中国の首都北京郊外に空軍博物館がある、と云う話は航空機ファンの間では有名である。数年前の「航空ファン」誌上で、レドームを載せたソ連版B29の写真に驚いた方は多い。私もその一人である。
また、最近「スケールアビエーション」誌第6号(1999.2)「Bord to Museum」でも紹介されたので航空機モデラーの方々も御存知であろう。
年末休暇を利用して、現地に行くことができたので「いつか行ってみたいなあ」と云う物好きな同好の士にご紹介する。
こう云う場合、珍奇な画像を期待される方も多いようであるが、例によってどうでも良い画像しか無いことは、云うまでも無いので御了承頂きたい。
「地球の迷い方」番外編(笑)
一応観光スポットではあるので、「地球の歩き方」にも掲載されている。これによれば912路バスに乗り、「航空博物館前」にて下車すれば良いことになっている(99年度版による)。
しかし、その912バスがどこから出発しているのか、ガイトブックには記述が無い。俗に「地球の迷い方」と悪口を云われる所以である。日本の旅行社で調べてもらったところによると、912バスは地下鉄「安定門」駅を起点としている。それだけの情報をもとに出かける。
苦難の旅が始まる。バス乗り場を探すのが骨である。地下鉄出口にある案内板には912は無い。旅行社からもらった「バス乗り場はどこですか?」と書かれたメモを使って、入り口付近を清掃しているじいさんに聞いたところ、道の反対側へ階段を降りていけ、と云うことらしい身ぶりが返ってくる。博物館は北京市の北側にあることは分かっているので、北に向かう道路を歩いてバス停を探すことにする。
駅北側徒歩5分程度に地壇公園と云う場所があり、その前にバス停はあった。
バスでの行き方は事前に調べておいたわけだが、肝心のバスがどれくらいのタイミングで走っているのかについて、いざバス停に立つ時まですっかり忘れていた。バスは来ない。16時には終車とあるので、本数が非常に少ないと云うことにようやく気づく。待つこと20分程、バスは来た。おそらく一時間に1、2本程度と思われる。
バスに乗り込む。やはり始発ポイントは別の所だったようである。すでに客が何人か乗っている。バスは走り出す。料金を払う。2元払って例のメモをみせる。「航空博物館バス停についたら教えて下さい」と現地語で書かれているのである。
「不到航」車掌が何かまくしたてながら、メモの裏に書き込む。「このバスは航空博物館には行かない、途中で別なバスに乗り継げ」と云うようなことを早口の中国語と身ぶりで伝えてくる。
「駄目ぢゃん!」と嘆いても遅い。わざわざ航空博物館に行くために日程を調整し、同行の友人と分かれて単身ここまで来たのである。いまさら引くに引けない。幸いにして近くまで別なバスに乗り継ぐと云う人がおり、車掌と彼ら乗客とで「この怪しい外国人をなんとかしてやってくれい」「しょうがねえなあ」と云う話がつき、このバスで行けるとこまで行くことになった。行けるとこまでで3元。
地図は無い、地名も分からない、しかし目的地だけは明確になっている行程と云うのも困ったものである。バスは猛スピードで校外へとひた走る。こうなると自分の置かれた状況を楽しむしか無い。「うーん深夜特急だなあ」とうそぶく。
乗り換え点につく、車掌が「早く行け」とせかす。外に出て一服する間も無い。既にワンボックス車が待ち構えており、私を託された客も「早く来い」と手招きする。7人程乗っている。乗り込んだ客とドア開け兼集金係のオヤジとが私の方を見ながら話をしているのだが、こちらは「日本人的微笑」をするしか無い。
最初のバスの車掌は「30分くらいでつく」と云うようなメモをよこしてくれた。時間の感覚はもう当てにはならない。安定門を出てから一時間以上は経過した。前方に小山が見えてくる。「なんとか山」と云う看板があり912バスからの乗客が「もうすぐだ」と云うような顔をする。バスが止まり、親切な客が降りる。私も後についていこうとすると、ドアオヤジは「お前はまだだ」と静止される。こちらも不安になり「航空博物館」と書かれたメモをオヤジにみせる。「大丈夫」と云う顔をするオヤジ。
