『悪役零號』

その名は「無敵移動トーチカ」


 近頃の株価並に価値が下落した兵器と云えば、何をおいても「要塞」である。

 映画やゲームなどフィクションの世界では、依然として存在感を出してはいるが、主人公(プレイヤー)が、そこを通らねばならず、また、そこが山場として期待される空想世界と、「無視する」選択肢まである現実世界とは事情が異なる。しかも、フィクションでは常に「要塞」側が圧倒的火力を誇示しているが、核兵器のある今日では、攻める側の方が、より以上の火力を用意して来るものと認識しておくべきだろう。そして、あえて云うまでもないが、空想世界における「敵の要塞」は、主人公の実力で必ず打ち破られることになっている。身も蓋もない云い方をすれば「要塞を持つと負け」である。

 父祖から受け継がれた日露戦争の記憶のせいか、「要塞」は攻めて陥すモノだと思っている。帝国日本にも、立派な「要塞」がかつてあったと本で読み(『民主日本』のどこかに人知れずあるのかもしれないが)、「城」も立派な「要塞」だ、と理屈の上ではわかっているのだが、とにかく縁がないのだから仕方がない。城下町に暮らしている人や、第二次大戦直前のフランス人は、まったく違う考え方を持つのだろう。

 とは云うものの、これが「ひみつ基地」と云う言葉になると、断固「守るモノ」と思ってしまうのだから、「朝三暮四」のサルを笑うことが出来ない。

 本山の「要塞」がかくの如き有様であるから、その眷属に等しい「トーチカ」の凋落はさらに甚だしい。もちろん、主人公さえ近寄らなければ、悪鬼のような活躍を見せてくれるのであるから、現実的な価値はある。しかし21世紀の今、「これからはトーチカっすよ♪」なんて事は、うっかり口走るものではない。
 現在から見た「トーチカ」は、路傍の石仏のように「そこにある」ものだが、その「前世紀」前半にあっては、第一次世界大戦の陣地戦の記憶が刻みつけられていた分、通俗軍事文化の中では、航空機や軍艦同様、一つのジャンルとして期待を託されてもいた。それが「動く」だけで、「夢の新兵器」の一つに数えられたのである。そのいくつかは「兵器生活」の中でも紹介しているし、ネタが集まればさらに紹介していくことになろう。

 「動くトーチカ」、最も単純な「地上を自由意思で移動するトーチカ」とは、「戦車」のことではないのか? と現代人である我々は思うが、両者の溝は案外と深い。今回紹介する「無敵移動トーチカ」は、その良い例となるだろう。出典は「子供の科学」昭和15年1月号である。

 近代科学の粋を集めた
 無敵移動トーチカ

 二十年前、独・仏国境を中心としてまき起こされた第一次世界大戦は、二十二年後の今日、再び、同じ場所で、同じ国々の間で、同じような第二次の大戦が、惹き起こされることとなった。
 しかし、兵器は進歩してやまない。小銃の代りに機関銃・歩兵砲が出現し、騎兵の代りに戦車が使用されるようになって来た。また一方、速射砲・対戦車砲などの出現、飛行機の発達、高射砲・毒瓦斯・火焔放射機などの進歩が著しい。
 近代科学の粋をあつめたフランスのマジノ要塞に対して、ドイツはジークフリート要塞を構築した。攻むるに難く守るに易いこの大要塞は、果たして破れるであろうか。それを破る国はドイツか、フランスか? 今次大戦の勝負を決するものは、これら要塞の攻防戦であろう。

 しかし諸君、この大要塞も正に過去の遺物たらんとしている。即ち、「移動トーチカ」の出現である。大戦車の出現である。
 移動トーチカは出力五〇、〇〇〇馬力の移動大発電所である。すべての操作は皆電気仕掛である。移動トーチカ一度動けば多数の小型戦車を引きつれて、これを無線操縦して戦闘に従い、戦線が膠着すれば、地下にもぐってトーチカと化して敵兵をなやます。

 本文に「大戦車の出現である」と書いてありながら、「無敵巨大戦車」ではなく、あえて「無敵移動トーチカ」と名付けてあるところに「トーチカ信仰」の根強さが見てとれる。当時の通俗軍事文化の文脈では、「要塞」>「トーチカ」>「戦車」の序列があったと見て良い。
 それが覆るのが、第二次大戦での、フランス=マジノ線の敗北、ドイツ電撃戦=戦車の勝利であった。
 
 画を見ていこう。「地を這う大福餅」のようであるが、強そうだ。カッコ良い。
 「出力5万馬力」の武装移動発電所で、「すべての操作は電気仕掛」とくれば、ポルシェ博士の戦車の親戚になる。電気砲だ怪力線(『殺人光線』)だとコケ威しに走らないところに好感が持てるが、どちらもそれ一つで口絵一枚分のネタなので、あえてそう云う装備は載せなかったのかもしれない。

 側面から見た内部構造図である。
 上から「測遠器」「前燈」「高射機銃」「高射砲」「乗員休息室」「後方機銃」「酸素タンク」「粉炭庫」とあり、地面のところは左から「誘導鎖」「動輪」「掘鑿履帯」の説明書きである。
 「移動要塞」と呼ぶ方がふさわしい。

 上から見たところ。戦線膠着時には、中心線下の「掘鑿履帯」を使い、地面を掘り下げ「トーチカ」として居座るのだが、こんなゴツイ兵器を投入して戦線が膠着するのは問題ではなかろうか。 「無敵」の名は飾りか?
 「A」「B」の弧は、履帯がこの方向に廻ることを示している(活躍想像図も、良く見ればそう描いてある)。
 「酸素タンク」は、毒ガス対処のためか?

