿っているように思える。艦上の砲手が射撃準備をしているときに砲火を逃れるということは全く文字通りの奇跡でなければならない。
 上述した 「自殺的爆弾投下」 の批判は、そのまま海軍の空中戦術の批判とも見られる。というのは、海軍の方法もやはり垂直降下によって爆弾を投下する方法だからだ。しかし海軍のやり方は一万呎の高度にきた時に急に垂直降下に移って爆弾を投下するのである。操縦士がダイヴィングをやるのは機体をダイヴの姿勢に移し標的に照準をする間だけである。
 爆弾が投下される時機体の着陸装置やプロペラに爆弾が触れない装置がある。爆弾投下が済めば、垂直降下をやめて逃げ去るのである。この方法はうまく行った 「自殺的爆弾投下」 と同様に正確だと云われている。それに飛行機は、ちょっとの間しか高射砲にとって有利な標的にならないわけだ。海軍がやる空中から水雷を投下する方法もこれによく似ていた、垂直飛行から水平飛行に帰る方法である。(略)
 多くの海軍飛行家の信じて居る所では、爆弾投下機で充分一主力艦を破壊するそうだ。 (略) 戦艦程の大きさの標的に対しては、普通の高度からの投下では命中率は九の内一と云った割合であるがこの率は最近の実験で益々改良されているようだ。
 一万八千呎の着弾距離に於いて甲板上の三インチ高射砲が敵機をむかえた際、爆撃機の方では三十六秒間に編隊を作り爆弾を投下し、次に三十六秒間でその場を逃げ去り、一万呎の上空に一時間二百哩の速力で走り去るのである。
 だが陸軍の監視の方で編隊爆撃機が有効な着弾距離に入るとき既に砲火を開いているのである。
 だが陸軍からの命中率が七十パーセントだというのは的が静止している場合なのである。仮に監視の繋留気球が間違って着弾範囲に入ったとしたら、高射砲は二、三発で射落として終うことが出来る。
 しかしながら急速に飛んでいる飛行機に対しても巧みに命中させると主張するのは、多くは経験の浅い或いは不熟練な射手の云うことである。
 これに反して経験のある人々例えば西部沿岸砲兵学校の教官や陸軍の指揮官や軍令部参謀学校の教官達は次のように云っている 「若し高射砲の射手が爆撃機を高い味方に安全な高度に追い払って終えばそれで自分達の目的は達する」 と。爆撃機の高さが増せば増すほど飛行機からの命中率は少なくなる。すると一つの標的に対して飛行機の数を増やさなければならなくなる。若し艦上の砲手が無能だったら、一編成の飛行機で済んだところを、一群の飛行機を以てしなければならなくなる。勿論、飛行機射撃の比率は敵の飛行の操縦法がまずい場合には高まる。
 だが (略) 陸軍中佐ジェームス・B・クロフォードという飛行教官の演説を聞いてみよう。彼は次のように話した 「飛行機射撃能力というものを過大評価して、敵空軍の爆撃に対して恰もわが艦隊の上に安全な傘を広げるようなものだと考えることは間違っている。何故なら、それほど有能な砲兵術は未だないからだ。」 (略)
 たとい 「自殺的爆弾投下」 を信用しないとしても、必ずしもそれは成功しないとは言えない。時としては成功するが、たびたび成功するものでは決してない。飛行機射撃にとって大いなる困難を与えるものは、陸軍航空隊の弾撃技術である。その技術は、巧みな操縦法で軍艦上の射手の照準の隙を与えないで僅かの時間の間に巧妙な爆撃を遂行する。
 陸軍及び海軍の現在の技術はどちらも利害得失いろいろあるが爆弾の型や大きさは共に共通である。だが、海軍飛行隊或いはG・H・Q飛行隊のもつ戦略上の立場や技術上の工夫は各々違っている。
 どちらの攻撃方法も 「自殺的爆弾投下」 よりは優っている。 「自殺的爆弾投下」 というのはいわば一層ロマンチックな方法である。だが私がやったように飛行士官にきいて見給え。彼らは答えるでしょう 「その決死の仕事を敢行してから機翼を揃えて再び祖国に奉仕するために帰路に着くことには一層のロマンスがある」 と。(終)


 昭和9年の記事 (オリジナルの記事はおそらくさらにそれ以前) であるので、特攻が組織的に始まった昭和19年末以降と、航空機・火砲の性能については多少考慮する必要がある。昭和9年前後がどういう年であったかを記すと、

 昭和3年6月:張作霖爆殺
 昭和5 (1930年) 年1月:ロンドン軍縮会議 
 昭和6年9月:柳条湖での満鉄線路爆破事件発生 (満州事変勃発)
 昭和7年1月:上海事変 (第一次)
     3月:満州国成立
     5月:5・15事件
     12月:白木屋 (現東急日本橋店) 火災 (女子の下着着装の契機)
 昭和8年1月:三原山での自殺ブーム開始
     2月:ダミア 「暗い日曜日」 発売禁止
        熱河作戦開始 
        小林多喜二殺害される
        国際連盟脱退
     12月:今上天皇生誕
 昭和9年5月:塘沽 (タンクー) 停戦協定
     9月:室戸台風
     秋 :東北で凶作、農村の荒廃
     11月:ベーブルース来日
     12月:海軍ワシントン条約破棄
 昭和10 (1935年) 年2月:美濃部達吉 「天皇機関説」 で告発される
     3月:忠犬ハチ公死亡
     12月:第二次大本教弾圧    