ミニバスは西に向かっているようだ。外の景色を必死で焼き付ける。すると「航空博物館1.3キロ」と云う看板が眼につく。とりあえずなんとかなったようだ。バスが止まる。360度畑に囲まれた街道のど真ん中である。ドアがあき、オヤジが「降りろ」とゼスチャーする。オヤジは街道から南北に延びる道路の北側に腕を伸ばし「この先だ」とでもいいたげな風情。街道上に私を残してバスは走り去る。
街道と道路の交差点に「航空博物館」と書かれた、コンクリートの塊を発見する。「ついたあ」と喜ぶことしばし。ところが方向を示す先には何も見えないのである。道路を良く見ればここだけコンクリート製。どうやらかつての滑走路のど真ん中に自分はいるらしい。ここまで来たら歩くしかない。はるか先の小山の中腹に建物があるのをようやく見つけ、方向が誤っていないことを確認する。歩くこと10分以上、ようやくかすかに門らしきものを認める。白い大型航空機らしきものも見える。しかし、そこにたどり着くのには、まだ10分先の話である。
博物館への道。小山が有名な洞窟格納庫部分である。道の一番奥が博物館ゲート(笑)。
博物館の入り口にようやくたどりつく。奥には未整理航空機の山。入場券を買おうとすると、付近にたむろしている物売りが寄ってくる。場所柄なのか飛行機のオモチャが多い。何故か爆竹を満載した自転車おばちゃんがいて、爆竹を売りつけようとする。彼らを無視して中に入る。
入り口付近にある未整理航空機はさまざまだが、塗装を剥がされた米軍機らしきものが眼につく。しかし今はバスに乗ること一時間以上で溜ってきた尿意をどうにかしないとマズイ。有名な洞窟格納庫前にトイレがあるのを発見、3分後にその前に立つ。ところがカギがかかって使用できない。やむなく我慢することにして、再び3分歩いて屋外展示を見て回る。
ゲートを入ってすぐ目に付く未整理航空機。右側はAero L−29(チェコ製)。左はF−84と思われるが良く分からない。
屋外展示の目玉はなんと云ってもロシア製B29ーTU4である。実物を見るのは(本家もパチモンも)生まれて初めてである。以外と小さい。無人偵察機を装備したものと、例のレドームを載せたものの2機。あとはDC3、C46と云うあたり。ロシア製旅客機が多い。
展示場の終わりまで来ると、放棄されたミサイルやトラック、レーダーなどがあり、その横にTU2爆撃機が2機並んでいる。機体のそばにひしゃげた計器が落ちていたので戦利品とする。ジェット戦闘機はすべて屋内展示場に移ったようである。
IL−14輸送機。中国要人の輸送や、人工降雪実験等に用いられた。軍用途からは1986年に退役。中国民航では1992年まで使用していた(「中国名機珍蔵」による)。ネームプレートを持った人形がお茶目である。
Be−6飛行艇。過去の博物館ルポと「珍蔵」ではダークシーブルー塗装であったが、近年塗り替えられたようである。
MI−8等のヘリコプタ。右は国産ハルビンZ−6型(MI−4型をライセンス生産したZ−5型の改良型)。「国家重要文物」だそうである。
Tu−2爆撃機。屋外に2機、屋内に1機ある。「スケビ」での博物館紹介に掲載されていた画像では塗装が剥げていたが、これも再塗装されたようである。
メインイベンターのTU−4。これは無人偵察機母機として使用されていたもの。無人偵察機は外翼下に懸架されている(この画像では当然見えません)。無人偵察機が見たい方は、北京まで行くこと。
側面から見たところ。発動機はターボプロップに換装されている。当然「国家重要文物」。10機が輸入され、チベット弾圧等に使用後、1988年に退役。
あまりにも有名なレドーム搭載型。TU−4型が退役したと云うことは、別な機体が同任務を行っているはずなのだが、何を使用しているのかまったく解らない。恐らくはTU−16バジャーあたりを利用しているのだろうが…。
博物館の隅に放置された対空ミサイル。トレーラー運転席に人がいるが、係員でも無い、ただの客が記念撮影をしているだけ(笑)。軍事博物館でもそうであるが、中国人民の観覧マナーは総じて悪い。まわりがやっているからと云って、心ある人の顰蹙を買わないようにしましょう。
