畳の上で死にたいという言葉がある。これは、本来は、非業の死を迎えることなく、普通に家で死にたいという意味であるが、今では、持病が悪化して入院している病院、あるいは危篤で運び込まれた病院ではなく、日ごろ住み慣れた家で安らかに死にたいという意味だと勘違いしてもおかしくない状況となっている。

 戦後の大きな変化のひとつは、生まれたり死んだりする場所が家から病院に変わったことである。いつごろ変わったのか、どのようなテンポで変ったのかなどを知るため、こうした変化をデータで追ってみよう。出生届や死亡届を集計している厚生労働省の人口動態統計では出生や死亡の場所も集計しており、上図はこのデータにもとづいて描いたものである。

 図を見れば分かる通り、終戦直後は9割以上の人が家で生まれ、家で死んでいた。

 その後、出生場所が高度成長期の1960年を挟む10年間ぐらいで一気に病院に移り、1980年以降、家はほとんどゼロとなった。そして死亡場所の方は、変化は出生場所より遅く、2000年代半ばまでだんだんと病院が多くなっていった。そして2005年ごろから約15%で横ばいとなった。

 私事であるが、1951年生れの私はお産婆の助けにより自宅で生れたが、5歳下の妹は病院で生れた。

 最新データの2015年には、出生場所については、実家を含め家での出産(生母の実家での出産を含む)は0.1%とゼロに近い。また、死亡場所については、自分の子どもの家を含め家で亡くなるのは14.8%にすぎない。家以外の死亡場所としては、病院が主であるけれども、老人ホームが6.3%、介護老人保健施設が2.3%と病院以外の施設も増加傾向にある。都道府県別の死亡場所については図録7338参照。

 こうした変化は、日本人にとって、医療が技術的、施設的、制度的に充実して身近な存在となり、極力安全な出産の確保、および死亡直前の救命の可能性の追求から、生死に関し医療の介入を不可欠とするに至ったからである。

 就職活動を「就活」と呼ぶのになぞらえて、結婚へ向けての活動は「婚活」、出産へ向けての活動は「産活」とも呼ばれるが、「終活」へ向けて自宅診療を容易にする円滑・柔軟な医療的支援体制が充実してくれば、出産についても、赤ちゃんが生れてはじめて目にする風景が重要だとらえ、かつてのように自宅での出産が「初活」としてブームになるかもしれない。

 以下には、出生に関する家から病院への変化が都市部と農村部とで、どのぐらいのタイムスパンがあったかを見るために、市部と郡部とで出生場所が家の割合の推移を示した図を掲げた。市部が郡部に5年ぐらい先行したことは確かである(例えば市部の1955年の値は郡部の1960年の値とほぼ同レベルとなっている)。しかし、地域格差が続くことはなく、全国的に統一的な動きが顕著だったといえよう。


(2017年5月19日収録、5月22日「初活」提案) 


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