 地面を掘り下げるための履帯。爪を立てれば土を掘り、「倒せば普通の履帯と同じ」なのだが、車体の中心に一揃いだけで、「トーチカ」全体が納まる穴を掘れるのか疑問なところだ。

 司令塔部分。
 これだけ高さがあって「潜望鏡」と書いてあるとヘンな感じがしてしまうが、「窓」が無いのだから仕方ない(しかし一本で足りるのだろうか?)。
 「位置測定用ループアンテナ」「テレビ其の他短波アンテナ」「無線アンテナ」に、「測高器」「測遠器」まで装備されている。窓が無いのは、テレビカメラがあちこちに隠れているからなのだろう。小型戦車の誘導もTVカメラ経由で行うわけだ。
 あとはレーダーが欲しいところだが、昭和15年(実際に描かれたのは14年末)の子供雑誌の兵器図解に、「電波探知機」が描かれているくらいであれば、日本は戦争に勝っていた! かもしれない。

 車体後方部分。
 「各室自動安全装置」とあるのは、消火装置のこと。「消火液タンク」も描かれている。青黒いものは、発電燃料の「粉炭庫」。「液体火薬」とのハイブリッド発電を実現しているのだが、そこまで石油を使いたくない事情があるのか、とも思う。
 地面を掘り下げる履帯のところに「泥よけ」があるのは立派であるが、もっと下まで覆うようにしないと、後ろにいる車輌・兵士はみんな生き埋めになってしまう。
 「出入口」が本体上面に描かれているが、そこまで上がるハシゴが見えない。

 この「無敵移動トーチカ」の装備を、図からまとめて見ると、
 速射砲2門、火焔放射器2挺(ともに正面)、対空速射砲4門(連装砲塔2)、高射機銃6挺(3連装砲塔2)、後方機銃1が装備されている。仮に「対空速射砲」の口径を40ミリとすると、主砲(速射砲)は画から75ミリから百ミリ程度と推測できる。現在の規準で見れば、「無敵」を自称するには強気にすぎるが、当時の列強主力戦車のレベルを思えば立派なものと云える。

 問題は「トーチカ」を名乗るに足る、防御力である。
 第二次大戦前に、各国で「移動トーチカ」=「多砲塔戦車」の試作が流行ったことは、戦車ファン周知のところだ。しかし、成功作と呼べるものが一つもなかったのは、図体が大きくなり機動力が低くなる一方で、普通の戦車と同等程度の防護力しか与えられなかったことにある。大きさくて目立ち(たいていの戦車には、土に潜るような便利なカラクリは無い)、動きがのろく、普通の戦車並のうたれ強さであれば、むしろ普通の戦車の2、3もあった方が、よっぽど使い道がある。

 「移動トーチカ」の発電器出力5万馬力とは、どの程度のものなのか? 「鉄腕アトム」の10万馬力はさておき、第二次大戦中の、日本戦闘機が喉から手が出るくらいに欲しかった「大馬力発動機」が2千馬力クラスで、九七式中戦車は170馬力、大和・武蔵の大戦艦は15万馬力、日本海海戦の三笠は1万5千馬力、戦艦長門の新造時は8万馬力である。ちなみに本稿タイトルの元ネタ、宮崎駿の「悪役一号」は、千馬力が二つである。
 戦艦は、自分の主砲に撃たれても耐えられる、とどこかで読んだ記憶がある。それを信じれば、「5万馬力」もあれば結構な防御力が期待できそうだ。本当に5万馬力の発電器が、それを一定期間動かすに足りる燃料もあわせて中に収まるのかは、ちょっとわからない。今なら原子力で動かすところだ(『原子力』にすれば何とかなる、と思ってしまう思考回路も、『前世紀の遺物』だ)。

 「移動トーチカ」と名乗るからには、機動力についても検討しなければならないわけだが、発電出力「5万馬力」もあったら、自転車並の移動速度くらいは出来そうな気がしてしまい、これだけのモノが敵陣ににじり寄るだけで充分じゃあないか、と思ってしまうのだ(高射機関砲もついていることだし)。もっとも、「電気仕掛」を本当にやろうとした、ポルシェ博士の戦車が使い物にならなかった事を思うと、主筆の立場として、そうはしゃいでもいられない。
 むしろ問題にすべきは、求められている場所に駆けつけることが出来るのか? と云うところだろう。


山手通りを南下する移動トーチカ

 と、云うわけで総督府の近所に置いてみた。幹線道路を三車線つぶして進むのである。一戸建て住宅の二つ三つは平気で踏みつぶしていき、ビルディングは大砲で粉砕、瓦礫にしてのし上げて行くのだろうが、これが敵の都市に入り込む時には、すでに戦争は終わっていると思う。「移動」が見せ場になる兵器を「兵器」とは呼べない。

 「戦艦」には「戦艦」、「戦車」には「戦車」、「戦闘機」には「戦闘機」と云う考え方でいけば、「要塞」には「要塞」をぶつける発想になるのはやむを得ないところだ。しかし、「戦艦」「戦車」には、「爆撃機・攻撃機」をぶつける方法があり、「戦闘機」も飛び立つ前であれば爆撃して片付けてしまうことが出来る。自力で「要塞」に向かっていく「移動トーチカ」は、考え方シンプルにして壮烈な兵器ではあるが、作る手間、運ぶ苦労を考えると、最良の対抗手段であるとは云えない。

 「要塞」の価値が下落してしまうと「要塞のようなもの」も同様に顧みられなくなる、と云うことか。