陸軍予科士官学校試験問題の傾向と対策
学校教育とは、善良なる市民・国民を養成する事を、その目的としていると云って良い。深く考えると、<善良>とは何か、とか、そうして養成した国民を使って何をするんだ?と云う話にまで発展するのであるが、それは読者諸賢各々が考えれば良い事でもあるので、言及はしない。
したがって、学校教育で使用される教材と云うものも、おのずと教育する側の目的に添った記述が求められるはずである。そして、学校で学ぼうとする生徒を選抜する試験に於いても、その精神は継承されるものなのである。
つまり、試験と云うものは、単に学力だけを判定するだけでなく、受験者のものの考え方の概略までも、判定しうるものなのである。まあ、あくまでも<概略>と云う事は、現在行われている<一芸入学>や<内申書>、<推薦入試>と云う試験の姿を見れば納得していただけると思っている。
そう云う視点に立って見ると、国語と歴史の試験問題と云うものが、極めて興味深いものに写ってくる。極論を云えば、問題を見れば、当局が何を考えているかが解るのである。
今回は「陸軍画報 臨時増刊 陸軍士官学校」(昭和13年)に掲載された<最近五カ年 陸軍予科士官学校 生徒採用試験 問題及解答集>と云う特集記事で、日中戦争当時の帝国陸軍のモノの考え方を探ってみようと思う。
試験問題は、国語・漢文、作文、英語、幾何、代数、地理、歴史、化学から構成されており、年度によって地理・歴史、化学・物理等の変更がある。
同書によると、昭和14年度の生徒採用は、予科士官学校で1800名であり、対象年齢は、一般志願者は大正8年4月2日〜大正12年4月1日生まれ。現役下士官は大正2年4月2日以降、現役兵は大正3年4月2日以降に生まれたものとなっている。
当年4月2日から翌年4月1日生まれが、一つの単位となっている事に注意である。
本来であれば、当時の学校制度まで懇切丁寧に説明しないといけないのであるが、主筆自身も良く分からないし、そこの説明は本題と直接関係が無いので割愛する。
冒頭、国語と歴史の試験問題がオモシロイ、と書いた。何故か?学力と云う観点を無視してしまえば、そこにあるのは、ただのインテリ一般常識であるからである。
何故源氏物語なのか?日本文学の原点かつ到達点であり、日本精神の本流とされているからである。
何故短歌なのか?和歌は日本上流階級の常識であるからである。その証拠に原子力時代になっても、天皇陛下は歌を詠むではないか。
(一時期良く出題されていた小林秀雄は、むしろ読解力そのものを要求しているのだろう)
戦前の日本を象徴する<皇国史観>は、日本の歴史に対する姿勢の現れである。
ここで云う<一般常識>を規定しているものは誰か、当局の意図をうけた出題者である事は云うまでもあるまい。
これくらい前置きをしておけば、読者諸氏の興味も湧いてきた事と思う。では具体的に中身を見てみよう。問題すべてを紹介するわけにもいなかいので、今回は長文読解問題中心に構成している(漢文の問題をどうやって横書きで表記すれば良いのだ?)。
