密林突破戦車


 「やるぞ一億 勝利の日まで
 勇ましいスローガンが表紙に踊る、『機械化』昭和19年6月号―マリアナ沖海戦で連合艦隊は敗北し、牟田口将軍入魂のインパール作戦は中止となる頃だ―本誌の売り物である、四色印刷ページ「新案兵器」は、「密林突破戦車」であった。
 描くは「日本三大茂」の一翼、小松崎 茂である。


「密林突破戦車」活躍想像図

 現地へ行った人でなければ想像もつかない。昼なお暗い大密林地帯
 巨大灌木は入乱れ、そこへ縦横無尽に名の知れぬ幾多の蔓草がからみ付き 自然の鉄状
(ママ)網をなして居る。
 この戦車は如何なる密林をも突破する目的の戦車である。
 最前方に押倒し用大熊手を持ち、その下方には旋回鋸を持っていて自由に傾斜を与える事も出来 灌木蔓草類はことごとく切り払ってしまう。蔓草などは殊に戦車の進行に邪魔なものであって どの位妨げとなるか分からない。又大木を倒す時は 上の熊手で押しながら下方の鋸で切り払えば 木の持つ弾力はなくなり進行能率をあげられる。横に付いた鎖型鋸も同じように横面の有害抵抗物を除去し 後方の起重機によって片づけられ 味方戦車の進行に難なからしめるのである。

 小松崎茂が「現地へ行っ」て密林地帯を見てきたとは、さすがに思わないが、迫力のある画である。前方にあわてて逃げ出す鳥を描いているところがシブい。

 下に挙げた図を見ると、説明文に書かれた装備が、どのように取り付けられているかがわかる。


側面図

 車体前方に「旋回鋸」(赤い点線が傾斜する範囲)、その上の「鋼鉄熊手」(スゴイ名前だね)は、車体と砲塔の「支柱」で保持され、「伸縮自由」部分の作用―原理は解らぬが―で上下するカラクリになっている。
 「旋回鋸」は支柱の内側で回転しているので、その外側にある木を切り倒すため、車体のへりには「鎖状鋸」がある。余談になるが、主要装備である「旋回鋸」(回転ノコギリ)は、TVまんが『マッハGOGOGO』の主役メカ、「マッハ号」の特殊装備として有名になる。

 車体後方には倒した木を持ち上げる起重機が装備されているが、木を積み上げる荷台は無い。
 砲塔後方と戦車砲の両脇にも「乗者保護籠」があり、起重機・鋸操作員に切った木などが当たらぬよう工夫されている(狙撃されたらひとたまりもないが…)。


戦車砲脇の「乗者保護籠」


 「活躍想像図」を補足する、小さい図がオマケについている。
 内容は以下の通り。 


進む突破戦車を後方から見る



巨木を押し倒しつつ進む突破戦車 これらの木材は設営に使用 橋等をかける



突破戦車を使用すれば どんな密林も数日の間に立派な飛行基地となる



突破用設備を後方及び横面に積んで 戦車本来の大活躍をなす


 密林啓開機材に、飛行場の造成まで請け負わせる所がいじらしい。「どんな密林も数日の間に立派な飛行基地」と、豪語しているが、整地作業をやるには装備が足りない気がする。

 特殊装備をはずして「戦車本来の大活躍」をさせる設定に、作者―当時の日本人の、と云い替えても良い―の前線重視(すなわち後方軽視)志向が現れていて、興味深い。

 「密林突破戦車」は、云うまでもなく空想の産物である。しかし、帝国陸軍は、北方(ソ連国境)の樹林帯を切り開く機材―「伐開機(説明が面倒なのでウィキペディアにリンク」―を整備していたのだから、小松崎の発想畏るべしである。もっとも現実の「伐開機」は木を倒す機能に特化したもので、倒した木は「伐掃機」(自走式の起重機)が片付けることになっている。

