読者はこう見た

「1940年型軍用機」に対する読者の意見@


 欧州に戦乱の風吹き荒れ、支那大陸では依然死闘が続く1940年。「空」2月号に掲載された「1940年型軍用機の検討」なる記事は、明日の航空界を背負いてたたんとする幾多もの若者(と元若者)の心を揺さぶった。今回は、「兵器生活」くらいしかやらない大馬鹿企画として、「空」誌サロンに於ける1940型軍用機に対する読者の意見を採録する。

 尚、原文を現代仮名遣いに変更するとともに、適時改行を加えてある事をお断りする。


まずはS.T.N氏の宿題(「1940年型軍用機の検討」本文はこちら)に真面目に回答したものから…。(2月号)

 S氏の(A)(B)(C)の優劣論につき

 (性能)
 (A)抵抗=やや大。 航続=長。
 (B)抵抗=  小。 航続=中。
 (C)抵抗=  小。 航続=小。
 (A)上昇= 最速。 速度=やや劣。
 (B)上昇= 中速。 速度=大。
 (C)上昇= 小速。 速度=やや大。

 (武装)
 (A)前=やや良。後=やや良。下=やや不良。
 (B)前= 最良。後= 不良。下= 不良。
 (C)前=  良。後= 不良。下= 不良。

 性能のみ言えば(B)型良きも、単発単戦に囲まれたる場合猪武者たる為だめ。然れその二、三年後はこの型式全盛とならん。(以下「夢」の批評のため略)
(愛知・半田・青空第二世)
 新年号から大ヒット。店頭で二度目をこすって見たがやはり「空」誌だ。日本一の航空雑誌と言っても過言ではない。

 ”1940年型軍用機の検討”の宿題に早速手をつけた。先ず戦闘に直接関係するものを下記の七つにわけて、それに就いて(A)B.F.W.−110、(B)ロッキードP−38、(C)フォッカーD−23、(D)スピットフアイア・スーパーマリンをそれぞれあてはめた。一番すぐれているのを四点とし以下一点ずつ下げて採点した。

 速度      A2、B3、C2、D4
 飛行中の運動性 A1、B3、C2、D4
 航続距離    A4、B3、C1、D2
 操縦士の視界  A4、B1、C3、D2
 武装能力    A4、B2、C3、D1
 武装の死角   A4、B3、C3、D3
 用途の融通性  A4、B3、C3、D3
 合計      A22、B18、C17、D19

 最高点がメッサーシュミット次がスピットファイアである。
 結局両翼に発動機を備えた単胴双発型の将来は統一されるのではなかろうか。次に単発単座となっているのは興味をひくものである。ロッキードの型もフォッカーの型も根源は単発単座から出ているのがわかる。僕の表の上での結論はこうなったのです。
 しかしこれが本当であるとすると、僕は新年号のサロンで夢の(183)の批評に書いた戦闘機は戦闘機、爆撃機は爆撃機の独立論が成り立たないわけである。
 しかし空中戦そのものには速力の大事なことは言う迄もないが、可動性の重要なことは蓋し言を待たない。その点を考慮したのが、複葉の単座戦の出現にあらわれるのである。陸海軍の複葉式戦闘機がその例である。
 ヘリゴラント沖のメッサーシュミットMe109とウェリントン爆との空中戦に於いて、独側の隊長シュマツヘル中佐がこちらがあまり速度が速すぎて、しばしば攻撃に失敗したと言っている。E−17の恐れるに足らぬのは、可動性が鈍いからである。ホロンバイル上空の大空中戦は何を物語るか。

 僕は単発単座戦に未練が有るのではない。だが僕は何だかわからなくなった。諸君の意見を乞う。(以下「夢」の感想のため略)
(上諏訪 霧ヶ峰生)
E−17については不明。ノモンハンでのソ連戦闘機の事を指しているのであるが、一撃離脱型のI−16か、巴戦指向のI−15系を指すのか判断しかねる。霧ヶ峰氏の意見としては、格闘戦至上主義の域にとどまっており、世間の云う双発戦闘機万能論に対してのとまどいがストレートに出ていて面白い。

 青空第二世氏は、P−38を一撃離脱型高速戦闘機として高く評価しているが、単発戦闘機に格闘戦を挑まれたら手も足も出ない、と厳しい。しかし双発戦闘機の中で優劣をつけろ、と云うのが宿題であるから、仕方の無い事ではある。双発戦闘機自身に対する信用は低いものと思われる。

 さて、このまま議論が盛り上がるのかと思いきや、実は上記の意見のみで、話題はまったく盛り上がっていない(笑)のである。やはり「双発戦闘機ありき」と云う前提自体に抵抗があったようで、以下からの意見では、もう少し視野を広げての問題提起となっている。
将来の戦闘機型式に就いての私見