国語の試験問題を横書きするのも妙なモノであるが、云うまでもなく、原文は縦書きである。原則歴史的仮名遣いにしてあるが、ワ行表記の一部(wi、we)はア行表記とせざるを得なかった事をお断りしておく。
昭和9年度の問題及解答
国語・漢文(抜粋)
4.左ノ文ヲ読ミテ、次ノ問ニ答ヘヨ。
(1)傍線ノ部分ヲ解釈セヨ
(2)次の語ニ意味ノ上ヨリ相対スル語ヲ文中ニ求メヨ。
懐疑… 空虚…
(3)「舊いもの」トハ例ヘバ如何ナルモノヲ指セルカ。
(4)此ノ文ハ如何ナル事ヲ主題トシテ記セルカ。
新を求める人の心は決して安らかなものでない。内に新しい生命充溢を感じて、1.その澎湃激越に任す天才は知らず、内なる空虚をどうにかしようと頻りに新しい刺戟を求める者の心には、殆ど落著がない。求める所の源に堀り當てないで、頻りに西し東し又南し北する者は、多端に疲れて簡約を望み、浅躁を厭うて深沈を求め、不安を去つて静寂につかうとし、懐疑に彷徨した末信仰を懐かしみ、乱雑に飽いて整頓を欲する心がある。こんな心は我等をして舊いものに2.庇蔭を求めさせようとする。舊いものの中には、往々にして根柢の深い生命が簡朴な形の下に落著いて居る。
解答
(1)1.其の生命が、浪の盛んに相撃ち湧きたつやうに活躍するに任せている天才は別として。
2.自分の安心してをられるところを求め。
(2) 懐疑…信仰 空虚…充溢
(3)舊い生活様式とか、舊思想、舊道徳、或は舊藝術といふやうなものを指している。
(4)新を求めて生きて行く者の真剣なる悩みとその落着くところを主題としている。
職業軍人を志望するとは云え、受験者が若者である事には、現代と何等違いは無い。現代人の抱える心の空隙について、かように書いてあると、65年以上昔の文章とは思えない。
一時の流行に追われるナウなヤング(ともに死語)も、いずれ伝統に回帰すると云う、守旧派の好みそうな文章である。こう云う文章に反逆すると<アカ>への道が待っているわけである。
この年の出来事:満洲国帝政化。帝人疑獄。ベーブ・ルース来日。東北地方大凶作。
昭和10年度問題及解答
国語・漢文
5.次の文に於て片仮名の部分を漢字に改め、且つ、誤あらば正せ。
国民の弱きは、彼等が自治心なき為めなり。言換へれば、キユウすれば天をウラみ、人をトガめ苦しめばジキジバウしコンすれば他人に向ふてキウゴをサケぶ。かかるフガイなき国民のシユウガフにては、イクオクあるとも決して頼みとすべからず。自治心の要は、我が分内の事は、他のキヤウセイやクワンイフを俟たず、又、他のエンジヨやシドウをアフがず、我れ自ら我が事を行うにあり。
解答
窮、怨、咎、自棄自暴、困、救護、叫、不甲斐、集合、幾億、強制、勧誘、援助、指導、仰。
誤=「向ふて」は「向うて」。「行うにあり」は「行ふにあり。」
通例であれば、引用文であっても現代仮名遣いに直すのが「兵器生活」なのであるが、これを現代仮名にしてしまうと、「二銭銅貨」のオチ以上に間抜けな事になってしまうのである。
国民の自治心について述べられた文章。満洲国の自治と解釈し、ここでの<国民>を中国人と捉えるのが妥当なところなのだろうか?