同じく展示場の隅に放置されたままの車両。
洞窟展示場の手前にあるモニュメント。航空機はF12試作小型戦闘機。そのまわりを対空砲、ミサイル等で飾り付けてある。
屋外展示場のはじから屋内展示場入り口まで10分近く歩く。便所に行きたいのだが、無いものは仕方が無い。最悪の事態も覚悟する。
屋内展示場は、もともと格納庫として使用されていたもので、暗い。客も係員もいないのでストロボをたきまくる。
解放軍発足後の航空機がメインではあるが、中国最初の航空機のレプリカや国民党マークの航空機も一部ある。第二次大戦コーナー入り口には、空中戦の絵が置いてある。当然火を吹いて墜落している航空機は我らが零戦であることは云うまでもない。
I16やP40が置いてあるが、レプリカ。零戦21型も展示されているが、非常にぞんざいな扱いで(レプリカ)、中国空軍が使用した同じ日本製の99双軽とはえらい違いである。
99双軽は、もともと胴体だけが残っていたものを復元してある。小さい。翼構造をみせてある双発機があったが、後で資料を見ると、なんとモスキートであった!(翼のみ実物)解放軍がモスキートを装備しているとは知らなかった。
ここで購入した資料に建国式典で天安門上空を飛行した航空機と操縦士が記載されているのだが、たしかにモスキートもp51に混ざって飛んでいる。
日軍の航空機なので扱いはご覧の通り。解放軍が使用していれば、もっと扱いは良くなったはずである。ちなみにこれは映画撮影用に作成されたレプリカとのことである(「珍蔵」)。
99式双軽。胴体部分からここまで復元したもの。マーキングは解放軍のものになっている。
主翼部分だけホンモノモスキート。機首の復元のされかたが適当すぎて涙を誘う。木製機研究用に残したものなのだろうか?
ジェット機コーナーに入ると、ミグ戦闘機のバリエーションが延々と続く。9、15、17、19、21まで。もちろん大部分は中国製のもので、一通りの型式が理解できてしまうのである。試作のみで終わった小型戦闘機まである。解放軍戦闘機マニアにはこたえられないものがある。十二試艦上戦闘機から零戦64型まで置いてあるようなもので、しまいには飽きる。
強(A)5型もある。国産の新鋭F8(はたで見ると、ミグ21を双発にしたようにしか見えないが、別機)の初期型まで展示されている。
珍品としか云いようが無いMIG−9。こんなヘンな形をしていました。ソ連から1951年に購入して、都市防空任務に就かせたが、行動半径が小さいために「不久即停止使用」(「珍蔵」まあ、ととっとと使うのを止めた、と云うことですな)となった。それでも「重要文物」。
MIG15「中国少年先鋒号」(凄い名前だね)の勇姿。
後方から見たところ。表面はピカピカに手入れされている。しかし屋内展示は撮影に不便極まりない。屋外では50ミリレンズ、屋内では35ミリレンズ(当然フィルムは135−通常の35ミリフィルム)を使用してこの有様である。航空機が大きくなればなるほど撮影はしんどくなってくる。
17のプリントが無かったので(笑)19に飛ぶ。レーダーが付いていないので国産モノだと思われるが、表記はMIGにする(笑)。ピトー管が跳ね上がるモノだとは知りませんでした。
ミサイル型の柵に注意。
こちらはレーダー付きのタイプ。色調が崩れてしまっているが、機首上部はブラックグリーン。機首中央はダークシーブルーと云う感じ。
MIG21。もうフレームに収まりません(笑)。ジェット戦闘機はすべて屋内展示になってしまった。延々15、17、19が続くので、このあたりでどうでも良くなってくるのである。
A−5攻撃機。1965年初飛行。69年12月から部隊配備を開始。日本の航空雑誌がスクープとして取り上げたのが、79年か80年頃と記憶している。そのころは戦闘機として認識されており「F−9」と云う名称になるだろう、と云う記事を読んだ記憶がある。この機体の存在を知って20年後のご対面であった。
色違いのA−5。
F12小型戦闘機。入り口付近のモニュメントの航空機である。インテイク下の赤い札には「登るな」と書かれている。誰だ?そんなマネをするのは?