 本誌一月号に”1940年度型軍用機の検討”と題してS.T.N氏が将来の戦闘機型式に就いての優劣論を課題として出されてあったが、次号を見ると僅かに”霧ヶ峰”氏と”青空第二世”氏しか応答して居らず、航空ファンの我々が此の問題を軽視しているが如くにも推察される。
 成程将来を予想すると云う事は確かに難しいものであるが、現在の航空科学に甘んじて居るのは如何かと思われるので、遅蒔き乍ら愚見を述べて諸兄の批判を望む。

 さて優劣論の部分的な比較検討は両氏の意見と自分のとが大同小異なので重複するのを避けて総合的な予想を述べたいと思う。”双発か単発か”の是非論の実際的からの批判はS.T.N氏が述べてあるので技術的見地から見、この優劣論を先に述べる事にする。

 過去に於ける戦闘機はこれと云った確たる原因もなく曖昧なる理由の下に単発単座に限られていた。スピードの遅かった点、軽快性を重要視した点等によって、略々現在に至るまでは充分それで満足していた訳であるが、航空機全般の高速度化と共に単発単座としてこの前途は既に行くところまで行ったと云う感じが考察的にも技術的にも認められるようになり、半ば盲目的な片寄った考え方が益々増大する速度と武装に刺激されて、双発三座の出現となり、双発単座となって、次第に双発を重要視し始めた事は、単発単座としてこの将来を認知し予想する事が可能となった事を物語っているのではないだろうか。
 戦闘機が双発であって不可んという理由はない筈である。

 単発機に高出力発動機を据え付ける事は稍々大型の双発機に2個の発動機を据え付けられる事を考えれば効果あるものという事は出来ない。即ち双発機の全抵抗は単発機に比較して、そう大きくないにも拘わらず前者の動力は2倍である。

 以上の一技術的問題と共に実際的問題(これに就いてはS.T.N氏が述べられている)に就いても双発が絶対的将来の戦闘機型式であると信ずる(但し単発単座が絶滅するという意味ではない)。

 双発が絶対的優秀とすれば単、複、三座の何れが良いかと云う問題と、如何に動力を配置すれば良いかと云う問題であるが、現在より5年後に至るまでの型式に就いての自分の予想では、単座式は双発戦全体の約1/3程度であろうと思う。複座三座は技術的にも実際的にも、それ程重要な問題ではない故、数的には現せないが、複座が主用される事と思う。

 発動機配置としては串型配置式に比して両翼配置が絶対的多数であると思う。牽引式となすべきか、推進式となすべきかの問題は、或る特殊なる理由を目的とする一部のものを除いては牽引式であると思う。

 さて最後の問題として単胴か、双胴かであるが、単胴のものが2/3以上を占める事と思う。
 結論としては双発単胴複座(或は3座で)現在存在するもので代表すればメッサー・シュミットMe110の如きものが絶対的多数を以て将来の戦闘機型式を代表する事と予想する。然し他の型式のものも存在する事は勿論である。

 以上が自分の予想した将来の戦闘機の型式論である。但し此の予想は略々今後5年居以内のものであって5年以後含めた予想でない事を一言する。
 何故なら、事、航空科学に於いての5年は世俗的の幾世紀かに相当し、それ以後は自分の考えとしては現実的可能性を飛び越えた、空想圏内のものであるからである。
(空の騎兵)
 空の騎兵氏は、双発戦闘機論者である。運動性云々の意見は既に無く、速度の増大と武装の強化が必要である以上、双発しかあり得ないと云う考えである。

 空の騎兵氏の意見に異議申し立てが出た(笑)。
 6月号のサロンの中に、空の騎兵君は、将来の戦闘機型式に就いての所見の結論に、双発複座を以て戦闘機の代表としているが、僕は単発単座型も見捨てる事が出来ないと思う。

 先ずその性能を検討するに、1月号のS.T.N氏の表では、利点、単発1、双発7、で双発が断然単発を圧倒しているが、表中の離着陸の危険率…多…は効率良きフラップ及び三車輪の活用で、操縦士の視界…狭…これは設計の改良にて、又死角…広…これは持ち前の運動性により改善する事が出来るから、利点はもっと多くなる。又それに加えて生産能力の大、製作費用の経済、操縦の容易等は双発型式の遠く及ばぬ所である。従って多数整備可能となる。
 
 現在速度世界記録保持機は単発単座Me−109Rである事によっても、速度の点で必ずしも双発に劣ると言う事はないであろう。しかし双発の利点多き事も又確かである。現在単発単座は種々あるが、中でもベルエアーコブラは最も理想的なものと思っている。
 最後に東日の快挙マイゼによる日本一周曳航飛行の無事成功を祝して筆をおく。(スペシアル・コンドル)
 単発の欠点は充分改修可能であるし、それ以上に生産性の高さを無視する事は出来ない、と云うまっとうな意見である。ベル・エアコブラが「最も理想的」なものかは別な話であるが…。
 「空の騎兵」氏の「将来の戦闘機型式に就いての私見」を拝読したが、氏の言われるなかに「過去に於ける戦闘機は、これと云った確なる原因もなく曖昧なる理由の下に単発単座に限られていた」とあるが、科学の最高峰たる航空機の権威者達がそれ程空虚を掴む様な着想で、現在に至る三十幾歳の間無関心でいたであろうか。−そんな筈は断じてないと確言する。そこには何かしら根底があるに違いない。