 「密林突破戦車」の説明中に、飛行基地云々とあるのは、敵アメリカが機械力を駆使して、飛行場設営にあたっている事実を受けてのことである。

 米軍の飛行場設営能力―密林・原野を切り開くところから始める―の高さは、今日ではゼロ戦の強さより多く言及されている感があるが、敵の設営部隊「シー・ビーズ」とその装備については、当時の国内でも注目されるところとなっている。
 『科学朝日』昭和18年8月号「アメリカ空軍の基地構築器材」(陸軍兵器行政本部 陸軍兵技中尉 八十島 義之助)では、主要機材として「リッパー(掘起機)」、「ブルドーザー(土工牽引車)」、「キャリオール(運土機)」、「グレーダー(路面成形機)」、「道路転圧機」(『我国において各処に散見する物と何ら変りはない』ため、日本語表記のみ)等を紹介・解説しているが、結語を記すにあたって、

 飛行場を設定するに当り、器材はたとえ極く少数のみ存在していても、若しこれを充分に使いこなしうれば、作業効程は格段の向上を見るのである。況して多数の器材を装備するアメリカの設定隊は、その点では非常に有利な立場にあるといえようが、器材の個々に触れてみる時、軍用としては甚だ不適当、不充分な点もある。
 即ち現用の器材は、前述の如く民間の物をその儘転用したに過ぎないので 軍用としての考慮は殆ど払われておらず、寸度にせよ、性能にせよ、総て民間の使用目的に適応するように設計されているので、軍用とした場合は、容積の点で、また運搬上の点で種々の障碍を伴ってくる。それと同時に現在の器材の状況からすれば、作業の分化が甚だしく複雑であり、整地作業の機械化のみについてみても、数基の器材が無くては用をなさない。従って弾薬、糧食でさえ満足に補給の出来ぬ前線に擁進することの困難さは想像に難くない

 と、土木機械の有効性を強く認めつつも、それを現状の陸軍にあてはめる事には、否定的な見解を示している。米軍式やり方には「安全な海上輸送の確立」と云う大前提がある。船団組んで送り出した機材が、一部しか現地に届かない(下手をすれば全滅さえありうる)実情を思えば、生き残った機材だけで仕事ができなければならぬのだ。「海軍がなっちょらんから、よけいな知恵を使わねばならぬのだ」と書きたいところなのだろう。

 陸軍としては、民間用の転用などではなく、小型・軽量、一台で色々使える軍用機材が欲しい。もっとも、日本の場合、そもそも転用すべき国産民生品が無い―国産ブルドーザーが出来たのが、昭和18年初めだ(何故か海軍用なのだ)―ことを思うと、一概に軍のわがままと云い切れぬものはある。しかし、一歩間違うと、機能を盛り込みすぎて無駄に豪華なモノになり、開発に手間取り、高くついて数が揃わず、前線に送るのもままならず、結局「日本軍も持ってました」と後世で負け惜しみするだけのネタに堕す怖れがある。

 『科学朝日』18年8月号に掲載された土木機械の写真を載せておく。云うまでもないが、敵側のものだ。


ブルトーザ


キャリオール(スクレーパー)


グレーダー


 それから半年のち、『科学朝日』19年4月号は、「基地建設と進攻兵器」特集を組む。


表紙の「牽引式排土車」(ブルドーザー)

 ここでも、敵アメリカの機械力の紹介がされているのだが、この号では、わが軍はどうなっているんだ? の銃後からの疑念に答えるべく、日本にも機械力はあるのだと云う記事も載っている。しかし、以下に挙げる二枚を含め、掲載された写真の印刷がお粗末で、内容以前に涙が出て仕方がない。


押均機(左)、鋤取車(右)

 写真にある押均機(ブルドーザー)は、ワイヤーで車体前面の板(押均板)を操作する構造のようだ。鋤取車(スクレーパー)は牽引車に引かれている。


 土工用機械が注目されているのは、この号でも同じである。
 「敵飛行場はかく造られる」と題されたグラフ記事には、「汎ゆる種類の土木機械類を動員し 飛行場急造に狂奔の小癪な敵兵の姿を瞥見しよう」とあるのだが、外誌や対米開戦前に入手したらしきカタログなどから持って来た写真を並べるだけに徹し、実質的には、『欲しいものリスト』と化している。


