「光輝なる過去」の所有者をめざして

「若き男のペン習字書翰文」


 筆と墨で、雄渾あるいは水茎麗しき文章―内容はさておき―を書きたい、と思うことがあります。
 書の善し悪しはわかりませんし、書道展を見て廻る趣味も持ち合わせてはおりませんが、そう云うことの出来る人が羨ましく思うのです。

 そのくせ、ペン字を巧く書きたいとはこれっぽっちも思いません。マンガ文化の全盛期に生まれて育ってくたびれて中年オヤジになった僕にとって、「ペン」は画を描く道具としか思えないのです。だから万年筆もあまり欲しくありません。中学にあがった時、父が学生向きの廉価なものを一本買ってくれましたが、学校の「ペン習字」の時間に使ったきり、どこかにしまい忘れています。

 そんな僕が、なんで「若き男のペン習字書翰文」(高橋 観城、松栄堂 昭和11年8月)なる本を買っているのでしょうか?

 四谷と新宿のさかい目あたりで独り酒を呑み、酔いざましのつもりで歩いた先の古本屋で200円で売られていたこの本!
 もちろん、今あなたが読んでいる「兵器生活」のネタにするためです。
 だいぶ前、手紙で変わる! 貴女の人生と云うネタを作りました。吉屋信子が手紙の文面を考えている、とても面白いもので、かなりノリノリで仕上げた、自分でも気に入ってるものです。
 婦人雑誌の手紙文例で記事が一つすでにあり、この本は「若き男の」ですから、これはネタになると思ったわけですね。

 この本は、上にあげたタイトルを見ておわかりのように、ペン字の教科書です。行書です。「変体仮名」まで出て来ます。すらすらとは読めません。
 幸い、巻末に活字で印刷された文章が載ってますので、ネタ化には困らないわけです。だから、著者が工夫して書いたペンによる文字はまったく見ていません。いえ、高橋観城が冒頭に記した「はしがき」だけは活字になっていないので、なんとか読みました。いつものように、改行やら句読点代わりの空白挿入やら、仮名遣いを改編したものを引きます(以下出てくる文例も同じです)。

端書
 時代はペンに遷って 昔の矢立など其の名をさえ知らぬ人が出て来ました
 併し日本人はペン字の経歴が余りにも新しく 百人百様ほとんど出鱈目の状態です 之が統一的理想法を案出する方法は 専門家と雖もなかなか一朝の問題ではありません
 それは東洋文字は毛筆で洗練されてあるので 此の習慣から脱し 新たに図画的なものを作るという事は 出来難い相談であります ですから比較的従来の書意を骨子として ペンの使用法に俟つより他ありません 


 其れで一体ペンの使用法とは如何したならよいかというと 一言にして云えば之れまでの毛筆に対する先入観より離れて ペンの特質を見出すことです
 筆は心で支配せねばならぬが ペンは鋼筆ですから其の者に支配される気持ちで考えればよいのです 要するに硬いペンで軟かい技術を生めばよい訳で 其の生命となる処は円味であります 諸君が英字を書く意味を その侭行けばよいのです 縦画を引くにも真直に引こうとすると 其処に幾分の渋滞が生じ 見苦しいものになり勝ちですから 成る可く軽く速にというのが結果がよいのです

 本書は勉めてペン中心に 合理的な技法を試みてありますが 前述の意味で 本書壱冊を従順に練習されたなら ペンの意義も解し得 且つ能書たる事は筆者の保証する処であります。

著者しるす

 ペンの意義を解すつもりは毛頭無く、努力もせずに能書家をうらやましがり(足をひっぱるとこまでは、人間堕ちちゃあいません)、著者苦心の書を顧みず、手紙の文例だけを使い倒すのですから、僕のやってることは、弁当箱のふたに付いた飯粒をなめて、残りは捨ててしまう蛮行に等しいと思います。
 掲載されている文例は、

 「年賀状」 「入学を祝う」 「身元保証を頼む」 「作文の添削を請う」 「父母の安否を訪う」
 「田舎の友へ」 「水泳に誘う」 「田舎の友より」 「帰省して」 「夏帰らざりし友へ」
 「入営を報ず」 「着京の通知」 「観月の宴に」
 「就職の依頼」 「不合格なりし友へ」
 「修学旅行のさまを」 「柿をおくる」 「成績品展覧会の模様を」 「修学旅行先より」
 「はじめて逢える先に」 「卒業を祝う」 「桃見に友を招く」 「菊見に招く」 「右返事」
 「在京の妹へ」
 「花を贈る」 「書籍を贈る」
 「病弟へ」 「餞別のしるし」 「入学祝いの返事」
 「違約を詫る」 「僕は近頃悲観的になった」 「理想生活の友へ」

