新案兵器「巨大自走砲」
国防科学雑誌『機械化』昭和19年1月号掲載の「新案兵器」は、表紙に刷られた「新鋭兵器特輯」にふさわしい「巨大自走砲」である。描くのは、僕らの小松崎 茂先生(説明図は白石 明)だ。
新案兵器
巨大自走砲
今次大戦就中 独ソ両軍間において戦車は特に著しい発達を遂げ、その備砲および防禦装甲は飛躍的に増大し、独逸においては虎戦車の如き 百ミリ備砲および防禦装甲百ミリを備えるようなものが出来た。これに対し、ソ連米英もまた戦車に大口径の大砲を備えるに至った。なおこれによって、各々の対戦車砲がまた非常な進歩発達を促されたことはもちろんである。
この巨大自走砲は 各々約四十トンの戦車の中間に自走火砲塔を連結せしめた 動く砲台とでもいう新鋭兵器であって、二台の戦車および砲塔下の無限軌道は各々自由回転を同時に行い、横にも縦にも自由自在にその行動力を発揮して砲の照準について非常な便を与え、またその搭載し有る二十サンチ砲すなわち二百ミリ砲は、一万メートルの遠方にある大戦車群に対し、艦砲の如く弾道を描く俯仰射撃をなし 敵戦車群を壊滅させるのである。この二十サンチ砲は、一万メートルの距離において百八十ミリの装甲をうち抜く威力をもっているから、野戦におけるこの巨大自走砲の活躍ぶりは何人にも想像出来得よう。
図は その観測用機および敵機に備える無電探知車を従えての、巨大自走砲の一斉射撃の瞬間である。
古いフラモデルの箱画を彷彿とさせる活躍想像図である。
画面左に囲ってある絵には、「本自走砲の巨弾をあびて爆砕する敵砲戦車」と書いてある。「砲戦車」とは、帝国陸軍の戦車部隊に配備される、普通の戦車より大威力の砲を持つ戦車を意味する。今では自走砲に吸収されてしまった言葉であるが、ここでは、戦車に毛の生えた程度の「砲戦車」など、巨砲が動き回る「自走砲」の敵ではない、と云う意味が込められている。
「二十サンチ」「艦砲の如く」「一万メートル」と記し、上空には着弾観測機がおり、相手が「敵戦車群」であるなど、絵師の中に、この兵器が陸上戦艦であるとの確固たるイメージを感じてならない。
例によって、メインの図以外に、この新案兵器を説明する図が付けられている。
最初に挙げられているのは、「巨大自走砲」同様、大口径火砲に機動性を加味する在来兵器、「列車砲」との比較だ。
列車砲は、第一次大戦で広く用いられた兵器であり、戦前の通俗軍事書物に出てくるものである。大型の大砲を貨車に据え付け、線路が続く限り、その上を自由かつ迅速に往来できるのが売り物なのだが、
(上)この二十サンチ列車砲は 自由な射撃は出来るが 線路を離れて行動は出来ない
※旋回式砲架を備えた列車砲の場合
(下)これらの長射程列車砲は 線路のカーブがなければ射撃方向をかえることが出来ない
※旋回式砲架が使えない、より大型(長射程)の列車砲の場合
これらの弱みを持っている。
射撃方向の変更については、「転車台」(ターンテーブル)を接地することで自由度を上げることが出来るのだが、「列車砲」を名乗る以上、線路の無いところに展開することは出来ない。
それに対し、
列車砲の型式をとったこの自走砲は この点に於て自由自在である
つまり、この兵器は、「線路がなくても動ける列車砲」なのだ。
戦車の履帯(キャタピラ)が、「無限軌道」と呼ばれる―説明文にも出ている―ことを思い出していただければ、ご理解いただけるものと思う。
自走砲の構造は以下の通りになっている。
前方に「八百馬力の動力を付した牽引用戦車」(対空機銃装備)、「回転用歯車」を介した「砲車台」(二十サンチ砲塔に、動揺防止架尾、昇降板を装備)が続き、しんがりを「測距儀」「弾薬庫」を搭載した戦車(対空機銃装備)が務めるものだ。
空想兵器は、とかく意図が壮絶すぎたり、機能兵装を盛り込み過ぎ、ツッコミ所が満載になる傾向があるのだが、この「巨大自走砲」の場合は、小回りの利きそうな無理のないカタチになっている。
上空の観測機は、自走砲からカタパルトで飛び立つわけではないし、昭和19年的味付けと云える「敵機に備える無電探知車」も、あえて本体から切り離し、シンプルにまとめることに成功している。