SU−27導入までは最新鋭だったF8。巨大化したMIG21にしか見えない(笑)。
F8を後方から見たところ(1カットに収まらないほど大きいのだ)。双発である。現在はインテイクを胴体左右に分け、機首レドームを大型化したF8Uが主力のようである。当然そのような最新鋭機は展示されていないのである。
爆撃機コーナーにはIL28が2機。うち1機は機首を改造したもの。戦闘機に比べ、爆撃機の展示が少ないことから、機種改変があまり進んでいないことが伺われる。資料によれば1986年に退役しているとのことである。ちなみにIL28の国産型ハルビンB5は1971年8月(!)から交付されている。向こう10年くらいは現役爆撃機がここに収蔵されることは無いのではなかろうか。ちなみにTU4(B29)は1988年退役である。
屋内にもTU2は展示されており、何故か屋内にあると大きく感じる。これは1982年退役。
*爆撃機は大きすぎて写真が撮れませんでした!はっはっは…
ヘリコプターはそれほど多くないが、MIL24Dハインドが何故か展示されている。隣にはAH64アバッチ。これは中国の航空機マニアが実物大で作ってしまった模型!とのことで、実物大模型を並べてしまう方法もアリなのかと感心してしまった。
わざわざ複製品と判っているものの写真を撮るのも馬鹿馬鹿しいので、ガイドブック「天魂」に掲載されている写真を再録して誤魔化す事にする。アパッチの前に立っているのが制作者本人である。
駆け足で回っても一時間はかかる。そして室内にも便所は無いのである!出口には模型屋がある。が無視して便所を探す。屋内展示場出口から、再び博物館ゲートに至るまで、またもや10分は歩かないといけない。洞窟格納庫の外壁にようやく便所を発見して冷却水漏れと云う最悪の事態は回避された。
売店に戻り、「中国名机珍蔵」(机は現代中国語で「機」のこと。したがって飛行場に行く時、「机場」と書いてやるとタクシーの運転手はすぐ空港に連れていってくれる)と云う中国飛行機図鑑と云うべき本と「天魂」と云うこの博物館のガイドブックを購入する。「珍蔵」は航空機の歴史+博物館収蔵機解説がセットになった非常に良くできた本である。価格は150元の平装と180元の精装(ハードカバー)の2種類。中身は同じなので、安くて軽い平装がお勧め。「天魂」は博物館発行のガイド。こちらは15元。「珍蔵」は市内の本屋でも購入可能と思われるが、こちらは多分ここまで出向かないと購入は無理だと思われる。
これが「珍蔵」である。博物館の収蔵航空機の紹介と、航空史がこれ一冊で判ってしまう(中国語が読めれば)と云うスグレもの。こう云う本があると云う想定で博物館に出かけたため、それほど写真を撮らなかったのである(小便がしたくてそれどころでなかったと云うのもあるが…)。
問題は帰途である。ゲートを出るまで、帰る手立てを全く考えていなかったのである。行きで分かったように博物館からのバスはアテにならない。なにしろバス停も無いのである。ゲートには白タクが数台止まっているが、いくら取られるのかさっぱり分からない。まあ安定門まで行けばなんとかなると、気楽に構えることにしてタバコを吹かす。
そのとたん、バスがこちらに向かってくるのが見えるではないか!しめた!と歩き出すが、バスまでの距離は長い。バスは無情にもゲート手前100メートルのところにある駐車場のところでUターンしてしまった。まあバスもたまには来る、と云うことがわかったし、そこがバス停らしいこともわかった。白タクよさらば!である。
バスがUターンした所まで再び歩く。花火おばちゃんが自転車で追いかけてくる。「あんちゃん、タクシー使こうた方がええのんちゃう?」と云っているのか「爆竹かわんかね」と云っているのか定かではない。「かつて駐車場だった」と云った方が似合う場所で腰を下ろす。おばちゃんはあきらめて戻っていった。
駐車場にはかつて食堂であったとおぼしき廃墟があるだけで、バス停のかけらも無い。裏は畑になっていて、付近の住民がスクーターの運転練習をしている。
