軍事雑誌に観る、防諜心得 「君等は銃後の防諜戦士」

 「兵器生活」 誌上は、戦前・戦中の雑誌記事を紹介することを主眼に置いているが、別稿でも述べているように、諸外国の兵器情報はたんまりと載せるくせに、自国の兵器情報は全くと云っていいほど隠されているのが実状である。


 今回は、「機械化」 21号 (昭和17年8月) の記事 「君等は銃後の防諜戦士」 を紹介することで、兵器ファンに対する国家当局者の 「指導」 の一環を垣間見ていただきたい。


 この記事はサブタイトルに 「秘密戦を勝利に導き、スパイの暗躍を防ぐのにはどうすればよいか」 とあり、元陸軍憲兵隊長 陸軍憲兵大佐  坂本 俊馬 の署名がある。憲兵隊と云えば、鬼神も恐れると云われた、大日本帝国有数のおっかない人達である。しかしこの記事は少年向け雑誌に掲載されたものであるから、言葉遣いは非常に柔和となっている。一部仮名遣いの改変と、文字の拡大を行っている。また本文のカッコは、本来フリガナである。

 以下本文である。

スパイ

 秘密戦の勝利

 海に陸に日本は輝かしい戦果をあげてをります。東亜を毒した英米の魔手は次第に撃壊され、東亜侵略の敵陣営本拠は次々に爆砕されてをります。そして今や武力戦の段階から大東亜建設という輝かしい建設戦の態勢に入って来ました。

 然し敵英米はこれを黙視している筈はありません。必ずや第二第三線を構築してやって来るでしょう。第二第三線とは何か、それは砲声なき戦、即ち秘密戦であります。

 戦争は大きく分けて武力戦と非武力戦にすることが出来ますが、武力戦で一敗血にまみれた敵は、今度は非武力戦で最後の勝利を得んものと眼に見えざる凡ゆる武器を総動員して攻撃して参ります。即ち諜報、宣伝謀略の巧妙なる秘密戦術を用い、一億一心、しっかり結ばれている鉄石の銃後を攪乱し、大東亜建設の聖業を邪魔し是を擱座させんといたします。

 これは前大戦の例を見てもわかります。前大戦の時、ドイツは武力戦では連合軍をよく撃破したのでしたが、非武力戦で銃後を攪乱され、折角の前線の勝利も銃後から崩壊してあの無惨な敗北を喫したのであります。

 戦争とスパイは付き物ですが、前欧州大戦の時にも、両軍のスパイはお互いに盛んに活躍したのです。スパイの活躍がどんなに戦争に響くかということは、今更申し上げるまでもなく皆さんのよくご存知の通りです。例えば軍の作戦が漏れた為に敵に乗ぜられるとか兵団の移動が探知された結果、以外な逆襲にあって大損害を蒙るとか、その影響は頗る大きく、一スパイの活躍よく大兵団を葬ると云うが如き例はいくらもあるのであります。前大戦に於いて両軍の軍事スパイは幾多の目覚ましい手柄をたてています。然し結果的に考えてみますと、ドイツ軍のスパイは軍事的にのみ片寄り過ぎて、その他に方面には及ばなかったようです。同時に防諜という点でも、軍関係の秘密はまもられましたが、他の方面の秘密は敵側に漏れていたようです。

 近代の戦争が武力戦のみでなく、非武力戦も戦争であると前に述べましたが、戦争に勝つことは、武力戦に勝つと同時に非武力戦にも勝たねばならないのであります。

 前大戦に於ける連合国側の様子を見ると、武力だけではドイツを降参させることは難しいと考え、非武力戦線にも力を入れようと計画したのです。その結果ドイツの経済、社会思想、政治等をよく調べ、銃後攪乱をやったり、謀略、宣伝に力を入れ、とうとう武力戦では勝利を得ているドイツを降参させてしまったのであります。謀略宣伝がどんなに威力のあるものか、非武力戦の勝利が如何に功を奏するかがこの例ではっきり解ります。