と云うわけで、物言いをつけるとすれば、これだけ大仰なつくりをしているのに、載せる大砲が200ミリとは控えめに過ぎないか、と云う夢方向と、対空機銃、弾薬庫、測距儀などを降ろしてしまえば、小型化出来るはずとの現実方向に、きれいに分かれてしまう。
夢方向に振れ過ぎるると、これも「機械化」に掲載された「千トン戦車」(いずれこのコーナーで取り上げることになるだろう)になってしまい、現実方向に進めば、例えばM110自走榴弾砲(日本語版ウィキペディア)のように、面白くも何ともなくなってしまうのだ。
この中間を行くのが、盟邦ドイツのカール自走臼砲(日本語版ウィキペディア)と云える。大砲の大きさは夢方向、車体は(大きいが)あくまでも一つで、砲弾は別車輌が持ち運び、何より実戦に参加している文句ナシの現実路線だ。改めて「巨大自走砲」を見直すと、主砲付け根の部分が、カールのそれをひっくり返しているのに気づく。砲塔前面の斜めになったところから、二本の筒が突き出しているのは、同じドイツの88ミリ高射砲(日本語版ウィキペディア)を参考にしているようだ。
それでは、戦車二つで大砲を担ぐ―御輿や担架搬送を想像するとイメージが掴みやすい―発想を現実化しようと云う動きは無かったのか?
「事実は空想よりも奇なり」と俗に云うが、ドイツ兵器局が1941年1月に出した、24センチ加農砲を可搬式にする要求に対し、クルップ社は、二輛のタイガーT戦車の車台を使って運搬しようと云う、解を示している。
赤枠部分がタイガー戦車の車台(のつもり)である。
『Tigers T and U AND THEIR VARIANTS』の図を、主筆が模写
この案では、非武装の車台重量を約25トンとして、担ぐ大砲を含め車台一つが担当する重さを、タイガー戦車の戦闘時重量よりも軽い、約60トンと見積もり、路上を時速30〜35キロで走行し得るものと推算していた。
(大型車輌の鬼門である)橋を渡る際には、橋への荷重が先車・後車のどちらか一台分ですむ―どちらかは必ず地面に接している―よう、前車中央と後車中央との間隔は、20〜22メートル空けるものとしている。
しかし、戦車製造元のヘンシェル社は、これに廻す余計な資材は無いと返答していると、『Tigers T and U AND THEIR VARIANTS』(Walter J.SpielbergerとHilary L.Doyle、Schiffer Publishing刊。元版はドイツで刊行され、『ティーガー戦車』の邦題で大日本絵画から訳本が出ている。本稿を仕上げるため両方買ってある)にある。図(邦訳版にも載っている)には、大砲しか描いてないので、砲弾はカール同様、別車輌に搭載されて追随するつもりだったのだろう。
読者のお手元に、タイガー戦車の模型か写真があれば、その巨大さを想像してみて欲しい。
二台の牽引車輌の間に、大口径火砲をはさんで運ぶアイディアは、のちにアメリカが開発した、口径280ミリのM65「原子砲」(英語版ウィキペディア)に採用されている(記録映画での移送場面参照)。
夢と現実の狭間に落ち込んだとしか思えない、この「巨大自走砲」のアイディアも、戦後のロケット弾・誘導弾の実用化により、主筆が生きている間に日の目を見ることは、期待出来そうもない。
(おまけ)
この記事で見落とせないのは、「巨大自走砲」の説明図にくっついている、 この絵である。もちろん、下段の「独逸の誇り虎戦車の射撃」の方だ。
「虎戦車」とは、云うまでもなく、「タイガー戦車」「ティーガー戦車」として、模型屋の店頭に晴れがましく並んでいる戦車である。戦時中からドイツ戦車崇拝の機運が現れていたらしい。
タイガー戦車のシルエットが、ポルシェ型に見える所も観賞ポイントであるが、戦後今までさんざ語られている「88ミリ砲」が、小松崎の文では「百ミリ備砲」と書かれているのが面白い(主砲口径が割り増しされて日本に紹介されたわけではない)。
なお、『Tigers T and U AND THEIR VARIANTS』/『ティーガー戦車』には、三輛のタイガー戦車の車体を三角形に並べ、その底辺上に、12.8センチ単装砲塔を三つ横に配置し、掩蓋まで載せると云う、悪い冗談としか思えない図面も載っている。