牽引車一台がこれだけの用途に使える! の図

 上の図は、一台の牽引車が、装具を取り替えることで様々な用途に用いることが出来ることを現したものだ。
 右上から「レーキ型押板」「ブラッシュレーキ」「側面排土板」「排土板」「倒樹機」「ブラッシュカッター」「後押機」「伐根機」「除雪機」
 左上から「後倒式削土機」「前倒式削土機」「削土機」「掘掘(ママ)機」「羊蹄転圧機」「根裁機」
 装具交換の手間や、結果的に牽引車を酷使してしまうとは云え、八十島中尉も、この図を見れば胸を撫でおろしたことと思う。

 幸いにして、アメリカ製の良く出来たお手本があるのと、とにかく急ぎ整備する必要に迫られたおかげで、戦中に開発されたブルドーザーは、主筆が心配するほどキテレツな外観にはならなかった(参考:『土木塾』コンテンツ『日本ブルドーザー史』)。しかし、後発品の悲しさで、信頼性と作業能率(操作員のスキル含め)は、見劣りがしたとの回想もある(『海軍設営隊の太平洋戦争』光人社NF文庫)

 
倒樹機(左)、ブラッシュカッター(右)

 この「倒樹機」と「ブラッシュカッター」が、小松崎描く「密林突破戦車」の直接ヒントとなったことが伺える。
 絵師は、戦車にジャングルを切り開く装備を付与すれば、戦車戦も出来る、飛行場設営にだって使える、と足し算の発想でこの兵器を考案している。それゆえ「戦車本来の大活躍」は絶対に描かれなくてはならぬのだが、あれだけの装備を載せたまま(後ろに移すとは云うが)、大活躍をさせるのは無理がある。そこでまた「伐開機」の姿が浮かんでくるのだが、実はブルドーザーでも立木を倒すことが出来ると、『科学朝日』19年4月号の記事には書いてある。

 幹の根元より三尺くらいの場所に押板を当て、樹木を揺り動かし根元の土壌を弛め、押板を突込んで牽引車を前進せしめて根諸共押し倒す。(略)100馬力程度のものは幹の直径30糎の樹木の伐採が可能であり、所要時間は数分、排土機の使用法宜しきを得れば本機のみで立木伐採可能である。(『飛行基地設定の土木機械―牽引車を中心に―』)

 トラクター前部に有刃のV型鋤を有するブッシュカッターを運行せしむれば径四五寸くらい迄の木は根元からばたばたと切り倒し高能率的である。(『飛行基地の構築』)

 これが、小松崎の考案が、「戦車」のカタチを取らざるを得なかった理由なのかもしれない。

 サイパンが陥落し、超重爆B−29の本土空襲がいよいよ近づいてきた頃に出た、『機械化』昭和19年10月号掲載の座談会「上陸攻防戦を語る」の中で、陸軍兵器行政本部の久保少佐は、

 サイパンを敵が取ったのは、一体何が目的だろう。(略)これは明瞭に航空基地、或は前進基地設定の目的であって、これに対して敵は機械力を極度に使う。
 (略)飛行場をサーッと造り上げる、この力は想像の外です(略)その原動力はすべてトラクター。それにいろいろな七つ道具を付け加え、坑(あな)を掘る、或は山を崩す、均す、樹の根ッこを引き抜く、ローラーを掛ける、北方ならば雪を撥ね飛ばす、すべて機械力でやる。

 と、述べている。「すべてトラクター」と云い切る、久保少佐の脳裏に浮かぶのは、さきに挙げた『科学朝日』掲載の図と同じはずだ。
 これに続いて、久保少佐は日本人の心の持ちようを批判する。戦争の行く末を見切ってしまったのではないだろうか、と感じさせる発言だ。

 大体日本は派手好きで、功名心が強すぎる。例えば子供に大きくなったら何になるか、いうと、皆『大将になる』という、その意気込は結構ですが、そんなに大将になられては適わぬ。一兵士になると迄言わんでもいいですけれど…。
 兵器の考案の発明でも、V1号とか、ロケットとか、戦車の勇ましいやつを造ろう、という気持は結構ですが、今の飛行場設定器材みたいな地道な所謂土方のやる仕事の能率的なものが、戦力に非常な影響を及ぼすわけですから、そういう方面にも頭を向けてもらいたい。