 日本を襲う謀略宣伝

 さてひるがえって、今次の大東亜戦争の事を考えてみましょう。

 米英は、四年間も支那事変で戦ったのだから、日本はかなり弱っているだろうと見縊りよもや戦争は仕掛けまいと思っていたのですが、それが決然立ち上がると、僅か半歳たらずに米英は東亜からすっかり敗退させられ、猶おびやかされる結果になってしまいました。武力戦では到底日本に太刀打ち出来ぬことが、今やはっきり解ったわけです。然しそれだからといって、あっさり降参してしまうような米英ではありません。なんとかしてこの敗退を盛り返そうと、いろんな手段でやって来るでしょう。そこで当然考えられるのが非武力戦です。

 日本の銃後を攪乱し、経済的に、思想的にあるいは政治的に凡ゆる手段でおびやかし、国民をして反戦的気分にさせ、銃後から降参させてやろうと種々の謀略宣伝に全力を尽くしてくるでありましょう。

 例えば日本にはだんだん物資が無くなりもう少しで戦争はできなくなるとか、今はあんな風に負けているが、米英人は優秀な民族だから最後には勝利を得るとか、敵側には凄く優れた武器が出来たとか、または日本軍が何処其処で大損害を受けたとか、例をあげると数限りありませんが、こんなデマが口から口へと伝えられます。これが謀略で根も葉もないこと、どうしてそんなことが云えるかと思う事を本当らしく装って云いふらすのです。そして国民に恐怖心を起こさせ、戦争に嫌気を起こさせ、一億一心がしっかり結びついて銃後も前線と同じ様な気持ちで団結しているのを解し、崩れさせようとするのであります。

 私達は東亜の盟主日本の国民であること、今日本は大東亜の幸福の為に戦争していること、然も戦うからにはどうしても勝たねばならぬことなどをよく自覚し、種々のデマに迷わされることなく、各自の持場を厳重に守って各自の務めに励むよう努めましょう。



 油断のならぬスパイの耳

 日本に於いて諸外国のスパイが活動しつつあるのをざっと眺めてみると、昭和12年の支那事変後特に活発になったようであります。彼らは日本が領土的野心なく支那と戦争しているという我が真意の判断に苦しみ、その真相を掴まんものと暗躍しました。と同時に日本の戦争能力を打診して、日本はいつまで戦えるか、日本の経済状態はどうか、日本の資源はどんなものかという方面を調査しにきたのであります。そこへヨーロッパで第二次欧州大戦が始まったので、米英は日本を自分等の陣営に引込もうと宣伝謀略に全力をあげ、ドイツ伊太利に対する非難の声を日本に対しても挙げさせようとはかったのです。然し友邦の真意を信じて疑わぬ我国は、それらの謀略宣伝に迷わされることなく、盟邦の契をいよいよ強固にし、遂に米英に対する腹を決め大東亜戦争を開始するに至ったのであります。大東亜戦勃発前後における敵性国の諜報宣伝謀略は非常に悪辣をきわめ、既に新聞でご存知のようにゾルゲ事件をはじめ幾多の国陰謀団の事件の検挙を見るに到ったのであります。彼等は親日外国人を装ったり、学校の先生宣教師となって現れ、日本人の信用を得て種々の諜報を得たり、謀略宣伝方面に暗躍していたのであります。実に恐ろしいことで戦争前にこれらの怪しいと思われる者は一掃したとは云うものの、まだ国内には毒牙を磨く第五列が残っているのですから、銃後を守る国民は其等第五列の手先に操られずにいて頂きたいのであります。それではこれらの第五列は如何なる方法で情報を入手し、これを本国に伝達するのでありましょうか。

