お酒を控えませう

食料充実のために


節酒はまづ 義理のお酒や 無理酒から


 酒を呑むのは嫌いでは無い。それなりに年もとったので、マイペースで呑む。足取りが怪しくなる事はあるが、前後不覚をとるまで呑みすぎる事はなくなった(と信じたい)。


 時局(珍しく本来の意味である)下においても、酒は庶民の心の友である事は云うまでもない(下戸の立場はドウなると突っ込まない事)。とは云え、日本酒の原料である<米>が、その一方で重要な食料である厳粛たる事実は存在しているわけで、支那事変も3年目となる昭和15年には、当局がわざわざ節酒を説かなければならない事態になってしまったのである。

 と云うわけで、今回は「写真週報」昭和15年2月7日号の記事を紹介することで、日頃呑みすぎを痛感しておられる読者諸氏に、<食料確保のために節酒しましょう>と呼びかける次第である。
 例によって、仮名遣いを変更し、適時改行を施した。

お酒を半分に
「お酒を止めよう」とか「お酒をひかえ目に飲もう」というのは、今日までも色々な理由から−例えば健康上の点とか、風紀上の方面から随分やかましくいわれてきました。
 殊に今度の支那事変が起こってからは、前線で忠勇なる兵隊さんが泥水を飲みながら悪戦苦闘しているのに、銃後で酒を飲んで酔っ払っていてはすまないというので、国民精神総動員運動の方でも、早速、節酒、禁酒の問題を採り上げて、戦時下一切の不健全現象の絶滅をはかると共に、節酒、禁酒による健康増進を大いに強調してきたのであります。

 こうして節酒、禁酒について、ずいぶん活発な運動が各方面で続けられて来たのですが、最近時局の影響でこの運動は更に新しい意味をもって一層強くくり広げられなければならないことになりました。 それは新聞などで御承知の方もありましょうが、今年からお酒を造る量がグッと減らされることになったのです。即ち昨年までは一年に凡そ四百万石のお米を使ってお酒を造っていましたが、最近このお酒の素であるお米が、昨年の西日本と朝鮮の旱魃などや、需要が増えたことなどから非常に窮屈になってきましたので、今年からお酒を造るお米の分量を今までの約半分に減らそうというのです。
 戦争をしてゆくには食料の充実確保が是非とも必要です。戦争中に国内に食料の不安があってはとても戦に勝つことはできません。そこで政府でも去年の十一月総動員法に基づいて米の搗精制限令を発布して七分搗米を励行させるとか、或いは外国からお米を買い入れるとか、色々な方法でお米の不安を取り除く一方、国民精神総動員運動でもこれに呼応して「戦時食料充実運動」を展開し「節米一割報国」を目指して混食の励行、無駄米の排除、雑炊や粥食の奨励などお米の節約には大へん力瘤を入れて居ります。


お酒の経済
 このとき先ず考えられるのはお酒とお米の関係です。今までお酒にして飲んでいたお米を食べる方に振り向ければ、それだけお米の不安は取り除かれます。
 日本は外国からも相当沢山のお米を買い入れていますが、戦争をやるにはなるべく外国のお金を余計にこちらへ持ってこなければならぬのに、お米を買うためあべこべに沢山のお金を外国に取られるというのは残念なことです。一石でもよい、二石でもよい、外国から買い入れるお米の分量が少なくなればなるほど、それだけ日本のお金を外国に出さずに済むのです。
 今かりに外国から買うお米の値段を一石三十円、百万石のお米を外国から買わずに済ますと、それだけで三千万円のお金を外国に出さずにすみます。そこで今までお酒を造るために使っていた四百万石のお米のうち、かりに半分の二百万石が節約できれば六千万円という沢山のお金になります。そこでお酒を今までの半分に減らすことは、外国から輸入するお米の分量を減らすにも、また戦時下日本の食料政策の上にも、非常に良い影響をもたらすのです。

 しかしお酒を造る量が半分になりますと、それに伴って消費の方面もまた大きな影響を蒙ることになります。お酒の造られる分量が減っただけ飲む方もそれにつれて減ってくれれば問題はないのですが、そこが人情で、少なくなると思うと買溜めをしたくなり、無くなると思うと余計に飲みたくなる。一方でお酒の量が減って来るのに飲み手がふえるとあっては需給の関係は益々びっこになるばかりです。
 需給のびっこを直すには政府の努力は勿論ですが、何といっても国民全体がよく理解して、お酒を飲まないように心掛けることが大事です。
 この前の欧州大戦の時、イギリスでは酒の販売時間を制限し、おひるから二時間と夕方の六時半から三時間と都合一日五時間しか酒類の販売を許しませんでした。またアメリカでもフランスでもロシヤでも同じようなことが行われたので、こんなことを考え合わせると我が国の節酒禁酒運動の如きはまだまだ手温いといえましょう。