 という内容です。吉屋先生の文例のように、『女学校出の娘が新家庭を築く』ような、ストーリーは通っていませんし、『結婚』を想像させるタイトルが一つもありません。この本で云う「若き男」とは、未婚であるのが前提になっているかのようです。
 前振りが長くなってしまいました。今はちょうど年末(2012年12月に書いてます)ですから、まっさきに「年賀状」をあげ、これをもってあなたへの賀状に替えさせていただきます(笑)。

年賀状
 新年に際し 謹みて高堂の万福を祈り上げ候
 旧年中は一方ならぬ御厚情を賜り 深謝奉り候
 尚将来も一層の御愛顧願い上げたく 先ずは新年の御挨拶まで謹言。


 「候文」です。中身はビジネスレターの「貴社益々ご清栄のことお慶び申し上げます」と大差のない、儀礼的なものですが、21世紀になって10年を越えた今読むと、ちょっとカッコイイものではありませんか。
 ちなみに、ペン字の影印はこんな感じです。


「・・願い上げたく先ずは新」まで


 続いては、昔の人のモノの頼み方を見てみようと思います。

身元保証を頼む
 私事此度当中学へ入学許可致され候 処規則により在学証書に身元保証人を要する儀に候えども 然るべき知人のなきに困り居り候 就ては御迷惑の段恐れ入り候えども 何卒貴下に於て御保証願上げたく 御許容下され候わば 此処に失礼ながら別紙在学証書相添え 御願い申し上げ候まま身元保証人と記し候処に 御記名御捺印下され度 今夕小生頂きに参り申すべく候。


 「中学」入学予定者が、こんな文を書くのか! ちょっと驚いてしまいました。
 「僕は今度この中学に入学することになりましたが、身元保証人になってくれる人がいません。大変申し訳ありませんが、同封の在学詔書の『身元保証人』欄にお名前を貸していただけないでしょうか。夕方取りに伺います」と、「当中学」―この学校―の教頭か何かをやってる親類にお願いする手紙です。
 現代文に直してみれば、驚く内容ではありません。文字面に驚いたのは、単に、自分のアタマの中に「候文」が根付いてないからでした。
 先方の返事を待たずに、今日の夕方には、手紙を出した本人が受け取りにやってくるのです。この頃に出た、社交の要諦を記した本に、訪問にあたっては先方の了承をとり、日時を決めておくよう書かれるわけです。


 そろそろ、これぞ戦前の「若き男」だよ、と云うのをお目にかけましょう。

着京の通知
 太陽が今果てしなき武蔵野を照し出さんとするは希望に輝く 僕は成功に近寄るべく第一歩を東京駅より踏み出すのだ
 壮麗なる大厦高楼は 吾人の着京を迎えて喜ぶが如く立ち並んでいる 僕も今日から此の地の人となって堅実なる希望の下に確実なる勝利者たるべく活躍することが出来るんだ いずれ住所の定まり次第通知はするが安着の報斯くの如しだ。


 住む場所も決めず、上京するのは「家出」と云わねぇか? 思わずツッコミを入れたくなります。
 無意味に近い美辞麗句、語尾は「だ」「だ」「だ」っとリズミカル、内容は根拠皆無の明るさに満ちていてエラソーなこの文体!
 こんな感じで「兵器生活」のコンテンツを書きたいんです。

不合格なりし友へ
 何も君 不合格を苦にする事はないではないか
 人間到る処青山ありだ 七転八倒の処世の原理あるにあらずやだ 失敗は成功の階梯と知らぬか奮起せよ君、失敗あって他日の誠となるのだ、あまり失望して病気でも出して見たまえ それこそ大変だ 成瀬君も君と同様の結果ぢゃ無いか 然し彼の近頃の元気を見よ、機会は幾十年の後までも年々来るのだ 祇園の夜桜も見頃だそうだから 明晩五時廿分発の列車で共に遊びに行こうぢゃないか 間違いなく其の時刻に停車場へ来て居たまえ。


 これも無駄に明るいです。僕が不合格になって落ち込んでいる時、こんな手紙をもらったら、きっと停車場でぶん殴っちまうと思います。しかし「だ」だ」「給え」の文は良いです。

花を贈る
 前庭の梅花ようやく咲き出でたれど 鶯ならでは訪う人もなき山里のことゆえ 小生のみにて眺めんも面白からず候につき 両三枝高覧に供し候
 御床の隅にも挿しおき下されなば 我れのみならず花の心もうれしかるべく存じ候。


