化かされぬよう、ご検討下さい
未来(さき)があるから生きていける。
あしたは少しはマシな自分になっている、幸せな暮らしをしているだろうと思う。少なくとも今より悪くなることは無いだろう、と信じたい。ゴールの先は死、なのに。
漫然と明日の幸せを待つでなく、積極的に打って出る生き方もある。その典型は企業にある。
自社の製品・商品・サービスを市場に提供し、お客様の幸せ−『顧客満足』−を実現して対価を得、上は株主経営者、下はヒラ社員アルバイトにその家族、の生計をなりたたせている組織。そこには会社の経常利益から営業一人あたりの売上ノルマに至る「予算」がある。
あしたの幸せを約束する「予算」と、マーケットからのシビアな評価である「実績」から算出される「見込」に乖離があればあるほど、会社の幸せは遠のく。と云うわけで、どこの会社でも今期今月の見込管理に血眼になり、現場の希望的観測に基づいた報告を鵜呑みにし、強気な数字を組立てて、後で泣きを見るところも出て来ることになる。もっとも、月々の給与さえ受けとってあれば、生計は成り立ってしまうから、従業員個人がそれを意識することは少ない(逆に会社が大儲けしても、従業員への還元が大きくなるわけでもない)。
個人の幸せとは何かを決めるのは難しいが、「生きている」と云う大前提の上に、「自由である」ことが重なっているのは確かなところだろう。それを担保するのは、云うまでもなく「お金」である。
人は働いてお金を稼ぐ。稼ぎが少なくてやってられないと思えば、使うお金を切り詰めるか、稼ぎの良い仕事に替える・仕事を増やすかして、入るお金を増やす道を選ぶ。そして副業・内職を考えることになる。
古書市でこんな紙切れを買ってきた。 副業の王座をしむる 養狸業
非常時下に適応する副業は
種タヌキ買入は
生産大の当組合へ
タヌキの養殖である。「とらぬ狸の皮算用」と云うが、自分のところで育てるのである。これなら堅実な「皮算用」が出来る。「非常時下」とあるから、昭和10年前後くらいのものか。
チラシはさらに云う
女子供にも楽々出来る
簡単にして確実なる副業
野菜屑と魚骨と残飯で 楽々飼える 狸さん
安い狸は 失敗の素
誰にでも簡単にできてコストもかからないとは夢のような話である。「狸さん」と昔話のキャラクターを想起させる表記を入れ、親しみやすさのダメ押しをするところも気が利いている。
簡単確実を謳いながら、「安い狸は失敗の素」と、最後に怖いことが書いてある。失敗するんじゃないか! 広告は云う
種狸は
関東 関西産よりも寒地の東北産が良い
良い狸は
成功の素
タヌキなど、日本全国みな同じかと思っていたら違うのである。なるほど寒い地方産の方が毛も長いだろうから、高く売れるのかも知れぬが、暑い地方で寒地産の生き物を買うのは、エアコンの無い戦前ではどうなのか? それはさておき、関東・関西でも狸養殖をやっていた事を伺わせる記述だ。
石川駅よりバスの便あり約三十分
宮本/竹貫 養狸組合
福島県東白川郡宮本村
組合員二百名を擁し生産仔狸七百頭の見込
組合員一人当たりに直すと、三・五頭だから、一家に一つがい程度のもの。
この資料と一緒に出ていた紙切れも、紹介する(ここで使わないと機会が無い)
種狸分譲申込書
一、種狸 番(つがい)
希望事項
イ、品種
ロ、産地
ハ、色澤
ニ、分譲予定期日
ホ、其他
右ノ通分譲相受度候ニ付申込金相添比段申込候也
冒頭のチラシとは違う発行元なのが惜しいが、タヌキさんの分譲申し込み書である。「種狸」なので、『つがい』単位での申し込みになる。
裏面は分譲規定が記載されている。 種狸分譲規定
一、種狸分譲希望者は親仔の別及頭数牝、牡別を明記し申込下さい、品種、産地、色澤其の他に就き希望条件あらば併せて明記さるること
ニ、分譲は必ず代金引換のこと、希望者多きときは代金到着の順に依ること
三、予約申込は申込金を申受くること、申込金は代金に加算します
四、血統証御希望の方には福島県養狸組合連合会及本組合発行の血統証を差上ます但し実費を請求いたします(約二円位)
五、運賃、荷造費は実費を請求いたします
六、分譲期日は予定の日を御約束いたします其の間に死亡其の他の事故の為分譲不可能となりたる場合は申込金は御返しいたします、其れか為申込人において於て損害を蒙ることありとも其の責に任しません
七、飼育舎の建築や飼育生産等のことは初心者に対し出来得る限り御指導いたします
昭和十一年六月
会津狸副業組合(事務所 会津若松市栄町四一〇番地)
「代金到着の順」に分譲する、と書いておけば急いで送金してくるはずだと云う腹づもりが見えて面白く、引渡し予定日に狸が用意できなければ、返金しますと明記して安心させつつも、損害の責は負わないと予防線を張るのもうまい。
「初心者に対し出来得る限り御指導」とは心強いが、どこまで助けてくれるのか、アテにしない方が良さそうだ。
申し込み書には「番」と印刷してあるのに、頭数・オスメス区別を明記せよと云っている、大丈夫かね。
都市在住のサラリーマンである自分から見れば、ずいぶんいかがわしい商売だな、と思ってしまうのであるが、需要がなければこんな商売も成り立たないわけで、当時は、「狸御殿」が建つまではいかなくても、副業としてはやっていけたのだろう。
などと思っていると、「おかやま畜産ひろば」の中に掲載されている、『岡山県畜産史』にこんな記事があった。
欧米のゼントルマンに毛皮熱の高まったのにヒントを得て,和歌山県,岡山県浅口郡等にタヌキの人工養殖を試みる者が続出,上房郡中津井村(現北房町)に伝来したのが昭和6年(1931)のころであった。いわゆる「とらぬ狸の皮算用」で,鼡算式にふえる種狸を高価に売れる計算をたてた。昭和9年(1934)秋,岡山県の副業係でも大いに力を入れ,農林省から担当技師も派遣され,全国第1号の「養狸組合」がこの村に誕生した。同10年(1935)ごろ,同村に狸を飼う家が100戸を超えていた。日華事変の勅発により,輸出は止まり,金網等の資材は入手難となり,1番600円もしたものが,僅か5円,終にはタダでも引き取られなくなって,「狸にばかされた話」は結末を告げた。(元記事)
記事記載の「つがい600円」が、昭和の何年頃の話かはわからないが、戦前の勤め人の給与の目安百円/月と比べれば、「種狸」販売は、案外有望そうにも見えてくる。戦前ならば、クレームの電話も多くないだろう(笑)。
『非常時下に適する副業』が、その非常時の深刻化で立ち行かなくなるのは、昭和10年頃の『非常時局』認識の程度が口ばかりであった事を証明しているのに等しい。岡山の養狸組合の歩んだ先がこれならば、福島の組合も似たようなものだろう。
化かすのは狸ならぬ国家であり、それを動かす官僚、それを煽るマスメディアと、それに乗ずる民衆−あしたの幸せを求める人々自身なのである。