 紙屑情報というのがあります。これは秘密事項に関する古書類や紙屑、青写真等のうち、棄てられたり屑屋に売り渡されたりしたものをスパイが横取りして、各方面の状況から判断を下し一つの情報を組み立てるという方法であります。また持出禁止文書図書を持出して盗難にあうとか、あるいは電車列車内で読んでいるのを盗視(ぬすみみ)されるとかしてスパイの手にその内容が入る場合もあります。

 ですから秘密文書を扱う場合は特に厳重にして、紛失散逸を絶対にせぬよう、あやまっても紙屑屋等には売らず、最も確実に焼きすててしまわなければいけません。


 盗聴情報とも云うべき方法があります。軍需品の生産能力、生産品の資材の種類や数量又は軍が何をどの位注文しているか、また軍需品工場の設備とか技術とかに関し、乗物の中やあるいは集会の席上等で話し合ったり、他人の前で電話を掛けたりするのを盗聴(ぬすみぎぎ)されてしまうのです。然もこんなことは一般人が聞いても解らないだろうというような専門的な話などは、うっかり油断し勝ちなものですが、スパイはどんな片々たる事柄でもこれが情報になることだと気がつけば、どんな些細なことをも聴き逃すようなことは致しません。殊に軍の行動や戦況については一般に発表されている以外は絶対にしゃべらないこと、また動員に関すること。軍輸送に関することなどは一切口にしないで頂きたい。ほんの一部でも知れると、作戦に於いて非常な齟齬を来すばかりでなく、尊い皇軍を失うことにもなる大事に至るのですから、よくよく注意が肝要であります。あの十二月八日以来のハワイ攻撃、又はマレー、フィリッピン等の敵前上陸及び爾後の作戦がうまく行ったのも我軍の軍機が完全に保たれたからでありましょう。



 スパイに踊らされぬ用心

 戦争が長期にわたり、前に述べたように大東亜戦争も非武力戦の時に入って来るので、銃後に於いても愈々敵性第五列の跳梁が激しくなって来るのは当然であります。
 この策動の一つは緊張している銃後の人々の気持ちを遅緩させ、戦争がいやになるように仕向けることです。それには戦争が長びくと物資がなくなり、物の値段はどしどし膨貴し生活ができなくなるというような考えをもたせる方法なども選ばれます。こんなことが買い溜めや売惜しみの原因になり、闇取引の往行となり、はじめは単なる流言蜚語であったものが実際になり、やがてはスパイの思う壺にはまってしまうことになります。

 スパイというと映画に出てくるような怪しい様子をした人物をすぐ想い出しますが、スパイはあんな様子はしていないのです。普通の人と変わらぬ姿で、誰もが信用するような仮面をかぶっています。去る七月十三日発表されたスパイ四外人も神に仕える宣教師だったり、学校で児童を教えている信用ある先生だったり、いつも日本のことをよく正しく海外に伝えている親日外人だったりしているではありませんか、それらの人は直接働かないで、集まってくる信者とか、児童の父兄などを上手に使っていろいろ情報を集めたり、謀略宣伝をしていたのであります。使われている人は、自分が利用されているとは知らず、外国に知られては困るような事までしゃべったりしてしまったのです。もし皆さんがお友達同志で国家に関することや戦争についての話をしていると、それが誰かの耳に入ります。聞いた人はまたそれを誰かに話すでしょう。こうしてだんだんに伝えられて結局はスパイの耳に入らないとも限らないのであります。

 皆さんをスパイだなんていうと叱られるかも知れないが、こう考えてくると、皆さんの中で聴かれてならぬような事を、お友達同志の間でしゃべったとしてもそれは立派なスパイ行為になるのです。