この年の出来事:忠犬ハチ公死す。相沢中佐事件。天皇機関説事件。第二次大本教事件。
昭和11年度問題及解答
国語・漢文
四.左の文に就いて、次の問に答へよ。
(一)「努力」とは、どんなことであるか、文中の語句を用ひて箇条書にせよ。
(二)「自己犠牲」とはどう言ふ意味か。
(三)「人格的の目的」とは、どう解けばよいか。
(四)「大いなる目的」とは何か。
道徳を実行するには無限の努力が必要だ。我々はすべての境遇に対して誤らない判断をなすだけの知性を獲得しなければならないし、 又、善と判断した行為を実行しないではいられないやうに自己の良心と勇気とを訓練し陶治しなければならない。それには無限の努力が必要なのだ。努力は当然先づ自己犠牲の方向に対して動かなければならない。
自己の欲望を在るがままに満たしめず、大いなる人格的の目的の下にそれを所属せしめなければならない。この見方が高調せられて、欲望の制御にその大いなる目的の著眼を失つた場合には、欲望の制御そのことが直ちに道徳的であるやうに見られることもある。
解答
(一)(1)判断の智能を獲得す。
(2)善と判断した行為を実行する自己の良心と勇気とを訓練し陶治する。
(二)自分の欲望を押へて実現せしめないこと。
(三)自分の心を、より高尚にしようとする目的
(四)道徳の実行を目的とする。
「自己犠牲」の意味が、現在のものとニュアンスが異なっている事に注意したい。「大いなる人格的の目的」=「国家の目的」となるにはまだ早いようである。
この年の出来事:ベルリン五輪。2.26事件。阿部定事件。
昭和12年度問題及解答
国語・漢文
(五)左ノ文ノ片仮名ヲ漢字ニ改メヨ。
吾々の流儀にも自ら長所があり美点があることを忘れてはならない。内輪とか控へ目とかケンソンとか云ふと、何かヒクツな、タイエイ的な、弱々しいタイドのやうに取られるけれども西洋人は知らず、吾々の場合は、内輪な性格に眞の勇気や、才能や、チエや、タンリヨクが宿るのである。つまり吾々は内にアフれるものがあればある程、却つてそれを引きシめるやうにする。控へ目と云ふのは、内部が充実し、キンチヤウしきつた美しさなので、強い人ほどさう云ふグワイバウを持つのである。されば吾々の間では、ベンゼツや討論の技に長じた者に偉い人間は少ないのであつて、政治家でも、学者でも、軍人でも、芸術家でも、ほんとうの実力を備へた人はタイテイ、クワゲン、チンモクで、オノれのサイカンを常に奥深く隠してをり、いよいよと云ふ時が来なければミダりに外に現さない。
解答…謙遜、卑屈、退嬰、態度、智慧、胆力、溢、締、緊張、外貌、弁舌、大抵、寡言、沈黙、己、才幹、妄
「控えめ」の美学大爆発、と云ったところか。問題は「いよいよと云ふ時」が来ないと、本当に才幹があるのかどうかがサッパリ解らない事である。人間中庸が一番アテに出来るようだ…。
作文
(二)文題 国防
文例
人間の欲望の存する限り国際間の紛争を根絶することは不可能である。自国の野望を実現する為に必ず其の毒牙を磨いて他を侵略しようとする。此の野望実現の前には、道徳も思想も凡てが忘却されてしまふ。而して国家として発展して行く為には此の毒牙を斥け、進んでさうした不正不義の国家を壊滅させるだけの用意が必要となって来る。国防の必然性は此処に存するのである。
国防といへば、勇敢なる兵士や精鋭なる武器をすぐ想起するけれども、それだけで国防は完全といはれない。いかに勇敢なる兵士があり精鋭なる武器があり智謀の名将があつたとしても、背後にある国民が外敵に抗し得る力と態度とを有していなかつたならば、一時の勝利は得られるとしても、結局征服されてしまふ運命にある。故に、国家を一丸とした広義の国防こそ眞の国防であると考へられる。
されば国防の第一歩として国民精神の統一といふことが行はれなくてはならない、全国民の精神が一の精神に結合された時に国防の態度がつくられる。併し、精神だけでは戦争は出来ない。必ず経済力が貯へられなければならぬ。弾丸をうつ精神は強烈であつても弾丸が無くては駄目である。国を富ましめる、即ち国民の経済生活の確立するといふことが、重要なる問題となつて来る。