 という感じで、いわゆる 「戦前」 が形成されていく時期にあたる。暗い農村に対して、都市はいわゆるエログロナンセンスの世相を形成しており、いわゆる 「昭和モダニズム」 という形でジャズ、映画といったアメリカ文化が日本化された時代でもあった。このあたりの話は本論と直接関係がないので触れない。 (興味のある人は 「別冊太陽 日本のこころ88 乱歩の時代」 (1994年平凡社刊) が一冊あるとかなり偏った知識を得ることができる)

 当時の帝国陸海軍の兵器は
 航空機:三式、90式艦上戦闘機、94式艦上爆撃機(海)91、95式戦闘機、93式重爆撃機(陸)
 戦艦 :長門型、伊勢型、扶桑型、金剛型 (大和型の建造開始は昭和12年から)
 空母 :赤城 (改装後) 加賀 (三段空母時代) 龍驤
 重巡 :妙高型、高雄型、最上型、等
 戦車 :ルノーFT軽戦車、89式中戦車、95式軽戦車、94式軽装甲車、92式重装甲車 
 ちなみに小銃はおなじみの38式である。

 いずれにせよ、航空機に関しては、メジャー兵器が登場する前の段階である。こうして羅列してみると、軍艦の寿命の長さには驚かされる (それ以上に長命な38式歩兵銃等の小火器については何も云わない)。

 この 「陸軍画報」 に掲載された 「『死の爆弾投下』 の話」 は、航空機による体当たり攻撃、いわゆる 「特攻」 に対する冷静かつ否定的な見解である。昭和9年当時、航空機探知用のレーダーはまだ実用化されていないし、日本軍のカミカゼアタックを撃退に貢献したVT信管も実用化されていないのはいうまでもない。本文を読めばわかるように、まだ 「急降下爆撃」 という言葉さえ無かった時代 (まだテスト段階である) の話である。しかし既に体当たり攻撃を取り上げた小説があった、ということと、それを実際の攻撃行動をふまえて否定した論が、カミカゼ攻撃が本格化する10年前に存在しており、それが日本語になっていて、兵器雑誌に堂々と掲載されていたことに私は驚愕している。

 私たちが記録映像で見ているカミカゼ攻撃がどういうものであるか、思い出して欲しい。それは対空砲火で次々に撃墜されていく航空機の群ではなかったか?そして執拗に敢行された攻撃がことごとく失敗に終わったことも。
 米軍首脳あるいは艦船乗務員がこの論文のことを思い出していたかどうかはわからないが、結果として 「特攻」 で戦局が変わることは無かったのである。

 私がこの論文を図書館から発掘して驚いたのは、この論文自体が否定も肯定もされずに日本の軍事雑誌に掲載されていた、という事実である。 「こういう論文が米国人によって書かれた、しかしわが皇軍はこのような怯懦な姿勢は断固として否定しなければならない…」 という記述が入っているなら、かえって納得が出来るのである。 「ああ、このころから日本軍ってヤツは…」 で済んでしまうのであるから。

 この論文に基づいて、冷静に考えて見ると航空機による 「特攻」 がいかに無謀な企てであるかがわかる。先の論文では時代背景上、いきなり 「飛行機射撃」 = 対空砲撃が始まっているが、現実の 「特攻」 においては、まず哨戒機およびレーダーによって、どこから攻撃機がやってくるかが事前に判ってしまっている、という状態の元、

 @飛行コース上に戦闘機隊を待機させ、待ち伏せる。この時点で何割かは脱落する。彼我の航空戦力 (機体性能、操縦者スキル) に格差があれば攻撃機の落伍率は変動する。

 Aその間、各艦艇は持てる高射砲をしかるべき方向に向け、その有効距離に攻撃機が到達するのを待つ。そして砲撃する。VT信管を使用すれば至近弾でも有効な打撃を与えることが出来る。また、日本軍機の構造が脆弱なことはわざわざここで云うまでもない。

 Bさらに接近した航空機に対しては、対空機関砲の段幕を張る。攻撃機はこの時点では目標に対する衝突コースを進むしかない。

 C記録映像にもあるが、相当近接しても銃撃に対するダメージが蓄積している場合、機体のコントロールが出来ずに海面に激突するか、空中分解するしかない。あるいは機体のダメージが少なくても、降下速度が高すぎる場合には操縦者の失神、突入コースの修正が不可能な場合もある。