いい客だとばかり白タクが私の座っているところに近づいてくる。声がかかったら乗っても良いかと思ったが、運転手は車に乗ったまま動かない。私もタバコを吸うだけて動かない。10分程して車は去っていった。
こうなると急に不安になるのが旅行記の常套で、いよいよ安定門に向かって歩きださないとならなくなる。また滑走路を歩く。とにかくバスが来たら乗り込んで「安定門」と云うメモを見せる覚悟である。こう云う時、中国にいると云うことが限りなく有り難いことに思えてくる。韓国だったら野たれ死にだ。
街道に出て歩くこと20分足らずでバス(といってもワゴン車である)が来た。このあたりは北京と云うよりもそこらの田舎と変わらないので、歩いている人を見つけると、ワゴンのドアが開いて、「兄ちゃん、乗ってかんかね!」とけたたましく呼びかけてくれるのである。メモを見せる。もともとメモは博物館に行くためのものであるから「博物館にはどうやって行くのですか」などと今では無意味な言葉が書かれている。車掌はそこを読んだものだから、「お前さん、方向が逆だぜ」と云われてしまう。あわててメモの「安定門」の文字を指差して、「ここだ、ここ」と間違いを正す。
一元払う。バスは動き出す。
バスは10分程走って、来る時に912バスを降ろされたあたりに到着する。博物館ガイドから推察するに小湯山と云う場所のようだ。もちろんこの時はそんなことを知る由も無い。そこには別のワゴンが停車していた。「358路」と書かれたワゴンには見覚えがあった。安定門でバスを待っている時に3台くらい見送ったバスである。912バスを使わなくても博物館には行けたのである。
例によってメモを出して安定門まで行くかどうか尋ねる。行くことが分かっている以上、恐れるものは何もない。あとは料金だけである。10代あんちゃんの車掌は、私のメモを興味深く眺めている。わざわざ航空博物館までやってきた日本人を奇異な目で見ていることは云うまでも無い。私は5元札を出した。兄ちゃんは2元返したが、バスが走りだしてから、後1元要求してきた。ここでほうり出されても仕方が無いので、渡してやる。不思議と腹が立たない。
兄ちゃん車掌は歩いている人に声をかけまくっている。若い女性が歩いていると、声はさらに熱心になるのである。ハタで見ているとバスに乗るよう誘っているのか、ナンパしているのか分かったものではない。
バスは無事に安定門に着いた。ミニバスはどこでも乗降自由なのであるが、兄ちゃんは馬鹿正直に安定門大街で私を降ろしてくれた。地下鉄駅はそこから歩いて5分である。「安定門駅」と書いた方が良かったと云うことに気づいたのは、バスが走り去った後である。
こうして私は生還したのであった。
「天魂」に掲載されていた地図を再録する(原図はカラー)。黒い線が912バス路線である。私が途中で下ろされた場所は、地図から推測して「小湯山」であったと思われる。以下航空博物館を横切ると「百葛路口」終着点が「昌平」になっている。
博物館への確実な行き方(笑)
ホテルでタクシーを用意してもらう。料金は知らない。
安く上げる行き方
地下鉄安定門から912バス利用。本数は少なく、途中までしか行かない場合もある。地下鉄3元+3元から5元あればなんとかなると思われる。必ず少額紙幣を用意すること。
地下鉄安定門から358?バス+小湯山から1銭バス。5〜6元? 358路は普通のバスもある。なおこれらのバスの路線番号は私の記憶によるものなので、誤っている可能性が高いことをお断りする。楽しい旅行のために、旅行会社への確認をお勧めします。
入場料20元(これも記憶)。今後値上げの可能性もあるので、事前の「地球の歩き方」の最新版に目を通しておくこと。
バスが何時まで走っているのか分からないため、午前中に安定門を出発して午後には帰路についた方が無難である。語学に自信の無い人は、あらかじめ台本を用意しておくことを強くお勧めする。
以上の情報は西暦2000年1月2日時点の行動記録と記憶に基づくものである。読者諸氏が現地にて「エライ目」に会ったとしても「兵器生活」及び総督府は一切関与しないのでそのつもりで行動するように。
「死して屍拾う者無し」