 今時の自己啓発書の中には、「大将」を志向する余り、兵卒の仕事を嫌忌することを、推奨するようなものも見受けられるが、地味な下働きをする人がいて、初めて大金を動かす仕事が出来る事を忘れてはならない。

 木を切ったあとは、根っこを掘り起こし、地面の段差をならし、土をしっかり踏み固めないと、立派な飛行基地は出来上がらない。飛行基地がなければ、どんな戦闘機や爆撃機も役に立たないのだ。

(おまけ)
 注意深い読者は、『科学朝日』18年8月では、ブルドーザーを「土工牽引車」と訳していたのに、19年4月号では「牽引式排土車」、「押均機」に表記が改まっている事に気付かれたと思う。これは、寄稿者が、海軍、陸軍、内務省、運通(運輸通信)省の各方面から出ているため、それぞれの世界で使っている言葉を用いているからなのだ。


 表紙のブルドーザーの解説では表題には「牽引式排土車」にブルドーザーのルビを振っているが、本文では「ブルドーザー」の一本槍である。運通省線路課長・吉原 正明のペンによるもの。
 「我国の資材と技術をもって立派なブルドーザーを作るべく、運通省においても目下試作に努力を傾注している次第である」との事。


 「飛行場設定の土木作業」を書いた松村 孫治は、内務省土木試験場技師で、この人は「排土機」を使っている。
 「我国においても着々高性能の牽引車が出現する機運に向かっている」との見解を示しているが、「我国トラクター工業は最近長足の発展をなしつつあるが、なお幾多の研究すべき問題がある。即ち発動機、発動機始動方法、軌板、操縦方法、その機構、足回り装置、土工機材の操作方法等が第一に取上ぐべき問題である」と書いたのを受けたものであるから、明日にでも優れた牽引車が出てくるとは、爪の先ほども思ってないようだ。


 「飛行基地の構築」では、もっぱら「ブルドーザー」が使われている。書き手の長澤 誠は、記事には肩書きが無いが、座談会「設定部隊はかく戦う」で、陸軍航空技術研究所・陸軍建技大尉と記載されている。ちなみにこの座談会では「ブルドーザー」と語られることが多いが、「排土機」も使う。


 本文に挙げた、不鮮明な「押均機」と「鋤取車」の写真が出てくる「前線設営作業の機械化」は、塚本 精太郎による記事である。この人も記事に肩書きは無いが、座談会「敵米英の基地作戦を衝く」には海軍施設本部・海軍技師と書かれている。つまり、「押均機」は海軍用語と云うわけだ。

 座談会では、「失業救済のために我国では工事が人力依存にあったことと、小農式のため農業用機械も使う途が無かったこと」と、日本の土木機械が未発達であった理由を述べている。
 さらに「会計法規を扱う連中の一部には、どうも予算の要求を削ることを手柄にして、目新しい進んだことをやろうとすれば、直ぐケチをつけて予算の通せん坊をやる。これらが兎角日本の施設機材の発達を遅らせたんですね。」と続け、今日の事態に至ったのは、官僚の不見識が招いたことだと批判している。
 この人は、「内地で生産工場に使用している捕虜は 非常に機械を大切に扱うということです」、「子供の時分から機械に対する知識経験を養う必要があり、科学博物館のようなものが全国に出来て、そこに行けば子供は機械がいじれるというようなところが欲しいですね。」とも発言している。よほど同胞の機械の取り扱いに、目に余るモノを見てしまったらしい(笑)。

(おまけのおまけ)
 日本最初のブルドーザーは海軍の発注で、昭和18年1月に出来上がり、「一型均土機」と称されたとタミヤのプラモの説明書にも書いてあるが、すでに記した通り、雑誌記事では「押均機」、戦後書かれた『海軍設営隊の太平洋戦争』も同じである。どんな理由で名前が改まったのか、ちょっとだけ気になっている。