 又結論として将来の戦機は双発単胴複座とあるが私はこれにも一矢報いたい。
 私は将来とも単発単胴単座を推薦し、過去・現在・未来と一直線に結んで永遠に変化しないものと考える。所以は、単戦は双戦より優に敏捷さを保持しているのみによる。

 戦闘機は敵を攻撃するに非ずして邀撃するもの也。

 単戦は邀撃を主眼とするが、双戦は馬力の増大に相まって、武装と速度にものをいわせ、むしろ攻撃性を念頭においているのではなかろうか?ここに双戦は真の戦闘機より度外視され、名称は攻撃機?の類に属されるべきと思われる。待つ、諸賢の駁論を。
(以下、甲子園にて行われた「制空展」の感想になるので略)
 (大阪の巨弾)
 大阪の巨弾(スゴイペンネームだね)氏は、ついに言葉遣いにまでクレームを付けた!氏の主張は、戦闘機=運動性とシンプルである。

将来の戦闘機型式論

 サロンにて将来の戦闘機論について相当議論が出ている様であるが、小生は、単発単座、双発複座の二型式が将来とも両々相待って進歩していくのではないかと考える。

 現在その適例としてドイツに於けるMe−109とMe−110とを見よう。
 両者とも互いに相容れざる特徴を持っている。即ち単発単座は近距離戦闘に適する。一例を言えば国境地帯にて敵戦闘機を邀撃(むかえうつ)する場合、比較的航続距離の小なる場合である。一方双発複座は比較的遠距離まで飛んで行き主として敵爆撃機を目標とする。勿論単発単座が爆撃機を目標としないと言うのではなく、此処ではその航続距離の大小について言う訳である。此処で7月号サロンに於ける大阪の巨弾君の一言「戦闘機は敵を攻撃するに非ずして邀撃するもの也」については少し?が生じて来る訳。

 該説は単発単座に限って通用する様になって来る。攻撃と邀撃とは如何に違うかが問題だが、本論にては一般の戦闘が防空戦闘かの二つに区別して得る可能性がある。
 防空戦闘とは言うまでもなく近距離、短時間戦闘で、これに使用する戦闘機は勢い上昇力の大きな軽快なMe−109や、カーチスライトCw−21等が有利な事は必然的な事柄である。双発複座となればこの上昇力の問題は単発の場合より自然劣るのが当然である。よってその目的とする処は、その航続距離と強力な武装とによって空襲途上にある敵爆撃機に一泡吹かせたり、又地上の敵に対して地上掃射等を行うにある。

 航続時間が比較的長いので操縦者の補佐役として電信員兼後方射手が一名乗り込んで所謂複戦となる訳である。

 次に操縦性については単発の場合の方が必ず双発よりよいとは限らない、双発式でもその設計によって幾らでも単発以上の操縦性を発揮し得るのである。

 今回の欧州戦で例のウェリントンがMe−109、110の一群にやられた時に、Me−109、110共に操縦性は変わらないが、かえってMe−109が燃料が足りなくなり、そのまま基地に引き返して燃料を補給してから又戦場に還り味方を相当手こずらせたそうである。然も武装はMe−110の方が優秀で、共にウェリントンのエンジンを発火せしめて居り、あの北海上空での戦闘は双発複座のMe−110に好都合なものであったらしい。

 次に巨弾君は双戦は攻撃機の類にだと言われたが、攻撃機とは主として爆撃操作を行う機に附する名称であって、銃砲のみを武器とする戦闘機にあってその名称を附することは少々矛盾する様に思われる。尚、双発単戦、双発三座以上の多座戦についても何れの機会かに愚見を発表したいと思う。
(白雲観居人)
 極論の後に「まあまあ…」と折衷案が出てくるのは世の常であるが、白雲観居人氏の意見はまさにそれ。ここで長距離侵攻型と短距離防空型と云う観点がようやく出てくる。しかし、氏の意見はむしろ双発擁護に類する性格のものである。また、双発戦闘機を防空に使うならば、対爆撃機戦闘に当てるべしと云う後の歴史通りの意見を出している事に注目したい。

 今までの議論の中では、誰も長距離飛行可能な単発戦闘機の具現化を想像していない事に注目すべきである。日本海軍が当時としては無謀とも云える戦闘機(零戦)を正式採用している事を、航空雑誌の読者ですら知る事はなかったのである。

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