ある日の東條

暴れん坊将軍になれなかった男


 とかくエラい人は、下々の事情に通じていなくてはならない、と云う不文律があるように思えてならない。


 史実とはまったく関係が無い話だが、例の「水戸黄門」はまさにそれである。越後のちりめん問屋の隠居のフリをして、諸国漫遊を続ける黄門サマの敵は、世情を解せず領民に無理難題を吹っかけるエラい人ばかりである。

 金日成から金正日に権力が移るころの朝鮮中央放送では、「偉大な領袖金正日の温情により」電気が点いた、なんて云う話を日本向けに放送していたこともある(多分今でもやっているだろう)。

 世情に疎かったアントワネット王妃は「パンが無いならお菓子を食べればいいじゃない」と云う失言によって胴体と首が離れてしまった。


 日本の歴代総理大臣の中で、東條英機の評価は非常に低い。そんな東條であるが、エラい人として下々の事情に通じようと公然と活動していた事は一部で有名な話となっている。いわく「町のゴミ箱の中まで調べた唯一の総理大臣」(笑)。


 今回は現在物笑いのタネとなっている、「東條首相のおしのび紀行」である。出典は「画報躍進之日本」(昭和17年1月である)。

議事堂をバックにした首相

「警部マックロード」では無い!東條首相のご出勤だ。背広にソフト帽と云ういかした(笑)いでたちである。

下々にふれる首相

「商店のお内儀さんと時局問答」「国民学校のお嬢さんたちを愛撫」と題されたスチールである。
 キャプション本文は以下の通り(原文旧かな)

 「お早う、商売はうまく行っているかね」まず馬首をとどめたのは麹町4丁目水洗器具商前田商店の店先、ためらい勝ちに答えるお内儀さんの喜代さんに、不足勝ちな品物も代用品を使うようにと、やさしく言葉を残して、東條さんの先ず民情視察であった。


 遊就館前で下馬した東條さんは折から境内の落葉掃きに余念のない牛込区北町愛日国民学校のお嬢さんたちに「おお、毎日来ているのか、年はいくつ…」と優しい言葉をかけながら拝殿に進み、鞭と帽子を傍らにして、柏手二ツ、みぢろぎもせず長い黙祷であった。

 これを「水戸黄門」のナレーター風に読むのが正しい楽しみ方です(笑)。それにしても「お嬢さんたちを愛撫」だなんて、まあ破廉恥な!と思ったアナタ、官能小説の読み過ぎですよ。でも伊藤博文が「芸妓さんを愛撫」ってあったら絶対助平な内容だなあ…。


 一億一心、国民総進軍態勢へと臨時議会の開かれる11月16日の朝靄をついて、あすの歴史的施政方針演説を前にして、内外の視聴を一身に浴びた東條首相は愛馬菊網号に跨って靖国神社に参拝し護国の英霊に額いたその帰り道、街の商店に立寄り、又は国民学校生徒に話しかけ、消防署の視察をし、民意をきき、官吏の言葉をきく陸相であり、内相である東條首相の朝はすがすがしい街の政治からはじまるのだ。
 東條さんは15日遅くまで首相官邸に臨時議会に望む想を練っていたが、16日の朝はちゃんと5時30分に床を離れた。6時50分、鼠色の乗馬服にソフトの軽装の総理は愛馬菊網号に跨って旭光と朝靄を切って並足から速足に議事堂を横目に驀(まっしぐ)ら。
 それから8時15分官邸に帰った。内濠一周の朝の騎乗は1時間25分「やあご苦労」と手綱を馬丁にあづけて門に入った後姿には断固所信を実行する逞しい決意が燃えていた。


 庶民の事情に通じようとした首相であったが、実際の所は人心は負け戦とともに去っていき、せちがない「銃後」を作り上げた張本人としての悪評だけが今に残された…。暴れん坊将軍が実は悪代官だったと云う笑えない話である。

 それにしても…。毎朝こんなことをやっていたのだろうか。総理大臣と云うのも大変な職業である。幸いにして、現在の政治家がこんなマネをすることは多分無い、なぜなら公用車を停める場所が無いからである。

「やっぱり東條サンは軍服でないと」と云うアナタのための付録を用意しました。

東條首相

 でもやっぱりこの人はこのスタイルが一番「らしい」(笑)。

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