 若い男が「花を贈る」相手と云えば、うら若き乙女と相場は決まっていそうなものですが、前にも書きましたが、そう云う文例はこの本にはありません(そう云う用途に特化した本がどこかにあるのでしょう)。「花の心もうれしかる」が泣かせます。

 戦前の本なので、こんな文例も載ってます。

入営を報ず
 拝啓出発にあたりて御多忙中 わざわざ停車場まで御見送りに預り 其上御鄭重なる御餞別を忝うし御厚礼申上げ候 御陰を以て聊かの障りなく昨日入営 表記中隊所属として軍務に服す事と相成り申し候 自分誓って軍務に精励し 郷党の模範たるべく努力仕り 御訓戒に背かざらんことを期し申し候、取りあえず入営御通知まで草々。


 たしかに、入営するのは「若き男」ですね。とりあえずご参考まで。
 「若き男」は明朗溌剌としているだけではありません。それだけでは只のおバカです。

夏帰らざりし友へ
 来年の事を云えば鬼が笑うといいつつ 来年の夏休みには必ず帰る是非そうしたまえと 月高き九月の夜 互に名残惜しみてより 流水の月日は一日の滞りもなく順々と去りてハヤ一年 その後は忘れ給いしや
 年を送り年を迎え 花咲き花散れど待ちわびる君の帰り来まさざるまま 椽に注ぐ夕立を独り籠鳥の窓にききて 夕雲遠き思いに幾度寂しさをかこちたるか、嗚呼月の光や鳥の音や いずれも我が寂しさを忍ぶの種とならず 君帰来まさねば尚我が身の寂しさを増すばかり 訪るる雁に秋はいつしか寒く 筧を流れ落つる柿の病葉の日に添いて増すに打絶えて消息なきは如何なされしものにか 今朝慰められぬ心に堪えかねて君と散歩に思出多き鎮守の杜に逍遙せり 靡く尾花を裾にして鳴く音とめし蟋蟀はこぼるる露をあやしみてか 訪う人もなき草の宿に空しく君の来らざりしが嘆かれるのみ 君訪るるを待つ我が心待つ間の長かりしまま待つ事の切なりしまま明暮れ君住う都の空を眺めては ねぐらへ急ぐ鳥の声を羨みん、寂しさに堪えかね斯くは。


 煩悶の最中にある人と、すすんで呑みたいとは思いませんが、この手紙の主には、「まぁ呑め」と声をかけてやりたくなります(未成年者にお酒を勧めてはいけませんよ)。僕もオッサンになってしまいました。
 文は長々と連なっていますが、「君帰らぬ寂しさゆえに文書きぬ」と書いてあるだけだったりします。このせつなさは、ほとんど恋文の域です、『やおい』の世界です。

 青少年の悶々は、社会にも向けられるものですが、次の手紙の主はかなり弱っているようです。

僕は近頃悲観的になった
 君、僕は近頃妙に悲観的な人間になってしまった、
 幼い日母の温い懐に抱かれて 面白い昔お伽に夢幻の境をさまよいつつ平和な生活を続けたような、あたたかい日は一日も恵まれず 苦しみ悩む事のみ報いられるのが続いています 恰度牛馬の鞭うたれ忍従の生活のみ続けているように、
 君、社会はなぜ僕にのみ斯く冷淡、惨酷なんだろう?
 多くの血税やら犠牲を払って 求めても求め得られぬ悩みにすっかり疲労して了いました、庭の白萩の花が寒風に散り行くを見ても 彼のあわれな姿と自分をいたむ心とがもつれて、おのずと涙が流れます、
 どうして僕のみ かくも人生の寂しさを感じるのでしょう 人生は生きるもなやみなら滅びるは尚悲しみで所詮遣瀬がありません 
悪魔よ!俺の知らぬ間に肉も魂も皆空にしてしまえ!といつも眠る前に心で念じます 今も此の手紙を書きおわるや同じ事を繰り返しつつ寝ます、乱筆御許し下さい、
 ではおやすみなさい。


 「まぁ呑め」と差し出した酒瓶で、頭を砕かれてしまいそうです。
 それに怯まず酒を勧める(もちろん、未成年者にはやりませんよ)のが、正しいオッサンの姿なのでしょうが、僕にはまだまだ務まりそうにもありません。
 『社会が自分のみに』と云ってる時点で、彼が住む世界の狭さを物語っているようなものですから、「もっと違う本を読め」か「ブラジルで一山当てよう!」と云う方が、彼にとっては良いのかもしれません…。