斯の如き統一せられたる国論、確固たる経済力を背景として初めて科学的の武器も其の偉力を発揮し、国防は完全となるのである。
とかく精神主義の権化と云われる、陸軍自身による、精神至上主義否定の文章である!「統一せられたる国論、科学的の武器」までは確保できたが、「確固たる経済力」だけはついに帝国日本の背景とならなかった。国防が不完全なのはアタリマエである。現代民主?日本では「確固たる経済力、科学的の武器」はあることになっているが、「統一せられたる国論」だけは無い。
当時の国防観を知る、良い資料ではある。
「進んでさうした不正不義の国家を壊滅させる」と云う発想は、今ではアメリカの専売特許みたいになってしまったなあ…。
当時の出来事:名古屋城金の鯱の鱗盗られる。神風号ロンドンへ。日中戦争勃発。
昭和13年問題及解答
国語・漢文
第四問題
左ノ本文ニ就イテ次ノ問ニ答ヘヨ。
(1)何ヲ主題トシタカ
(2)「自己の否定」トハ何ノ意味カ。
(3)「分なるが故に」ノ主語ハ何カ。
(4)「特性を通じて国家に奉仕する」トハ如何ナル事カ。
(5)「国家と個人とを相対的に見て」トハ如何ナル事カ。
わが国民性には、没我・無私の精神が力強く現れている。抑々没我の精神は、単なる自己の否定ではなく、小なる自己を否定することによつて、大なる眞の自己に生きることである。元来個人は国家より孤立したものではなく、国家の分として各々分担するところをもつ個人である。分なるが故に常に国家に帰一するをその本質とし、ここに没我の心を生じる。而してこれと同時に、分なるが故にその特性を重んじ、特性を通じて国家に奉仕する。没我・献身といふも、外国に於けるが如き、国家と個人とを相対的に見て、国家に対して個人を否定することではない。ここに我が国の大いなる力を見いだすことが出来る。
解答
(1)主題としているのは、我が国民性の、没我・無私の精神力の強く現れていること。短くいへば「我が国民性」
(2)「自己の否定」の意味は、自分自身を無いものと思ふこと。自個没却。
(3)「分なるが故に」の主語は「個人は」である。
(4)「特性を通じて国家に奉仕する」の、特性は、前の「没我・無私の精神が力強い」こと。全意は、各個人は国家の分であるから、其各個人の特性たる没我・無私の精神の強さによつて我が国家の全に、自分の一部の分たるを捨てて仕へる、各個人の小利害を目標としないで、其の全体たる国家の利害を目標として、之に我が身を捧げて仕へること。
(5)「国家と個人を相対的に見て」とは、国家と個人とを別々な相並べる二物として対立せるもののこと。我が国に於ては、二物ではなく、国家が全体で、各個人は其の全中に含める一部分のものである。
第五問題
(一)左ノ文ノ片仮名ノ部分ヲ適当ナル漢字ニ改メ右傍ニ記セ。
我が国現代の思想が、ヤヤもすればケイハクにしてシンキを好み、デントウをブベツしてハクワイを事とするは、外来思想にゲンワクせられ、徒に附加ライドウしモハウを事としたる所にゲンインありといふべし。
解答
動、軽薄、新奇、伝統、侮蔑、破壊、眩惑、雷同、模倣、原因。
昭和11年度の問題に比べ、国家主義の色彩が強くなっている。「自己犠牲」が「自分の欲望を押へて実現せしめないこと」であったのに対し、この年は「自己の否定」として解釈を要求し、その解答を「自分自身を無いものと思ふこと」とすることで、国家への奉仕を明確に要求している。
しかしその一方で「我が国現代の思想が…」と、世間一般の風潮に鉄槌を喰らわせる事もしている。かくあるべし、と云う建前と現実はこうなのよね、と云う本音が出ていると見るべきであろう。とどのつまり、当時も今も日本人と云うものは、あまり変化していない、と云うだけの話なのである。
この年の出来事:「国民政府を相手とせず」声明。東京駅構内の人力車廃業。国家総動員法公布。航研機記録達成。円タク、メーター制。
残念な事であるが、これらの問題の正答率、配点に関する資料は未見である。よって、当時の受験生の頭の出来を知る事は出来ない。よって、現代の我々が、果たして予科士官学校に合格出来るかどうかは、読者諸賢の心次第と云う結論となってしまうのである…。
参考:陸軍画報臨時増刊 陸軍士官学校(復刻版 秋元書房)、一億人の昭和史、決定版 昭和史(毎日新聞社)