 あるいは皆さんの中で工場に務めている方またはお父さんやお兄さんが工場に通ってをられる方があると思います。君の工場 (又はお父さん、兄さんの務めている工場) へ何々を註文したいという人があるのだが、できるだろうか、できるとしたら何日までにどのくらいできるかしらと訪ねられることがありはしませんか。頼んだ人は本当に註文する気持から聴いたとしても、もしその結果がスパイの耳に入ると、その工場の生産能力を測りいろいろ測定して日本の資材配給関係もわかってしまいます。そしてこれが空襲の目標にもなり、また軍需生産能力が敵国に解り、それを材料にして各種のデマ宣伝が作られ、関係方面へぶちまかれます。こんなことになっては大変ですから、この方面にも十分気をつけて下さい。特に日本人は珍しいもの、新しいことを話したがる、また聴きたがる好奇心をもっています。ですから聴きたいことも話したいこともこの際は耳をおおい、口を抑えて頂きたいと思います。

 いつでも日本は戦争をしているのだということを、しっかり頭に入れていれば、また日本の国民だという自覚をしっかり持っていればそのな馬鹿なことはできない筈です。お互い一人一人が防諜戦士ですから、そのつもりで気をつけて下さい。お願いいたします。 =おわり=
 

 戦前、戦中の新聞雑誌記事にある 「○○部隊は○○方面へ移動」 とか 「○○基地」 という呼称の背景がここにある。現代の我々兵器ファンは全員スパイということである(笑)。


 しかし教育効果というものは恐ろしいもので、さんざん上記の文章では、一般国民の厭戦意識の発生を危惧を表しているにもかかわらず、空襲という 「武力戦」 そのもので圧力を受けてもなお、一般の国民は敗戦の瞬間まで戦争継続の意識を保っていたのである。

 とはいえ、すべての国民が耐え難きを耐えていたかと云えば、何事にも例外はあるわけで、言論が封殺されていれば、うわさ話という形態で不満は表出するものである。戦中のうわさに関しては、講談社学術文庫の 「うわさの遠近法」 (松山 巌) が詳しい。


 「第五列」 とは既に死語となった言葉であるが、「敵の中に紛れ込んで、味方の軍事行動を助ける部隊や人。スパイ。第五部隊。」 (岩波 国語辞典 第三版) 当然これは戦争遂行側の呼称であることは云うまでも無い。実際にはスパイよりも自由主義者、反戦主義者がこういう呼び方で差別弾圧されていたわけである。戦時中に反戦活動を行った人間が全くいなかったわけではなく、それが世間に知られていないだけである。


 ゾルゲ事件はあまりにも有名なので、ここでとやかく云うつもりは無い。ゾルゲに関しては角川文庫だったかと思ったが、本が出ているので興味のある方は探してみて下さい。総督府でも所有しているが、しまい込んでしまったので、タイトルが確認できない状態です。


 「日本人は珍しいもの、新しいことを…」 以下の部分は、日本人の特性を示すとともに、「知らしめず 依らすべし」 という当局者の方針を表している。


 大部分の国民自身は戦争協力を誓っていたわけであるが、一番危惧されていた軍の移動に関する秘密保全に関しては、いささか読み違いがあったようである。以下にその事例をあげる。「戦中用語集」 (三國 一朗 岩波新書) POWの項より


 ミッドウェー急襲は 「大東亜戦第一回の躓き」 で、 「敵に悟られ、先手を打たれて」 の大敗だった、という。まずこの作戦の命令が、呉に集結した艦隊に出され、やがて出港したとき、市民はすでにその事を知っていた。またこの重大な命令は、呉のある料理屋の二階で文書によって発令されたが、その命令書は料理屋の 「女中」 の手から階下の 「下士官」 の手に渡り、そこで謄写版で印刷された、というのである。


 私自身はこれが事実かどうかを検証する手だても気も無いが、「うわさの遠近法」 においても軍およびそれを取り巻く集団の堕落・退廃ぶりが報告されている。一般国民を押さえつける一方で自分達はそこから自由でいる図式は現在でも健在であるように思えてならない…。


 上のイラストは、記事冒頭にあったものである。「本土」 が必要以上(笑)に拡大されているところに注意したいものである。


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