BLUE THUNDER 1944

いかに説得力のある嘘をつくか


 想像上の事物に、リアリティをどう与えるか、と云う事は大きな課題である。<ことば>を連ねるのか、視覚に訴えるのか等々、事物の考案者は智慧を絞らざるを得ない。

 戦時中にアマチュアによって考案された新兵器は数々あれど、説得力の強さで云えば、国防科学雑誌「機械化」に登場する<未来兵器>シリーズを超えるモノを不幸にして私は見た事が無い。
 平易な文章と、どこかに在りそうなカタチ、そしてモノの特質を一瞬にして理解させる図版は、あきらかに後の<大図解もの>に多大なる影響を与えていると云える。

 今回は「機械化」昭和19年11月号の「空中戦車」を読者諸氏にご紹介する次第である。

 未来兵器 空中戦車

 三村 武 案・画

 戦車は飛行するか?無論現在のままでは飛行する事などは到底考えられないが、型を変えてこのような特殊航空機となって出現するのではあるまいか、この空中戦車は即ちオートジャイロと特殊低速飛行機の機能を合せ大馬力を付与し、装甲武装を強化せしめたものである。
 図に示すようにいろいろな特殊な戦闘方法を見てもこの式の持つ独自な能力が判ろうし、上につけた回転翼車の為に真上降下は自由自在で水平飛行になれば低翼の翼面を増大、揚力を増加せしめ(この場合は普通の戦闘機同様二十平方米の翼面を持つ事が出来る)後方の発動機を動かし、前方のものと合せて千馬力の出力となり、重装甲五瓲の機体をして四百キロの速力を出す。
 現在の敵米ピットカーンのオードジャイロの如きは最大速度一九二粁しか出ないのと比べれば如何に高速であるかが判ろうし、又最低速度は三二粁位にまで落とす事が出来一点に停止する事も出来る。
 図は敵航空要塞の崖下に在る爆撃機に対し、格納庫を襲撃しているところで、右図最下の123はその自由な攻撃点を示す。
 まずは全体の構造を紹介している図を見てみよう。

 ポイントは何と云っても<無限軌道式脚>である。米国でも試験をされたが、使い物にならなかった機構として知られている。考えてみれば、垂直上昇が出来るのであるから、脚は橇でも充分ではないだろうか(とり回しを考えると車輪の方がつぶしが効きそうだ)。

 スペックとしては、二十粍防弾版、防弾装甲隙間翼、フルフェザリング四翅鋼製ペラ、防弾ガラスと云うソ連地上襲撃機も顔負けの防弾措置がまず目に付く。
 武装は四十粍機関砲とロケット砲、胴体側面の旋回機銃塔、爆弾庫まである。光像式標準器(ママ)装備と云うのがマニアックである。
 乗員は2名のようである。


 右にある図は、対戦車攻撃の方法を図示したもので、「急降下爆撃よりも何度も攻撃出来る」とある。下で爆発している戦車のカタチが、どう見てもM4シャーマンにしか見えないところが何とも時局である。

 上より
 快速飛行
 回転翼車を折畳んで飛行する
 フラップで翼面を増加する
 装甲版(黒い部分)
 下方20粍周囲12粍の装甲


 対地戦
 歩兵部隊への肉薄攻撃


 空中戦
 後方に付かれても、真下への降下で敵をかわし、敵機後方に占位出来る事を図示している

 敵高射砲自走砲に対する攻撃
 敵高射砲自走砲の砲の向かぬ死角から攻撃し直上する

 機体のどこにも日の丸が無い(国籍マークが三角なのもミソだ)にもかかわらず、敵車輌に「U.S.A.」と描かれているのも、また時局である。

 当時の愛国少年はもとより、現代の非国民中年(つまり私だ)も歓喜する、敵航空要塞撃滅の図!「義烈空挺隊」のヒントになったかどうかは、当然定かでは無い。敵機がどう見てもB−29なのも時局である。
 完全にアクション映画の世界である。

 図左中央の文字は「金網式滑走路」である。米軍得意の穴あき鉄板滑走路の事で、当時の科学雑誌などで米軍の飛行場設営能力の高いことは、すでに紹介されている。
 例えば「学生の科学」(誠文堂新光社)昭和18年12月号では、「携帯式飛行場の登場」と云う記事で、米軍の速成飛行場について

 米軍は勇猛な日本航空部隊の目をかすめる飛行場を迅速に建設するためには如何なる物資も惜しまず、日夜研究を重ねているので最近のものは非常な特異性を発揮しているのです。
 従来われわれは飛行場といえば広い広い運動場や付近の大きな格納庫を連想し、それは数百人の人々の労力を数ヶ月も労費して、ようやく完成するものだと思い込んでいますが、これが殆ど道路と同じ滑走路一本だったり数十時間で飛行場ができ上がり、しかもこれが携帯して何処へでも持って行けるといったら、それこそ目を丸くして驚く諸君があるでしょう。


 と述べてから、「急速乾燥セメントを利用して一昼夜に幅四十メートル、長さ九百メートルの滑走路が完成される」、「組立式の鋼鉄製着陸マットが出現」、「百五十人一組が三組あって、これが八時間交替で作業すれば六十時間で完成」と海外からの記事に基づく解説をしている。
 面白いのは、それをうけて我々(当時の日本人)がどう対抗すべきかについて、

 われらは東條閣下の奮起をうながされた言葉にも従って、飛行場の不用な飛行機を作ること、それは、オートジャイロの発達でありヘリコプターの実用化に挺身せねばなりません。

 と、微妙にベクトルのずれた発言に向かってしまうのである。この「空中戦車」は、三村武(小松崎茂の別名)なりの回答でもある。

 記事では「オートジャイロ」となっているが、読者諸氏は、この発想が現代の「攻撃用ヘリコプター」そのものである事にお気づきである事と思う。攻撃ヘリは、世が世であれば、20年近く早く登場していたかもしれなかったのだ…。観測用途に用いられている、オートジャイロを攻撃兵器に仕立て上げる発想は見事である。「たかだか千馬力で、重装甲の機体を時速400キロで飛ばせるのか?」などと云う愛の無いツッコミは無用である。

 「ピットカーン」は、今日では「ピトケアン」と表記される(プラモデルも出ています)。同時代の米国ケレット社のオートジャイロは日本でも使用され、萱場製作所にて国産化、「カ号観測機」として実用化されて砲兵向けの観測、対潜哨戒に使用された(これもプラモデルが出ています)。

後席が前向きだったら更に凄いのだが…