 この「僕は近頃悲観的になった」の後に続く―本書の末尾を飾る―のが、

理想生活を友へ
 年の加減か此頃やっと落ち着きを見出しました
 初めは昇天的空想を夢見て 故郷から都へと働いてはたらきぬきました 露西亜の革命家達ではなくも 自ら額に汗せずには食わぬ事を標語として 一日働かねば一日食わぬことを実現して来ました、
 其のお陰か此頃は少しは余裕も出来、幾冊の本も蔵するようになりました、ほんとに自分で労力して食うという事は 正しく楽しく明るい生活である事を体験しました、生意気のようですが 本当なんですから仕方がありません、兎に角親の脛からはなれて 自分で働いて金が得られるようになったのですから 急に一人前になった気がして全く今の僕は嬉しいです、
 希望も徐々に実現して行き度いと思います。


 になっているところは、なかなか良く考えてあるなあと思います。しかし、「一日働かねば一日食わぬ」のは、健康上どうかと云う気もします。
 この本が想定する「若き男」が、とんな存在なのか茫漠としすぎています(その点、『主婦之友』付録は解りやすい)が、青雲の志を抱く人であるのは疑いのない所です。とは云え、皆が立身の望みを持っていても、全員がその道に踏み出せるわけではありません。

違約を詫びる
 君、昨夜の御約束は取消て貰いたい 僕は余りの突拍子な行為を悔い悩んでいる 僕は決して意気消沈しての心の変化でない事を 君が知ってくれたら、どんな罵声をも甘受する、
 実はあれから帰って 飽くまでも自分の希望を達する為に反抗もし 利害を説いてあらん限り反抗した結果、思いはようやく許された、併し君の知る通り 僕の両親は明日を知れぬ七十という年輩だ その年寄の目に光る異様な涙の輝きを見た時 僕の心は意気地なく太息を吐いたと同時に 僕は矢張り此の田舎で朽ちようと深く決心した 僕は老先の無い両親の為めには 如何なる光明も犠牲にする事のよろこぶよりほかはないのだ、許してくれ給え。


 親友と都会に出る決心に至った翌日書いた手紙です。呑んでいたのかどうかが気になりますが、酒のせいにはしていませんから、シラフでやったのでしょう。
 「若さ」は光り輝く未来をイメージさせる言葉ですが、この手紙を出した瞬間に、彼の「若さ」は、老いた両親より後に死ぬ可能性だけになってしまったのです。「まぁ呑め」と云うしかありません。
 最後に、今回のネタにする決め手になった手紙二本を紹介します。

田舎の友へ
 今年も春は訪れた
 寒風に鍛えられた老鶯も 都の春に心ひかれてか裏庭の梅一枝にも姿は見せなかった 村外れを流れる小川のみ 夏の来るのが待ち遠しいが 其凌ぎにかこつが様な音を立てて居る 鎮守の森の椋の木が装いも美々しく青々として 小鳥に媚をおくるが如く心も自から浮き立ちて 実に春は人生の苦痛を忘れ常軌を逸する危険期と名づくる人のあるも 無理からざる事と頷かれる

 君は塵深き都にありても古聖が教に親しまれ 社会の善悪に心染まぬ人々と交際して居るのだから 清い田舎に徒然をかこつ僕等より 遙かに有為な生活をしているとは思うが 遠く離れて住む為め 君が平素を知ることの難きが故に君が自重を切望する
 然しながら交通機関の進歩せる今日 幾千里を離れていてもお互に心さえあれば 遠近の差別は無い事だから 時々の通信は変わらず出してくれ給え お互いが各自の目的に向かって精進する間が 一番愉快にて有意義なる時代だと思うから この陽春の候を無意義たらざるよう お互に注意しようじゃないか
 青年期の失策は回復するに早しとか云うてはあるが 注意さえして居れば回復策の必要もなく それだけ自己を有利な立場に置くことが出来ようと考える

 君自愛し給え再び来らざる青年期を よりよく修養に浄化に努力して 光輝ある過去の所有者として恥じざるように斯くなりて 又春は訪れるのだ この春その春ともに僕等の人生に一の指導を垂れて居る様だ 乞う君が自愛を。