どこで減らす?
 それならば一体どんな方面でお酒を節約すればよいのでしょうか。お酒が減ったからとて一がいに「お酒を止めろ」とはいえませぬ。第一線に働く兵隊さん達は勿論のこと、鉱山の労働者やその他激しい労働に従事する人達の飲む酒は、単にお付合いで飲むお酒とは自から意味も違っています。
 一ぱいの晩酌が翌日の活動の源泉になるというような場合にはお酒は単なる贅沢品とばかりはいえません。従って今後お酒を配給する時には、これ等の人達に先ず廻さねばなりません。このため一般への配給は更に困難を加えましょうが、私共が考えるべきところはここにあるのです。

 その第一は今までお酒を無駄にしていたことがずいぶんと多くはないかということ、一例を挙げると、宴会の時の盃のやりとりなどは腹の中に入る筈のお酒が盃洗の中に沢山飲まされていたり、また酒場などで濫費されるお酒の分量も決して少なくはないのです。その他お嫁入りの時とか、お葬式の時に使う酒などは是非とも節約をしたいものです。こう考えると節酒や禁酒をするところはまだまだ沢山残されている筈です。

 陸軍でも最近は酒保で売る酒の量をぐっと減らし、真先に自粛しています。兵隊さんでさえ節酒しているのです。銃後のわれわれが酒を慎まなければならないのは当たり前でしょう。
 お酒を慎むことがやがては戦時下の食料不安を取除く助けともなり、外国米の輸入抑制にも役立ち、このために戦争遂行が少しでも容易になることを思えば、誰だってこの節酒禁酒に協力しない者はない筈です。
 おでん屋の店先に”御一名様三本まで”というような貼紙を出される前に、われわれは興亜の聖業達成のため進んでお銚子の数を減らさねばなりません。

*<盃洗>とは、献杯の際に、杯を洗うための器の事である。

 呑み助である読者諸氏(および主筆)には、なんともアタマの痛くなる文章である。それにしても対外侵略戦争推進の一環とは云え、まったくこの時期の日本政府はなんとも細かい…。
 で、しかも妙に説得力があったりするので始末に悪い。「興亜の聖業達成のため進んでお銚子の数を減らさねばなりません」などと云うセリフは昨今の政府関係者の口からは、ちょっと出ないような気がする。

 ちなみに、この聖戦遂行のための諸政策のおかげで、日本酒がおかしくなった事は記憶しておいて良いだろう。また、例の<コメ問題>の発端も、実はここにあったりするのである。


 本稿をここで終わりにしても良いのであるが、主筆は以下に掲載する写真のためにこのネタを採り上げたのであるから、ここで打ち止めにする事は、まさに<戦地の兵隊さんに申し訳が立たない>のである。

 混食をしたり好きな酒をやめてまで節米国策に協力している人々があるのに、こんな盛大な宴会をして、しかも酒を浴びるように飲むなんて言語道断な振舞いです

 と例によって<善良な国民>の嫉妬心に訴える文章であるが、死ぬ前に一度くらい、キレイどころを並べた宴席の一つも持ちたいものである。実は内閣情報部(写真週報の発行部署)新年会でのスナップではないのか?


 畳が飲む酒二万石−1日の疲れをいやす少量の酒に不自由をしている人があるのに飲めもせぬ酒を注文して畳に飲ます勿体ないことは必ずやめましょう

 どことなくヤラセ臭い写真ではある。が、たしかに居酒屋などで、隣りのテーブルに刺身などが余っているのを見ると、非常に勿体ないと思う(店員の目を盗んで、つまみ食いした事も一度や二度ではない)。
 こちらがモツの煮込みでつつましく呑んでいる時、隣りに刺身舟盛りを見る時ほど悔しい事は無い。


 そういわずに、まあ一杯飲め! という献酬、また礼儀と思われている盃のやりとりは衛生上からも節酒という見地からも絶対にやめましょう

 だ、そうである。元営業担当者としては気が楽になるようなお言葉だ。しかし衛生上云々と云っているが、アルコール消毒されてるから大丈夫!と云われると反論出来ないのは何故?


 これが醜態といわなくてなんでしょう。酒を飲んだのでなく、まるで酒に呑まれた図です

 電車の中で吐くよりははるかにマシである…。私にも前科はあるので何も云いたくない…。階段から転落しないだけ良しとするべきなのだろう。


 酒が少なくなるというのに、五本も六本も一人で飲むなどは配給の公平からいってまことに不心得です。節酒しない限りこんな人はお店からシャット・アウトしましょう

 「松竹梅50銭」と書かれているようだ。一度こうやって銚子をズラリと並べて見たいものである。しかし不心得と云われても、人には適量と云うものが…。


 お酒に代わるお茶、宴会の性質によっては是非実行いたしましょう

 だからと云って、銚子に<茶>と書き入れて持ってくるものなのか? 照明の当て方が、露骨にヤラセっぽいぞ。この時代も飲み屋のお茶は有料だったのだろうか…。


 献酬も廃止すれば義理酒も飲まずに済み、下戸はサイダーかお茶ですませて御料理をおいしく食べた方がどの位愉快でしょう

 ウーロン茶の前は<サイダー>だったのだ! 仲居さんが目の前に控えているのに注意、何を食べているのか判らないのが妙に悔しい。中央の火鉢にも目を配りたい。

 昭和15年時の宴会の一例として見ても面白いものである。当然、もっとつつましい呑み会の方が多かった事は確かであろう。

さて、ビールでも呑むか…