 D航空機が衝突しても一機程度では大型艦艇は沈没しない。この点については先の論文中では論ぜられていないが、そのことは我らが戦艦大和、武蔵が実証している。もちろん戦闘力は相当低下するし 「当たり所が悪い」 場合は致命的なダメージを被ることもあることは否定しない。しかしそれは通常の攻撃下においても同じ事である。

 結局の所、 「特攻」 の優位性とは標的への命中直前まで 「爆弾」 のコースをコントロールできるかもしれない、というわずかばかりの可能性だけのものなのである。早い話が引き起こしをしない急降下爆撃と投弾後回避行動をやらない雷撃でしかない。あえて失礼な云い方をしてしまえば、体当たりで命中させることができるなら、爆弾あるいは魚雷を命中させることも同様に可能である、ということである。本気で 「特攻」 を考えるのであれば、多少の対空砲火にも耐えうるだけの機体強度を持たせた航空機で行うか、対空砲火に捕らえられない高速で標的に接近できる航空機を用意する、という考えを持たなければならないのである。実態としては、日本軍は通常の航空機あるいは特攻専用の安価な爆弾運搬機で前者の問題に答え、後者には、作戦空域に入る前に母機共々撃墜されてしまう有人誘導?爆弾で答えただけであった。


 被弾した航空機が、搭乗員もろとも自爆、あるいは目標に体当たりする、ということはもちろん昭和19年以前にもあったことである。決死の覚悟を示すために落下傘を装着せずに飛び立った搭乗員も多い。しかし基本は 「生還」 する、である。真珠湾攻撃に出撃した特殊潜行艇も結果として 「生還」 できなかったが、少なくとも出撃を命令した方は、確率は低いが 「生還」 を期したはずである。安全に任務を遂行するのが本来のプロの仕事だからである。

 航空機搭乗員はいわば 「プロ中のプロ」 というべき存在である。フライトシミュレーションゲームをやったことのある読者諸氏もいることと思うが、離陸して着陸するだけでも素人には一苦労で、さらに爆弾を命中させたり、移動する航空機を銃撃するなんてのは、私から見れば人間業とも思えない。ましてや曲技飛行などといったらもう神業そのものである。そういう技術を習得するためにはそれなりの時間と費用がかかっているのである。

 たとえ体当たり攻撃であったとしても、洋上を目標まで航行する能力は必要であるし、敵戦闘機の迎撃を受けた際には回避行動をとらなければならない。また、航空機自体にもそれらを可能とするだけの性能と信頼性は不可欠なのである。

 太平洋戦争初期の大戦果は搭乗員の技術の賜物であることについては異論が無いと思う。そして戦争末期の希望的観測と錯誤に満ちた 「大本営発表」 が熟練搭乗員を失った結果であることも。充分な訓練も無いまま、戦果を挙げようという虫のいい姿勢をとった時点で戦争は負けなのである。 「特攻」 とはアマチュアがプロ並みの仕事をしようという焦りのもとで産まれた戦術でもあった。
 アマチュアの行う 「特攻」 が有効な攻撃手段たりえるのは、結局のところ相手の不備を突く奇襲以外にはありえない。イスラム過激派等の自爆テロが何故成功するかといえば、完全に市民の群に溶け込んでいるテロリストが、無警戒な目標に対して自爆するからである。 「七生報国」 の鉢巻きをしたテロリストが国会議事堂で演説中の内閣総理大臣を刺殺することが、どれくらいの確率で可能かどうかを考えて欲しい。


 所詮後世の知恵ではあるが、通常の攻撃が取れなくなった時点で戦争は負けである。したがって 「一億特攻」 などは戦う者 (というより戦わせる者) の自己満足でしかない。むしろ戦争指導部としては、 「綺麗に負ける」 ことを本気で考えるべきだったと思う。そして体当たり攻撃に走る前にもっと効果的な攻撃方法が本当になかったかをも考えるべきではなかったか?
 航空機の使用も一度飛んだらそれっきりの 「特攻」 ではなく、その機体、燃料を別な用途に使用することも検討するべきではなかったのだろうか?空襲で国内の工業生産に支障が来ていたのであれば、これらの航空機と搭乗員のうち、戦闘機とその搭乗員は本土防空戦に従事させる。技量の劣るものは訓練させる。他の攻撃機、爆撃機は哨戒や機雷の敷設あるいは除去にあたる。等貴重な技術を持つ兵員を有効に活用するやり方もあったのではないだろうか?
 とはいえ訓練用の燃料も無く、防空戦闘機が高々度での戦闘ができない以上、いくら後世の人間が知恵を出したところで 「絵に描いた餅」 でしかないのだが…。

 「たくわえし叡知の力 一人もて万人の敵を屠らん」 (学徒進軍歌:作詞西条八十) という歌も空しい。

 最後にもう一度 「死の爆弾投下」 の結びを記す。
 
 「自殺的爆弾投下」 というのはいわば一層ロマンチックな方法である。だが私がやったように飛行士官にきいて見給え。彼らは答えるでしょう 「その決死の仕事を敢行してから機翼を揃えて再び祖国に奉仕するために帰路に着くことには一層のロマンスがある」 と。

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