田舎の友より
 豌豆の花盛りにして五月闇を徹す杜鵑の声を聞く 此頃君や如何
 僕も麦田の手入れの如何を青波渉る初夏の麗かさを浴び 雲雀の囁きを聞きつつ見回る時 寒風に頬をうたれて水鼻汁をすする時の苦痛も忘れ 安い麦値も苦ならず独りでに微笑みが頬に浮ぶを禁ずることが出来ない
 四囲の山流るる小川、四年を経た今日相変らず君と蝉を追い魚を捕らえた時と何の変りもない 然し蝉の鳴き声と清い流れを上る魚の様子とは 君と僕との悪戯がなくなって安堵するもののように 小川のせせらぎは僕一人を水鏡に写して流れ行く物足らなさをかこつが様であるが 君が蛍雪の労報いられて帰郷 二人が水鏡に映る日の近きにありと独り語して添うて佇む僕の姿を想いて 更に努力せられんことを乞う
 君知らずや日西山に隠れ 月東山に現る 斯くして自然は四季を反復す 春風秋雨吾等は又過去の所有者となる 願わくば国家多端の今日 君が健実なる発達を衷心から祈るや切なり 而して軈ては来るべき人生の終りに際して よりよき過去の所有者たるべく努力すべく お互に奮起しようぢゃないか 終りに重ねて君が自愛を乞う。


 都会に出たもの、郷里の農村に残るもの、暮らす所は違っていても、日々精進を欠かさず素晴らしき「過去の所有者」たらんとする二人の友情は変わらない、というエールの交換です。
 ところが、「若さ=未来」と誰もが思うところに「過去の所有者」なんてベクトルが反対の言葉が出てくるんですから、「どこにこんな考え方をする若者がいるんだよ!」と、声を出してしまいました。

 こんな発想が出てくるヤツは若者なんかぢゃあない、何が「若き男」だと、この本を投げ捨てようと思いました。それではネタ一つ捨ててしまうことになります。冷静に『光輝ある過去』と云う、僕の辞書にはないこの言葉を味わうと、これは面白いと思えて来ました。

 世の中みんな未来を見ています。今日の昼飯は何にしようかな、と云うレベルから、商売や生活や社会という、身の丈を越えたスケールで、より大きく、速く、便利に、快適(悪い云い方をあえてすれば『横着に』)な方向に…。
 そのくせ日本が、世間が良くなっているかと云えば、そうとも云えない―悪いニュースしか目につかない、と云う自分の偏見はさておき―、『未来生活』のエネルギーを背負う原子力発電所が社会悪同然に見られるようになり、物流の大動脈、高速道路のトンネルの天井板が老朽化で落っこちるなんて話を聞いていると、コールのない未来志向も考え物なんじゃあないか、と思えてきてしまったのです。

 1945年の敗戦で、大日本帝国はリセットされました。
 それでも西欧文明を目指す道は変わりません。飢えずに暮らせるようになる、産業を立て直す、オリンピックと万博―どちらも1940年にやり損なったイベントです―をやり、工業製品を輸出し、庶民は『三種の神器』(白黒テレビ・洗濯機・冷蔵庫)を買い求め、やがて『新三種の神器』(カラーテレビ・クーラー・自家用車)にも手が届くようになります(余談ですが、今の総督府には、その全てがありません)。公害もあり、事件・事故もありましたが、日本は豊かになったと云われてます。
 昭和30年代、40年代の生活や、当時あったとされる前向きさが懐古されています。これを『光輝ある過去』と云うのではないでしょうか。

 とは云え、昔は良かった…、なんて考えてしまったら、今が不幸であると公言しているようなものです。
 明日もご飯が食べられる、屋根と壁のある住まいがある。生活するためにやるべきこと、行くべきところが明日もある。そこに向上心(物質的なもの、精神的なもの問わず)が前向きなベクトルを与えて、一日が終わると今日は昨日になって過去の上に積み上げられていく。
 『光輝ある過去』は、まっとうな今の生活の中からしか、振り返ることはできないでしょう。

 この二人には「まぁ呑め」とは云いません。「しっかりやってくれ給え」と独り盃を干すことにします。

 僕自身が、『光輝ある過去の所有者』たりえる生活をしているかは、あなたにも内緒にしておきますが、「兵器生活」に過去のコンテンツが一つ加わったことだけは確かです。

 今月も僕の駄文におつきあいいただいて、本当にありがとうございます。あなたにも『光輝ある過去』が蓄積されるよう、冷暖房ナシの総督府からお祈り申し上げます。

 主筆より

(追伸)
 手紙の例文集(この本はペン字の見本帖ですが)は面白いです。例文集を集めて当時の人のモノの考え方・常識を明らかにする、なんて大望をうっかり抱きそうになります。

 手紙の文例集はいろいろありますが、そのネタって、だれが、何を見て書いているんでしょうね?